2.GHQの憲法案作成権限の有無を問題とする論考

 
GHQに憲法案を作成する権限があったのか?

 
答えは「ノー」です。その権限は、FECにあったのです。

 このことは、FEC(極東委員会)の設置を定めた1945年12月28日に発表された「モスクワ外相会議コミュニケ」の中に明記されています。このコミュニケは、日本管理法令研究会「日本管理法令研究」1巻7号に収録されていますが、全部で7項からなっており、その2番目に「極東委員会及び連合国日本理事会」という箇所があります。そのなかの「3 合衆国政府の任務」の第3節にこのような文言が書かれています。

・・・但し日本の憲政機構、若くは管理制度の根本的変更を規定し、又は全体としての日本政府の変更を規定する指令は、極東委員会の協議及び合意の達成のあった後に於てのみ発せられるべきである。

 前のノートにも書いたように、2月1日の毎日新聞の政府改正案スクープの内容を見たマッカーサーが、なりふり構わず短期間に憲法案の作成を急がせ日本政府に提示したのは、予定される2月26日のFEC第1回会議までになんとか既成事実を作りたかったからです。これこそ、外相間の約束から実体的組織の成立に至るまでのグレーゾーンの中に逃げ込む、ほとんど唯一の方法であったわけです。

 GHQの憲法案作成は占領管理のために天皇を利用するというマッカーサーの構想にしたがってGHQが犯した越権行為だったのです。

 「押しつけ改正論者」の中には、「GHQは天皇を人質に取って憲法改正を迫った、脅迫による行為は無効だ」という主張をする人がいますが、この時、GHQがバーターしたものは「天皇」と「憲法」というセットではなく、「日本が民主憲法を制定する事実」と「アメリカの日本管理の主導権」というセットだったのであり、その相手は日本政府ではなくFEC内の天皇糾弾派の国々だったのです。

 視野の狭い人は常に天動説を取るものです。いつでも自分が世の中の中心にいるのだというのは愚かな誤解です。そして、「押しつけ改正論」における「脅迫説」はまさに井戸のカエル並みの幼稚な議論です。

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 この問題に関する解答は以上なのですが、「押しつけ改正論者」の中には、なかなか面白いことを指摘する人がいます。

 戦争に関する国際法に
「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(ハーグ陸戦条約と呼ばれる)というのがあって、その付属書第43条を根拠に、GHQによる憲法案作成は、「国際法に違反する行為だから無効だ」と主張するのです。

 以下に、その条文を紹介します。

国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ

 カタカナまじり、濁点抜きの表記なので、わたしたちには読みにくいのですが、これがいわゆる公定訳なので、あえてそのまま書き写してみました。(公定訳:我が国が当事国になっている場合には、原則として、外務省が作成する「標準的訳文」が存在します。これを公定訳といいます)

 なるほどこれで見る限り、GHQの案文作成作業は、この条約の違反の疑いなしとしません。ただ、「絶対的支障」などの緩和条件を斟酌すれば、即、クロとも判定し難いようにも思えますけれども。

 
しかし、ハーグ陸戦条約の前文を読むと、

・・・交戦者相互間ノ関係及人民トノ関係ニ於テ、交戦者ノ行動ノ一般ノ準縄タルヘキモノトス

と書いてあります。つまり、この条約の適用範囲が現に交戦中の占領軍に対してであることは、明白です。

 「押しつけ改正論者」は、本来検討すべき前述のような国際情勢などの込み入った考察が苦手なのかもしれません。だから、形式論を振り回したがるのでしょう。それにしても、
法文の適用条件を確認しない主張はあまりにも迂濶な話、「木を見て森を見ない」たぐいで、これでは「視野狭窄」だと笑われても仕方ないでしょう。

§

 しかし、この国際法違反というりくつは、「押しつけ改正論者」にはよほど魅力があるのか、一般向けのプロパガンダ本にもけっこう書かれているようです。そういう本になると、読者が素人であることにつけこんでかなりひどいことをやるようになります。

 たとえば、
吉田和男という人の「憲法改正論−21世紀の繁栄のために」(PHP研究所:1996)の場合、陸戦条約の第43条を次のように紹介してあります。

・・・占領者は絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を遵守して、・・・

 つまり、正規の公定訳で「尊重」となっている箇所を「遵守」に書き換えているのです。

 いうまでもなく、「尊重」と「遵守」とでは、かなり大きなニュアンスの違いがあります。多分、自分の主張をより強調するためにあえてこんなことをしているのでしょう。こんなミミッチィごまかしを素人相手にやる吉田和男(天下の京大教授である由、ただし経済が専門らしい)という人間の品性が「押しつけ改正論者」のレベルを象徴しているのでしょうか。

 また、基本的な部分にチェックの行き届かないPHP研究所という出版社は、なんとお粗末な出版社なのでしょうか。
こういうPHPみたいな出版社の本には気をつけなくてはいけませんね。

 もちろん、政治的な配慮があって公定訳が意図的に不当な翻訳をしているなどということもあるかもしれません。もし、そうだとしたら、公定訳を採用しない理由と、自分の翻訳の考え方をきちんと明記することが、ものを書く人間の読者に対する最低限のマナーです。

 まあ、今回の場合、そのような明確な理由があるとは考えにくいところではありますが・・・。

<この項終わり>

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