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スピリチュアリズム文書
スピリチュアリズムには、数多くの書籍がありますが、それなりの値段がしますし、既に廃刊されていて入手困難な場合もありますので、それらを独自に作成・編集したものを公開・紹介するものです。
スピリチュアリズムとは? その内容を知る・調べる・勉強する為の資料をご提供するのが本サイトの目的です。
それからどれも大作の書籍ばかりですので1ページに展開するととても読める代物ではありません。
そこで「章」或いは「節」に分割して表示させることにしました。
「スピリチュアリズムの本当の目的は、死後にも永遠の生命があるという事実のもとで――「地上でどのような生き方をすべきか」を説くことなのです。地上人類としての正しい生き方、日常の心がまえ・考え方を教えることが、スピリチュアリズムの本来の目的なのです。」
【著作権】:発行後、既に何十年も経過している内容の書籍ばかりですので問題はないはずです。霊媒や翻訳者は既に地上での生活を終えた方ばかりですからね。
スピリチュアリズム(霊的知識)の認知:
スピリチュアリズムは何故、一般に認知されないのでしょうか? それは霊界側が望んでいないからのようです(証明を拒んでいるふしがある)。
霊的な知識は、それを獲得する人間の魂の成長の度合いに応じてというのが大原則です。
時期が来た人から受け入れて、時期が来ないと受け入られないで拒否するからです。人間に与えられている「自由意志」は高級霊といえども緩衝することは許されていませんから。
もしも科学的に霊界(死後存続)があることが証明された場合にどのようになるのでしょうか?
科学的に完全に証明されるということは、霊界(霊魂)の存在についてそれを認めないことが出来なくなる。つまりそれを認めることを強制されることになります。
科学がもたらす悪い側面を心配・考慮する、気持ち・配慮が大きいのだと思います。
ですので、拡散するべき時期が来れば霊界側が本格的にテレビなどで宣伝活動をおこなうようになるはずです。
従って現状のまま、つまり、一人また一人と受け入れる準備の出来た人が増えていけば良いのでしょう。
霊的教師症候群(グル・シンドローム):
スピリチュアリズム関連のYouTube等には、「スピリチュアル・ビジネス」や「預言者」が溢れかえっておりますね。
彼(彼女)らは「利益」と「評判」を得るために「自分自身を世の光」としているわけです。
M・H・テスターは、
『それより何より私は、一般の霊能者が安易に人類の教師や救済者たらんと目差すことによって生ずる弊害をひそかに予感し、憂うるのである。』と言っています。
スピリチュアリズム内部の敵:
シルバーバーチは次のように述べています。
「率直に申し上げて、スピリチュアリズムの最大の敵は、外部ではなく内部にいる──つまり、生半可な知識で全てを悟ったつもりでいる人たちが、往々にして最大の障害となっているように見受けられます。
悲しいことに、見栄と高慢と煩悩が害毒を及ぼしているのです。初めて真理の光に接した時の、あの純粋なビジョンが時の経過とともに色あせ、そして薄汚くなっていくのを見て、何時も残念に思えてなりません。一人ひとりに果たすべき役目があるのですが・・・」
「そうとは知らずに行なっている人はまだしも、問題は、中途半端な理解で終わっている人たちです。根本原理をよく理解せずに、自己顕示欲に動かされ、混乱と迷惑のタネをまき散らします。
わたしたち霊団側としては、霊的真理を普及することと霊力の威力を発揮することにしか関心はありません。霊力というものが、条件が整いさえすればいかに崇高で驚異的なことを成就せしめるかは、ここで改めて申し上げるまでもないことでしょう。」
〝自己責任〟の概念
シルバーバーチの霊訓から、
「原因と結果の法則、いわゆる因果律を、何か魔法でもかけたように欺くことができたり、自分の行為が招く結果をだれかに背負わせて利己主義が生み出す苦しみを自動的に消してしまうことができるかに説く教えは、すべてこの項目に違反します。
スピリチュアリズムの教えの核心に、この〝各人各個の責任〟の観念があります。自分がこしらえた重荷は自分が背負わねばならないという、基本的原理を知らねばなりません。
それは、自分の人間的不完全さを取り除き、内部の神性をより大きく発揮させるためのチャンスであると受け取るべきだということです。いかなる神学的教義、いかなる信条、いかなる儀式典礼をもってしても、罪人を聖人に変えることはできません。」
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私も初めて真理を知った時の感動は薄れてしまいましたが、「道理に反することはしない」ことは間違ってはいないと確信出来る根拠を持てるようになりました。例えば、いい年をした人間が、他人がやっているから私も万引きをしないと損だなどと考える事はなくなりましたからね。
これって「自己顕示欲と利己主義」のフルスロットルと言う恐ろしい状態ですが、道義心に素直に従えば避けられることです。
ですので、馬鹿正直に道理に従って生活する、それだけで十分ではないでしょうか。
これを違う表現にすると「ストイックに生きる(禁欲的な生き方)」です。これ簡単なようですが厄介だったりします。
そこで、感動は薄れてしまいましたが、その分知識が増えましたので有効に使う必要が有る分けです。そう実践しなかったら意味がありませんから。
シルバーバーチの霊訓から、
「その方にこうお伝えください――精神的にも霊的にも自己を厳しく修養し、生活のすべての側面を折目正しく規制し、自分は本来は霊であるという意識をもって、行動のすべてに霊の優位性を反映させなさい、と。
霊の優位性の自覚にもとづく修養的生活――これが最高の生き方です。既成のテキストはいりません。魂の成長ということだけを心がければいいのです。大霊からいただいている霊力が顕現し、人間が勝手にこしらえた教義への盲目的信奉者とならずにすみます。」
それから、万引きをしている人は大した罪じゃないと考えているのでしょうが、他人に迷惑をかけて物欲を満たしている分けですので、かなり重そうです。
アラン・カルデック 霊との対話-天国と地獄Ⅱから、
「霊界においては、あらゆる美徳に対して喜びが与えられるのと同様に、あらゆる悪徳に対して苦しみが与えられる。人間の法律は逃れられても、神の法律を逃れられる者はただの一人もいないのである。」