主観的時間

客観的な時間は時計によって知ることができます。我々は時計の表示の変化によって時間の経過を確認しますが、厳密に言うと時計の変化量を変化速度で割ることで経過時間を求めていることになります。つまり、

 客観的時間 = 時計の変化量 / 時計の変化速度

ということです。しかし、客観的には同じ長さの時間であっても、主観的には、楽しい時や忙しい時には短く、退屈な時や何かを待っている時には長く感じられます。時計の速さは一定なのに、時間の経過が状況によって違うように感じられるのはなぜでしょうか。

我々は時計の変化に対応する日常的なものごとの変化を記憶しており、日常的変化を確認しながら行動しています。変化は情報であり行動は「情報処理」だと考えると

 日常的時間感覚 = 日常的情報量 / 日常的情報処理速度

ということになります。日常的情報は時計の変化に対応しているので、日常的時間は客観的時間と概ね対応しています。したがって、日常生活の範囲では、時間はいつも通りに経過しているように感じられるわけです。日常的時間は主観的時間ですが、日常的変化と時計の時刻を確認することによって客観的時間と結び付けられています。一般的には、

 主観的時間感覚 = 意識的情報量 / 無意識的情報処理速度

と表すことができます。

楽しい時や忙しい時には、無意識的情報処理速度が向上していると考えられます。この時、主観的時間は小さくなります。つまり、時計で測られる長時間が主観的には短く感じられるわけです。一方、退屈な時や何かを待っている時には、我々はもっぱら外部の情報に注意を向けており、些細な意識的情報量が増加するばかりです。その場合は主観的時間は大きくなり、時計の進行が遅く感じられることになります。眠ってしまったらどうなるかというと、意識的情報量がなくなるので主観的時間はゼロ、つまり時間が経つのを全く感じないということです。我々の時間感覚は、意識的に感知する情報量と無意識的情報処理能力の比によって決まると言えます。上の式において「無意識的情報処理速度=無意識的情報量/客観的時間」と考えると

 主観的時間感覚 = 客観的時間 ×(意識的情報 / 無意識的情報)

となり、時計で測られる時間は、意識的になると長く感じられ無意識的になると短く感じられるのだと考えられます。

fig1

無意識的情報処理速度が上がることは、グラフの下の方へ行くことを表します。その間も時計は進むので、真下ではなく右下です。下へ行くほど多くの物事を並行して行うことになります。それにはもちろん技能が必要です。別の言い方をすると、下に行くほど集中力を発揮した状態です。集中力が途切れると、無意識的情報処理能力が低下して、グラフの上の方に戻ってしまいます。その場合も客観的時間は進行しているので右上に戻ります。そうして、客観的意識状態に戻ってくるまでの間に描かれた並行する矢印の長さの合計が主観的時間です。深く集中するほど、主観的時間の長さに比べて客観的時間の長さは短く感じられるわけです。

→ 現在とは何か

→ 浦島太郎