「技術」とは ムズカシサを乗り越える方法である。この些論で主張している 生産性の向上に
は、技術が不可欠である。現在 日本の製造業は、GNPの23.5%で 正味の付加価値を稼ぎ出
し、その他の76.5%の流通・サービス・その他の非製造業は、その再配分で収入を得ると同時
に 製造業のお客として消費に貢献している。そういう それぞれの業種から政官の、国民(人
間)の生活に対する分担の意味を 今まで本気で考えたことはなかった。
世の中の企業間の取り引きには 発注者と受注者がいて、なんだか 発注者が威張っている。
国際的には 貿易摩擦があるし、個人でも買うヤツは 売るヤツよりも強いと相場が決まっている。
なぜ 「お互いサマ」ということににならないのか、という 疑問はあった。まあ人間だから その場
の金銭欲や権力欲もあって良いと思う。しかし そこで行き止まりというのでは、あまりにも テツガ
クがなさすぎる。せめて 我欲は、本当のことを知っての上で 出してもらいたいものである。
ここでまた 小室直樹の「国民のための経済原論」だが、安さんは その「比較優位による分担
説」を読んで、初めて 技術の意味を納得することができた。その要点は 次の通りである。
簡単なモデルで アメリカと日本の生産の分担を考える。
<人数> <生産性> <各自生産高>
米 自動車 米 自動車
アメリカ 2人 1T/1ケ月・人 1台/3ケ月・人 12T 4台
日 本 2人 1T/2ケ月・人 1台/4ケ月・人 6T 3台
合計 18T 7台
このモデルでは 日本は、米も自動車も アメリカより生産性が低いが、その低さ加減は 米の
方が自動車より一段と低い。両方低いにしても どちらの生産性が優れているかといえば自動
車の方が優れている、こういう関係を 「自動車の方が 比較優位にある」という。ここでもし アメ
リカと日本が、お互いが得意なモノの生産を 分担したらどうなるか。次の 結果を見て欲しい。
<特化生産高> <調整生産高>
米 自動車 米 自動車 左の 各国が得意なモノに
アメリカ 24T 0台 21T 1台 特化した生産高を、上記の
日 本 0台 6台 0T 6台 各自生産高と比較するた
合計 21T 7台 め アメリカが1台だけ自動
車を造ったのが、右の 調整生産高である。特化によって 米の生産高が増えていることが判る。
小室直樹は学者だから 「現実には ここに挙げなかった条件で、このようには ならない」と、
せっかくの算術を フイにするようなことを述べている。しかし 簡明な算術で出る結果は、それが
過去に実現しているかどうかに拘わらず、好ましいことであれば われわれの努力目標にして良
いのである。すなわち 「生産者が 比較優位で生産を分担すれば、世界(その受発注の
組み合わせ−グループ)の富が増える」のである。 《42.1へもどる》
ひとりの人間が ナニモカモ出来る訳はないし、それぞれに生きる権利があり 得意な分野を持
っているならば、技術は正に このように特化して使われなければならない。逆に 言えば、技術
でメシを食っていて 特化できる内容が無いのでは存在価値がない。恥ずかしいこと である。
最近は ソフト化だのアウトソーシングだのと手を汚すことを嫌うが、自身の手に最小限の技術
がなければ開発はおろか発注の管理も出来ない。技術は固有技術に限らず 管理技術も特化
の材料になる。例えば 納期なども売れる時代なのである。
[提供可能資料]
-----------------------------------------------------------(些論 ver7.1)-----