お金と時間の使い方

お金の使い方というのは簡単に身に付けることのできないものなんだろうと思います。例えば、百万円を使うとします。貴金属なんかを買うのは簡単ですが、それでは本当に百万円使ったことにはなりません。百万円で百万円程度の価値があるモノを買うというのは単なる交換であって、後で売った時に百万円近くが戻ってきたら、両替したのと変わらないからです。あとで売ったら二百万になった、なんていうのは話になりません。問題はお金の使い方であって殖やし方ではないのです。

では、百万円の価値が無いモノを買えばいいのでしょうか。あとで売っても十万円くらいにしかならないモノを百万円で買ったとしたら、騙されただけです。やはり百万円の価値があるものを買わなくては、百万円の使い方として正しくありません。しかも、買っただけでは単なる交換です。買ったモノを有効に使わなくてはなりません。「お金の使い方」が問題だとして、お金をモノに換えたら、今度は「モノの使い方」が問題になるわけです。有効といっても仕事に使ってお金を儲けるという意味ではありません。それもお金の殖やし方です。

お金をちゃんと使うというのは、値段に見合った価値のあるモノを買い、買ったものを自分の生活や楽しみというお金にならないことのために使って、自分にとっての価値を引き出すことなわけです。そして、モノを有効に使うにはそれなりの技能を身に付けなくてはならないので、お金を使うことも簡単ではないわけです。モノではなくサービスにお金を払うにしても全く同じことが言えます。

お金を使うことは、自分にとっての価値を生み出すということであり、それには技能が必要なわけですが、技能というのは身に付けるのに時間がかかるものです。お金を使うというのは、お金にならないことに時間を使うことなわけです。したがって、お金の使い方は時間の使い方でもあります。そして、時間の使い方も技能の問題です。なぜなら、ものごとを同時に並行して行う技能があれば時間が何倍にも増えたのと同じことになるからです。

結局、お金にしても時間にしても正しい使い方というのがあるわけではなく、自分が何をやりたいのか、そのためにどう使うのかが問題です。正しい使い方というのがあったとしても、それに従ってお金や時間を交換しているだけでは、自分にとっての価値が生まれてくるわけではありません。