第31回江戸歴史散歩交流会
六本木ヒルズ&麻布十番商店街
◆開催日 第一開催日:2006年4月 9日(日) 第二開催日:2006年4月15日(土) 第三開催日:2006年4月16日(日) ◆集合地:地下鉄日比谷線広尾駅徒歩1分 広尾プラザ一階 ◆出発時間:午後13時00分 ◆参加費 :1人1,500円 ◆解散場所:麻布十番温泉前 ◆解散時間:16時30分 ◆申込人数:第一開催日:先行28名 後行30名 第二開催日:先行19名 後行26名 第三開催日:35名 ◆散策コース(概要) 広尾プラザ →広尾稲荷神社→ナショナル麻布マーケット→有栖川宮記念公園→ドイツ大使館→麻布運動場(トイレ) →東京ローンテニス→天真寺→パキスタン大使館→西町インターナショナルスクール→アルゼンチン大使館 →安藤記念教会→氷川神社→仙台坂→大韓民国大使館→仙台坂下→善福寺→パティオ十番=きみちゃん像 (童謡『赤い靴』のモデル)→大黒坂→賢崇寺(肥前佐賀藩鍋島家墓所)→大法寺(大黒天) →一本松の碑、暗闇坂 →狸坂→セントメアリー教会→南アフリカ大使館公邸→乃木希典生誕の地→専称寺→桜田神社(寿老人) →鉄人・石鍋シェフの店迎賓館→星条旗新聞社→ホテル六本木(『なんとなくクリスタル』に登場)→天祖神社 →六本木ヒルズ(トイレ・休息)→コールド・ストーン→ハードロックカフェ→鳥居坂→於多福坂→永坂 →十番稲荷神社→永坂更級(蕎麦)→浪花家総本店(鯛焼き)→豆源(揚げおかき)→麻布十番温泉→総本家更級堀井(蕎麦) →解散
有栖川宮記念公園−−−−−−−ハードロックカフェ−−−−−−−善福寺
⇒有栖宮記念川公園の低地から ⇒南部坂を上り、台地の上へ。 ⇒ドイツ大使館を横目に都立図書館の脇を通り、 港区運動場からお屋敷街へ。 ⇒フィリピン大使館に ⇒西町インターナショナルスクール、 ⇒氷川神社に ⇒アル ゼンチン大使館が ⇒一本松坂の道を進み、 ⇒仙台坂を下ります。 ⇒韓国大使館の先で左折し、元アメリカ公使 館に使われた麻布きっての ⇒善福寺へ。 ⇒麻布十番商店街のパティオで、「赤い靴」に唄われたきみちゃん像 (♪異人さんに連れられて行っちゃったはずのきみちゃんは、なんと外国に渡らず、その事を養女にした親も知らない まま、肺炎にかかり孤児院で9歳で亡くなった)を見たら、 ⇒大黒坂を上る途中にある、 ⇒佐賀鍋島藩の菩提寺賢 崇寺へ。 次は、港区七福神のうち大黒天が祀ってある ⇒大法寺。 ⇒大黒坂を登り切ると、先ほど通った一本松坂の下、 ⇒暗闇坂の上に出て、そこを横切り ⇒狸坂を下ると、次は ⇒狐坂の上りです。狐坂途中で脇にそれ、 ⇒南アフリ カ共和国大使館脇にでると、六本木ヒルズ住居棟が目の前に迫ります。お洒落な教会と、カラフルな遊具のある公園か ら、ヒルズ前に出て、七福神のひとつ ⇒桜田神社へ。 ⇒沖田総司の墓のある専称寺前の坂を少し下ると、ラオス 大使館が。その先を右折し、料理の鉄人・石鍋シェフの ⇒迎賓館前から、六本木通りを横切り、坂を下って星条旗新 聞社がある事から名付けられた ⇒星条旗通りへ。 再び少し坂を上ると、「なんとなくクリスタル」(田中康夫・著)に 登場する ⇒ホテル六本木が。再び星条旗通りに下ると、防衛庁と並ぶ再開発中の東大研究所と日本学術会議の跡地に 建つ、政策研究大学院大学や国立新美術館などの洒落たビルが。七福神のひとつ ⇒天祖神社から、六本木交差点に出 たら、再び⇒六本木ヒルズへ。トイレ休憩を兼ねて、解散後に中を歩きたい人はヒルズの案内冊子をもらってください。 麻布十番の ⇒浪速家総本店の鯛焼きと並ぶ、六本木ヒルズの行列店、アイスクリームの⇒コールド・ストーン前を、 ピラミデ方向に進み、 ⇒芋洗い坂を横切り、世界中にチェーン店がある ⇒ハードロックカフェ前の路地を抜けると、 ⇒鳥居坂に。東洋英和女子学院の幼稚園・小学校横に建つ ⇒鳥居坂教会で左折する と、フィリピン大使館の先で ⇒於多福坂を下り、永坂に合流。七福神のひとつ ⇒麻布十番神社から、麻布十番の地 名の謂われの書かれた碑のある、 ⇒永坂更級総本店から十番商店街を歩いて、揚げおかきの豆源前から、 ⇒十番温泉前で解散。
関内駅【出発】→港町魚市場跡→くすのき広場→ベイスターズ通り →神奈川県電気発祥の地→横浜ベイスターズ優勝記念モニュメント→横浜公園【トイレ】 →ブラントンの胸像→玄武門→(北門通り)→中華街 《善隣門→(長安道) →明治時代の下水管(煉瓦造り)→西洋歯学発祥の地→地久門→(関帝廟通り) →日本国新聞発祥の地→関帝廟→天長門→媽祖廟→(南門シルクロード)→朝陽門》 →(本町通り)→横浜天主堂跡→日本洋裁業発祥顕彰碑→ヘボン博士邸跡 →山下公園【トイレ】→《リカルテ将軍記念碑→日米友好ガールスカウトの像→カモメの水兵さん →赤い靴履いてた女の子像(キミちゃん)→西洋理髪発祥の地→インド水塔》→(山下公園通り) →英一番館跡→開港広場→日米和親条約締結の地→→横浜開港資料館【休憩・見学】→横浜海岸教会 →登録有形文化財マンホールと下水道→(大さん橋通り)→電話交換創始の地→消防救急発祥の地 →旧居留地消防隊地下貯水槽遺構→(日本大通り)→電信創業の地→外国郵便創業の地→神奈川運上所跡 →(海岸通)→横浜税関《クィーンの塔》→(みなと大通り) →神奈川県庁《キングの塔》→(みなと大通り)→横浜市開港記念会館《ジャックの塔》 →横浜商工会議所発祥の地→岡倉天心生誕の地→横浜町会所跡→(南仲通) →生糸貿易商中居屋重兵衛店跡→神奈川県立歴史博物館→(馬車道) →写真師・下村蓮杖顕彰碑→日本最初のガス灯→太陽の母子《アイスクリーム発祥の地》 →(六道ノ辻通)→牛馬飲水槽→近代街路樹発祥の地→ブラントンと横浜→鉄(かね)の橋 →史跡・吉田橋関門跡 →関内駅解散
中華街牌楼(ぱいろう)−−−風水に基づいて造られた牌楼は、03.2.1に完成 全部で11ある
明治時代の下水管−−−プラントンが施設した陶管下水道は、明治14年(1881)、煉瓦造りに改装
西洋歯学発祥の地−−−米国人ウイリアム・イーストレーキ博士が、明治15年頃、山下町に診療所を開設
新聞発祥の地−−−元治元年(1864)ジョセフ・ヒコこと、浜田彦蔵が外国新聞を翻訳・編集して、日本初の邦字新聞「海外新聞」を発行
メダリオン−−−明治29年(1896)に建設されたフランス領事館外壁装飾
関帝廟−−−三国志の英雄・関羽を祀ったもので、世界中の中華街に必ずある忠誠と正義の英雄は、商売繁盛の神として信奉を集めている
媽祖廟−−−28才で亡くなった実在の人物媽祖は人間から神様となり、海の神様として祀られている
横浜天主堂跡−−−文久元年12月(1862)に建てられた、近代日本初のカトリック教会
洋裁業発祥顕彰碑−−−文久3年(1863)、英国人ピアソン婦人が居留地97番地に、ドレス・メーカーを開設した
ヘボン博士邸跡−−−米国の宣教師として開港直後に来日、日本初の和英辞典『和英語林集成』を出版「ヘボン式」の元になった
横浜ボウリング場発祥の碑−−−元治元年(1864)、外国人居留地内に、長崎に継いでボウリング・サロンが開設された
クリーニング業発祥の地−−−文久元年(1861)頃、渡辺善兵衛が西洋式の洗濯業を開業
リカルテ将軍記念碑−−−フィリピン独立のために尽力した将軍で、大正4年(1915)日本に亡命その後、横浜に20年以上暮らした
日米友好ガールスカウトの像−−−アメリカガールスカウト50周年と、日本ガールスカウトの世界連盟加入を記念して建てられた
カモメの水兵さんの碑−−−童謡の歌詞と、いわれが碑に書かれている
赤い靴履いてた女の子像−−−昭和54年、「童謡赤い靴を愛する市民の会」により建てられた、第31回散歩の会で麻布十番でも見たキミちゃん
西洋理髪発祥の地−−−明治2年(1869)頃、小倉虎吉が理髪店を開業当時のヘアースタイルは、「ZANGIRI」と呼ばれた
インド水塔−−−シルク貿易に従事していたインド人が、関東大震災時に受けたお礼として、横浜市民に寄贈したもの天井のタイル張りが美しい
英一番館跡−−−居留地一番地に建っていた、英国人・シャーディン・マセソン商会の跡地の通称
日米和親条約締結の地−−−安政元年(1854)、日米の代表が、横浜村の応接所で条約を結んだ記念碑
登録有形文化財マンホールと下水道−−−三田善太郎の設計により、明治10年(1878)築造された、日本初の近代的下水道
電話交換創始の地−−−明治23年(1890)、日本初の電話交換業務が、4人から始められた
消防救急発祥の地−−−日本の近代消防化ゆかりの地
旧居留地消防隊地下貯水槽遺構−−−明治4年〜32年まで、居留地消防隊が使用その後も日本人に受け継がれ、昭和47年まで使用された
電信創業の地−−−この地にあった横浜電信局と東京電信局の間で、日本初の電報業務が開始された
外国郵便創業の地−−−明治8年(1875)、在日外国郵便局が取り扱っていたものを、日本の郵便局が引き継いで取り扱うようになった
神奈川運上所跡−−−安政6年(1859)、神奈川奉行所内、開港に伴い設けられた運上所では、税関業務や外交業務を取り扱う
横浜商工会議所発祥の地−−−明治13年4月に設立
岡倉天心生誕の地−−−文久2年に生まれた天心は、東京美術学校(現・東京芸術大学)の設立に尽力した
横浜町会所跡−−−明治7年、横浜の貿易商の集会所として、時計台のある石造り2階建ての建物が建てられた
生糸貿易商中居屋重兵衛店跡−−−群馬県嬬恋村出身の人生糸貿易で成功を収め、銅(あかがね)御殿をこの地に建てた
写真師・下村蓮杖顕彰碑−−−日本初の写真家馬車道通りに写真館を建てた
日本最初のガス灯−−−明治5年、高島嘉右衛門が創業したガス会社により、日本初のガス灯が建てられた
太陽の母子−−−アイスクリーム発祥の地明治2年、町田房造が氷水会社を開業「あいすくりん」と名付けて、アイスクリームを売り出した
牛馬飲水槽−−−大正6年(1917)、陸上交通の主力であった牛馬のための、休憩所
近代街路樹発祥の地−−−慶応3年(1867)、居留地に住む各商店主たちが、馬車道通りに街路樹を植えたことを記念する
ブラントンと横浜−−−日本政府の招聘により明治元年に来日した、英国人土木技師近代的な横浜の町造りに寄与した
鉄(かね)の橋−−−明治2年、プラントンにより架けられた、日本初のトラスト構造の鉄橋(吉田橋)
神奈川県電気発祥の地−−−明治23年(1890)、横浜共同電灯会社が、この地に石炭による火力発電所を建設市内700軒に電力を供給した
横浜ベイスターズ優勝記念モニュメント−−−平成10年、セリーグ優勝し、日本一になった事を記念して建てられた「煌めき」の名がある
R.H.ブラントンの胸像−−−横浜公園も彼の設計
魚市場跡−−−明治7年、高島嘉右衛門が、船便の良い港町に魚、青果、肉類を扱う市場を開設した
開催概要 自由が丘は私の世代は、「亀屋万年堂のナボナ」か「フローレスセイコ」ですが、かつては戸数60 戸程の農村、今では住むにも、遊ぶにも人気のある「まち」です。季節が暑いので無理をせずに、熊 野神社、サレジオ教会、平安時代からの歴史のある円融寺、竹林の美しいすずめのお宿緑地公園など を歩きたいと思います。 ◆開催日(開催内容は同一です) 第一開催日:2006年7月16日(日) 第二開催日:2006年7月22日(土) 第三開催日:2006年7月23日(日) ◆集合地:東横線自由が丘駅南口前グリーンストリート(九品仏川緑道) ◆出発時間:午後13時00分 ◆参加費 :1人1,500円 ◆解散場所:東急目黒線西小山駅 ◆解散時間:16時30分 ◆申込人数:第一開催日:41名+staff 第二開催日:37名+staff 第三開催日:38名+staff ◆散策コース(概要) 自由が丘駅 →九品仏川緑道→奥沢神社(イチョウ 藁の大蛇)→亀屋万年堂本店前→熊野神社(ナギ トイレ)→谷畑弁財天→東横線側道→立源寺(菩提樹) →岡田家長屋門(名主の家)→中根公園(休憩)→呑川本流緑道→桜森稲荷(トイレ)→すずめのお宿緑地公園(ムクゲ 竹林が有名) →碑文谷八幡神社(コウヤマキ 碑文谷発祥地)→サレジオ教会(時間により聖堂見学)→円融寺(菩提樹)→東急目黒線西小山駅 ◆希望者懇親会:自由が丘一休
2006年夏休み企画
皇居一般参観+講談(田辺一邑様)
【皀莢(サイカチ)】 御茶ノ水に皀莢坂があり、トゲが鋭く危険なために植物園以外ではあまり見ることが出来ない木でが、 江戸時代からの坂のため、何本かシンボルに植えられています。 トゲが危険なためか、町中で見ることは少なく、有っても下の方のトゲは無くしています。豆科の木 ために、8月には大きなサヤエンドウのような種が実りがおもしろい。 【さくらみち】 佐倉街道はかって江戸から佐倉に通じる街道として栄えていました。 日本橋から葛飾区の新宿までは 水戸街道と共通路線を通り、新宿の町はずれから分かれ、上小岩村(江戸川区)をぬけ、江戸川を渡しで 越え、下総の村々を経て佐倉に達していました。東海道等の五街道に匹敵する程の重要な道でありました。 当時、この佐倉街道を通行した大名は下総佐倉藩の堀田氏をはじめ房総方面の大名あわせて十数藩に及 んだといいます。 なお、この街道は江戸中期以降、江戸から成田山や千葉寺に参詣する大勢の旅人があ ったので成田千葉寺道(なりたちばでらみち)とも呼ばれていました。 【縁日と草ダンゴ】 安永8年(1779)。帝釈堂の改築のときに、梁の上から帝釈天像の板本尊が見つかり、ちょうどその日は 庚申の日であった。そこで、以後60日おきにめぐってくる庚申の日を縁日とすることになった。 題経寺の周りはほとんど田畑で、庚申の日だけ、農家が臨時に出店を出すくらいだった。柴又名物の草 団子ももとは農家の副食であったという。 【ヨモギ】 何処にでも生えていると思っていたが、探すと意外に無いものです。河川敷より土手に多く生えています。 ヨモギは茹でてからたたいて、生地に混ぜ込むと、緑の草ダンゴ生地ができます。野草園-------------------------エゾノヒツジグサ 【野草園】 無料で約150種類の四季折々の花木が見られます。花を目当てに、トンボや蝶も来ています。