山吹 やまぶき 款冬 Japan globeflower

一重山吹

春も盛りを過ぎようとする頃、山陰や水のほとりを山吹の花が彩る。よく撓う細い枝の先に、黄色、いや黄金(こがね)色と呼びたい花が咲き、暖かさを増してゆく陽光に眩く輝く。この花が散る頃には、もう初夏だ。

山吹はバラ科ヤマブキ属の落葉低木。樹高はせいぜい二メートルほど。一重咲き・八重咲きがあり、開花は一重が少し早く、花の色は八重の方が濃厚に見える。上の写真が一重、下の写真が八重である。いずれも鎌倉市二階堂にて四月中旬頃の撮影。

八重山吹

賀茂社へよみてたてまつりける百首歌に、やまぶきを

桜ちり春のくれ行く物思ひも忘られぬべき山吹の花

桜が散り、春が暮れてゆく憂鬱も、思わず忘れてしまいそうなほど美しい山吹の花よ――。
玉葉集、藤原俊成の歌。桜が散った後の虚しさを埋めてくれるように艶やかに咲く山吹が、王朝人にどれほど愛されたか、この一首でもお判り頂けるのではないか。文治六年(1190)、俊成七十七歳の作。
ところで俊成の息子定家には、父の歌に異議申し立てするかのような歌が見えて面白い。

『続古今集』 洞院摂政家百首歌

にほふより春は暮れゆく山吹の花こそ花のなかにつらけれ

この花が咲き始めると、春はもう終りに近づく。せっかくの美しい色を、季節の過ぎ行く悲しみが曇らせる。花の中でこれほど人に辛い思いをさせる花はない、と山吹を恨んでいるのである。いっぽう花の身になって解すれば、咲いた途端春の終りを見ねばならぬ山吹こそ、花の中で一番辛い花だ、となろう(私は最初この歌を読んだ時、そう解釈してしまったのだが)。いずれ人と花との間で想いは映じ合うものだ。洞院摂政家百首は貞永元年(1232)、定家七十一歳。父子共に晩年の詠であることも興味をそそられる。

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  『万葉集』 (巻二 十市皇女の薨ぜし時に、高市皇子尊の作らす歌) 
山吹の立ちよそひたる山清水汲みにゆかめど道の知らなく

  『万葉集』 (巻八 厚見王の歌) 
かはづ鳴く甘南備河に影見えて今か咲くらむ山吹の花

  『古今集』 (題しらず) よみ人しらず
今もかもさきにほふらむ橘のこじまのさきの山吹の花

  『古今集』 (吉野川の辺に山吹のさけりけるをよめる) 紀貫之
吉野河岸の山吹ふくかぜにそこの影さへうつろひにけり

  『後拾遺集』 (巻十九 雑五 詞書略) 兼明親王
七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき

  『拾遺集』 (天暦御時歌合に) 源順
春ふかみ井手の川波たちかへり見てこそゆかめ山吹の花

  『詞花集』 (寛和二年内裏の歌合によめる) 藤原長能
一重だにあかぬにほひをいとどしく八重かさなれる山吹の花

  『和泉式部続集』 (山吹のさきたるをみて) 和泉式部
われがなほ折らまほしきは白雲の八重にかさなる山吹の花

  『新古今集』 (百首歌奉りし時) 藤原俊成
駒とめてなほ水かはん山吹の花の露そふ井手の玉川

  『新古今集』 (巻二 春下 百首歌奉りし時) 藤原家隆
吉野川岸の山吹咲きにけり嶺の桜は散りはてぬらん

  『続後撰集』 (題しらず) 藤原信実
春くるる井手のしがらみせきかねて行く瀬にうつる山吹のはな

  『新勅撰集』 (款冬をよめる) 源実朝
玉もかる井手のしがらみ春かけて咲くや川瀬のやまぶきの花

  『金槐和歌集』 (山ぶきの花を折らせて人のもとにつかはすとて 源実朝
散りのこる岸の山吹春ふかみこの一枝をあはれといはなむ

  『玉葉集』 (春歌の中に) 二条為世
雪とのみ桜はちれる木(こ)のしたに色かへてさく山吹の花

  『玉葉集』 (雨中春庭といふことを) 京極為子
さきいづる八重山吹の色ぬれて桜なみよる春雨の庭

  『天降言』 (山吹) 田安宗武
山しろの井手の玉川水清みさやにうつろふ山吹のはな

  『竹乃里歌』 正岡子規
世の中は常なきものと我が愛(め)づる山吹の花散りにけるかも

  『瀬の音』 佐佐木信綱
やまぶきの花にふる雨細くしてこれの世を楽しとおもふ一とき


公開日:平成17年11月23日
最終更新日:平成21年7月3日

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