三井の、なんのたしにもならないお話 その四十七-b

(2020.08オリジナル作成)



 
ある「箝口令」? カネも力もないどころか、完璧「蚊帳の外」
−続続なんにもない 


 
 
 学長に「やめてくれ」と言われたのは、ある意味避けがたいことであり、その時もいまも、不満や納得できないことがあるわけではありません。学長も職責上、そういった言に出ることは必然的なことだったでしょう。私には、「あんたは要らない」というのが自分への社会的評価であると納得する一助として。
 
 
 けれども、私の足かけ7年間の職務を無にするような事態は、一年あまり後にやってきました。これはあまりに生々しく、また個人的人間関係等に響くものであることを否定できないのですが、やはり書き残しておかないと、残り少ない私の人生の心のお荷物のみにとどまり、明かされないままに世の記憶から失せてしまいます。



 すべては、2019年3月から4月にかけてのことでした。2017年度をおえて常勤職を退き、2018年度一年間「残務」のために非常勤職で週一出講、そして最後の院生たちもなんとか修了にこぎ着け、文字通り心置きなく、年度終わりの3月の学位授与式を迎えられました。
 式後、恒例の大学院での私的な「祝賀」懇親会に、現役教員、修了生、在学生らが集い、飲み、歓談し、私もすべての責務を大過なくおえられた思いに浸っておりました。もちろん、ここで7年間を過ごした学び舎にいろいろ想い出もありましたが、それとともに、「最後の後始末」をどうするか、これはいま決めなくてはなりません。

 1年前の常勤職退職で、使ってきた研究室を引き払う大仕事がありました。のべ40年近くの研究教育生活の残した書物や資料やさまざまなガラクタ等の山との闘いは、えらいことで、泊まり込み数日がかりでしたが、本当に有り難いことに、嘉悦大の最後の院生諸君が手伝ってくれたうえに、書物などの大部分を引き取ってくれたのです(相当の量の紙屑はそのまま廃棄物になりましたけれど)。大先生流の「自宅書斎・書庫」などあるわけもない我が身ですから、すべて捨てるしかなかったところですが、本当に有り難い申し出でした。

 その後、2人の博士修了生はともに、2019年4月から大学教員の職に就くことができ、これらはそのまま、諸君の大学研究室に収まることになりました。まさに研究材料として世代継承されることになったのです。

 
 ただ、これで安心とは行かないものがまだありました。実は、雑誌、定期刊行物などは研究室に入りきらない、またこれらは院生の研究の材料でもあるだろうという理屈をつけ、院生が利用する「共同研究室」の書棚に並べてきていたのです。7年も経つとこれも相当な量になり、もう書棚が満杯状態、これをどう始末するかが最後の大問題です。
 これも修了生たちの好意で、要るものはそれぞれに引き取って貰う、引き取り手のないものはゴミとして処分して貰う、そういう取り決めが懇親会の場でできました。
 
 こうした判断に至ったのは、「飛ぶ鳥跡を濁さず」の大原則とともに、私がやめ、黒瀬前研究科長が任期をおえられば、嘉悦大学大学院では(黒瀬氏と加藤元学長が構想した)「中小企業に関する研究と教育の場」を担う教員がいなくなってしまいます。これをなんとか継承継続したいという願いで、以前に「後任人事」の可能性なども検討交渉したのですが、「新任者を採る」どころか、いかにリストラし、コストカットするかを最優先せざるを得ない状況で、まずあり得ない、持ち出すも憚れることでした。そのため、私は2017年度のうちに「大学院の将来ビジョン案」を研究科長としてまとめ、基本は(将来大学院兼担になるひとたちを含め)現在籍教員それぞれの方々の専門領域を主体とする構成を構想し、実質的にはそうした方々に委ねる、としたのです。そうなると、「中小企業の研究と教育」は看板たり得ないことになります。

 そうとなれば、私のところにたまってきた、雑誌、学会誌、新聞や定期刊行物、白書、ジャーナルなどは殆ど邪魔ものになり、今後の院生の研究環境の妨げになります。これらがすべてゴミに消えずとも、いくらかは継承保存されれば有り難いことなので、私として扱いを彼らに託しました。のちに、この2人の大学研究室で、書物などとともに幾種類か書架を飾っているのを確認もしました。
 
 
 それで、修了生諸君が都合をつけ、共同研究室の書棚片付け作業に入った2019年4月のある日、ちょっとしたハプニングがあったらしいのです。事務方に話をつけておいたので私は行かなかったのですが、そこに、4月からの新任教員という人がたまたま現れ、この光景を目撃、処分される資料類を目にして、残念な表情であったそうな、こういう経過を後に私は耳にしました。

 まさに驚天動地です。私はこの1年余、自分が辞めたあとに「後任者」がいる、そう新規人事が決まったなどとはついぞ聞きませんでした。学部の教育維持等のために、定年退職者らの後を埋める新任人事は毎年度一定数行われていたものの、「大学院のために」新規に専任者を採るなどとは到底想定できなかったからです。
 けれども、私が大学web情報など確認すると、このひとはまさしく「中小企業の研究と教育」を担う立場で赴任したのですな。在職したこの7年間でも、これだけのドッキリは経験できませんでした。

 
 このひとは実務畑を経て、研究成果をあげ、学位を取得し、教育経験も豊富です。私にあまり面識はないものの、名刺交換くらいはしております。私がやめ、黒瀬前研究科長が去った後、嘉悦大学大学院を担っていってもらうにもちろん何の不足もありません。むしろ、この困難に陥っている学園に身を投じる覚悟をされたというだけで、頭が下がるのみです。



 でも、ここまで読まれた方は妙なことに気がつきますよね。この一年間、週一度の出講、またその他の機会は多々あり、とりわけ、前記の2018年度終わりの修了祝い懇親会に、大学院の関係教員らがみんな顔を揃えたのです。もちろん主催は後任の研究科長でした。そうしたさまざまな折りに、「4月からこの人が来られるんですよ」とか、「なんとか、中小企業の研究教育をになうひとに入って貰えました」等々の片言も、私は耳にすることなく、このハプニングに至ったのです。いやそれどころか、以来すでに1年半、一度とて、誰からも、どこからも、こういった人事のあったことなどきちんと伺ってはおりません。何にも情報なしなんですから。
 
 ですから、勘ぐれば「箝口令」が敷かれていたのでしょう。その可能性は否定できないのです。この方の固有名詞が浮上したのは、実はさらに前のことでした。ただ、その経緯がかなりおかしい、だいたいいまの学園で、こういった大学院のための新規人事ができるのか、そのための学内の根回しなどあるのか、等に関して私は疑問を呈した記憶があります。条件が整わないまま、話しだけ先行しては、御本人に大迷惑になります。その後この話は事実上立ち消えになったのかと思っておりましたが、実はそうではなかったわけです。
 まあ、その後の経過はうかがい知りませんが、3月後半の学位授与式、懇親会の後、急遽次年度人事が決まり、採用決定、4月1日付で着任したなんて、120%あり得ません。

 それがどういったかたちで大逆転が生まれたのか、そこに偉大な政治力の成果のあったことを想像させます。ただ、そのために動いた方々は、「三井の耳には入れるな」「足を引っ張られる恐れがある」などと「箝口令」を敷いた可能性です。そうであれば、それは私に対し正直馬鹿馬鹿しい勘ぐりであり、要らぬ心配です。うえにも記したように、「中小企業の研究と教育」が継承されるのであれば、その後任担い手の方を含め、異存あるどころか、まさに諸手を挙げて歓迎、感謝いっぱい、そして今後大学院で学ぼうという方々のために有り難い限りでしょう。


 ただ、そうと知っていれば、この共同研究室書棚の資料等託す算段もあったのにと、いささか悔やまれます。でもね、私はまるで「聞いてなかった」んだからしょうがないでしょう。私が私的に置いておいたものです、これらをどう始末し、後々の大学院教員と院生の足を引っ張らないようにするかしか、念頭になかったんですから。

 後始末を引き受けてくれたその彼らとともに、自腹を切って、『嘉悦大学大学院叢書』共著を残した、これは相当におめでたいことに過ぎるんでしょうかね。



 「箝口令」が敷かれたんだろと想像するのは、嘉悦大学のかっての同僚教職員の皆さんの顔がすぐさま目に浮かぶからです。学園の困難な状況にめげず、重い授業負担に堪え、そのなかでも教育の成果を上げるべく非常な努力を日々重ねておられる、その一方で研究の推進実行、成果の発表等においても、他学の人たちに引けを取るどころか、数倍するような結果を重ねてこられている、本当に頭が下がるのみです。職員の方々も同様です。皆さん誠実で、真面目で、温厚で、熱意のかたまりで、大学と日本の将来を案じ、大学の担うべき使命を真剣に考え実践しておられます。

 SNSを通じ、いまもやりとりのある方々も少なくありません。ですから、「なんで私には言わなかったの?」などとあえて問うより、「いろいろ事情があったんだろうね」と想像をするのみが、いまの私の想いなのです。まあ、私なんてそんな程度のお邪魔虫と、自覚を日々新たにしております次第。記したように、私が離れたのち、前勤務先からの公式情報も一切ありませんからね。


追伸 
 いま、私が期待しておりますのは、カンケー者の方々からの、「あんたはもうやめた人間なんだから、そもそも関係ない」、「大学としてどんな人事を行い、なんの科目を設置するかなど、伝える義務などない」といった、『正論』『原則論』であります。




つぎへ