和歌山第2団ボーイスカウト隊
BOY SCOUT 情報&活動報告■vol..02 ■■■■■■ Boy Scout Since 1949〜 ★Wakayama Troop 2 ■■
和歌山第2団ボーイスカウト隊の活動報告です。 活動内容を紹介しています
1999年6月に浦島キャンプ場を下見しました。
ス カ ウ ト 諸 君 !
2 団 所 有 の キ ャ ン プ 場 で す よ 。
夏のキャンプは、この地で楽しみまっせ! 我らはキャンプ地を持っているのを知ってるかな?
BS隊の夏のキャンプは、浦島でサバイバルキャンプを予定している。
無人島に流れ着いたとき何もないところで、どのようにすれば快適な生活ができるのかを経験するために。 最低限必要なものだけでキャンプをするように計画されている。
とは、云っても私、浦島キャンプ場がどんなところかまったく知らず........
先輩達からこの地の事を聞いてもふう〜ん?ふう〜ん?と聞いているだけでした。
6月団会議で岩井需品部長にどこにあるのか知らないので、訪ねたところ気軽に案内してあげるヨ!といってくれた。
うれしく思って次の休日下見に行くため迎えにいったら、団委員長も忙しいのに同行してくれた。
感謝感激雨!あられ!。。。。
車中、当時の楽しいBS活動の話を色々聴きながら私の希望は、いっぱいに膨らんだのも束の間、細い道を滑りながらそこで見たものは、木と草と人の背より高い雑草だけ。
後は、7月の団会議で皆様に報告。 浦島キャンプ場の現状をビデオで確認後、草刈り実施へ。
1999年6月に浦島キャンプ場を下見しました。
あたり一面雑草が生い茂っていて、ジャングル状態でした。
海岸へ降りる手前の通路。
右側が広場(バレーコート)です。朽ち果てた看板 トーテムポールが見える。 広場付近 (バレーコート)左側が海岸で右側が山。
6月の下見で浦島キャンプ場全体が雑草に覆われている。
全体の広さが全く把握できない状態だった。海岸から広場(バレーコート附近)を見上げる。 亀岩よりキャンプ場の前の海岸を 一本松 昔はこの岩に松が生えていた。 亀岩 亀の形をした岩だから..... 昔を語る北畑団委員長 同じく昔を語る岩井需品部長
7月11日草刈り当日、2団と21団双方あわせて28名もの草刈り奉仕人が団委員長の呼び掛けで集まってくれた。
1999年7月11日 浦島キャンプ場草刈報告。
和歌山第2団産みの親 H シェパード氏 和歌山県下でボーイスカウトを発足。
創立50周年
和歌山第2団 北畑団委員長
和歌山地区委員長 県連副理事長
草刈後の挨拶をする団委員長。
創立20周年
和歌山第21団 嶋田団委員長
2団より分封しました。
スカウトの時の懐かしい話しをしてくれました。
草刈を手伝いにきた岡垣内RS 谷口奥さんもお手伝いにきてくれた。 すっきりした海岸へ降りる手前の通路。
右側が広場(バレーコート)です。草をかったら、看板が見えてきた。 草刈後、全貌をみせた浦島キャンプ場。 左が海側で右が山側です。 草刈作業中の皆さん 南木CS隊長が電動草刈機で..... 擁壁から大きな木が生えて..... 草を刈る東副団委員長です。 海岸からみた広場(バレーコート) 大きな木が浜風で曲がって.....いい木陰を作ってくれている 一番年長の石桁事務局長 岩井需品部長
年は大きい声では云えませんが70を越えています。上岡上班です。 東VS隊長 谷口野行委員長と奥さん 石桁事務局長 矢田さん 辻野行副委員長 高田団委員
21団の方も沢山草刈に参加していますが、名前の知らない方が多くて...... 申し訳ございません。草刈後の挨拶 高田進歩委員長 かせだ奉仕委員長
草刈りは一日掛かりだった。
1999年7月11日草刈り当日、2団と21団双方あわせて28名もの草刈り奉仕人が北畑団委員長の呼び掛けでここ浦島キャンプ場に集まってくれた。
やはり、多くの人が私より年上の人である。草刈りをしながら、想い出がこみあげてくる人も。。。
朝早くからの作業でしたが、皆さんが一生懸命草刈り作業を進めてくれたので、しばらくして、バレーコート付近の広場が再現された。 かなり広い!200坪程あるだろうか。浜風で一本の大木が盆栽みたいに風下へ曲がり有り難いぐらいに大きな日陰を作ってくれているのが印象的だ!。
この大きな木陰の下で、全員で昼ご飯を。 とても気持ちのいいところだ!
おまけに浜風がとても気持ちいい。
浦島キャンプ場は、無人島のような雰囲気があるところだ。正面が海で3方が山に囲われている。
一般の人が来ることがない、孤立した閉ざされた空間である。
広場からの海の眺めがよく、この大きな木陰にテーブルと椅子を置き、ゆっくりしたいものだ。
食後、もうひとがんばり、ふたがんばり、みいがんばり......
全体で600坪あるらしい。 (昔の測量だから実際800ぐらいあるだろうか?)
時間と共に大体の浦島キャンプ場の感じがはっきりしてきた。
遺跡発掘みたいに石の階段や井戸、便所の後、湯呑み茶わん等も出てきた。
小さな川が有り、二またぎでわたれそうな小さな橋が架かっている。
50年前、荒れ果てたこの地を一生懸命整地された皆さんのたいへんさがよくわかった。
この場所は、私達のすばらしい財産だから、今後ももっと有効に利用したいものだ。
浦島でのキャンプです。
1999年8月 浦島サバイバルキャンプ
1999年10月 GB一泊キャンプ
2001年5月 サバイバルキャンプ
このキャンプ実施後、1999年8月末にハリーさんがアメリカからこの地を訪問されました。
私達は竹で作った門や立ちかまどをこの地にそのまま残しておくことにしました。 工作を見て昔を懐かしんでくれたかも...
10月に再度、ここ浦島キャンプ場に来た時には立ちかまどがつぶれてなく、そのまま残っていました。和歌山第2団 BS隊隊長の岩崎です。
この浦島でボーイスカウト隊のサバイバルキャンプを企画しています。
本日は皆さんにご無理を云いましての草刈になりました。
早朝から一日掛かりで、草刈をして頂き、どうもありがとうございました。 とても嬉しかったです。
草刈後、素晴らしい広場がはっきりと確認できました。 とてもいいところですね。
おかげさまで、いいキャンプができそうです。
"URASHIMA-TREASURE-ISLAND" (宝島)見取図
昭和25年5月28日(1950年)
今回の草刈はバレーコート付近で全体の1/3程度でした。
今から50年前の話です。
ハリー・シェパード氏
和歌山第2団産みの親
和歌山県下でボーイスカウトを発足。
和歌山少年団 第1隊 第2隊
昭和25年5月28日
H シェパードさんらが、休日を利用して和歌浦湾でヨット遊びをしていたとき、風に流されてたどりついたところが下津町大崎・丸善石油保養所の跡。 (浦島キャンプ場)
少年達のキャンプ地に最適だと、丸善石油に交渉。
在日米軍の下士官クラブの資金援助を得て買収した。
地元の人が浦島と呼んでいたので、浦島トレジャーアイランドと命名された。
当時は荒れ放題だったが、週末では訓練を兼ねて、キャンプをして整地作業をすすめ、全盛期には、大ホール(百畳敷き)、音楽室,キャビン2棟、浴室、サウナ、スカウトルーム、別棟、売店、バレーコート(芝生広場)等が完備されていた。
昭和25年6月3日〜4日
浦島キャンプ場で第1回キャンプ!初めて体験する自然の中での野営に胸を躍らせた。
昭和25年7月20日〜8月16日
夏休みを利用して25日間の長期キャンプを実施。
15歳の北畑スカウト達は、1ヶ月分の食料をリュックに詰め込んで海南から汽車で下津へ、そこから連絡船で大崎へ、重い荷物を背負って山越で浦島入り。
シェパードさんらの指導の元で規則正しいキャンプ生活を行う。
食料がなくなったら他のスカウトが和歌浦まで取りに帰ったこともあったらしい。
1999年7月18日 BSW2 編集部
内容と写真の無断使用はお断りします。
☆〜