(2018.04オリジナル作成)
ユーメイ大学になると、外からどうぞお使い下さい、こういう事業をご一緒にやりましょうなどといった提案が降ってくるらしいのですが、なかったですねえ。自分の怠惰と努力不足もありますが。
その意味、そもそも私がそこで科目を持ち、仕事をすることになったこと自体、かなりイレギュラーに感じられ、実際どうしてなのか、自分でもよくわかりませんでした。別に書いたように、そういった誘いの電話をくれたひとは、私のまったく存じ上げない方だったので。こんどは私が定年でやめたあとも、科目は存続し、もちろん私の関与などなしに、適任の若い人が継いだので、そのことには私としては不満はありません。ただ、逆に私が他の科目の後任なり改廃設置なりに関与する機会もありませんでした。
せこい話し書き出しちゃった勢いで書くと、私は研究科長としての立場とは別に、前研究科長の黒瀬教授をサポートし、大学院の必修科目「ライブケース」授業のゲスト登壇者の依頼や立ち会い・コーディネートもしてきました。その中で、「自腹を切る」経験もしました。特には、三年ほど前にこの時間に登壇されたある社長さん、終わった後に大変不機嫌なメイルを下さり、もう二度と行く気もしない等々ということなのです。なにか不始末不行き届きなどあったかと焦りましたが、ご立腹の原因は、前年度のうちに出講の依頼として正式にいった内容が、あとから変わってしまった、要は依頼段階では謝金○○であったのが、こんどは「◇◇円に」切り下げられてしまった、その金額がもちろん多い少ないの問題ではなく、実に事務的な連絡のついでに記されていたかたち自体、不快であったということでした。企業経営に日々苦労されているお立場からすれば、カチンと来るものがあったのでしょう。その事情は、上記の学園を揺るがす問題とそれに伴う財政ピンチで、諸経費諸出費の見直しが急遽行われ、この「ライブケース」外部講師の謝金も1/3くらいに切られてしまったのです。 多忙のなかせっかくお越し頂いた同社長に不快な思いのみ残ったのではどうにもいけませんので、急ぎ謝罪がてら、私は同社に訪問し、事情の説明とともに、頭を下げて参りました。同社長は快く理解して下さり、社内など詳しくご案内説明を下さいました。 このために、私は些少ながら交通費を使い、また手ぶらでお詫びにでも様にならないので、手土産も持参しました。それ以外にも、この「ライブケース」の出講依頼や事前打ち合わせなどで、直接訪問したところは何カ所もあります。それらももちろん私にもよい勉強の機会でもあり、なにも不満にも思うところなどないのですが、ともかくすべて自腹を切ったことは事実です。特にこの謝金カットは私の知らぬところでの、経営サイドの判断と対応の結果であって、私はその尻ぬぐいだけをさせられたことになります。なんの相談も連絡もありませんでした。そこで僅かばかりの支出を「節約」し、大学の実社会での評判を落として、どうなるというのでしょうか。学生の就職に響いたらなどと、想像もしないのでしょうか。ま、私は判子押し係、頭下げ係だったということで。 |
早速に、批判めいたご意見も頂きました。「要するに、大学の教員人事というのは個人的なコネなのか」というお考えです。私はそうは申していないつもりで、実際には「公募」であればとりわけ、応募の機会は広く開かれ、その方々の研究業績や研究教育経験などをはじめ、量的にも質的にも厳正公平な審査を致します。特には、やはり研究業績としての代表的な著作なり論文なりを客観評価するのが中心になります(某々々大学では、連携先との関係で「来て頂く」ひとにも、さらに非常勤講師で新たに委嘱するひとにさえも、「資格審査」をやっているのには仰天しました。そこまではやりすぎ、あまりないんじゃないの、と)。他方でうえにも書いたように、「科目適合性」というのも見落とせません。たとえば、このひと「理論経済学」ではよく勉強し、優れた論文等を公にしているが、募集している担当科目は「経営戦略論」ですよとなれば、科目不適合は誰にも否定できないでしょう。最近はさらに、「教育」も重視されます。大学教員はやはり教師なんだから、しっかり、効果的な教育をしてくれなければ困る、というわけで、教育に対する理念や方針、また授業の「シラバス」を作成して貰う、授業や実験実習等の進め方に新たな方法を用いる計画を示す、さらには「模擬授業」を実演して貰う等々です。すでに、非常勤で授業を持っているなどの経験も当然留意されます。
ただ、ここには一種の自己矛盾があります。これから大学教員になろうというひとにも、ある意味「既経験」を求めることになるのですから、それでは経験のないひとにはいつまでも機会が与えられないことになってしまうではないか、という結果を免れないですよね。それには皆留意すべきですが、実態としては否定できません。それだけ、大学と教員の「教育力」が問われている現実があります。
近年はまた、さらに社会的な活動や企業等での「現場」実践経験も重視されます。大学の先生は研究者教育者だ、ということだけでは通らず、「仕事」と社会経験豊富な実務家などの人材を教壇に立たせるべきだ、というのがこのクニの「教育政策」で、現実にもそうした人たちのおかげで学生の「キャリア教育・指導」、要するにシューカツに効果があがる、学生の関心を呼べ、モーティべーションがあがる、期待すべき人材だということになるわけです。もちろん上記のように、大学の社会連携、産学連携等にはいまや欠かせない存在でしょう。大学とは学生にとって、「学問研究の場」とは意識されず、「社会への出口」という方が実態に近いともせざるを得ません。そこで、「大学でなにを学んだか」なんて二の次三の次以下のこの国では、どのようなかたちと中味が「最適解」なのか、自ずと決まってしまいましょう。私もそうした現実に目をつぶりはしないし、また多様な経験経歴を持つ人たちにもっと大学内でも活躍してほしいとは思うものの、「学問の府」というのをそれほど安直に考えられてもいかがなものかと、古典的大学観は容易に捨てられません。豊かな経験や経歴自体を、理念・理論と方法ある「学問」として理解し、それを学生に語れるというのが望ましいと思うのです。まあ、そのへんは私自身にも30年越しの課題ですが。
すべての大学教員人事が「公募」というわけではありません。「完全公募」と称していても、実態「出来レースに近い」というのもあるように聞きますし、個人的な人脈などで教員採用したから、「大学教員任用公正法違反だ」などとはなりません。特に、以前にも記したように、新設大学や部局となると、適格性ある相当の人数を集めることから始めねばならず、人脈が第一の頼りになります。ただ、そうした場合でも候補者の履歴書、業績調書、代表的な研究業績等は必要であり、それらにもとづいて選考の手順を踏むことが多々あります。前記のように、一定の手続きと選考で候補となっても、教授会等で承認されないこともあり得ます。まあ、「誰それセンセイからの推薦だから」、それでそのままOKなどとしたらきわめて不公平であり、ましてや外部の設置審など通りません。
といった具合で、「大学教員人事」の諸手続は粛々と進むのであります。ただ、その「はじめ」と「終わり」はなかなかわかりにくいところだろうというお話しでありまして。
(2019.4.17)
最後の最後、わが懐からあえてなけなしのゼニを出す
2019年度になり、私はすべての職を退きました。
そうしたら、「カネも力もない」実態をあらためてこれ以上ないほどに味あわされました。
「退職して、給料貰えない」年金生活の身になったからじゃありません。それは既定のことだし、世の中ほとんどの方々は同じ身になるわけで、そこに何も特別なことはありません。
「カネ」は貰えなくなりますが、少々の蓄えはあります。どうにも暮らせないような額面ながら、ともかく年金というものも貰え、隔月15日、郵便局の行列に並んでおります。
その一方で、出て行くカネになかなか歯止めがかかりません。今日、出版社から請求書が届きました。107,654円!もちろんそれは当然支払うべきものです。こんど「最後の仕事」として出した、拙編著『21世紀中小企業者の主体形成と継承』の、著者買取分の代金です。
これは著者として寄贈送付した冊数分の代金で、ほとんどが過去に私自身献本を頂いた方々に、いわば「お返し」として謹呈申し上げるものです。ある意味当然の「交際費」のようなものでしょう。
そういった意味で、この負担支出に何の不満もないし、それを前提に、出版社には刊行を引き受けて貰うようなものですから、もう当たり前のことになっております。過去にも記したように、出版というのはいまどきそういった存在なのです。
ですから、有り体に言えば、いまどきのこの手の出版というのは、なかば「自費出版」のようなものです。一応「商業出版」で、ISBN番号を貰い、書店店頭にも並ぶ(はず)なので、そう言い切ってしまうと語弊があり、せっかく出版を引き受けてくれた出版社にも申し訳ないのですが、ともかくそれだけの現実の負担をしているのです。「印税収入」どころじゃないのは、先に記しました。
ただ、こんどの出版は「嘉悦大学大学院叢書」という形を取り、そのように付記しているので、手に取られた方々から、甚だ不本意な誤解を受ける恐れもあります。「大学から出版補助、研究補助といったものを貰っているんじゃないの」と。一文も出ておりません。
この出版の許可は貰っておりますが、それだけです。もちろん、そういった出版補助の制度があるわけではなく、私が勝手に進めた出版企画に、「大学院叢書」のお墨付きを出して貰っただけなので、別に誰を恨むものでもないのは当然です。ただ、過去にはこういった「大学院叢書」にカネの出たこともあったらしいのですが。その後の学園の教学・財政危機と混乱のもとでは、逆さに振ってもそれは出てこないでしょう。
一文も出ないのも承知で、あえて「大学院叢書」という形を選んだのは、無論私なりの思いと理由があります。別のところにも記したように、私の嘉悦大学大学院での7年間の研究教育生活の締めくくり、その「成果」として、博士後期課程をおえた人たちとともに出版をする、そこに最大の意義があったからなのです。ですから、かなりの時間的無理も承知で、「2019年3月31日発行」とすることも必要でした。正真正銘、私が嘉悦大学大学院の教員であったこと、その最後の日にこの書を出した、嘉悦大学大学院叢書というかたちで、と。
結果からすれば、私が自分の懐で(ほかの執筆者の方々もそうですが)、「嘉悦大学大学院」の名を広めるべく努めたことになります。客観的に見れば馬鹿馬鹿しい、アホみたいともされましょう。お人好しにも過ぎましょう。
けれども、私自身には自分の人生と教育研究活動の締めくくりを記す意味とともに、正真正銘、この大学との関係の終了を明確にする思いもあったのです。
「カネと力はなかりけり」の「力」の方では、「最後の一撃」がありました。まさしく、私とこの大学との関係の終わりを見事に描いてくれました。そのことはまた。
(2020,8,11)
これは言わなくちゃならない、「やめてくれ」と言われた終幕の顛末
だいぶ時間も過ぎたので、少し暴露話をしましょう。
私は前任校の定年退職後再雇用という形でこの学園に雇われ、当初は二年契約、後には年度契約で特任教員となっておりました。そのつど、勤務条件や処遇に関する契約書を交わしておりました。ですから、学園側として、「あなた来年度要りません」と言われれば、はいそうですかとなるのは、不当でもなんでもありませんし、それでもなお「使ってください」「生活に困ります」などとするのは、私の信念にそぐいません。実は私、若き日のあれこれのシューカツや、その結果大学の常勤職を得た1981年の機会を除き、自分から「採ってください」「使ってください」などとお願いしたことはないのです。頼まれれば、私のような者でもなにかの役に立つのならば、原則お断りなどせずに引き受ける、そういうスタンスできております。ですから、おかみのご用であろうが、どこぞでの調査プロジェクトであろうが、講演依頼やはたまた大展示会イベントの実行委員長に至るまで、お引き受けして参りました。
ということで、2018年度は名目「客員教授」、実質非常勤講師で、一年間週一授業を持ち、院生指導を継続しました。学部の授業からは外れましたが、大学院の講義授業もやりました。2019年3月、当人たちの努力で、前期、後期各一名の院生も無事修了を迎え、まあ後顧の憂いなくすべてを終えられたわけです。前年春に専任教員をやめるについて研究室も撤収しており、ここですべてをおしまいとする、そのついでに「嘉悦大学大学院叢書」共著も残した、万事滞りなくおしまい、掉尾を飾ったつもりでした。
当初から、大学院新設に伴い、そちらメインでやってくださいという当時の加藤学長の命だったので、学部学生諸君の十分な満足と教育成果を得られたどうかは確信ないものの、努力はしました。「事業創造論」という場で、学生プロジェクトチームのビジネスプラン発表コンテストもしました。大学院の授業でも同じような手法も取り入れ、だいぶ盛り上がりました。前任校の経験を生かし、「エイゴによる授業」も試みました。なにより、指導担当下、前期課程延べ7名、後期課程3名の修了を迎え、学位を出せました。
この中からは、修了後大学教員になった人も2名います。うえに記したように、私が「コネで押し込んだ」りしたわけではまったくなく、もっぱら本人たちの努力のたまものですが、この7年間は無駄に給料を食み、学園の存在価値と役割発揮の足を引っ張ったつもりはありません。
研究科長になったのも、もちろん望んでのことでもなく、学内の諸般の事情からその責を引き受けた経緯です。しかもこの「長」、これもうえに書いたように、ヒトモノカネ、何の実権もなく、何もできずでした。いろいろ「絵には描いて」みましたものの、それでおしまい。でも、大学院教員としての職責は果たしたつもりではいるのですが、んなもの、世の中では限りなくゼロに近い意味しかないのでしょう。
もちろんこの7年間だけではなく、前任校の11年間もいちおう大学院中心の責務だったので、それにこたえるべく努力は重ねたつもりです。前期課程でのべ13名が修了、後期課程では9名が在学単位取得(うち学位取得修了者は3名ですが)しました。博士学位取得者をもっと出せればよかったという悔いはあるものの、この9名のうちから、大学教員になったひとは6名います。修士修了を含め、専門的な職業従事や企業経営の後継者のひとも多数います。まあ、自分としては、使命をかなり果たせたのではないかと実感するところです(前前任校駒澤大学を含めれば、大学教員になったのは延べ10名)。
ただ、おそらく間違いないことは、そうした方々は大学や学校経営の面で手腕を発揮し、まさに「経営者」たり得たという実績・実力の持ち主であることです。今の時代は、そうした方々の労をいとわぬ、また諸方面を動かせる本領発揮が求められているのですね。そうでなくて、言い方悪いけど「お飾り」の価値あるノーベル賞級大学者大先生など、今日日でもそうはいませんし、それだけでは大学も持ちませんから。
私?正直困っています。ずっと前から見えていたことだったのに。でもそれ以上に、体がいうことを聞かなくなっています。いよいよ「詰み」でしょうか。「カネも力もなかりけり」の人生は、職もなし、それにふさわしい終幕になりそうです。
もっとも最近、私に「クビ」を宣告した学長は、学内(再?)クーデターだか革命だかで、任なかばでその座を追われたそうです。別に個人的憾みがあるわけじゃないので、座間ーなどとは思いません。もともと学界とは無縁、企業経営者のひとだったですし。
現役教員の方々の非常なご苦労とご心痛を多々耳にするなか、私はおのれの僥倖を喜ぶべきなのでしょうか。
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品がないとか、人間関係に差し障るとか、そういった世間的配慮はこの際後回しにします。もうそういった世知を働かせる必要もありませんし、この先自分の命がどれだけあるかも怪しくなってきたので、「最後っ屁」的言い草も自己満足になる頃合いです。
2017年後半だったか、嘉悦大学大学院ビジネス創造研究科長であった私に、当時の学長がこう言い放ちました。「あなた、やめてもらえませんか」とね。
まあ、職を辞さなくてはならない不祥事や不始末をした覚えはないので、主には当時の学園の直面していた困難、入学者減少による経営危機と、これに輪をかけた創立者一族による財政の私物化・浪費で、文科省の補助もカットされ、この先どうなるかという事態、それを乗り切るにはリストラがいるというのは、まあコンセンサスではありました。
それに、先にも書いたように、文科省の要請にこたえるには、ロ−トル教員を切って若返りを図らねばならず、その先頭に私が立たねばならなかった次第なのです(学長が持ち出したのは、主にこの理由でしたが)。
だから、「やめてください」と言われれば、わかりました、です。文科省からの要請のみならず、この学園では慣行的に、ギリギリ70歳までが雇用の限界という理解もあったようなので、このときすでに70歳になっていた私として、身を引くにためらう理由はありませんでした。ただ、まだ指導担当の院生が前期、後期各課程に一名ずついる、その責任を果たさねばならない、それは非常勤で登校し、次年度授業をしてほしいというのが、学長と事務担当者の考えで、これに私も異存ありません。ただし、諸事情を考えるに、非常勤講師が研究指導担当というのはいかにも外聞が悪いし、文科省から突っ込まれる恐れもあります。そこで、以前に作った「客員教員規程」というのを思い出しました。「客員教授」には研究指導や授業等委嘱することもできる、これつかえるじゃないの、そうなれば外聞悪くないだろうしと。もちろん自分がその立場になるなどと、全然想定もしていなかったことですが。
でも、すんなりと割り切れないものが、それから1年半近く過ぎたいまも残っています。かなり込み入った、少々修羅場になりそうな問題を後回しにして言えば、結局この足かけ7年間の私学教員生活ってなんだったの、という、今ひとつ素直に感情的に割り切れない思いです。あなたやめてください、もう要りませんと学長から言われる、そんなだったんでしょうか。
で、そういった自己満足だか、充実感だかでおしまいでした。
嘉悦大学退職、それきりです。
万一お声がかかっても、やる気あったかどうか、内実相当疑わしいのですが、何にもないというのもかなり寂しいものであることを否定できません。
大学教員なんたって、70歳過ぎればみんなお払い箱だよ、何を贅沢言っているんだといった非難の声があちこちから飛んできそうですが、みんながみんな、そうでもないんですな、この世間でも。
私と同年代、ないし前後の年代でも、後々「なんとか長」といった肩書きを重ね、重責を担われているひとも何人もいます。かって、日本の中小企業研究の重鎮であった大先生方は、のちに大学学長、副学長といった職を務められたのが珍しくありません。
しかし、これは声を潜めて申さざるを得ないのですが、私の長年の知己であり、いまも大学運営の要職を務め、活躍されている方々など横目で拝見するに、こう申してはなんですが、「学界の重鎮」「学問の権威」といったひととは到底思えないお名前が大部分なのです(そうした意味で一目置かねばならないひとも勿論おられますけど)。
書類作ったりするだけでうんざりする、実際ほとんど、カネや組織構成や教育内容、人選などの成果につながったこともないような私めでは、組織運営や経営の才などみじんもないこと、すでに世間様はよくご存じなのかも知れません。
他方で、ユーメイ大学に長年勤務し、おそらく定年時にはあちこちからお声がかかったはずなのに、あえて再就職しなかった、潔い方々もおられます。まあ、「宮仕えはもう結構」という思いもありましょうし、それで困らない経済的環境を整えておられるのでしょう。
さもしさ承知で言えば、20年前にやめた前前任校からはいまも広報誌が送られてきます。もう形式的な関係は一切ないのですが。前任校では「名誉教授」にして貰ったので、年に一度の懇談会へのご招待もあります(本年は中止ですが)。広報物等も来ます。本来は、「パーマネントアドレス」を貰っていたはずなのに、これは「諸事情から」、なくなってしまいました。
さて嘉悦大学からは、昨年四月以降、なんの情報もありません。まさに「手のひら返し」です。誠にすっぱりと、一切切れました。それも、望むところでもありますけどね。上記の「学長解任」など、あくまで風の便りです。
まあ早速にご意見ありまして、「やめてくれ」と言われてやめたから、いま空前の世界的パンデミック、コロナ禍、非常な社会不安のもとで、大学は授業できない、会議会合も開けない、キャンパス・校舎は閉鎖、授業はみんなリモート実施、自宅でパソコン相手の苦しい作業、これをみんなせずに済んでるんじゃないの、とね。確かにそれはそうです、いま私がそうした責を担わされたら、たまったものではありません。ひととひとが顔付き合わせ、対話議論できる状況抜きに、いかなる「教育」があるのか、はなはだ疑問であり、そんなことはやりたくありません。3年前に「やめてくれ」と言われたおかげで、こんな事態いま免れているんだとは、結果論としてはそうです。もちろん、誰もそんな未来を想像していたわけではないでしょうが。