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2011.04.27. 掲載
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目次
はじめに
バーリ周辺
アルベロベッロ
マテーラ
ナポリ周辺
サンタ・ルチア
カプリ島
アマルフィ
カゼルタ
まとめ
5月から海外旅行ができない事情ができたため、大急ぎで選んだ旅行先は南イタリアだった。19年前、銀婚の記念ではじめて海外旅行をした時も、ためらうことなくイタリアを選んだのは、ナポリ民謡やイタリア歌劇のアリアが好きで、子供の頃からよく歌ってきたこと、ルネッサンスの文化(絵画・彫刻・建築など)が好きだったこと、ゲーテが「君よ知るや南の国」と書いたように、ヨーロッパの人たちの憧れの国であったことなどが理由だと思う。私の海外旅行エンジョイ法にも、そのことを書いている。
その時の旅行で、その期待は満たされたが、ポンペイの遺跡を訪れてショックを受け、人間の歴史に強い関心を持つことになった。2000年ほど前に、一夜にして火山灰に埋もれてしまった地方都市が、発掘されてみると、現在の私たちとほぼ同じ生活をしている。非常に高度の文明、文化を持っていることを知ったからだ。
イタリアにはこれまで3回訪れているが、南イタリアはポンペイとナポリのほかは行っていない。今回の旅行では南イタリアと古代ローマの遺跡を巡ることを目的とした。この二つはまったく違う種類の旅であるため、「南イタリアへの旅」と「古代ローマの遺跡を巡る」に分けて旅行記を掲載することにした。
私としては「古代ローマの遺跡を巡る」に重点を置きたいので「南イタリアへの旅」は写真集として簡単にまとめることにした。
関空からローマ経由で南イタリアの玄関口「バーリ」に到着、そこからバスで「アルベロベッロ」に向かい、ここで宿泊した。
まるでおとぎの国に来たような気持ちになるアルベロベッロの町には、トゥルッリ(Trulli)と呼ばれる真っ白な壁に、灰色の円錐形の屋根を持つ建物が密集している。一部屋に一つの屋根で、屋根の取り壊しが簡単なため、税務調査の際に屋根を壊して「家でない」と主張するための方策として生まれたという説もある。世界遺産。
マテーラはサッシ(Sassi)という洞窟住居の町である。洞窟は凝灰岩の岩盤に掘られ、8世紀には修道士の住居にもなった。町の後ろの山には廃墟となったサッシが密集している。かっては、貧しい、現代の文明から取り残された人たちの住居であったという。ここで怨霊の雰囲気を感じてしまった。世界遺産。
ナポリはイタリア第三の都市であり、南イタリアの中心である。 ナポリの国立考古学博物館とポンペイ遺跡も訪れたが、それらは「古代ローマの遺跡を巡る」に掲載する。
車窓から見るナポリの街は、19年前に来たときと同じで、洗濯物が満艦飾ではためく、汚れた、活気のある都会だと感じた。しかし、サンタ・ルチア地区の卵城に面した海岸沿いのホテルから見た眺めからは、「ナポリを見て死ね」ということばが、分からないでもないという気持ちになった。
こどもの頃からよく歌ってきたサンタ・ルチア、遙かなるサンタ・ルチア、海に来たれ、帰れソレントへ、オ・ソレ・ミオ、マレキアーレ、マリア・マリ などのナポリ民謡(canzone napoletana)が頭に浮かぶ。ここが、あの歌たちの舞台なのだ。また、それらを歌ったテノール歌手エンリコ・カルーソーは、ここナポリで生まれナポリで亡くなった。
2000年前古代ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスが、8倍の大きさのイスキア島と交換してまで手に入れたいと熱望したカプリ島。多くの芸術家が感嘆した魅惑の島。ナポリからわずか30km、船で45分の距離にある。ビング・クロスビーが歌ってヒットしたカプリ島 Isle Of Capri のメロディーが頭に浮かぶ。
かって地中海に君臨したアマルフィ共和国の古都。碧い海と空、碧い海から続く斜面に白く輝く別荘群、レモンやオレンジが実り、ブーゲンビリアが咲く美しい海岸線。今回のツアー参加19名の内の8名(4組)が新婚さんたちであるが、一番のお目当てはここアマルフィであろう。世界遺産
カゼルタはナポリの北方約30kmの位置にある(図10)。ナポリ王国がヨーロッパで強大な権力を振るい、莫大な富と財産に恵まれていた頃に建設された都市である。ナポリ王カルロ7世(のちのスペイン国王カルロス3世)が敵の攻撃を直に受けず、ナポリに近い場所として、この地に政府の本拠地を置いた。
ヴェルサイユ宮殿を参考に王宮(Palazzo Reale)と王宮庭園(Parco Reale)が造られ、19世紀にはブルボン家の貴族たちが春と秋の離宮として利用しした。ゲーテもここを訪れている。ヴェルサイユ宮殿はこれまでに2回訪れたことがあるが、カゼルタ王宮と庭園の方が、シンプルで美しく、よほど品格があると思った。世界遺産。
「古代ローマの遺跡を巡る」をじっくりまとめたいため、大急ぎで南イタリア旅行のデジカメ写真やハイビジョンビデオから切り出した写真を編集し、写真集としてまとめた。慌ただしい作業であったが、それを終えてみると、予想以上の収穫を得ていたことが分かった。
南イタリア、特にナポリを中心とする周辺地域の観光のまとめ
1.君よ知るや南の国
海、山、空、気候など自然に恵まれ、ゲーテがミニヨンの歌の中に書いた「君よ知るや南の国、樹々は実り花は咲ける」と憧れた地であることを実感した。この歌はトーマの歌劇「ミニヨン」中で、君よ知るや南の国と歌われるアリアでもある。亡き母の愛唱歌であった。
2.新婚旅行
今回のツアー参加19名のうち8名(4組)が新婚さんであった。8年前に息子夫婦もここを選んだ。やはり、風光明媚なこの地はハネームーンに適しているのだろう。これまで海外旅行を14回経験したが、新婚さんと一緒だったのはエーゲ海クルーズでの1組だけである。そのご夫婦と今も年賀状の交換は続いているが、今回も1組のご夫婦とお付き合いが続けられそうな予感がする。
3.ナポリ民謡
こどもの頃からよく歌ってきたナポリ民謡の地を、この目で確かめられたことは、私にとって最大の喜びであった。そのナポリ民謡を世界に広めたテノール歌手エンリコ・カルーソは、ナポリで生まれ、ナポリで死んだ。
4.トマトとスパゲッティとピッツア
南アメリカから伝わったトマトを最初に生かしたのはナポリだと聞く。私は阪急三番街ができた頃から、新宿中村屋の「ナポリターノ」という熱々の煮込み麺が好物で、トマト大好き人間である。
ピッツアはナポリで生まれ、スパゲッティーもナポリを中心に広がったと聞く。スパゲッティはこれも熱々のペペロンチーノやボンゴレが好きで、イタリアでも美味しいボンゴレをガツガツ食べた。
海外旅行も終わりに近づくと日本食(うどん)を食べたくなるのが普通だが、今回はまったくその気持ちが起こらなかった。それは海鮮類が豊富で、味が日本人にも合っているためかも分からない。イタリアにはフランス料理店がないと現地ガイドが話していたのが可笑しかった。
6.複雑な支配の歴史と異種文化の混合
紀元前8世紀ころからギリシャの植民地、ローマ帝国、ナポリ王国、アマルフィ共和国、ノルマン、スペイン、フランスなどの支配下にあったため、さまざまな文化の影響がいろいろな形で残り、千の表情を持つとまで言われる。
7.貧しさと豊かさの共存
洗濯物を満艦飾に干し、ゴミの山のナポリ市内と、カプリ島やアマルフィのような豊かなリゾート地区が共存し、ヴェルサイユ宮殿よりもはるかに素晴らしいカゼル王宮と庭園がある。
8.ラテン気質
陽気で、大まか、楽天的な、いわゆるラテン気質は南イタリアの人たちが典型であるようだ。
9.古代ローマの証人
南イタリアでは、ナポリの国立考古学博物館とポンペイ遺跡も訪れたが、これらは「古代ローマの遺跡を巡る」の中で、古代ローマの証人としてまとめようと思っている。
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