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02.09.16

劃期をなす南アルプス市

週刊春潮「南アルプス市」  なるほど、常識というものはこうして変わってゆくのか、ということをつくづく考えさせられたのが、山梨県に「南アルプス市」が誕生するというニュースでした。来年4月1日に、白根町・若草町・櫛形町・甲西(こうさい)町・八田(はった)村、芦安村が合併してできるということです。
 「南アルプス市」は、西洋の地名である「アルプス」が含まれています。報道では、「総務省によると、市の名がカタカナになるのは沖縄県沖縄市が、74年までコザ市だったとき以来」(朝日新聞夕刊 2002.09.12 p.18)とのことです。
 しかし、注目すべき点は単に「カタカナ書きかどうか」ではなく、「南アルプス市」が西洋語の含まれる初の地方自治体名になるということです。「コザ市」は占領時代にアメリカ軍が「胡屋」を書き誤って「Koza」としたのに由来するので、ほぼ日本語といえるでしょう。北海道の「ニセコ町」はアイヌ語です。

 西洋語を用いる自治体名の出現は、僕にとっては衝撃的に早い展開でした。というのも、この2月、ある新聞社から「なぜ『ひらがな自治体』が増えるのか」とインタビューを受けたのに対し、僕は次のようにコメントしたばかりだったからです。

 「明治時代、北海道の地名として、アイヌ語に漢字を当てたように、ずっと漢字優先だった。戦後になり、地区名にひらがなを使う『○○台』とか『○○丘』の名称がみられるようになった。今は使用範囲がより広がって、合併後の自治体に使われているのだろう」
 〔略〕
 「十年もすれば、再び漢字が復権するかもしれない。将来は外来語を用いた自治体名さえ、登場するかもしれない。既に駅名では『たまプラーザ』がある。決して荒唐無稽(むけい)な話ではない」と予測するのだが…。 (東京新聞 2002.02.14 p.24)

 ここで「外来語」というのは西洋語一般を指したつもりです。遠い「将来」のことだと思っていましたが、これが記事になって数カ月も経たないうちに「南アルプス市」が決定してしまいました。「衝撃的に早い展開」としか言いようがありません。

 現在、西洋語の含まれる地名は、なにも駅名の「たまプラーザ」だけではありません。前に触れた「ユーカリが丘」(千葉県佐倉市)など、地区名に西洋語が使われた例は全国にあるようです。
 組織的にカタカナ地名をまとめたものとして、岡島昭浩氏が1998年に7桁郵便番号辞書から拾ってウェブに掲載した一覧があります。その中には、「ユーカリが丘」のほか、「スパランド豊海」(大分県別府市)、「ハウステンボス町」(長崎県佐世保市)など、明らかに西洋語由来の地名が散見されます。その多くは開発業者が名づけた地名と思われます。
 地方自治体の名として西洋語が使われるとすれば、その第1号は、すでに使われている地区名・通称名が転用される形で実現するだろうと予想していました。とはいっても、別府市や佐世保市がどこかと合併して「スパランド市」や「ハウステンボス市」になる可能性はないでしょう。ではどういう場合が最もあり得るだろうかと考えつつ、僕には結論が出ませんでした。

 答えは、日本の屋根から降ってきました。なるほど、「アルプス」は古くからの通称名で、地名として定着しており、「南アルプス国立公園」というものもあります。自治体名に採用されるハードルは高くありません。辞典によれば、「日本アルプス」はイギリス人ウィリアム・ゴーランドが1881(明治14)年に飛騨山脈をさして用いたのに始まるといいます。島崎藤村も「千曲川のスケッチ」の中で用いています。
 もし、いきなり「ウルトラ市」とか「ハッピー市」とかいう案が発表されれば、大きな非難がうずまくに違いありませんが、「南アルプス市」であれば、比較的多くの人に受け入れられるでしょう。新しい変化はソロリと訪れるものだと納得しました。
 静かな変化ではありますが、画期的な変化です。もう少し騒がれてもいいと思うのですが、ニュースではそれほど大きな扱いではありません。

 「ウルトラ市」「ハッピー市」は、僕の冗談ではなくて、香川県東かがわ市の発足までに協議会が公募した案の中にあったものです。この協議会が公開しているPDFファイル「新しいまちの名称募集結果」によって数えてみると、2,867種類の案のうち150種類ほどが明らかに英語などヨーロッパ語由来です。
 たとえば、「あいふる」「ウルトラ」「グランドニュータウン白鳥」「グリーンランド」「サントリー」「新センチメンタリズム」「ドーナツ」「ドリーム」「ナポリ」「NewHopetown」「HAPPY」「フューチャーシティー3」「未来townさぬき」「ミレニアム」「ユナイトスリー」「LOVE」「ロマン」……という具合。

 「香川県新センチメンタリズム市」などというわけのわからない市には絶対に住みたくないと思いますが、「山梨県南アルプス市」ならば住んでみようかと思わせるものがあります。でも、両者はまったく違うのではなく、連続しています。
 「南アルプス市」があるならば、「ナポリ市」があってもいいのではないか、「グリーンランド市」があってもいいのではないかというふうに、日本人の西洋語地名への抵抗感はだんだん弱くなってくるでしょう。「グリーンランド市」があるならば「グランドニュータウン白鳥市」もそれほど響きは変わらないともいえます。ここまで来れば、もう伝統的な命名法には何ら気兼ねをする必要はなくなり、「ウルトラ市」「ドリーム市」に近いものも出てくるでしょう。
 このようにして、いつの間にか市町村名の性格は一変するでしょう。「南アルプス市」は変化の最初の突破口を開いたのです。

 なお、合併にあたり、6町村の名称が保存されるのかどうか不安です。合併協議会のホームページでは議事録の掲載が遅く、町村名保存についてどういう方法がとられているのか、よくわかりません。


関連文章=「町名廃止に衝撃」「かな名前の拡大

追記 仕事を通じて南アルプス市の合併に関わってこられた小笠原久幸さんから以下のようなことを教えていただきました。

 1. 「南アルプス」という名前について各役場の職員とプライベートで意見交換をしたところ、「しっくり来ない」という意見が大半だった。芦安村を除いて、いずれの町村も広々とした農村地帯なので、「アルプス」の名称はいかがなものか、というわけ。
 2. 実は、地元の人は消える町名への愛着はあまりない。今の町名は戦後の合併で、安直に櫛形山・白根山などにちなんで「櫛形町」「白根町」などとされたにすぎないから。むしろ愛着があるのは、それ以前の村の名前で、今は「字」として残っている。
 たとえば、櫛形町役場のある櫛形町小笠原は、戦後の合併以前は「小笠原村」で、鎌倉時代からの名称だという。今でも警察署は「小笠原警察署」。
 「南アルプス市」になっても、「字」は残るので、住民感情としては今までと変わらないというのが現実ではないか――。

 なるほど、伝統的な字名はずっと残っているわけですね。そのことについては安心しました。(2003.02.17)

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