夢と幻について

我々は眠っている時に夢を見ます。夢の中では、人物やものごとが機能するのを感じ取ることができますが、それらは実体をともなっていません。夢の中のものごとには機能だけがあって構造がないわけです。また、夢の中に登場する人物やものごとは、我々の意志とは関係なく機能するという意味で自律的です。夢は自律的であって実体がともなわないので一種のシミュレーションと考えることができます。夢の自律性はシミュレーションの器官である小脳の自律性を表しているのではないでしょうか。我々が眠っている間は、意識が弱くなり視覚からの情報入力が途絶えるので、内部のシミュレーションが活発になった時に我々が夢を感じ取るのだろうと思われます。

夢と同様に実体をともなわない人物やものごとを、目覚めている時に感じ取ったとすると、それらは幻と呼ばれます。我々が起きている間は、我々の意識は感覚を通じて外界のものごとに向けられています。しかし、我々の意識状態が低下している時、つまり外界への注意が散漫になっている時には、我々の意識は我々の内部の情報に影響されやすくなっています。我々の内部には、様々な記憶や想像上のものごとが存在します。脳は記憶や想像を自律的にシミュレートし、我々はそれらを外部に実体を持った存在であるかのように錯覚してしまうのでしょう。我々が目覚めているときに感じ取る内部のシミュレーションが幻と呼ばれるのだと考えられます。

そう考えると、我々が覚醒しているかどうかの違いがあるだけで、夢と幻は脳のシミュレーションの産物であるという点では同じです。どちらも実体はないのに、実体があるかのように我々には感じられます。それは、夢や幻が自律的に機能するからだと思われます。我々は実体を重視する文明社会に暮らしており、何かを感じたときはそれに対応する実体を求める傾向にあります。そして、機能を持つが構造を持たないものは「存在しないもの」として扱いがちですが、夢や幻は我々の頭の中に存在するといえます。

実体をともなった人物やものごとが我々にとっての現実です。ところで、現実において我々がある人を特定の人物として認識できるのは、その人の外見や言動を記憶と照合しているからだと考えられます。記憶というのも(今ここに実体をともなっているわけではないので)幻の一種であり、我々は幻を介して現実を認識していることになります。あるいは、我々が感じ取った外部の現実と内部のシミュレーションがうまく一致していれば、それが現実として感じられるのだと考えられます。そして、「今・ここ」の現実は「今・ここ」を離れると記憶になり、幻に変わります。現実は幻に支えられており、今ここの現実以外は全て幻であるとも言えるので、幻と呼ばれるものも我々にとっては重要なわけです。