お気楽経済学

我々がお金を得るには「やるべきこと」をやらなくてはならない。そのやるべきことというのは自分のためじゃなくてお金を払う人(つまり他人)のためにやるべきことである。我々がやるべきことをやってお金をもらうことを「生産」という。そのようにして得たお金を使って自分の「やりたいこと」をやることができる。お金を払えば、自分のやりたいことのために必要なことを他人にやらせることができるわけである。そうやってお金を使うことを「消費」という。

AさんがBさんのためにやるべきことをやって、BさんがAさんにお金を払うというやりとりがあった時に、そのやりとりをAさんの側から見たのが生産でBさんの側から見たら消費である。簡単に言うと、お金を稼ぐのが生産で、使うのが消費である。誰かがお金を稼いだということは、同時に別の誰かがそのお金を使ったということでもあるので、生産と消費は常に一体である。経済で言う「生産」は物を生み出すこととはあまり関係がなく、「消費」も別に物を消耗させることではない。畑で芋を作っても、それを売らない限り経済で言うところの「生産」にはカウントされないし、自分で作った芋を自分で食べても「消費」にならない。

日本中の生産の金額を全部合計したのがGDP(国内総生産)である。日本の経済は数十年にわたって成長してきた。経済成長というのはGDPが増えることだが、生産と消費は常に一体なのだから、日本の総生産に相当する消費が同時に起きているはずである。日本の経済が国内だけで完結したものだったとしたら、総生産=総消費だから、日本の人が「やるべきこと」をやって得た金額と「やりたいこと」のために使った金額が両方増えたことになる。一人ひとりが稼いだ金額を全部使ったとしたら、「やるべきこと」と「やりたいこと」が金額の上では釣り合うので一応チャラである。

ところが、現実には日本の経済は国内だけで完結しておらず、外国との貿易で成り立っている。そして貿易は黒字である。外国からお金を稼いでいるわけだ。ということは、外国の人が日本に対してお金を払っている、つまり日本の人が生産して外国の人が消費している。したがって、国内総消費というものを考えると、それは国内総生産より少ないのである。言い換えると、日本の国内では「やるべきこと」が多く行われていて「やりたいこと」と金額の上で釣り合っていないのである。その結果として、日本国内では一人あたりの貯金が増えた。

金額換算で「やるべきこと」が「やりたいこと」より多い上に、我々は主に(家とか車とか家電製品とかの)モノを買うことでお金を使っている。お金を稼ぐのには時間がかかるが、買うのは一瞬である。したがって、時間に直すと「やるべきこと」と「やりたいこと」の差はもっと極端になる。大体「半日」対「一瞬」くらいである。つまり、日本では経済成長とともに(あるいは貿易黒字とともに)「やりたいこと」に比べて「やるべきこと」をやっている時間ばかりが増えてきたのである。

「やりたいこと」を一瞬で済ませて「やるべきこと」ばかりやっているのはシンドイものである。そのシンドさを多少でも解消するには、まずお金を使って「やるべきこと」と「やりたいこと」の金額を合わせることが考えられるが、モノを買うのは一瞬だから相変わらず時間的なアンバランスは解消しない。だから、モノを買うことでシンドさを解消しようとすると際限なくお金が要る。結局、「やりたいこと」に時間をかけるしかないのである。

(98.10.3)

 → 「何となく」と経済の関係