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前説


 売柄、東京都内の公園を巡り歩くことが多い。
もともとなぜか「公園」というものに心惹かれるところがある。
といっても井の頭公園とか有栖川公園みたいな立派な大公園ではなく、町場のちっぽけな公園が好きなんである。 昭和30年代には、ガキの遊び場といえば主に原っぱや路上だったらしい。
平成のこの世なら家の中でファミコンか、整地された市民グラウンドでサッカーというところか。
その変遷の過渡期に、関西の工業地帯で育ったガキ(つまり俺)が遊ぶのは、
アスファルトの道路の上か、
工業排水の混入で畸形のオタマジャクシしか取れない河か、
小市民的公園しかなかった。

 原っぱに戦後民主主義が息づいていたならば、我らが小公園には低成長期の倦怠があった。
横丁の道端にガキ大将がいたならば、我らが小公園には口うるさいオバサンがいた。
(入口の案内板が禁止するとおりに、我々はボール遊びを行い、オバサンは焚き火をした。
オバサンは我々を叱り、我々はオバサンをオバハン呼ばわりした)
市民グラウンドに洗練された施設があるならば、我らがすべり台にはただの傾斜以外、誇れるようなものはなにもなかった。
ありがたいことに時間の制約もなかった。

我々の遊び場は解放区でもなかったし、管理体制の行き届いた放牧場でもなかった。
はっきりいってショボかったし、一言でいって散文的だった。
つまり、まるでロマンがなかった。

 でもそんなのは、
なにかのロマン性を、子供が遊ぶフィールドに付与しようなんてのは、
いつだって、したり顔の大人がやりたがるつまらない分類にすぎない。
いつの時代もガキンチョは、それなりの創意工夫を凝らして遊びたいように遊ぶ。

アスファルトの道路でスライディングするのも、そんなに難しいことじゃない。
水掻きがないというか、人間でいうと手首から先がない(いつ生えてくるのかと俺はしばらく待っていた)オタマジャクシだって、かわいいもんだ。

 いまのガキだって基本的には違っちゃいない。
カラオケとパチンコ屋とゴルフとスキー場ぐらいしか遊び場のない大人たちを、きっとかわいそうに思ってる。


 「公園王」とは、このようなリキミとはほとんど関係なく、
「都内最良の小公園を探そうではないか」というなんともメーテルリンクな、
いたって健全至極、平易安直な企画である。
 ただし、なにをもって「最良」の基準とするかは保証の限りでない。


というようなモクロミで始めるつもりだったものの、
諸般の事情、ま、仕事替えた(半失業者化?)のが響いたってことにして、
目下、企画転倒中。
 おいおいやっていきましょう。


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