円融院 えんゆういん 天徳三〜正暦二(959-991) 諱:守平

村上天皇の第五皇子。母は藤原安子(師輔女)。一条天皇の父。
康保四年(967)五月、父帝が崩じ、同母兄憲平親王即位(冷泉天皇)ののち、皇太弟に立てられた。安和二年(969)八月、冷泉天皇の譲位を受け、十一歳で即位。天延元年(973)七月、藤原兼通の娘を皇后とする。貞元元年(976)五月、内裏が焼亡したため、同年七月、堀河院(兼通第)に移る。翌年新造なった内裏に戻るが、天元三年(980)十一月、再び火災に遭い、翌年、藤原頼忠の四条坊門大宮第(四条後院)に移った。同年中に内裏は新造されたが、翌天元五年には三たび焼亡した。永観二年(984)八月、師貞親王(花山天皇。冷泉天皇皇子)に譲位。寛和元年(985)二月、紫野に子の日の遊びをし、平兼盛清原元輔源重之ら歌人を召して歌を奉らせた。この時、召しのないまま推参した曾禰好忠が追い立てられた話は名高い。同年八月出家し、以後円融院に住む。正暦二年二月十二日、崩御。三十三歳。
『円融院御集』がある。拾遺集初出。勅撰入集二十四首。

題しらず

月かげの初秋風とふけゆけば心づくしに物をこそ思へ(新古今381)

【通釈】夜が更け、初秋の風が吹きつのると共に月の光が一層明るくなってゆくと、心魂が尽きるほどに物思いをするのだ。

【語釈】◇月かげの 月の光が。◇初秋風と 初秋の風とともに ◇ふけゆけば 深くなってゆくと。月光がいっそう明るくなり、秋風が涼しさを増すことを言う。「夜が更け行けば」の意も重なる。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり

堀川の中宮かくれ給ひて、わざのことはてて、あしたによませ給ひける

思ひかねながめしかども鳥辺山はてはけぶりもみえずなりにき(詞花395)

【通釈】恋慕の情を抑えかね、鳥辺山(とりべやま)の方を眺めたけれども、とうとう煙も見えなくなってしまったのだ。

【補記】天元二年(979)、「堀川の中宮」(藤原兼通女)の葬儀の翌朝に詠んだ歌。鳥辺山(鳥部山とも書く)は京都東山の山で火葬の地。


最終更新日:平成16年05月26日