思いつきの効用

思いつきだけで生きていけたら気楽だろう。しかし、世の中には「するべきだ」とか「しないとしょうがない」というようなことが多くて、思いつきの入り込む余地なんかなさそうに見える。だから、現実というものを知れば知るほど気楽じゃなくなるのだ。ところが、最近はその現実というのが激しく変化していて、「こうするべきだ」というのが崩れつつある。「しないとしょうがない」は「してもしょうがない」になってしまった。だとしたら、思いつきで行動するのも悪くないはずである。

思いつきで行動するのはいいが、それがうまくいくかどうかは別の問題である。思いつきだけで行動すると、たいがい失敗に終わる。やっぱり思いつきではだめなのかというと、そうじゃなくて、成功か失敗かを考えるのがいけないのである。「失敗だったけど面白かった」ということが大事なのだ。

思いつきでいろんなことをやり続けて、失敗し続けたとする。「失敗だったけど面白かった」というのをずっと続けていたら、面白い状態が続くのだから主観的には全くお気楽である。後は、それが「客観的に見ると失敗である」というのを気にするかどうかだ。客観的に見た自分の姿ばかり気にする人のことを「ええかっこしい」と言うのだが、「ええかっこしい」の人は「いい格好に見られたい」と思っているところがカッコ悪い。だから、他人からどう見られるかを気にしてもしょうがないのである。

思いつきを実行したけど面白くなかった、という場合もある。面白いことを思いつくために大切なのは、面白いことを思いつくまで待つことである。面白いことを思いつくまで待たずに実行したら、面白くなくて当然である。面白いことを思いつくまで、何もしないでただ待っているのは退屈だ。退屈を楽しむのには想像力が必要である。ところが、そもそも想像力が足りないから面白いことをなかなか思いつかないのだ。

面白いことを思いつくためには頭のネジを緩めなくてはならない。頭のネジがゆるい人のことをアホと言う。想像力というのはアホなことを思いつく能力で、思いついたアホなことを本当に実行してしまうと面白いのである。それがなぜアホなことかというと、実行しても失敗するに決まっているからだ。格好を気にする人はそんなアホなことはしたくないので、頭のネジをきっちり締めている。だから、面白いことを思いつかない。面白くないことをやるから結果が気になる。

思いつきで行動していると、思いつくために頭の力を抜くコツが分かってくる。頭の力が抜けるとお気楽になる。行動の結果がことごとく失敗だったとしても、お気楽になれたら成功である。