チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のオネゲル作品集試聴記

 ジンマンの指揮でオネゲルの管弦楽作品が、彼らの来日に合わせてデッカ・レーベルから出ます。
 日本盤は一九九九年六月二日発売ですから、もう少し待たなくてはいけませんが、輸入盤は昨日、藤沢のタワー・レコードで手に入れました。
 彼らのベートーヴェン演奏で、そのアンサンブル能力の高さに驚いた人にとっては、この演奏の素晴らしさは容易に想像がつくと思われます。
 オネゲルは他の項でも述べましたが、正真正銘のスイスの作曲家であります。チューリッヒ音楽大学で学んだ作曲家です。生まれたのと死んだのがフランスというだけで、フランス六人組などという、よくわからない音楽楽派にひとくくりにされたおかげで、フランス人というレッテルが張られてしまった作曲家ともいえますね。まぁ、パリでも活躍しましたからあながちハズレということも無いのですけれど。
 アンセルメザッヒャーといったスイスの大立者の指揮者とも深く交流を結び、彼らによって初演された作品も多くあります。
 というわけで、チューリッヒとは大変縁の深かったオネゲルの作品集が、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のデッカ・レーベル(初めての録音ではないでしょうか?)へのデビューCDとして録音されたことは、大変意義深いことだと思います。
 まず、交響的運動第二番「ラグビー」を聞いてみました。チューリッヒのオーケストラが現代楽器のオーケストラとして、最高のアンサンブル能力を持っていることを、この演奏は充分に示しています。
 一九二八年にスイスの指揮者、アンセルメによってパリで初演されているこの作品は、オネゲル自身が大変好きだったラグビーをモティーフに描いた作品です。
 もともと力強い作風のオネゲル(なんか怪獣映画に使えそうな音楽が多いのですが)に、この交響的運動というジャンル(オネゲルのものしか知らないが)合っているようで、フルトヴェングラーに初演された第三番や、恐らくはオネゲルの全作品のなかでも特に有名な第一番「機関車パシフィック231」などが成功した理由もそこにあるような気がします。

 輝かしい金管の響きと対抗する弦の張りのある音、錯綜するリズム、木管の合いの手に幅広いダイナミズム…。まさしくオネゲルの真骨頂といえる世界が、CDを聞き始めてすぐ、耳に飛び込んできます。複雑なリズムもさすが現代のオケです。見事に処理されて、提示されます。
 ただ、もう少しダイナミックな幅があればというか、迫力があれば最高なのですがね。

 交響曲第二番がその次に収められています。名指揮者ミュンシュが得意にした曲で、私も二種類持っていますが、そのどちらにもこのチューリッヒのオケの演奏は残念ながら及ばないのは、やや中庸を目指しすぎているように思えるからです。
 それは、アンセルメ指揮スイス・ロマンド管の録音もそうで、アンセルメは、この曲に込められたパトスをあまりに優しい響きの中に埋没させてしまった感があります。
 一方、シャルル・ミュンシュは、ボストン交響楽団を指揮して、録音の悪い一九五三年のモノラルの音の彼方から、この曲が現代音楽だった時代の力強い不条理に対する怒りや絶望、トランペットが初めて出て来る終楽章で希望と勝利を強烈に印象付けるのです。

 この作品は、スイスのザッヒャーの依頼で書かれたもので、当初、一九三六年のバーゼル室内管弦楽団創立一〇周年の記念に、委嘱されたのですが、作曲がはかどらず、一九四一年になってようやく完成。一九四二年にザッヒャーが作ったもうひとつのオーケストラ、チューリッヒ・コレギウム・ムジクムでザッヒャーの指揮で初演されています。
 彼らの録音も残っているはずですが、残念なことにそれは、聞いていません。

 チューリッヒ・トーンハレの演奏は、アンセルメの録音に対して更に優秀ではあります。全体に対する緊張感が張りつめていること、リズムに弾力性があり、緩やかな部分でも平板にならないことなどの特質がふります。
 しかし、彼らの中にこの曲が持っている力感は充分に出せてはいないこともまた事実です。もう現代音楽でもなく古典としてこの曲が認識されるようになったことと、戦争の記憶が薄らいで、不条理に対する怒りや希望といったことが、色あせて見えて来ていることと決して無関係ではないのかも知れません。
 そういった意味で、このチューリッヒの演奏は、見事に現代的な意味での名演といえるのかも知れませんが、私としてはミュンシュの「切れば血が出るような」演奏にまだ愛着があるので、少しよそよそしい感じをこのトーンハレのメンバーに持ってしまいました。

 こういったことをいろいろ考えさせるほどの、この第二交響曲はスイスが生んだ名曲だと言えると思います。

 交響的運動第三番はフルトヴェングラーの録音を聞いたことがあるはずなのですが、今回は未確認です。(確かあったよなぁー)しかし、他の演奏は全くありませんし、フルヴェンの演奏も記憶に曖昧なところがあるほどですから、果たして今回このチューリッヒの演奏が、国内盤としては唯一の現役となることは必至であります。
 一九三三年にベルリン・フィルの定期で初演されたこの曲は、フルトヴェングラーの五〇才の誕生日のお祝いとして作られています。
 中間部で、サクソフォンが優しいメロディーを奏するなど、変化のあるいい曲だと思うのですが、「ラグビー」とか「機関車パシフィック231」といった派手なタイトルを持たない唯一の交響的運動ということで、かなり損な役回りをしているようです。

 「モノパルティータ」はハンス・ロスバウト(ドイツの名指揮者、現代音楽を数多く指揮し紹介した。チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の常任指揮者)とチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団によって一九五一年に初演された、この楽団にとって縁の深い作品。
 これも(邦盤では)恐らく現役盤として唯一の演奏となるのかも知れません。
 全編にわたって自信に満ちあふれた演奏で、バッハなどの音楽に深い親近感を抱いていたといわれるオネゲルの晩年の傑作と言えるでしょう。

 有名な「夏の牧歌」もまた秀逸な演奏で、この曲を聞きながら緑のアルプや所々に木陰を作っているリンゴの木や、そこに吹いてくるさわやかな夏の風を思いおこし、スイスの風景の中からこの曲が生まれたのだと、強く思いました。
 チューリッヒ・トーンハレの演奏も実にさわやかで、美しいものです。

 そして最後は「機関車パシフィック231」です。富田勲氏のシンセサイザー演奏でも有名なこの曲の代表的な名演としてはアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団のものが世評に高いものでありますが、このチューリッヒの演奏はリズムの切れ味の良さ、その弾力性で、一日の長があります。
 オネゲル特有の腰の重さというか、重心の低さが、切れ味の良いリズム感の中にうまく吸収されて、多少機関車が軽量になったかも知れませんが、聞き易い万人向きの録音となったようです。
 これからは、このジンマン指揮のチューリッヒ・トーンハレ管の演奏がこの曲の代表盤となるのではないでしょうか?全体としては、大変良い演奏で満足しましたが、オネゲルという情念の音楽家を録音するには、少々スマートすぎるように私には思えました。
 が、しかしそれは、現代のオーケストラ、現代の指揮者に要求するのは「無い物ねだり」となるようなものなのかも知れません。時代と共に音楽も演奏スタイルも変わってきていること。地域性ということがグローバルな動きの中で、今までとは違った意味を持ち始めている中での演奏であり音楽であるということを、強く感じた一枚でありました。
 このスマートで弾むリズムの向こうには、チューリッヒ湖畔に立つトーンハレのホールがあるのです。残響が多いのも、先の百周年記念盤でも感じたことですが、それが、ややダイナミック・レンジの幅を狭めているようにも思えます。
ベートーヴェンの録音ではそう強くは感じなかったのですが、近現代の作品になるとディティールを明確にすることと共に重要な録音上のファクターとなるので要注意です。
 デッカの録音陣も、よくホールの特性を見極めて仕事に当たっているようで、ダイナミック・レンジのわずかな不満の他は、充分良い録音と言えると思います。
 この録音を契機に、更にチューリッヒの演奏が紹介されることを願ってやみません。