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大腸がん手術後をどう生きるか

2018.06.16. 掲載
2018.08.23. 追加
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目次
1.はじめに
2.排便機能の回復
  2-1.望ましいと思う排便習慣の確立
  2-2.排便のメカニズムに対する疑問
  2-3.第3の自律神経系「腸管神経系」を知る
  2-4.腸管神経系のあらまし
  2-5.排便習慣という幻想を放棄
3.脚力の回復
4.貧血の回復
5.糖尿病治療
6.聴力低下への対応
7.がんの再発・転移
8.視力回復
9.人生の生き方
まとめ


1.はじめに

本年(2018年)に入って間もなく、大腸がん(上行結腸がん)に侵されていることが分かり、手術を受けた。がんの罹患も、がんに対する手術を受けたのも、今回が初めてである。それによってこれまでの生き方に変化があったか、あったとすれば、どのようなことかについて考えた。

がんの罹患を知ったとき、したいと思っていることを完了させるために、せめてあと4ヶ月の命が欲しいと願ったことを覚えている。4ヶ月あれば、突貫作業で何とか実現できるだろうと考えたのだった。

術後の回復過程の混乱の中で、生きることに追われたが、かけがえのないこの貴重な体験を記録に残して置きたく、妻にメモ書きを頼んだ。聴力低下が著しい私には付き添いが必要で、手術当日から退院の日まで妻の付き添い許可を病院から得ていたのだった。

退院して一区切りがついたところで、「大腸がん手術体験記」を書き、サイトに掲載した。これは退院後最初にしたいこと、しなければならないことで、それを終えることができてホッとした。

気持ちが少し落ち着いて、体力の低下に愕然とした。一番顕著だったのは脚力で、情けないほどに衰え、脚に力をかけられないのに困惑し、やせ細った大腿は見るのが苦痛だった。

これまでの生き方が変わったわけではないが、この状況下では「体力の回復」がしたいこと、しなければならないことであると直感した。

がんであることを知ったときにまとめておきたいと思っていたことは、術後の経過から推量すると、充分できそうに思える。それ以上に残りの人生を楽しみたいたいが、そのためには体力の回復が必要と考えた次第。


2.排便機能の回復

○2-1.望ましいと思う排便習慣の確立

上行結腸がんに対して大腸の約半分が切除されたのだから、回復を目指すのはまず排便機能である。排便のメカニズムを徹底的に勉強して理に適った方法を用い、経験的に有効とされていることも取り入れ、自分が望ましいと思う排便習慣を確立しようと努めた。

生まれてこのかた快眠、快食、快便が続いてきたが、腸の手術を受けてから便通が不規則になったので、決まった排便習慣を早く持ちたいと願ったのだった。具体的には、一日に1〜2回、普通便を排便するという習慣である。

大腸がん手術後から毎日の排便記録を書き始め、現在も続けている。術後15日目の3月1日から5月30日までの3ヶ月間の排便記録をまとめたのが表1である。

私は毎日1回の排便が望ましいと考えたが、1日2回までの排便、あるいは2日に1回の排便までは正常範囲と考えることにし、その便通習慣を獲得できるように努めた。

しかし、3ヶ月間の排便記録では、表1の通り、私が望ましいと考えた排便習慣は82%の達成でしかなかった。


表1.3ヶ月間の排便記録

○2-2.排便のメカニズムに対する疑問

排便のメカニズムについては、できる限りの勉強をして、それを取り入れ、望ましい便通習慣を得ようと努めた。しかし、いつも前ぶれもなく突然便通が乱れ、1日何回もの排便、あるいは排便停止が起こり、排便に翻弄されて困惑してきたのが実情である。

その状況下で、排便のメカニズムの説明に幾つもの疑問が出てきた。その一つが「便意」である。直腸に大便が入ってくると、直腸が膨らみ壁が引き伸ばされる。それにより、直腸壁にある圧力センサーが作動し、その情報が直腸から神経を伝わって仙髄にある排便中枢に伝えられ、さらに、この情報が延髄→脳へと伝えられて、脳で意識としての便意を催すとされている。

しかし、私の3ヶ月間の排便記録では、表2の通り、排便のあった場合の51%で便意がなく、腹圧をかける(いきむ)ことで容易に排便できたことを示している。


表2.便意と排便

そのほか、朝のコップ1杯の水を飲むことで起きるとされる「胃結腸反射」も、毎朝試みたが、その反射を実感したことはほとんどない。

○2-3.第3の自律神経系「腸管神経系」を知る

世に広く伝えられている排便のメカニズが、私の排便記録とは合わず、合理的な説明ができないことから、疑問をいだき、いろいろ調べているうちに、交感神経、副交感神経系の自律神経系の他に「腸管神経系」という第3の自律神経系が存在し、科学の世界で認められていることを知った。

「腸管神経系」についてwebサイトに公開された記事は少ないが、脳科学辞典に記載された「腸管神経系」の記事ががよくまとまっている。他には、「腸管神経叢の形態」の演題で、第25回日本小児外科学会総会特別講演IIで、山梨医科大学解剖学第一講座の小林 繁教授が話された講演記録が参考になった。

図書では、1991年 岩波書店刊の岩波新書「腸は考える」藤田恒夫著と、2000年 小学館刊の「セカンドブレイン」M.D.ガ−ション著古川奈々子訳が参考になった。

 
図1.藤田恒夫著「腸は考える」 図2.M.D.ガ−ション著 古川奈々子訳「セカンドブレイン」

○2-4.腸管神経系のあらまし

J・N・ラングッリー(J.N.Langley)は、1921年に出版した著書「自律神経系」の中で、自律神経系を交感神経系、副交感神経系および腸管神経系に分類した。表3に神経系の分類を載せる。


表3.神経系の分類

自律神経系の一部をなす腸管神経系は、図4の通り、食道から肛門までの消化管壁に内在する神経ネットワークを構築し、縦走筋と輪走筋との間に位置する「筋層間神経叢」と、粘膜下組織に位置する「粘膜下神経叢」からなる。

腸管神経系は、交感神経系や副交感神経系をはじめ、中枢神経系とも緊密に連絡しており、生体全体の生理的制御を行う中枢神経系と協調しながら、消化管における局所的制御を行っている。

一方、腸管神経系には固有の反射弓が存在し、中枢神経系を介さずに消化管機能を制御できることから「第二の脳」とも呼ばれ、末梢神経系において局所的に自律機能を制御することのできる複雑な神経回路網を有している。

つまり、消化管における様々な物理的・化学的変化を検出し、その情報を統合し、出力を消化管平滑筋や粘膜上皮などの各種効果器へ伝えることができる。

消化管壁内に存在する腸管神経系は唯一、末梢神経系で反射弓を構成する神経系である。そのため、消化管は副交感神経や交感神経などの支配がなくとも、物理的・化学的刺激に応答して蠕動反射や電解質・水分泌反射を誘発することができる。


図4.腸管神経系

○2-5.排便習慣という幻想を放棄

大腸がんの手術を受け、退院してから3ヶ月間、望ましい排便習慣を確立しようと努めてきたが、いつも前ぶれもなく突然便通が乱れ、1日何回もの排便、あるいは2〜3日続く排便停止が起こり、排便に翻弄されて困惑してきた。

神経系には「腸管神経系」という、脳や脊髄という中枢神経系から独立して、物理的・化学的刺激に応答して蠕動反射や電解質・水分泌反射を誘発することができる神経系があることを知り、「腸管神経系」が取り入れられていない排便のメカニズムを使って排便習慣を確立しようと努力することの無意味さを悟った。

排便ほど変化に富み、外部の影響を受けやすい身体機能はないと聞く。大腸の半分近くを切除されたあと、新しい状況に適応するために、便通が乱れることはあり得ることと思える。よほどの苦痛があるのでなければ、排便の乱れは許容範囲と考えることにした。

私が望ましいと考えた1日2回までの排便、排便なし1日の基準を、1日3回までの排便、排便なし3日間までに広げると、私の3ヶ月間の排便記録の94%が基準内に収まる。

このようなわけで排便習慣の確立しようという根拠のない幻想を放棄した。

排便習慣を確立するために苦労をしたが、そのことによって「腸管神経系」を知ることができたことは、私の生涯で最も感動した物語である。ルネッサンス時代に科学的根拠に基づいて天動説を唱えたコペルニクスやガリレオのように、「腸管神経系」に関わった科学者たちは、蔑視、無視、冷遇の中で研究を続け、科学の世界で認められるようになった歴史を知ると、素晴らしいと思う。

「腸は考える」の著者 藤田恒夫は日本の研究者、「セカンドブレイン」の著者 M.D.ガ−ションは米国の研究者で、いずれも良書である。


3.脚力の回復

大腸がんで入院手術を受け、退院して一番体力の衰えを自覚したのは脚力だった。脚は使わないと廃用性萎縮によって急速に衰え、やせ衰えることを現役医師の時代によく見てきたが、自分の場合もそれは見事に当てはまり、大腿は見るのがつらいほど痩せ細り、床に腰を下ろすと簡単には立ち上がれない。

2007年から夕方のウォーキングを続けてきたが、最近は1区間の距離にある梅田まで、地下鉄を利用することが多くなっていた。しかし、術後の脚力の低下が余りにも著しいので、退院後は特別な事情がない限り、毎日のウォーキングを再開することに決めた次第である。

退院後3ヶ月間のウォーキングのデータを表4に示した。最初の1ヶ月の平均歩数は3500歩だったが、2ヶ月目には5000歩となり、3ヶ月目は6100歩に増えている。結果として脚力の改善を少し自覚できるようになった。

このウォーキングは、脚力の回復という本来の目的のほかに、多くの余得を与えてくれた。それを数え上げてみると、安全な歩き方の練習、天候や時間に応じたコース選び、好きな街の風景の発見、昼食やコーヒブレークの店探し、写真に残して置きたい風景を選び、ライブラリーを作る、ウォーキング日記を書くなどが思い浮かぶ。


表4.3ヶ月間のウォーキング記録


4.貧血の回復

私の場合、大腸がんの発見のきっかけは、高度の小球性低色素性貧血であった。これはほとんどが鉄欠乏性貧血である。その原因であったがんは切除され、術前に輸血も受けていたが、退院時になお「小球性低色素性貧血」は続いていた。

この貧血を改善するため、食事療法で重点的に鉄分を補給することを試みたが、血色素量の回復速度はかなり遅い。そこで、鉄剤(フェロミア)の服用も併用している。

鉄剤を服用すると、大便がグロテスクな黒色となり、気持ちが悪いので、食事療法だけで治そうとしたのだった。しかし、食事療法だけでは時間がかかりそうなので、早く回復したくて薬剤療法を併用したというわけである。鉄剤の効果は思いのほか早く現れ、ウォーキングの際の息切れがなくなった。


5.糖尿病治療

2007年ごろから糖尿病があり、今回の大腸がん手術までは、メトグルコ錠9錠分3で服用してきた。術後はS病院内分泌代謝内科の指示でメトグルコ錠4錠分2を服用している。

手術で衰えた体力の回復のため、食事は質、量とも栄養を中心としていて、糖尿病に対する配慮はほとんどしていない。そのことも影響して、HbA1cは少し高めであるが、脚力、体力の低下が改善されれば、糖尿病の治療に力を注ぎ、HbA1cが7を切る程度のコントロールをしようと考えている。


6.聴力低下への対応

70歳ころから聴力低下が始まり、78歳で補聴器を装着、80歳時には、聴力低下が著しいのでコーラスを退団し、会話がうまくできないことから、いろいろな集まりへの参加を控えるようになった。

こどもの頃から声を張り上げ、カンツォーネやオペラのアリアを歌い、自己陶酔することが楽しみだったが、80歳を過ぎたころから自分の声が変に聴こえるようになり、独りで歌うこともしなくなった。

私は小さい頃から、しかたがないことはしかたがないとあきらめることのできる性分だが、この自己陶酔するすべを失ったことは大きなストレスになった気がする。

1962年から2005年までの43年間を臨床医として生きてきた。その間に得た一番大きな仮説は、「ストレスは病気の大きな原因となる」である。つまり、すべての病気の発病、病状経過に対してストレスは関与している、がんについても、ストレスが大きく関与しているとの仮説を持った。

がんが発生してから症状が出るまでの期間について、最近の研究では図5のように、がんは発生から10年〜20年かけて 0.01mm から 1cmほどの腫瘤になり、1〜5年の育成期を経て増殖期に入り、がんは瞬く間に大きくなっていくと言われている。


図5.がんが発生してから症状が出るまでの期間 出典

ストレスが、がん細胞をアクティベートして、例えば、1mm から1cm になる際に、ストレスは関与するのではないかと私は思っている。

今回の大腸がんの発生をアクティベートしたストレスは、好きな歌を歌い自己陶酔を楽しむことができなくなったことだと思っている。

大腸がん手術を経験したあと、駄目でもともとの気持ちから、補聴器の進歩を期待し、耳鼻科補聴器外来を通院することに決めた。これまではO病院耳鼻科補聴器外来で診療を受けてきたが、現在はがんの手術を受けたS病院を訪れる機会が多く、紹介状を書いていただき、S病院耳鼻科に転医した。


7.がんの再発・転移

手術を受けた大腸がんはステージIIIaの上行結腸がんであった。5年生存率は約80%とされているが、あくまで統計的な確率が80%ということで、5年生存が保証されたわけではない。

私は50歳ころから自分の死亡時期を70歳と想定して生きてきた。それ以上に命があれば、それからはオマケの人生としてきたが、そのオマケを10年以上もいただける幸運に恵まれた。

今回大腸がんと診断され、手術を受けることを決めたとき、できることなら4ヶ月は生かして欲しいと思った。まとめ始めていた「結婚50年記念アルバム」を完成するために最低それだけの時間が必要だと計算したのである。

手術の結果から、もう少し寿命をいただけそうな気持ちになっているが、新しいことを始める気持ちは更々ない。ゴールが迫り、人生まとめの時期に生きていることを重々自覚しているからだ。

今回の大腸がんの再発・転移も、ゴールに関係する可能性はある。その発見のためのサーベイランス(定期検査)の日程が決められている。第1回目は退院後2週間目、2回目は退院後6週間目だった。次回は25週目が指定されている。

早期発見、早期治療を期待しているわけではないが、この定期検査は、手術を受けた者の義務だと思い、今後も続けて受けていくつもりでいる。


8.視力回復

2014年に白内障の手術を受け、視力は回復したが、先月末の術後定期検査で、右眼の「後発白内障」が発生していると診断された。これは白内障の手術の際に残しておいた水晶体の後嚢が、濁ってくるために起こるとの説明を受けた。

レーザーを使って後嚢の濁った部分を切り取る治療が外来通院で可能とのことで、今はほとんど不自由を感じていないが、近く手術を受けるつもりでいる。


9.人生の生き方

大腸がん手術後も、「したいことをして、生きていることを思い切りエンジョイしよう」という私の人生の生き方に変わりはない。ただし、それを達成するために必要な問題が生じたので、それに対して、どのように対処してきたかをまとめたのが、この「大腸がん手術後をどう生きるか」の記事である。


まとめ

1.人生最後の区分である老年期に、大腸がんという体験をすることができたことをありがたく思う

2.この貴重な体験を大腸がん手術体験記として、このサイトに掲載した

3.この体験の結果生じた問題に対し、どのように対処してきたかをまとめたのが、この記事である

4.「完全なる一生は青年、壮年時代と同様に老年時代も含んでいる」というモームのことばに同感する
  老年期を持つことができた幸せに感謝する

<2018.6.16.>掲載


右眼の「後発白内障」に対して、本日外来でレーザー治療を受け、右目ではかすんで見えた状態がすっきり改善、白内障手術を受けた時と同じきれいな世界に戻った。嬉しい

<2018.8.23.>追加





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