やりたいことと仕事

本当にやりたいことの条件として「やらずにいることもできる」というのがある、と僕は思う。やらずにいることもできる「にもかかわらず」自分の意志によってやる、というのが本当にやりたいことの条件である。だとすると、やりたいことを職業にすると一つの葛藤を抱えることになる。仕事というのは「やらずにいる」というわけにはいかないからだ。普通、仕事をしないと食べていけない。

金儲けというのは他人のためにやるべきことをやってお金をもらうことであり、やりたいことというのは自分のためにやるべきことである。それらを両立させるのは困難だ。芸術やスポーツの分野の天才が、やりたいことをやって金銭的にも成功しているように見えることがあるが、お金が儲かるということは多くの人の潜在的欲求に答えているわけだから、その人は他人のためにやるべきことをやっているようなものである。端から見るとうらやましい気がするが、「自分のために」という部分が判りにくくなってしまって天才も大変だろうと思う。それは要するに自分というものが判りにくくなるようなものだ。

経済活動の場面においては「お金を出して他人に何かをやってもらう人」と「お金をもらってそれをやってあげる人」しかいない。つまりそこには「自分のやりたいことを自分でやっている人」はいないのだ。そういうわけで、やりたいことを職業にするよりもそれ以外に生活の手段を持っている方が純粋にやりたいことを追求できることになる。なにしろ生活の手段は他にあるのだから(少なくとも金銭的には)やりたいことを「やらずにいることもできる」わけだ。そこには、やりたいことにおける自由がある。しかし生活の手段の方はやらないわけにいかない。そこに我々凡人のしんどさがある。

これまでの経済活動には「自分のやりたいことをやる」というのが含まれていなかった。最近になって我々はそのことに気付いた。だから経済活動は縮小するのである。経済を再び成長させるには、「自分のやりたいこと」が経済に含まれるようにする必要がある。経済活動は他人どうしのお金のやりとりである。そこに自分のやりたいことを持ち込むとしたら「自分のやりたいことをやってお金をもらう人」と「それをやってもらってお金を払う人」という関係になる。

そうなると、やりたいことをやる方はお金をもらうのだから他人を喜ばせる要素がなくてはならず、自分のやりたいことの中に他人が含まれてくる。それはつまり自分というものが判りにくくなるということである。自分というものの捉え方を変える必要があるのだ。大変だ。その大変さは今まで天才が引き受けていたわけだが、これからは我々も大変なのである。その大変さにもかかわらずリラックスしている天才の言うことは聞いてみる価値があるだろう。彼らは、とにかくやりたいことを続けろと言っているようだ。