三井の、なんのたしにもならないお話 その九

(2000.9オリジナル作成/2024.3サーバー移行)


 
 
オリンピックと、「炎のランナー」

ひとはなんで走るのだろう?
(10年目の追)


 有森裕子の「自分をほめたいと思います」の悲壮な”感想”のあと、あふれんばかりの笑顔で、シドニーのスタジアムのゴールテープを切った高橋尚子の口からは、「みなさんの応援で、背中を押してもらえました」という”感謝”の言葉だった。
 
 それだけなら、いかにも礼儀正しく、また底抜けに明るい、これなら優勝して当然という彼女らしい能弁な言葉だったろうが、しかし彼女の目は必死になって、いま、ここでほかの誰でもなく、ただ一人、「勝ちました!」と告げたい相手を求めていた。「カメラ目線」の表情がフレームからはずれれば、高橋尚子の視線はあちこちと定まらず、旗を握ってスタンドの声援にこたえていても、その人は必ずここにいるはずなのに、という幾分のいらだちと寂しさを漂わせていた。
 
 まもなく彼女は、その「意中の人」と再会でき、手を握りあい、肩を抱き合って、少しだけ涙をこぼしていた。それからの半日、一躍、日本中のヒロインとなった高橋は、繰り返されるインタビューや対談にいつも笑顔でこたえながらも、なにより嬉しかったことは、監督と喜びを分かち合えたこと、監督との約束を果たし、またその「見返り」として、監督の無精ヒゲを剃ってきたことを、言葉の端々から、問わず語りに語っていた。
 
 
 そう、間違いなく、高橋尚子は自分自身のためという以上に、61歳の名コーチ小出監督のために走ったのである。ちょっと行き過ぎじゃないの、とか、そこまで、というようなやっかみやシニカルなみかたは、この空前の勝利と栄光、そしてあまりに素直な愛情表現の前にはむろん色あせる。有森、高橋らを育てながら、みずから「酔っぱらいのオヤジ」と称する小出義雄という人物の持つ「魔力」、もちろん次第に明かされるその「勝利の方程式」の緻密さ、力強さ、それらに誰しもが圧倒されてしまう以上に、「結果」の偉大さがすべてを語り尽くしてしまう。「この子はねえー、」という軽い語り口が、むしろその巧みさを際だたせてしまう。
 
 
 それでもなお、この過酷なレースを走り抜くこと、ただ一つだけの勝利者の座の栄冠をめざし、他の全員が涙をのむ厳しさに耐えること、それはいったいなぜなんだろう、なんのためなんだろう、という問いを、地球上のほとんど皆が「観客」でしかないこのオリンピックという場で、時に抱かずにはいられない思いは、ひとにはある。我が身をそこに置きかえてもみて、もちろんそんな機会はもとより、彼女の何十分の一かの体力、技能、精神力も幸か不幸か授からなかっただけに、「とてもできないな」、「超人的だ、天才だ、すばらしい」とため息をつき、勝利を褒め称えて、自分たちの仮想の「時間」は終わってしまうのだが、時にはまた、なぜ?という素朴で普遍的な問いを心に浮かべる自由は、やはり誰しも抱くのである。
 
 高橋尚子と小出監督は、「かけっこが好きなんです」という、これまたあまりに説得力にあふれたこたえを用意してくれているのだけれど、「好き」と「勝つ」ということは決して同じではないことも、「スポーツ愛好者」の誰もがすでに知っていることである。日本国だけでさえ、ジョギング・ランニング愛好者が数千万人いると言われる。他の競技スポーツであっても、それぞれ大変な数の人々がかかわっている。そのうち、日本で、あるいは世界で通用する第一級のレベルに到達できるものは、何十万分の一でしかなく、そしてそれに多くのひとは不平や後悔など漏らしはしない。「自分が楽しいんだから」、「面白い、やりたい、それで満足」、「健康にいい」(と信じている)、あるいはせいぜい、自分なりの目標に少しでも近づけて、努力と練習の成果を目に見えるかたちで確認し、励みとする、そういったものであるはずである。「勝つ」、それはことによると、何かの奇蹟や幸運によって我が身に降るかかるものかも知れないが、その確率は限りなく小さく、そこに至れるまでの苦悩と努力と払うべき犠牲はあまりに大きい。だから、ほとんどの「スポーツ愛好者」にとっては、「勝利の栄光」は別の世界にあり、いつもそれとは距離を置いて、せいぜいは「同じことにもちょっと手を染めた経験のある、知識のある『一観客』」をつとめている現実に、さしての違和感や疎外感はない。
 
 しかし、それでもなお、全体のうちではたとえ少数であっても、「勝利」の「頂点」をめざして、自分の人生の大半を賭け、打ち込み、たたかってくる人々がいる。そうした人たちがいつも存在するからこそ、四年に一度のオリンピックゲームは百年の歴史を刻み、人々は世界第一線の競技の場での戦いに興奮をし、酔いしれる。おのれの非日常的な感動をそこに投影し、あるいは一瞬、自分をそこに参加させてみる。でも、「観客」には、競技者たちがそこでなにを求めたのか、どのようにしても本当のところはつかめない。勝利者の栄光への確信でも、もちろん名声や名誉欲、あるいは約束された富や収入などというせこいものでもなく、国家の名誉などという前時代的なものでもなく、ただひたすら走る、競う、どれほど苦しくても、厳しい試練に耐えてきても、走り続ける、その先にあるものは、あるいは当人にしかわからないのかも知れない。
 
 

 
 こうした問いに取り組もうとした不思議な映画が、いまから二十年ほど前に作られた。英国の映画人たちの手になる、Chariots of Fire 、邦題「炎のランナー」、それは当時それなりの評判をとり、米国アカデミー賞にも輝いた。しかし、いまとなってはその物語は、タイトルミュージックほどには記憶されず、映画自体が遠い過去のものになろうとしている。オリンピックや陸上競技会などのたびに、あきるほどに使われる、Vangelis のつくった曲を聴いたことがないひとは少ないだろうし、某TV局の毎年恒例、全英オープンゴルフの中継放送の際にはよく、同じ映画の中で用いられていたスコットランドのテーマ曲も繰り返されていたのであった(大会がイングランドで開かれる年は別だが)が。
 
 この映画は1924年の第八回パリオリンピック陸上短距離走に出場した、エリック・リデルとハロルド・エーブラムスという2人の実在のライバル同士の物語である。ともに英国チームの一員として参加しながら、世界一早い男を決める100m走において競い合うはずであったが、エリックは棄権、ハロルドが勝利を収め、エリックは400m走に出て、その栄冠を手にする。物語の「あらすじ」を描けば、それだけになってしまうのだが、この栄光のレースに至るまでの、そしてその後の2人に、「なぜ、走るのか?」という問いがいつも与えられていた、ある意味では実に堅い、重い映画なのであった。
 
 
 映画の画面は、その「重さ」を感じさせない、流麗にして躍動的な、美しい描写と表現に満ちている。いまでは、スポーツものの定石描写になって、すっかり色あせてしまったが、スローモーション画面やこれにかぶせた音のない瞬間の多用、フラッシュバック的な時間の切り取り、自由自在なカメラワーク、それらのテクニックは、これまでハリウッド的なワンパターンの映像しか見る機会のなかった多くの観客を驚かせた。スポーツ競技がまさに「同時進行」でしかすすみえないからこそ、その時間と空間をさまざま切り取り、コラージュし、再構成していくといった発想はとても斬新であったのである。ただし、いまではそれが映画でもTVでもスポーツ描写のワンパターン的マンネリに陥っており、この映画をいま見る人々には、感銘よりも失望を与えかねないのは、なんとも皮肉であり、残念なことである。
 
 この画面表現とともに当時評判になったのは、映画の舞台となった1920年代英国の人々の服装、建物、街などの忠実な再現描写だった。幸いにして、以来八十年が過ぎても、英国ではほとんど変わらない建物や街の姿は数々あり、さして撮影には困らない。服装でさえも、同じことが言えるかも知れないくらいである。だから、観光宣伝映画もどき、あるいは日本人などの大好きな、「よきイギリスの世界」を彷彿とさせる、そういった場面が終始登場していたのである。ケンブリッジの大学町、神秘なカレッジの中、海岸のクラシックなホテル、エジンバラを見下ろす丘、ハイランドの草原や田舎の教会などなど、日本人だけでなく、世界的にも「うける」風景があふれていた。
 
 もっともこういった場面がすべて現実に忠実に撮られていたわけではない。背景に頻繁に使われたケンブリッジのキングズカレッジの礼拝堂などはそのままの姿で、いまも観光名所であるが、カレッジとして出てきたのは、ウィンザー近くの名門パブリックスクール・イートン校の建物や校庭である。私は13年前にケンブリッジに滞在し、また観光でイートン校にも行ったので、どちらも隅までよく見てきた。当時の競技場などはもちろんすべて、オープンセットであろう。
 
 
 そういった外観は別として、映画の中身は、対照的な生き方と考え方を選んだ、エリック(イアン・チャールソン)とハロルド(ベン・クロス)の歩んだ道である。スコットランド長老派教会の牧師の家に生まれ、布教先の外国で育ってきたエリックは、ためらうことなく同じ牧師の道を選んでいる。一方、成功したユダヤ人実業家の子ハロルドはケンブリッジに入学、将来の夢以上に、自分の挑戦を通じて、ユダヤ人を陰でさげすんできた英国社会を見返してやろうと野心に満ちている。その2人がたまたま、いずれも速い足に恵まれ、それぞれなりに短距離ランナーとして競い合うことになるわけである。
 
 ハロルドの直面する現実は、ある意味ではわかりやすく、幾分単純にも過ぎる。伝統にひたったカレッジの中で、彼の言動はつねに反抗的挑戦的であり、寮監らの顰蹙を買う。彼はつねに「よきイギリス人」であることも誇りとするが、その学友の多くは、やはりどこかで距離を置き、彼自身もそこに抵抗の原動力を見ている。唯一の親友、同室のオーブリー・モンタギューという人物は、その口から語られた回顧の物語という形式をとっているのに、映画の中では十分な登場の機会がなく、ハロルドの孤独感をますばかりになっている。そして、そこに彼の「走る」こと、「勝つ」ことへのこだわり、モーティベーションがあるのである。
 
 一方のエリックの生き方は、とりわけ日本人などにはわかりにくい。牧師としてひたすら布教活動に打ち込む日々、その一方で「走る」時の溌剌とした、輝いた表情、抜群の強さ、この間には大きな矛盾があり、それを妹ジェニー(姉だろうか、英語ではsister としか語られないから、実ははっきりしていない、シェリル・キャンベル出演)が突いてくる。神に奉仕する人生を誓っているはずなのに、ランニングに時間を費やしている、大事な布教への取り組みを先延ばしにしている、という非難である。こういったことを干渉がましくも妹が言うのだろうか、だいいちスコットランド一の短距離走者である兄を誇りにすることなどまったくなく、その足を引っ張ろうとするなど、およそ「当世」風には理解しがたいことである。そしてエリックはその言い訳として、自分は神の栄光をたたえるために走っている、神は自分に速い足という能力も与えてくれた、それを生かさないのも神の教えにそぐわない、という論理を持ち出す。エリックの父が言うように、神の定めしことは人智を越えているのであり、神のために走るというエリックの確信は、誰も、彼自身も疑う余地のないものになってくる。彼は自分の足を示す機会をまた、伝道集会にするというかたちで、矛盾なく、まことに純真に、ともに成果を収めていくのである。
 
 神の栄光を掲げたエリックに、全英競技会の場でハロルドは無惨に破れる。この失望を救ってくれたものが2人いた。一人は彼がオペラの舞台(これが「ミカド」)で見初めた歌劇女優のシビル(アリス・クリーゲ)であり、いま一人は彼の運命を左右する名コーチ、サム・マサビーニ(イアン・ホルム)である。サムはハロルドの欠点をたちまち見抜き、一から鍛え直す。必ずオリンピックで優勝させると断言し、ありとあらゆる練習方法を試させていく。しかし、ハロルドが「職業コーチ」を雇っていることは評判となり、カレッジの寮監らの詰問をうける。そのとき彼は昂然と胸を張り、さらにサムがイタリア系であるとともに「ハーフアラブだ」と公言して、言葉を失う寮監らをひそかに嘲笑するのである。
 
 この反抗心と自負心の頂点で、ハロルドはオリンピック100m走決勝を迎えるのである。そしてそのレースは、文字通り一瞬にして決まり、彼は勝利の栄光以上に、孤独さとむなしさを抱いて、一人競技場を出る。各国から来たライバルたちはレース前から、ハロルドもまた、勝利者の孤独、勝利したのちの喪失感を味あわずにはいられないだろうと囁きあっていたのである。
 
 ハロルドがその勝利を捧げ、栄光の美酒をともにしたのは、サム・マサビーニのみであった。レースの夜、パリのカフェでしたたかに酔い、たった2人だけで終わることなく杯をかわしあう。「雇われ職業コーチ」であるがゆえに競技場への入場さえ阻まれ、とどまったホテルの窓越しの競技場の歓声でハロルドの勝利を知り、ひとり涙にむせんだサムは、正体もなく酔いしれたハロルドの心も暖かく包みながら、おまえは彼女のもとへ帰れと諭す。
 
 
 一方ともに100m代表に選ばれていたエリックは、フランスへ渡る船上で、予選レースが日曜日に行われる予定であることを知り、愕然となる。彼のうちで矛盾なくあった、聖職の立場とトップランナーのつとめとが、突然真っ向からぶつかり合ってしまうのである。彼は安息日の日曜日にレースに出ることはできないと拒否し、英国選手団の幹部たちを大いに困らせる。ついには名誉団長のプリンスオブウェールズ直々の説得も彼には通ぜず、ほかのものたちも、エリックにとっては走ることがすなわち神の道なのであり、そこには「説得」も「妥協」も、「王国」さえもないことを悟らされるのである。
 
 選手団の仲間、アンディ・リンゼイ(ものすごい貴族、みずからも法務長官の息子であるナイジェル・ヒーバース出演)の発案で、エリックは400m走に出られる機会を得られる。100mの短距離ランナーのエリックには、400mは過酷すぎる、途中でたおれるだろうという「希望的観測」も通ぜず、彼は文字通り神の栄光をたたえるように、空を見上げ、大きく口を開きながら、信じられないような加速で、400mのゴールを駆け抜けるのである。この大勝利の興奮にわく競技場で、エリックは全身で誇りと喜びを表し、ハロルドはじめ他の選手たちに担がれ、手を高くあげ、トラックをまわって拍手にこたえ、そしてこの勝利を、観客席にあって素直に感動している妹ジェニーに捧げた。
 
 オリンピック選手団帰国の日、興奮のるつぼと化した駅頭で、列車を降り立ったエリックらは、オープンカーに乗って再度の歓呼にこたえる。そして、駅から人影がなくなったあと、ただひとりひそやかに列車から降りてきたのはハロルドであった。静まりかえった駅でじっと待ち続けていたシビルが駆け寄り、抱きあい、2人はようやく、栄光ののちにあるのは2人だけの生活であることを悟りあうのである。
 
 

 
 この物語はしたがって、みかたによってはキリスト教的信念が勝利を収めたんだという理解もできなくはなく、事実私は、日本の基督教系の書店の店頭で、この映画のビデオが売られているのを見たこともある。「憎しみ」や「反抗心」ではなく、「神の栄光と愛」を称えよ、さすれば勝利の栄光もあり、ということに読めなくもない。映画の作られた背景には、そういった主張がなかったのかどうか、これは確認を要するところでもある。
 しかし、そういった宗教プロパガンダ物語なんだということでは、この映画の存在価値はあまりに乏しいものになる。やはりここに見ることができるものは、宗教や民族、国家などという現実を前にしながら、なおかつ走る、競うあう、勝利をめざすという「個人」の生き方の普遍的意味への問いだろう。
 
 もちろん、八十年前とはあまりに違ってしまった「アマチュアスポーツ」の現実、言いかえれば「貴族の遊び」という意味でしかなかったアマチュアリズムの限界、その一方での、富と名声と国家の名誉などに埋め尽くされてしまった現代のスポーツのありよう、マスメディアを通じた「大衆娯楽」としてのスポーツ、そこに問うものの大きいことは誰の目にも明らかである。そういった意味で、時代性を忠実に再現した、服装、建物、言葉遣いや競技者のフォームなどまで、明確なかたちで時間の隔たりを説いていてくれている。
 
 だが、それだけではない。ひとはなんのために走っているのか、この問いは時間を超えてつねに生きている。勝利の孤独の裏で、栄光の美酒を、寝食苦楽をともにしてきたコーチただひとりと分かちあう、誰のためにたたかってきたのか、それはただひとり、あなたのためなんだと杯を捧げられる、なぜならば彼にしか、ここに至る道筋は、自分を動かしてきたものはわかりあえないのだ、そしてわかりあえたからこそ、この勝利があるのだ、こうした関係がいま、再現されているのである。さまざまな外見や虚飾や建前や、そして功名心や自負心までも捨てたとき、そうした「個人と個人」の原初的な関係にのみ、普遍的な「意味」はあるのかも知れない。
 
 二十世紀末の世界にあっては、もはや神の栄光のために走る競技者はいない。神の力を信じればこそ、恐れるものもなく、勝利の喜びをなんのためらいなく、てらいもなく、万人と分かち合える、そういった楽観主義はもはや競技場には見つけられない。神なき時代に、あるのは、大衆を酔わせるメディアの主役となれた陶酔であろうか。もちろんそれは、宗教的な喜悦と表面上差はないのかも知れないが。
 
 
 
 映画は、栄光のパリオリンピックから六十年を経て、ほとんどのものたちが亡くなり、わずかに生き残ったアンディやオーブリーたちが、ロンドンの教会でハロルドやエリックらのためのミサを開く、そこで少年聖歌隊がうたう、W. Blake の詩になる「Jerusalem」の曲で終わりを迎える。Blake の言葉にあったChariots of Fireの言葉こそが、この映画の原題になったのである。時間の経過、勝利者の栄光もその中に飲み込まれ、死の影に消えていく、どこか仏教的でさえあるこの思いを残し、映画は最後に、メインタイトルバックと同じ有名なシーン、英国海岸を疾走するオリンピックチームの面々、その誇らしげな足取りを、Vangelis の曲とともに繰り返す。ひとは消えていっても、この足どりは永遠に駆け続けている、そう暗示するかのように、彼らは画面を横切り、遠くへ去っていく。勝利の栄光を求めて、ひとはどこまでも走り続けていくのであると。
   
 

 
 この映画で一躍世界的な名声を得た監督ヒュー・ハドソンはその後ぱっとせず、いまではなかば忘れられた存在になっている。彼の失敗作、「グレイストーク ターザンの伝説」ののち、87年総選挙での労働党の宣伝TVCMをつくったくらいで、なぜかその名を聞くことはない。
 
 一方、ハロルドを演じた個性的な若手、ベン・クロスはその後、いくつかの映画やTVドラマに出ている。しかしあまり「ブレイク」はしていない。エリックの妹(?)、ジェニーを演じたシェリル・キャンベルは日本人好みの可憐な顔立ちだが、ときどきTVドラマなどに出ている。もっとも当時からはずいぶん老けてしまった。いまひとりの主役、イアン・チャールソンもやはりいくつかの映画やTVドラマに出演し、ずいぶん老けてしまったという印象を与えていたが、その後彼はエイズで亡くなった。彼だけでなく、100m走でのライバルであった、米国のジャクソン・ショルツを演じた俳優もやはりエイズで亡くなった。ケンブリッジ大学カレッジの寮監を演じた名優ジョン・ギールグットは百歳近い高齢で先年亡くなった。そればかりか、この映画の「Executive Producer」は、ドディ・フェイエドであったのである。そう、あのダイアナ・スペンサー嬢と同乗の車の事故で、パリでともに亡くなった、エジプト出身の大富豪の息子である。この映画は、わずか二十年のあいだに、健康そのもののような主題とは裏腹に、あまりに多くの死の影にとりつかれてもいる。
 
 この映画を世に送った主役であったプロデューサーのデビッド・パットナムはその後、いくつものヒット作を出し、大物の地位を確立した。勝利の栄光を唯一手中にしたのは、彼だけであったのかも知れない。

 

 ああ、月日の経つのは


 うえの文は、すぐわかるようにシドニーオリンピックのとき、つまり2000年秋に記したものでした。高橋尚子の輝かしい優勝の瞬間を見て、そのままに記したわけです。
 それからもう10年も過ぎてしまいました。この時間の経過というものは誰も止めることはできません。なにより、「炎のランナー」がつくられてからは30年です。あまりに重いものです。

 それをずいぶん残酷なかたちで突きつけてくれたのは、エリックの妹ジェニーを演じたシェリル・キャンベルが珍しく登場したTV映画を見てしまったためでした。これはまさしく「見てしまった」という後悔の念をぬぐえません。それどころか、多くの人は30年近くの時間の隔たりを超えて画面に出てきたのが同じ人物の演技とはどうにも想像だにできないのではないでしょうか、たとえ出演者名のクレジットを見ても。


 それは日本でも人気の「名探偵ポワロ」(Agatha Christie's Poirot)シリーズ最新4作のうちでした。「死との約束」と訳された「Appointment with Death」の中で、殺されてしまう被害者としての英貴族夫人、これがもう殺されても当然じゃないかと思わせる、事実そこに犯罪の動機もある、最悪の人間としてシェリル・キャンベルは出てくるわけです。ぶくぶくに太り、動きも鈍く、いやみで強欲傲慢、人間らしい感情はまるでなし、しかもかつては養子らを徹底虐待暴行していたという、今どきならすぐに逮捕間違いないような人物として。それがあの、可憐で細身、目鼻立ちが通り、でも宗教心がやたら強いというジェニーと同じ人間が演じているというのはどうしても信じがたいことです。

 それでもなお、一所懸命その顔立ちを注視すれば、どこかに面影のかけらくらいあるなとは感じられます。そして、考えてみれば彼女ももうとっくに50歳を超えている(正確にはもう60代)、このくらいの変貌はやむないこと、と納得せねばなりません。だいたい、全く正反対のような役を演じられてこそ、本当の役者なのだとこれも自分に言い聞かせねばなりません。  シェリル・キャンベルは「炎のランナー」と「グレイストーク」に出たのち、アガサのTVドラマ化にもいくつか出ています。ジョーン・ヒクソンが演じた「ミスマープル」での牧師の若妻などはかなり印象があります(「シャーロックホームズ」の中ででも、気丈なレディフランシス・カーファックスとして出演していました)。でもそれからさえ、もう20年以上が過ぎているのです。

 過ぎゆく月日は誰にも全く公平です。シェリルの変わり果てた姿に慨嘆するなら、それはおのれ自身を映している鏡であることも当たり前でしょう。でも、画面を横切り永遠の彼方に駆け抜けてしまった炎のランナーたち、その中にあってすでに世を去ったエリック・リデルらを思えば、残酷なまでの「老い」と「死」の現実を超えて、フィルムにいつまでも刻まれている勇者たち、乙女たちの面影は、むしろ与えられた特権なのかも知れません。そこには「時」はとまっているのです。


(2011.1)

 

そして、いまいちど炎のランナーたちは

 そして2012年夏、ロンドンから輝かしく発信された第30回オリンピックゲームの開会式にあたっては、「炎のランナー」の音と映像が大々的に使われ、世界中に記憶をよみがえらせました。映画の中では「南イングランド」となっていた、実際にはスコットランドセントアンドリュースの海岸を駆ける90年前の若きヒーローたちの群像が再現され、巧みに用いられたのでした。のみならず、各競技の表彰式などの伴奏としては、Vangelisのテーマが一貫して流されたのです。申すまでもなく、英国人(もちろんスコットランド人なども含めて)にとっては、オリンピック=栄光の1924年パリ大会でもあるはずなので、これはごく当然のイントロダクションでもあったのでしょう。

 英国人には鮮烈な感動であったろう、この演出が、日本の多くの人たちにはどれほどの印象を残したのか、30年も前の映画のことを思い起こすきっかけにもなったのか、私にはかなり疑問ではありましたが。

 

「真実の」炎のランナー

<2014.1追加>



 「Chariots of Fire」を基調とした、2012年ロンドンオリンピック開会を前に、英国では「The Real Chariots of Fire」というITVのテレビ番組が放映されたのでした。

 1年半も過ぎてから、この番組の存在をようやく私も知りました。ネット時代のおかげで、番組全体をYouTubeで見ることができるのです。


 番組は、映画のなかでリンゼイ卿を演じたナイジェル・ヒーバースがホストとなり、30年の時間差も意識しながら、二人のランナーの実像と、パリオリンピックの模様、そしてその後の二人の人生をたどるというかたちでした。タイトルシーンの撮られたスコットランドセントアンドリュース海岸、南イングランド、そしてケンブリッジとエジンバラに、さらにパリに、ナイジェルは向かいます。出演者としてのベン・クロス(もちろんイアン・チャールソンはこの世の人ではない)、監督ヒュー・ハドソン、製作のデビッド・パットナムも登場しますが、圧巻はさまざまな記録と関係者の回顧から描き出される、エリック・リデルとハロルド・エーブラムスの「実像」でしょう。ハロルドが亡くなったのは1970年代のことなので、彼自身の肉声録音による回顧談なども残されているのです。現在もよく目にするTVコメンテーターのトレバー・マクドナルド氏は、ハロルドと席をともにしたこともあると語っていました。


 1920年代に活躍した二人のランナーの姿は、幸いにも多くの写真や映画画像で残されています。それだけでも嬉しくなりますが、興味深いのは、映画のなかで演じられた二人より、実際には当時相当老けていた事実でしょう。エリックの頭の毛はすでにかなり後退していましたし。また、パリオリンピックでの競技の模様は映画に撮られていたのですが、それですと400m走のゴールのシーンなど実によく似ており、「炎のランナー」の制作者たちが忠実な再現を試みていたのがわかります。遅れたランナーがゴール寸前で前のめりに転倒するところまで。

 それとともに、映画のある程度のフィクション性も明かされます。ケンブリッジでのハロルドの活躍は、彼の兄の成し遂げたことと相当に一緒にされており、またハロルドがカレッジレース・グレートコーナーランで記録を達成したことはないそうです(ハロルドと一緒に挑戦するリンゼイ卿のモデルとなった貴族学生は、実際にやったそうですが)。また映画同様に、「部活」でも活躍、音楽歌唱の方でもよく知られていました。エリックの方は陸上競技だけではなく、ラグビー選手としてすでに相当の知名度を誇っていました。それ以上に重要なのは、映画の重要なモチーフとなった、オリンピックでの100m予選が日曜日に開催されるため、エリックが出場を拒否するという「事件」は、映画でのストーリーと違い、日曜開催が半年も前からわかっていたのだそうです。映画では、ドーバーを渡る船に乗ろうとして、新聞記者から問われてエリックは初めて知り、愕然とするという描き方でした。ですから、この間いろいろやりとりや議論もあり、最終的に400m出場ということが正式に決まったのでしょう。


 番組の後半は主に、ハロルド、エリック二人の人生をたどります。映画で描かれたように、リトアニア系ユダヤ人の実業家のもとに生まれたハロルドはユダヤ人差別に抵抗しながら、学業とスポーツに輝かしい成果を収め、オリンピック100m優勝後も陸上競技に出続けていたのですが、もう一つの特技であるジャンプで着地に失敗、骨折し、現役生活を終えます。そののちは主にスポーツコメンテーターになり、広く人気を博しました。一方で彼の立場が問われたのは、1936年のベルリンオリンピックをめぐってでした。ヒトラーのプロパガンダの機会となったこの場への参加には、英国内のユダヤ人社会などからつよい批判の声が上がったのですが、ハロルドは「スポーツは政治を超える」として、英国選手団とともに参加、ドイツでも敬意をもって遇されたようです。


 エリックはこれも映画で述べられた通りに、長老派教会宣教師の親のもとで、赴任地中国で生まれ、のちスコットランドに戻り、学業を修めながら宗教活動を重ねていきます。オリンピック優勝などの輝かしい競技歴の記念品の数々は、エジンバラ大学内に展示されています。その後エリックは中国に向かい、現地での布教に献身、またカナダ人女性と結婚して三女を得ますが、日本の侵攻で状況が悪化するなか、家族をカナダに送って一人残り、ついには占領日本軍の収容所に入れられ、そこで1945年に亡くなります。脳腫瘍であったということです。この番組では、エリックの娘の一人がインタビューに応じ、数少ない父の思い出とともに、映画から受けた感銘、父の姿を目の当たりにできた感動を語っています(エリックの妹ジェニーが兄の競技参加につよく反対したという映画の描き方は事実ではないという説もありますが、この番組ではその辺には触れられていませんでした)。


 ハロルド、エリック二人のアスリートの活躍は、英国人の記憶には鮮烈にとどめられています。それを世界的な映画に構成描写し、大成功を収めたパットナムとハドソンの回顧は、これまでにもさまざま紹介されてきました(映画ディスクのおまけなどで)。ここでは、バンゲリスの音楽を採用したきっかけなども語られますが、面白かったのは、ハロルド役のベン・クロス(30年の経過で、ずいぶん老けてしまった印象)の思い出として、タイトルシーンの、海岸を裸足で駆け抜くところの撮影が実にしんどかったこと、監督が鬼に思えたというところが一つでしょう。もう一つは、ハドソン監督が回顧する、エリックが初めて画面に出てくるスコットランドのハイランドゲームズの場で、演説に立ち、心のふるさとスコットランドに戻れて幸せだと語り、締めくくろうとしたところで、牛だか羊だかの鳴き声がタイミングよく入り、人々爆笑、エリックは「これぞスコットランド」と名句を吐く、このシーンはアドリブだったのだそうです。示し合わせて鳴き声を入れたり、エキストラたちに演技させたりしたのではなく、本番中まったく偶然に鳴き声が入ってしまい、イアン・チャールソンのアドリブ台詞も出た、これをNGにしないで採用した、「自然な感じが大事だから」と。


 番組のホストを務めたナイジェル・ヒーバースももちろん老けてきていますが、若作りの印象はあまり変わっていません。彼はこの映画出演以来、日頃ジョギングを続けているのだそうで、それもありましょうか。思い起こしてみると、彼の演じたリンゼイ卿というのは「いいとこを持ってく」役柄でもあります。カレッジのコーナーランに飛び入りでハロルドのライバルになる、ハロルドとの関係に悩むシビルを屋敷に招き、「やつはバカだよ、こんなすてきな女性をほっといて」と笑い、その後シャンパンの杯を並べたハードルを跳ぶという、贅沢な「練習」をする、オリンピック最初の障害物走決勝で健闘、二位になる、そして自分がエントリーしていた400m走の出場権をエリックに譲る、という具合ですから。映画プロローグとエピローグの教会でのミサのシーンも、老いたリンゼイと「ヤング」オーブリー・モンタギューだけが生き残り、50年前の思い出を語るのですし。「年老いて」髪も薄く、腰も曲がったリンゼイ卿というのは、映画撮影から30年後のナイジェル・ヒーバース本人にはおよそ似ても似つかなかったので、映画のメイクが「やり過ぎ」だったのか、実物のナイジェルが異常に若いのか、なんともはやです(ハロルドの数少ない親友・オーブリーを演じたニコラス・ファレルは、その後多くの映画やTVドラマなどに出演、『ポワロ』シリーズにも二度も登場していますが、かなり老けてしまった印象はぬぐえません)。


 番組の最後では、ナイジェルがヘリでロンドンオリンピック会場や選手村のうえを飛び、いやがおうにもオリンピックムードを盛り上げてくれます。これが実際に英国で放送された際には、きっと大いに沸いたことでしょう。




 YouTubeのおかげで、「真実の炎のランナー」だけではなく、2012年ロンドンオリンピック記念で再上映された「炎のランナー」(デジタルリマスター版)プレミアロードショウでのベンクロスやナイジェルヒーバースのインタビュー、また同じ年のエジンバラ大学でのロバートパットナムの記念講演(彼は貴族位を得たうえに、政府の教育総監に就任しています)も、見ることができます。

 こうした、この映画の不変の意義と感動だけではなく、私には私なりの思いもあります。
 「炎のランナー」の日本上映を私は見には行っておりません。あとから、LDで見たに過ぎません。それでも、多くのことを感じることができたし、それが初めての渡英(初めての国外経験)を前にしての学習にもいろいろ関わるところもありました。習った英語講師アリスとの対話の中で、これも話題の一つになったのです。もちろん彼女は米国人でしたが。


 それだけに、うえにも記したように、映画の舞台となったケンブリッジやイートン校やエジンバラを訪れることができたのは、感慨もひとしおでした。けれども、同じように印象に残っているのは、この映画の人物たち以上に、英国での知識人の高位に加わる才能豊かな日本人であった酒向真理さんの受けとめ方でした。彼女とざっくばらんにつきあう機会のあったこの在英中、映画「炎のランナー」のことを話題にしても、誠に冷淡な反応しか得られなかったのです。それはたまたま、酒向さんがこの映画を見たことがなかった、関心もなかった、そういうことでさえありません。この当時、オックスフォードやケンブリッジで学んでいた学徒たちには(酒向さんはオックスフォード大で学位を得ています)、「炎のランナー」は時代錯誤な懐古趣味の象徴としか理解されていなかったらしいのです。大昔の「よき時代」へのノスタルジアに浸り、それを今更のように世界に売り込んで稼いでいる、それ以上のものでもないよと。

 実際、ケンブリッジ大学の一隅に籍を置かせてもらった私のかすかな印象からしても、全世界のエリートが集い、文字通り歌舞音曲とスポーツ競技の技と、学業成果とに最高のものをひけらかす、そんな世界はすでに遠いものであった観でした。さらにのちには、「一流大学」でもないキングストン大の中で一年を過ごし、さまざまな友と接する中で、「絵に描いたような」深遠なる学府の世界はここでも、遙かに遠いものであることも実感しました。


 ですから、今更のように「炎のランナー」の世界に感動を覚える我が身は、見方を変えれば、遙か昔の旧制高校や帝国大学の世界に身を置き、アナクロニズムな自己満足に浸っているのとさして変わりもないのでしょう。それは私自身にとっての、厳しい教訓でもあります。そんな「よき世界」とは無縁の環境の中で若き日を送り、苦闘し、この「今の時代の大学」にようやく職を得、糊口をしのいできた自分自身を客観化するうえで。



 2019年4月24日、小出義雄氏は亡くなられました。80歳になっていたとはいえ、病との闘いののち、覚悟のもとでの他界でした。

 「走ること」の方法とともに意味を突き詰めた、陽気で明るく、また気配りの人であった、希有の存在と、改めて実感をします。高橋尚子、有森裕子といった空前のランナーを育てたひとも、限りあるいのちというものには抗うことは出来ません。でも、その日に焼けた髭面の笑顔は、誰もがいつまでも記憶にとどめるでしょう。
 そして、シドニーの栄光からもう19年も過ぎてしまったことも。とどめようもなく過ぎる「時」は、ひとの人生の区切りを迫り続けるのです、アスリートたちにも、名コーチにも、そして私たち自身にも。


(2020.7.6)

『炎のランナー』、異なるバージョンの存在


 『炎のランナー』は、テレビでも何度も放映されています。この作品の不滅の価値からいえば当然でしょう。

 しかし、今日NHKBs2で放映されたものから、改めて考えるに、この映画の公開版には異なるバージョンのあるのを思い出しました。

 NHKBs2としては、本来「東京オリンピック」開会で盛り上がる真っ最中に向け、96年前のオリンピックを舞台とした映画で大いに貢献したかったのでしょうが、そちらは中止です。それはともあれ、このNHK放送版は以前の回も含め、入っていないエピソードがあるのです。


 調べてみると、私は『炎のランナー』のソフトを過去に三回買っています。1980年代に市販されたLD(CBS-フォックス版)、後に出されたDVD(20世紀フォックス版)、さらにのちのBD(これも20世紀フォックス版)です。このうち、DVDはこのNHK放送版と同じ、LDとBDはともに別版です。



 何処が違うのか、いちばんよくわかるのは、有名なメインタイトルの、英国のオリンピックランナーたちの海岸疾走練習場面、その後、彼らは合宿宿舎のカールトンホテルに入ります。そのなか、物語の語り手であるオーブリー・モンタギューは自室で、母に宛てて窓際で手紙を書いています。そこから、NHKとDVD版は、ハロルドとのはじめての出会いの回想へ移ってしまうのです。

 これに対し、LDとBD版では、ハロルドの反抗精神を示すエピソードとして、ホテルの広間で行われたクリケットの場面になります。次打者の彼は、相手のバッターが球にバットを当てても飛ばなかったので、「アウト、僕の番だ」と主張しますが、ほかの連中が、「あたってない」とするので、怒ります。「どこに目をつけてるんだ!」、あげくには「It's not fair!」(ずるいぞ)という言い草は、笑いを呼び、ハロルド自身も苦笑し、両手を広げます。競技練習の合間のお遊びで、まあいろいろありみたいな雰囲気の中、むきになってしまっていた自分に気がつくわけです。その笑っている中には、エリックとおぼしき姿もあります。むしろ先頭に立ってあざ笑っているようにも見えます。「聖職者」がそういったことでいいのでしょうか。

 ただ、こうした些細な出来事にも、日ごろのユダヤ人への差別の目を感じざるを得ないような、ハロルドの日常感覚、身構えた姿勢を示すエピソードとして描かれているのです。それがオーブリーの言葉で語られ、それからケンブリッジキーズ校に二人で到着する場面に戻ります。


 他方で、DVDとNHK放送のバージョンでは、このクリケットのお話しは一切ありません。その代わり、出会いについてのオーブリーの回想がもっと詳しくなります。二人の最初の出会いはケンブリッジの駅頭で、共に列車から降り、階段を下ってタクシーを探すところから始まります。行き先が同じということで、一台の車に、一緒に荷物をいっぱい積み込みますが、それで乗って発車というところで、タクシー案内や積み込みをしていた連中の、学生らに対する冷ややかな言葉を聞いてしまいます。「こんな若造たちのお勉強のために俺たち戦争したのか」と。その後、キングズカレッジ礼拝堂の前を経て、車はキーズ校に着くので、描かれたエピソードの意味が全然違うのです。一方はユダヤ人に対する差別と、それに対する身構えた姿勢、他方は、ケンブリッジに学ぶエリート学生たちと市井のワーキングクラスの間の敵対心として。両者の話す「エイゴ」はまるで違います。しかもこちらでは、当人が大戦の重い負傷者であることが、顔につけられた恐ろしいばかりの補具であからさまにわかります。もっともそこからは、ケンブリッジ学寮入寮手続のところで、「子供」扱いと入隊経験のことが話題になる、さらに歓迎晩餐の席において、数多くの出身戦死者の名に言及される、そういうつながりにもなりますが。


 この2つのバージョンは明らかに別途に物語り構成され上映されたものです。背後に流れるオーブリーのセリフを聞いていると、一方の部分をはしょってカットしてしまったとは思えません。また、上記のように、それぞれに切られた部分があることになります。


 この、異なるバージョンの存在について、どこぞに解説があるはずなのですが、まだ確認はしておりません。



 DVD版の「おまけ」には、全編を監督ヒューハドソンが逐一解説する音声トラックが付いています(これがちょっと耳障りな場合もあるのですが)。それによると、「クリケットエピソードのない」バージョンはアメリカ向けなのだそうで、アメリカではこれは馴染みがないからという理由からだったとか(IMDbにも同じような「解説」が記されています)。確かに旧大英帝国圏とは違い、アメリカではベースボール全盛、クリケット聞いたことがない、ですが、あまり納得のいく理由とも思えません。「英国と英国人アスリートのお話」なんですから。むしろ、「エキゾチシズムを誘う」効能もありましょうが。

 アメリカでの配給元となったワーナーブラザースの意向があったことは事実なのでしょうが。むしろ、こちらの「クリケットなし」の方が「第一次世界大戦後」の物語であることを、強く印象づけるものとなったのは否定できないでしょう。



 細かいことですが、アメリカ向け版と他のとの違いは、映画最後の場面にも出ています。教会でのハロルド追悼のミサを終え、雨の降り出すなか歩んで去って行くオーブリーやリンゼイらに重ね、字幕が出ます。アメリカ向け版では、「ハロルド・エーブラムズ シビルと結婚 英国陸上界の長老 1978年1月死去」と綴られますが、もう一つの方では、結婚のことは記されず、「弁護士、ジャーナリスト」という肩書きが入り、「1978年1月死去」ののちに、「英国陸上界の長老」と記されます。エリックについての字幕はほぼ同じです。
 この字幕ののち、メインタイトルと同じ海岸疾走場面となり、重ねて各出演者のクレジットが順次出てきます。ですから、あまり大きな違いではないものの、逆にこの微妙な差はなんのためなのか、とは思わせます。



 この終わりのところの違いは、焼き付ける字幕を変えるだけのことですから、大した手間でもありませんが、はじめの方の、「クリケットシーン」と「駅頭シーン」の違いは、撮るには大きな違いになります。ただ、その意味でもどのように手間をかけたのか、気にはなります。ホテル大広間でのクリケットのお話しは、それだけ独立しており、出演する英国陸上競技チームの面々はユニフォーム姿です。かなりの人数が写っていますので、これだけ独自に手間暇かけて撮影されたのではないかと思われます。ハロルド役のベン・クロスはじめ、主立った面子が皆出ていますし。

 アメリカ向け版ではこれを全部カットしてしまったのならば、かなり思い切った編集でしょう。これに対し、そちらで採用されたケンブリッジ駅頭の場面は、出演者も少ないし、駅回りの階段やら出口やら車寄せやらに限られたところしか写らないので、別撮りしても不可能ではありません。スタジオのセットのようにも見えます(いまのケンブリッジ駅はまるで違っていますし)。もちろんハロルドやオーブリーは後の場面と同じ服装で映るわけですが、そのためだけに衣装や小道具をあらためて用意しても、撮影上無理はないでしょう。


 ただ、気になるのはむしろ、クリケット場面からの方のつながりです。前記のようにいきなり、キングズカレッジ礼拝堂前の道路、そこを行き交うクラシックカーや当時の扮装の人々が映り、そしてカレッジ入寮受付の場面になってしまいます。説明的な描写があまりに不足というか、それなら外の場面はなくてもいいというか、に思われます。
 まあ実際には、このキングズカレッジ前の道路の場面は、ワンカットに大変な手間と道具類、エキストラが必要だったので、切るに忍びないし、1920年代の雰囲気を再現するには意味のあるワンカットワンシーンだったでしょう。


 そこから想像するに、元々のシナリオで、これらの場面は全部入ってつながっていたのではないでしょうか。「カールトンホテルに向かう一群」→「手紙を書くオーブリー」→「ホテル大広間でのクリケット」→「ケンブリッジ駅到着とタクシー探し・積み込み」→「キングズカレッジ礼拝堂前」→「キーズ校入り口到着」→「入寮手続」と。それが公開前に、全編の長さを切り詰めねばならない状況になり、苦肉の選択で、「クリケット」と「ケンブリッジ駅頭」の2種類のバージョンになった、そんなところではないかと想像するのですが、どんなものでしょうか。オーブリーのセリフは何とでもできますからね。


*どーでもいい話ですが、約35年前、私がロンドンからケンブリッジに週一くらい通っていたころ、このケンブリッジ駅には奇妙な仕掛けがありました。上り下りの完全複線なのですが、プラットフォームは一本一面しかないのです。さて、どうやって上り下りの列車を停めていたのでしょう。
 また、この駅から大学までは結構離れています。私はタクシーかバスに乗りました。歩いたことは一度くらいしかないでしょう。大荷物を抱えた新入学生がタクシーで行くのは、100年前でもいまでも、まったく不自然でも贅沢でもありません。

 なお、名コーチ・サムマサビーニを演じたイアン・ホルムは先日亡くなりました。88歳でしたから、やむないことでしょう。『ロードオブザリング』など、数多くの映画に出ていました。


(2020.8.19)

いま、ハロルドも

 『炎のランナー』の(本来東京オリンピック開催記念)放映から追記を記してわずか一ヶ月余、ベン・クロスの訃報が飛び込んできました。あまりと言えば、あまりのことです。

 エイズに冒されたイアン・チャールソンの悲運とは違い、彼は映画の姿並みに、健康そのものに見えていました。当時に比べれば「老けた」感はあるものの、私とほとんど同じ歳だったのですから、いつまでも20歳代のイメージとはいきません。

 前記のように、2012年ロンドンオリンピック開催を期し、Chariots of Fire の大ブームが再来しました。そのなかで、ベン・クロスもいろいろ撮影の思い出など語っていたのです。それからわずか8年です。
 詳しい報道はまだありませんが、かなり急の病だったようです。


 この映画にまとわりつく「死の影」、それはあまりにもはっきりした形で示されてしまいました。エリック・リデルも、ハロルド・エーブラムスも、遠い彼方に駆け去って行ってしまいました。
 そしてそれは、オリンピックゲームさえも開催不可能に追い込む、近代以来まれにみるパンデミックの脅威に全世界が脅かされ、先の見えない日々が半年以上も続くなかのことでした。「象徴的な」という月並みな表現の遙か彼方に、二人のランナーの背は遠ざかり、もう永遠に戻ってくることはないのです。




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