ここで、1867年、楽劇「ニュルンベルクのマイスター・ジンガー」の終止線がひかれ、1870年には美しい「ジークフリート牧歌」がこの家で作られ、この家で初演されたのです…。
1870年、念願かなってコジマが前夫のビューローと離婚し、やっとのことでルツェルンの教会でルードウィッヒ王らの立ち会いのも結婚式をあげたワーグナーは、晴れて自分の妻となった彼女の誕生日のプレゼントとして、室内管弦楽用の作品を作りました。その曲名は、自分の楽劇のタイトルでもあり、二人の初めての男の子の名をとってジークフリート牧歌と名づけられました。
コジマの誕生日の12月25日までは、曲のことは極秘でした。練習も家族に知られないように行われました。集められたのは、当時よりスイス一の実力を認められていたチューリッヒ歌劇場のオーケストラのメンバー16名とホルン奏者でワーグナーの秘書兼写譜係りとしてワーグナー一家とともに住んでいたハンス・リヒターが、トランペットも担当していたそうです。ちなみに彼はバイロイトでの傑作「ニーベルングの指輪」の初演の指揮者としても音楽史に名を残しています。
さて誕生日当日の朝。
トリブシェンの二階の寝室で、コジマは美しい音楽で目をさましました。階段に陣取った演奏家たち17名とワーグナーによって行われた世界初演です。
緩やかな流れに中に、ドイツの古謡や自作の楽劇のライト・モティーフが織り込まれ、暖かい思いやりと深い愛情に満ちあふれた音楽が、激することなく、あたりの景色そのままに静かな音の世界を紡いでいったことでしょう。十五分から二十分足らずの時間は、永遠と結んだ時間であったかも知れません。
さてさて、音楽が終わると、ワーグナーはうやうやしく総譜をコジマに手渡した、ということですが、その時のコジマの喜びと感激はいかばかりであったでしょうか。
その日、コジマと子供たちはこの産声を上げた名曲を階段の音楽と呼んで何度も何度もアンコールしたそうです。
それから八十年近くたったある夏の日、ここトリブシェンの湖側の公園で、大指揮者トスカニーニがルツェルン音楽祭祝祭管弦楽団を指揮してこのジークフリート牧歌を演奏しています。これがルツェルン音楽祭の始まりとされ、確か記念碑が建っていたと思いますが。
更に翌年、トスカニーニによってトリブシェンの階段で、この曲の初演の時の感激を再現しています。ワーグナーの娘たちは70年近く前と同様、家の中でこの曲を聞いたそうです。
そして、開け放たれた窓から流れてくる音楽に、多くの人たちが耳をかたむけたそうです。
音楽祭の時は、ここも会場になるようですね。1992年9月に行った時には、この広場に、臨時のステージが作られ椅子が並べられていました。聞くと、ヴァイオリンのコンサートだとか聞きましたが…。
話を戻して、ワーグナー家がバイロイトに去った後、幾家族かの手を経て1931年、ルツェルン市の所有となり、博物館として開館したそうです。
しかし、今日のように二階部分に「古楽器」が展示されていたわけではなく、始めはワーグナーが住んでいた当時のままに保存されていて、当時存命であったワーグナーの娘たちの夏の別荘としても使用されていたそうです。
彼女たちは、その博物館の好意に感謝して、ワーグナーの遺品などを寄贈し、さらに1942年、ワーグナーの娘たちが亡くなったり、アメリカに亡命したりしてこの家に来ることも無くなった時点で、二階の住居を楽器博物館として改装し、現在に至っているとのことです。
色々と変遷はありましたが、トリブシェンの周りの風景は、ワーグナーが住んでいた当時と恐らくほとんど変わらないままではないでしょうか?
今も変わらず穏やかな情景がトリブシェンをつつんでいます。涼やかな風が湖を越えてやってきて、木々の葉を揺らし、優しい木漏れ日が玄関先の広場を照らしています。
一度ワーグナーのジークフリート牧歌を聞き、ここを訪ねてみませんか?
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