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私の人生の歩み方

2018.01.10. 掲載
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80歳頃から、体力の低下を自覚するようになり、老年期に入ったことを知った。そこで自分の人生をまとめて記録に残すことにした。

まず最初に、「野村 望 年譜」を書き、次いで、ストーリーのある「運は時なり物語」、顔写真による「顔貌の年齢変化」、服を着た状態の自分史「私の服装60年」を書いた。その4件の記事はこのWebサイトに掲載している。

これらはいずれも、私が人生を歩んだ結果をまとめたものである。

それに対して、私の生き方、人生の歩み方、人生の目標についても、まとめて書いて置くことにした。

私は自分の人生区分を表1のように考えている。

表1.私の人生区分

幼年期 少年期 思春期 青年期 壮年期 老年期
0歳〜 7歳〜 13歳〜 19歳〜 40歳〜 80歳〜

少年期の11歳の春、3歳年下の妹が麻疹に罹り、3日で亡くなった。仲の良い可愛い妹が突然死亡したことは、生きることを真剣に考える強い動機となった。人は死ぬ。それがいつかは分からない、それならどうしたら良いのか?

青年期の初め頃、生きる価値の基準として「生命の発揮」を思いついた。生命あるものは、その命を精一杯発揮し、充実して生きようとしているように見える。人の「生命の発揮」とは、単に生きているだけでなく、その生きていることを喜び楽しむことで、具体的には、自分のしたいことを目一杯するということと同じと考えた。

青年期の中頃、医局の身上調査票に「死ぬ時に悔いのないように生きたい」と書いた。

青年期の終わり頃、生きる目標として「したいことをする」を掲げた。生きている限り、したいことをして、生きていることを思う存分楽しみ、悔い少なく死にたいという意味である。

それには「しなければならないことをする」が伴うと考えて実行してきた。つまり、欲求には義務が伴うという考えで、それを私の行動原理としてきた。

欲求(したいこと)を私は1.基本的欲求、2.受動的欲求、3.能動的欲求の3種類に分けて考えてきた。

  基本的欲求:配偶者、歌、酒、衣食住など
  受動的欲求:鑑賞、受講など
  能動的欲求:作る、構築、設計、記録、まとめなど

人間が生きていく上で、なくてはならぬ欲求を「基本的欲求」としたが、その中で「配偶者」は、かけがえない最重要な欲求、「歌」「アルコール」も重要だが、「衣食住」については、世間並み程度で満足できると考えた。

誰かにしてもらうという「受動的欲求」は、私の場合、全体的に少なく、音楽・美術・映画鑑賞もあまり多くはない。講演の聴講はほとんどない。高齢となって、能動的欲求が得られなくなった時に備えて、鑑賞するための映画のDVDやブルーレイを蒐集することをしてきたが、老年期に入った今もほとんど使っていないので、これを実際使う場合は少ない気がする。

私が最もしたい欲求は「作る」「構築」「設計」「記録」「まとめ」などで、これは記憶の残っている少年期から、変わらず続いている能動的欲求である。

少年期からエンジニアに憧れ、大学の工学部を志望してきたが、高校2年のとき、肺結核の両親から懇願され、不本意ながら医学部に志望を変更した経緯がある。

青年期の終わりころ、大学紛争によって阪大病院は大荒れだった。その中に居て、自分がしたいことを思う存分することのできる環境を求め、阪大第一外科医局を辞し、心臓外科専門医から開業一般医に転向した。

私の開業について、大手S製薬のプロパーY氏は「信者のような患者はできるだろうが、流行らない」と太鼓判を押してくれた。乗用車として、中古車でなく新車をはじめて購入したら、手持ち資金はゼロとなった。

そのような状況にありながら、心は楽しく、自分がしたいように開業の準備を進め、医療業務は順調に進展して行った。

しかし、私がしたいことは医療業務ではない。医療業務は私がしたいことをするために支払わなければならない代償、義務と考えてきた。

したいことをする」、そのためには「しなければならないことをする」というのは、先に書いたとおり、私の行動原理で、しなければならないことというのは、医療業務とほぼ同じである。

「しなければならないことは、したいことに優先する」「しなければならないことは、したいこと以上に力を注がねばならない」と自分に思い込ませ、そのように生きてきた。

医療業務は、しなければならいことと考えてきたが、医療業務の中にも、したいことがたくさん見つかり、その実現にに取り組んだ。その結果は医療関係論文医学学術論文にまとめて記録している。

私の壮年期は40歳から始まった。私の生き方もこの年からほぼ定まったように思う。節目節目を大切にし始めた年であり、阪大第一外科在局中のまとめとして、医学博士の学位を取得した年でもある。

壮年期の終わり近く、69歳で医業を息子に引継いでリタイヤし、交野市から大阪市に転居した。しなければならない医業から開放され、したいことをするのに専念できて非常に幸せである。

これまでの81歳の人生をふり返ってみて、したいことがなくて退屈したという記憶はなく、40歳以上の壮年期からは、次々としたいことが湧き出てくるというか、したいことをどんどん思いつく状態で、喜んでその解決に取り組んだ。

1996年8月に自分のWebサイトを開設して以来、したくてしてきたタイトルの多くを、このサイトに掲載してきた。

それには、更新歴という掲載順の時系列配列と、サイトマップというカテゴリー別の配列の二つの表示方法を併用した。

更新歴には、掲載したが削除したタイトルを黒色細字で、削除せず残しているタイトルを青色太字で表示した。これまで掲載した記事は674件、現在も掲載中の記事は451件である。

最新の更新記事を知りたい場合、トップページにある青色太字の「最新の更新」をクリックすれば、最新記事の数件〜約20件のタイトルが表示される。そのタイトルをクリックすると、記事が表示される。

トップページはサイトマップの概略版といえるもので、8個のカテゴリー名とそれに属する76個のサブカテゴリー名が青色太字で表示されている。私がしたくてしてきたことのカテゴリー一覧である。

サブカテゴリーの青色太字をクリックすると、そのサブカテゴリーに属する記事のタイトルが表示される。そのタイトルをクリックすると、記事が表示される。

私がしたくてしてきたことの多くを、このサイトに記事として掲載してきた。しかし、プライバシーなどの関係から、このサイトに掲載できない記事はもちろんある。

したいことをして、生きていることを思い切りエンジョイしようという私の人生の歩み方は、私には適していたようだ。青年期の中頃から思ってきた「死ぬ時に悔いることが少ない」は満たされそうに感じている。

これからは、老年期をゆっくり楽しみながら、静かに人生を終えることができることを望んでいる。


<2018.1.10.>


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