三井のロンドン絵日記(17)

これが私です

−ジャパニーズプロフェッサー、大学広報紙に登場


 おりから英国は、アメリカ合州国と組んで、戦争=殺戮を開始です。こんな連中に二度と、「人権」「人道」だの、「地球環境」だのと口にしてほしくありません。

 「あらゆる生き物には生存する権利がある、ただしイラク人とキツネは除く」、このように今後枕詞にして貰いましょう。

 「サダム・フセインやスロバン・ミロシェビッチのような危険な連中に、『大量破壊兵器』を握らせてはならない、見つけ次第やっつけてやる、オレたちが一手に握っておく必要があるから」、これが「世界の安定だ」と、今後カンバンに書いて貰いましょう(その『大量破壊兵器』のうちでも最悪のものを唯一使って、われわれの同胞を大量虐殺したのも、それ以後も、ベトナムはじめ、アジア各地でいろいろ使いまくり、殺しまくってきたのも、同じ「オレたち」なんですが)。


 人種差別と人権無視と自然環境破壊の元凶、地球のガン・アングロサクソンには親しくなりたくはないし、またなんの親しみも覚えませんが、私だって、個々の人間になんの恨みもありません。「イラクの奴ら」とか「セルビア人ども」といった差別主義的なものの見方しかできない、英国人と英国「マスコミ」=米軍・NATO軍の「大本営発表」プロパガンダとは違い、私たちには、はるかに広い心があります。不倫トン・無礼アらと、大多数の米国人や英国人たちを区別して、人間同士として、敬意を払いあい、同じ立場で接していく寛容さを持ち合わせています。



 まあ、そう考えて、少しは怒りをおさめ、このもう9ヶ月間にわたって数々世話になってきた、キングストン大学とそのスタッフ、もちろん中小企業研究センターの面々には、ここでまたあらためて感謝の気持ちを表したいと感じます。

 ちょうど、同大学の学内広報紙『Bridge』に、私の写真入り紹介記事が載りました。これも何かの縁で、中小企業研究センターの存在PRにもつながるものであれば、私として、いくらかのご恩返しにもなります。古い言葉ですが、ニッポン人は信義を大事にするのです。


 ちなみに、「Bridge」とは、キングストンの町のシンボルである、テムズ川にかかるキングストンブリッジのことのようです。そのちょっと下流に私は現在住んでいるので、これもいい縁でもありましょう。もっとも橋は現在拡幅大工事中なのですが。









 ご覧のように、ここでは私は「プロフェッサー・ミツイ」ですが、いわゆる親しい同士は、当然ファーストネームで、したがって「イツトモ」と私を呼びます。ただ、センターの中で、若い女性スタッフなどは、「プロフェッサー・ミツイ」と呼びます。

 まあ、これは「敬意を込めた」というより、若干の遠慮と −ファーストネームで呼ぶにはちょっと老けすぎたおじんであるため− 、いくばくかのジョークを含んだものと私は理解しています。

 なぜって、ほかでも書いたように、この英国では、「Prefessor」というのはごく最近まで、本当の大先生のこと、だから「プロフェッサー○○」なんていうのは大変な敬称であったからです。当然、およそそうじゃない人間に大げさな敬称をつければ、もうジョークに入ってしまうわけです。私はどうしたって「大先生」には到底見えないし、中身も大したことないので、明らかにジョーク称です。

 実際にProfessor であるロバートは、大学内は絶対に「プロフェッサー・ブラックバーン」なんて呼ばれません。いつでも、誰からも「ロバート!」です。その彼は、私も当然ファーストネームで呼びますが、たまに「プロフェッサー・ミツイ」なんて、からかうために口にします。


 私自身は、まあどういう風でもいいんです。日本の社会のように、同僚同士で「○○先生」と呼び合うのも甚だ疲れるし、「教授」なんて呼ばれると、赤の他人のことのようにしか聞こえないし、でも、若い学生からいきなりファーストネームで呼ばれたりしたらちょっと抵抗感あるだろうし、日本の文化ってなかなか面倒ですから。



 このような私の「海外体験」の真相について、ここで恥ずかしい告白を記しました。

 お暇なひとはお読み下さい。これから「国際派」を志向しようという学生諸君などには、少しは参考になるかも。



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