2月11日

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ラグビー日本選手権1回戦
(東京・秩父宮ラグビー場)

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 大学生、社会人のトーナメントになってから4年目となった日本選手権の1回戦が秩父宮と花園で行われ、昨年の覇者で今年の大学選手権ではベスト4にとどまった慶應義塾大学が神戸製鋼と対戦。前半11分までは徹底してスクラムを回避する作戦が功を奏して何とか踏みこたえたものの、この時間帯にトライ、得点を奪えなかったことで心身ともに反動が大きくなってしまった。開始11分には神戸製鋼・増保輝則のトライで先制されると、その後は糸が切れたようにトライを奪われ、前半で40−0。後半に入ってからも流れをまったく変えることができず、後半16分にゴール前へ左座正二郎が押し込んでトライ、和田康二がゴールを決めて7点と一矢を報いるのが精一杯で、試合はそのまま78−7で終了。
 この試合に先立って行われた試合でも、学生王者の関東学院大学がNECに完敗。学生は1回戦の壁を破れずに、試合形式の違いがあるものの、1988年1月に早稲田大学が勝って以来、学生の対社会人勝利がないまま13年が経過している。

慶応・上田監督「神戸製鋼は学生相手に最後まで手を抜かなかったし、正直言って、こちらは歯が立たなかった。悔しいという感情ではないし、今日が最後になる4年生には、変な言い方かもしれないが、社会人のチャンピオンである神戸製鋼と試合ができたことは思い出になる。去年は優勝してここに臨んだが、今年は志半ばというか、気持ちで問題があったし、テンションを持ってくるのは難しかった」

慶応・和田主将「最後まで諦めないで行こうという話をしていた。メンバーのその通りやったと思うし、控えのメンバーも含めてチームメイトには感謝します」

神戸製鋼・増保主将「学生相手といっても、学生らしい、きちんとした試合を相手がしている以上、こちらも真剣勝負で臨むのは当然のこと。差があるというより、あって当然にするのが社会人のほうの務めだと思う。選手権は何があるかわからないので、最後まで慎重にやりたいと思う」

日本選手権 1回戦(秩父宮ラグビー場)
神戸製鋼 慶応大学
78 前半 40 前半 0 7
後半 38 後半 7
前半 6 T 前半 0
後半 6 後半 1
前半 5 G 前半 0
後半 4 後半 1
前半 0 PG 前半 0
後半 0 後半 0
前半 0 DG 前半 0
後半 0 後半 0
日本選手権 1回戦(秩父宮ラグビー場)
NEC 関東学院大学
64 前半 28 前半 7 26
後半 36 後半 19
前半 4 T 前半 1
後半 6 後半 3
前半 4 G 前半 1
後半 3 後半 2
前半 0 PG 前半 0
後半 0 後半 0
前半 0 DG 前半 0
後半 0 後半 0


「日本選手権とは……」

 後半が始まって10分で得点は59−0と開く。この時、スタンドを埋めていたはずのほぼ満員だった観衆が、続々と席を立って場外に歩き出す姿が目立ち始めた。見るべきものがない、勝負になっていない、退屈……、さまざまな要因があったと思うが、唯一の理由は「面白くない」からだろう。
 何が面白くないのか。
 そもそも、NECと関東学院、神戸製鋼と慶応、学生が勝つことを期待した観衆はいないだろうし、社会人が圧勝する姿を見たかったわけではないだろう。しかし、満員になった観衆が見たかったものがあるとすれば、世界とは開きの出始めた日本ラグビーの「個性」ではなかったか。地方のリーグでは学生相手でなくても、こうしたワンサイドゲームを両チームとも行っているし、日本選手権はどの競技でも学生、クラブの混合対戦になる。しかし、秩父宮を埋めた観衆が見たかったのは、同時に日本のラグビー界が見せなくてはならなかったのは、おそらく「何をアピールすべきなのか」というテーマだったはずだ。
 競技場を去る際、慶応の上田監督は「日本選手権という名前であるべきかどうかは別として」と前置きしたうえで、「社会人と試合をすることは、真剣勝負を言葉ではなくて体で知って打ちのめされるためにも絶対に必要」とし、ベスト4に入った大学生との「日本選手権」の名ではなく「実」が重要であると強調した。そして足を運んでくれたファンについても「ラグビーの面白さ、スピードであるとか、パワーであるとか、どう工夫しているか、学生の戦い方とか、そういうラグビー本来の面白さを堪能されるためにいらっしゃってくれたはず。舞の海が曙に勝つことができるように、ラグビーもスタイルを変えようと努力することも大切だ」と、厳しい表情で話した。

 早大以来、学生が勝てない、と力の差ばかり強調するのは間違っている。そもそも、卒業を控え、試験を受けなくてはならない真っ只中にいる2月の大学生と、社会人とのトーナメント、時期、方法といった構造に無理があるのであって、実力差だけの問題ではないからだ。同時に、中途半端な格好で臨まなくてはならないゲームに、強烈な個性を生むことは不可能だろう。
 慶応フランカーの野澤武史は「一瞬の集中力の違いがこういう点差になるということです。ぼくらは土曜日まで試験でフィジカルもいい状態ではなかった。ちなみに僕は、見たことも聞いたこともない、イスラム社会論の試験を受けていました」と苦笑していた。
 言い訳ではない。構造的な問題は、選手の努力うんぬんでは語れないのであって、学生の試合日程の整備から、社会人との試合の方法、これらすべてを根本的に行う時期なのではないだろうか。
 今年6月には、ウェールズが来日する。この日、力の差を確認するのではなく「個性の違い」を見ようとしたファンが再びスタジアムに足を運び、それを目撃できるのだろうか。

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