1.8日三江一泊 2.馬胖村鼓楼* 3.程陽永済橋 4.歓迎の歌と踊り*
*写真追加あり

2001年2月中国貴州省の旅


2月9日(木)
 
三江  (3)馬安村の程陽「永済橋」へ

*馬安(マーアン/まあん)
程陽
(チャンヤン/ていよう)の「えいさいきょう」

馬胖村からバスで40分の馬安村の入り口に架かる
「程陽の永済橋」に向かう。「程陽風雨橋」とも呼ばれる
その橋は、(ガイドブックによると)1916年建造されたもので*、長さ
76m。5つの橋脚の上にそれぞれ5層の楼閣がある。
くぎを使わず、木を組み合わせるだけで建築する技術は、
トン族だけのものだとのこと。

*別に読んだものでは、1912年から12年をかけて
完成したと、なっていた。トン族の木匠や多くの
技術者を集めて建造されたようだ。丸太の腐食を防ぐためにも
特別の方法が用いたらているらしい。

 橋の中には、「八江風雨橋」でもそうだったのだが、
建築に済して、寄付をした人の名前が貼り出されていた。

中国の重要文化財に指定されているとのこと。



2枚のそれぞれの画像をクリックしてみて下さい。

橋の中の両側に設けられているベンチ。
橋は、ただ、渡るためのものばかりではなく、
憩いの場所にもなるらしい。
夏には、恋人が涼んだりなどすることもあるようだ。


この橋は、有名なので、
かなり観光化が進んでいるらしい。
写真の手前にも奥にも村の女性が刺繍を持ってたくさん
立っていて、自分の刺繍の売り込みに来る。

「ああ、やっと刺繍が見れる。」
覗いてみたくて、ウズウズしていた。
でも、そこの女性達は、「商売慣れしていない」と、
と言うべきなのか、少し、関心を見せると、我も我もと
ぞろぞろと集まって来る。来すぎる。そのため吟味して、
見ているゆとりがない。これには私などちょっと、参ってしまう。

古いもの、汚れたもの、新しいものが入り混じっている。
お土産品は、少ない。
自分達の為に作ったものが多そう、、、
(その意味では、まだ観光化しきってはいない、ということ?)
よかったぁ。
半分逃げ腰になりつつ、目だけつい
刺繍に行っている私にお母さんが、言う。

「あんた、こんなとこで、言い値で、買うたら、
あかんで、こんなん、これから、一杯あるぅ。買うんやったら、
半値から、行きや。十分の一からでも、ええ位や」
「へぇー、そんなに低い所からですかぁ。」と私。
「当ったり前やがな。あんた、向こうは。黙ってたら、えっらい値ぇ
ふっかけて来よるでぇ。そら、生活かかってますがな。」
(私のちょっとウソかもしれない関西弁でいうと、
こんな感じだ )

私の前の方では、
やさしいくまさん、ことFさんも、刺繍にしきりに
関心を示して覗き込んでいた。
くまさんは、バスの中で言っていた。
「ワテ古いもん、大好きなんですワ。
そいで、いっつも、なんか、かんか、買うてっては、
おかあちゃんに叱られよりまんねん。『又、そんな汚いモン
買うてきてぇ。』ってな。」

今回の旅で、少数民族の刺繍や手仕事に初めから
興味を持ってきた人は、少なかったのではないかと思う。
プロっぽい目で刺繍を探しに来た女性が二人いた。
私は、趣味が高じて出かけて行った。
くまさんは、「古いもん」が好きで、そのおすそ分けを
犬の「れんちゃん」にもしたい?という。まず旅が先で、
その行き先で、「古いもん」を見つけては、買っているということらしい。
他にも静かな趣味人が、男性の中にもう一人いたのではと思う。
その位だ。

ともかくも、いきなりの物売り攻勢に
くまさんも、私もその場は、引き下がることになった。
私としては、地元で、各民族の人の特徴が出たものや
面白い図柄の刺繍が、手に入れば、とは思っていた。
でも、こういう感じなのか、と、この先が少し思いやらた。


あっ、水車が。一見、線が細いけれど大きくて、
とても姿が美しい。




民家で昼食をとる。

最初に「油茶」が出される。その名前から、こってりと
油っこいものかと思ったら、あっさりと香ばしい。
穀物を揚げたものを湯のみ茶碗に入れて、
そこに熱いお茶を注いで飲むのだ。
揚げた穀物は、小粒の雛あられの表面の砂糖を
取ったような感じなので、お茶に入れずに
そのまま食べてもあっさりしたスナックのようでおいしかった。

油茶は、油茶という木の実から採った油で、
お茶の葉を炒めて、それに水を入れて
煮出したものということらしい。それを上記のように
していただく。

ナレズシも食べてみる。
日本の「ふなのナレズシ」なるものでさえ食べたことが
ないので、比べようもないけれど、ちょっと
クセがある臭いと味がする。発酵させたもの
なのだから、こんなものだろうナと思ってたべたので、
私は、おいしかったと思う。何年も保存するためだろう。
塩が、全体にしっかりしみ込んでいる。
ちょっと、クセになるかもしれない不思議な
味だった。好みではない人は、最初から全く
受けつけなかったようだ。


食後、刺繍を展示している家の中を見学させてもらう。



それぞれが、どういうものか、聞きたいけれど、
ちょっと、聞くと、ここは、すぐ買わされて、しまいそうで、
うっかり聞けない雰囲気だ。
でも、刺繍は、やはり実際に使われて
いたものがメインだった。中には、新しいものもあるが、
その技術に関してあまり手抜きはしていなく思えた。
それだけが、ちょっとほっとするところだ。
でも、こういう環境があること自体「商売」としての先行きを
もう意識しつつあるのは、確かな気がした
金額の交渉など、初めから自信がない私は、
写真だけで、諦めることにする。


それぞれの画像をクリックしてみてください。
(ただし、接写の写真ではないので
鮮明ではありません。模様だけ楽しんでください)

最初から写真を撮り過ぎて、
もし後で足りなくなってしまったら・・・
と、いつもフィルムのことが気になっていたので、
あちこち控えざるを得なかったのも仕方がない。
撮影し出すと、キリがないほど、題材はあったのだから。


窓から見た程陽風雨橋



さて、
↓これが、まさに「ウルルン滞在記」の中でも
紹介されていた衣服の生地だ。
卵の黄身を何回も木綿に塗っては、叩いて丈夫な防水の生地
したというもの。黒光りしているところが、その部分。
クリック
 1.衣装の大きい写真へ
            (↑元の写真がピンボケでした)
   2.刺繍部分拡大写真へ


は、しっかりした柔道着のような地に、は、シルクに刺繍したもの
それぞれの写真をクリツクしてみてください。


の写真は、しっかりした綿地の上着の確か
襟元の刺繍だったかと思う。
の刺繍は、まずは、その綺麗さに目を奪われた。
でもよく見ると、びっくりだ。黒地に花と鳥の刺繍・・・
そこの間を赤い小さな花が埋めるている・・・?
札幌のどこかのエスニックのお店で見たことがある気がして
あわてて、取り敢えずシャッターを切った。これについては、本当に
トン族のものかは、わからない。

少数民族の衣装や刺繍が何しろ好きなので、
もう何冊もの本をためつ、すがめつ、眺めるのを
繰り返しているのだけれど、
どの民族か区別がつき難いものが本当にたくさんある。
長い年月の間にずいぶんと影響し合ってきている
ということなのだろうか。又、同じ民族でも
住んでいる地域によってかなり違った模様や刺繍の種類の
衣装をしていたりもする。
ちなみに言語の系統としては、トン族は、
この三江がその自治区とされているチワン族や
この旅の最後の方で訪れるブイ族と同じタイ語の
系統らしい。


昼食後、歓迎の行事をしてもらえるという。
そのスタートを待つ間、少し歩いたところにある
もうひとつの「風雨橋」を見に行く。


その途中に「骨董やさん」!?のようなお店が
あった。ふーん、こういうお店も、ここには
あるんだ。早速、くまさんが、食いついて、
しきりに品物の値段を聞いていた。

その店先に飾られていた
ミャオ族の銀冠。


上の飾りのアップ
クリックしてみて下さい。

ミャオ族の銀冠は、重さが10kgを越えるものも
多いという。それについては、ミャオ族のところで
少し書けるかと思う。

「合龍風雨橋」



さて、いよいよ、歓迎式が始まった。


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