自由意志と技能

自由意志というものはあるのでしょうか。自由意志の自由とは自然法則に従わないということです。脳という物質的な存在は自然法則に従って活動していると思われるので、自然法則に従わない自由意志があるとしたら、物質を離れた精神というものが存在することになります。しかし、そういうものを仮定しても、物質としての我々の身体が自然法則を逃れられないことに変わりありません。したがって、自然法則に従わない自由意志というものは、我々の身体に影響を及ぼすことはできないと考えられます。自由意志は身体に影響を及ぼさないので、身体を通じて何かを実現することもできません。何も実現しないものを自由意志と呼べるでしょうか。

自由意志というものは自然法則から自由であるがゆえに何も実現しません。このことは「意識思考が優位になった人間はますます意識的になっていく結果、行動不能の状態に陥る」という仮説に対応します。我々の行動は自然法則の束縛を受けるので、意識は自由を求めるために行動を回避する傾向があります。しかし、行動を回避しながら何かを自由に実現することはできません。我々の得ることのできる自由とは、束縛のないことではなく、自然法則に束縛されながら行動することによって何かを実現することだと思われます。それは身体を通じての実現ですから技能の問題であり、自由とは技能の獲得であるとも言えます。

技能とは身体で覚える記憶です。身体で覚えた記憶は自律的なものなので、自由意志に制御されるのではなく自然法則に従うと考えられます。また、身体で覚える記憶は、直に見ることはできず、身体で表現することができるだけです。身体で覚える記憶による表現の価値はそこに込められた記憶によって決まると考えられます。身体表現においては、表現の内容と同時に「表現に用いられている技能」も表現されていることになります。

我々が何かを実現できたとしても、身体による表現(行動)には偶然や個性が付随するので、完全に制御することはできません。我々はものごとを完全に制御することによって何かを実現することはできないわけです。しかし、我々は自然法則には従いながらも、偶然や個性によって必然性から遠ざかるからこそ、予測不能(すなわち不確定)な未来という自由を得ることができるのだと考えられます。