1.8日三江一泊 2.馬胖村鼓楼* 3.程陽永済橋 4.歌と踊りの歓迎*
*写真追加あり

2001年2月中国貴州省の旅


2月9日(木) 三江(1)8日泊から八江風雨橋まで
*三江( サンジャン/さんこう)

前日8日
 ホテルに到着したのは、夕方4時半位のことだった。

「えっ?ホテルってここ?」というか、
「へぇー、ここがぁーー。」と言うか・・・そんな感じだった。
辺境ツアーの達人の面々も
「これは、・・・以来何年ぶり(『のすごさ』、と言う意味)だ・・・」など
口々にいいながら玄関に入る。

チェックインをしてくれるのを皆後で待つ。

やがて手続きが、終わる。部屋は、抽選とのこと。
私は、5階。エレベーターは、ない。でも、いいサ。
何しろ荷物は、運ばなくていいのだもの。
部屋の鍵は、3階か4階かに待機している
係りの女性を呼んで開けてもらう仕組み。
どんな部屋だろう。

ドアを入って、おおぉっー、なっかなかぁ、と思う。
建物からの想像にピッタリの部屋だった。
床はタイル。天井は高い。部屋は、ヒンヤリ冷え込んでいた。

まずは、気になっていたコンセントのチェック。
デジカメの充電が出来るかどうかは、結構な
問題だった。ふぅーっ、テレビのコンセントをはずせば、
確保できる。それから、寝具へ。

触ってみる。おっと、ヒンヤリしたふとんが、しっとり
湿っているうわぁー、これは、ちょっと、っついなぁー
この辺りで、私の心の言葉のアクセントは、もはや関西弁の影響を
受けてき始めていたのだけれど、その時は、それどころではなかった。
自分がゼンソクでなければ、まだ我慢の範囲だったかもしれなかった。
幸い食事までにまだ時間がある。私は、
二つの布団を触り比べてみて、より湿った方を壁の天井に
ある暖房機の下に運んだ。そして、荷物の整理をしながら、
ふとんのいろんな面に温風が当たるように、位置を変えた。
あんまり、暖まりはしない。でも気休めでも
何かせずにはいられなかった。

添乗員さんが、部屋まわりで、来てくれる。
と、言っても、ここのこの状況では、どうしようもなさそうだった。
ふとん乾燥機があるはずもない。そもそも
こういう状況も覚悟の上のことだった。
むしろこんな経験の一つもしなくては、旅の話題にも
ならないじゃない・・・。「特に何も。」と返事をした。

だらしないけれど、上にある暖房機の
温風を出来るだけ広く当てるためだ。


フックが取れて垂れ下がったカーテン
レールも曲がっていて、二つのカーテンは、
出会わない。両端を引っ張って輪ゴムで留めて寝た。

奥がトイレ、間にシャワーのスペースをはさんで、
洗面台。ドアには、ノブがない。

ここが、間のシャワーのスペース

話題的には、なかなか条件が揃っているホテルだ。
何しろ、ここが、この辺りでは、一番の
ホテルなのだ。しかも初めは、ここより
もっとすごいところに泊まるはずだったのが、
格上げになったのだそうだ。有り難く思わなくちゃ。
*なお、このホテルについては、帰ってから書店の立ち読みで
おもしろい部分を見つけたので、2泊目の辺りで書く予定

窓から覗いた町の様子


乾かしている(つもりの)布団の間に更に
「ホッカイロ」を何枚も入れて、食事に行く。



鍋と、新鮮な野菜の中華。同じ料理でも
そこ、ここで味つけが少しずつ違うので、「又か」
とは、思わない。昼間に買った川えびも佃煮の
ように味付けして出される。
「ええ、カルシウムやわぁ。」みんな喜んで食べる。

相変わらずおかあさんの話は、面白い。
他のツアーで、遭遇したヘンテコな出来事を
テンポのいい関西弁で、おもしろおかしく話してくれる。

おかあさんの頭の回転のよさもあると思うけれど、
「語り」には、「関西弁」なんだ、としみじみ実感する。

同じ内容の話でも、多分関西弁で聞いた方が、
ずうっと面白いに違いない。


食事が終わって部屋に帰る。
鍵を開けてくれる係りのお嬢さん。
何て、かわいらしい!!
日本人が、随分前になくしてきた純真さを
そのまま持ち合わせている、そんな気がした。


部屋に戻って、ベッドメーキングにかかる。
椎間板ヘルニアの腰痛持ちの私には、ここの固い
ベッドは、まずい。使わないベットの方のふとんを当然利用する。
二つのふとんの表面をヘアードライヤーで暖め、
三つ携帯してきた旅行用の腰当て枕の空気を程よく入れて、
背中、腰、の弾力を調整する。
寝る準備をするまでの間にさらにホッカイロをふとんの間に
はさむ。

部屋は、さっぱり暖まらない。ジーンと冷えている。
「シャワーなんか入りはったら、風邪引きまっせ。
気をつけてや。」誰かが、言ってくれたけれど、
もとよりそのつもりはなかった。

この夜と次の日は、着ていた服のままコートだけ
脱いで寝た。
しかも日本では考えられないことに9時半にだ。
コンピュータがないと早く寝れる



2月9日


朝、窓から町の眺め


早く寝たので、朝は、4時半に目が覚めてしまった。
今日のモーニングコールは、7時、朝食は、8時だ。
たっぷり時間がある。

今日の予定は、
トン族の村を訪問しながら、トン族の建築物を
見学するということだ。
 馬胖村で、馬胖鼓楼を見学して、
トン族の家庭料理をご馳走になり、午後は、
程陽の永済橋と馬安鼓楼を見て、別の村で夕食という
流れになるらしい。

9時出発。

三江の正式名称は、三江トン族自治県。
その名の通り、三江では、トン族の数が、約30万人で、
漢民族より多いそうだ。

トン族出身のガイド、リュウさんは、まだ、日本語が
うまくない。従って、トン族についての説明もリュウさんが、
中国語で話したことをガイドの熊さんが、日本語に訳して
説明することになる。



馬胖村(まはんそん)へいく途中にあった「風雨橋」


「風雨橋」は、トン族独特の建築様式をもつ
屋根付きの橋だ。
これが、あの有名な「風雨橋」と、皆で、中を歩いてみる。
トン族の村の入り口には、必ず、この橋が架かり、
村の中には、「鼓楼」があるという。
田園の中に見えてくる屋根のある木造の橋は、
とても趣深い。


橋の中から見えるトン族の村

橋の中



「八江風雨橋」(はっこうふううきょう)とある。
橋の中には、この橋の建造に際して寄付をした人の名前が
刻まれていた。ガイドさんの説明によるとこの橋自体は、
1949年に造られ、1996年に改修されたものとのことだ。



トン族の民族衣装に着替えてくれたリュウさんに
写真を撮らせてもらう。


この衣装の刺繍は、彼女とお母さんの合作とのこと
この印の部分は、彼女
この部分は、彼女曰く「難しいのでお母さん」
とのことでした。





それぞれの写真をクリックしてみて下さい。



さあ、再びバスに乗って出発。
と、橋の向こうの景色の中を走る汽車の長いこと。

中国の汽車は、とにかく長い。
「ホラホラ」と言われておもむろに眺めても
充分間に合う。それからでもまだ続いている
のだから。



拡大
途中で棚田の向こうに黒く山際に
固まって見えるのがトン族の村



馬胖村へ



馬胖村へ