冬の海 Winter ocean

鎌倉市由比ヶ浜

よく晴れた或る冬の日、乾いた冷たい風が吹きやまない中、江ノ電を途中下車して由比ヶ浜に出て見た。鎌倉では、北風は陸から海へ吹く。海は凩を平然と受け流すように凪いでいた。

『三草集』  冬海  松平定信

木の葉をば払ひ尽して浦波に吹く音よわるこがらしの風

【通釈】木の葉をすっかり払い尽した後、海へ出て行く木枯し――浦波に吹きつける音はもう力なく弱々しい。

もとより山口誓子の名句「海に出て木枯帰るところなし」に遥か先行する作であるが、池西言水(1650〜1722)の「凩の果はありけり海の音」よりは時代が下る。定信は言水の句を意識していたかどうか。それはともかく、こうして比べて見ると和歌というのはやはり優美で柔和なものだ。

松平定信(1758〜1829)は厳しい倹約政策で幕府の財政を立て直した「寛政の改革」で知られる政治家だが、父田安宗武の才を受け継いで和歌にも秀でた。但し父の万葉調は学ばず、優婉な新古今風を好んだことは、上掲歌からも窺われよう。

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  『寛平御時后宮歌合』 作者不明
冬の海に降り入る雪やそこにゐて春たつ浪の花とさくらん

  『夫木和歌抄』 (海) 藤原家隆
あれくらし波間もみえぬ冬の日の海のおもては行く舟もなし

  『新勅撰集』 (建保五年内裏歌合、冬海雪) 八条院高倉
里の海人のさだめぬ宿もうづもれぬよする渚の雪の白波

  『続後撰集』 (雪) 源実朝
夕されば潮風さむし波間よりみゆる小島に雪はふりつつ

  『紫禁和歌集』 (冬海夕) 順徳院
冬の日のなぎたる沖の夕千鳥遠ざかり行く限をぞみる

  『新後拾遺集』 (海辺雪を) 二条為重
わたつうみの波もひとつにさゆる日の雪ぞかざしの淡路島山

  『新続古今集』 (住吉社に奉りける歌の中に) 藤原重光
紀の海やおきつ浪まの雲はれて雪にのこれる浦の初島

  『うけらが花』 (孤島雪) 加藤千蔭
伊豆の海にひとむらきえぬ泡沫(うたかた)やみ雪つもれる浦の初島

  『桂園一枝拾遺』 (事につき時にふれたる) 香川景樹
とけてだに鯨さやれる蝦夷(えぞ)の海のこほれる冬をおもひこそやれ

  『濁れる川』 窪田空穂
冬の海汝れのうつろを照らしつつさみしくも天の日はうつりゆく

  『黒松』 (沼津千本松原) 若山牧水
相打てる浪はてしなき冬の海のひたと黒みつ日の落ちぬれば

  『黒松』 (千本浜の冬浪) 若山牧水
冬の海にうねりあひたる大きうねりひまなくうねり山なせるかも

  『橙黄』 葛原妙子
静かなる冬日(とうじつ)の海の昏れむとしこの須臾のかなしみはいづこよりきたる


公開日:平成19年1月25日
最終更新日:平成19年1月25日