第1回江戸歴史散歩交流会 −−上野公園の歴史(将軍の菩提寺と明治維新)−−
鶯谷駅を降り、根岸方面に行くと江戸時代からの老舗が残り、下町の風情が残る界隈となります。 橋を渡り谷中墓地で神式の徳川慶喜墓地を拝礼し、寛永寺に至ります。かつての寛永寺は徳川将軍 家の菩提寺として上野公園全体を境内としていました。かつての境内に点在する旧跡を調べると将 軍の権勢の大きさが分かります。寛永寺では徳川慶喜公が謹慎した葵の間を見学し、徳川綱吉公墓 地と徳川吉宗公墓地を拝謁すると、青銅製の宝塔に綱吉公の権勢を感じます。吉宗公の質素な宝塔 に、享保の改革、倹約政策が伝わります。寛永寺旧本坊表門の表面には彰義隊の戦争による弾痕の 跡を残しています。各地の東照宮が戦災で失われなか、上野東照宮は家光公が再建した当時の姿を とどめています。
【ユリの木】 小石川植物園に明治初年に植えられた最も古い木がありますが、明治23年大正天皇が皇太子の時に来園し、 その木を見て「ユリの木」と命名されたと言わわれています。花の形から「チューリップの木」「レンゲボク」 の別名もあります。
第2回江戸歴史散歩交流会→花めぐり3
−−小石川後楽園と徳川の女性−−
水道駅で降りると神田川が目に入ります。下流は伊達政宗公が掘割をして、治水、防衛、水運に貢
献しました。神田川を渡ると、遊園地、東京ドーム、中大、小石川後楽園は全て水戸徳川家の上屋
敷でした、今は庭園が残っているだけですがそれでも広大な大名屋敷の跡を偲ぶことが出来ます。
特に小石川後楽園は大名庭園として名園であり、四季の変化も楽しむことが出来ます。塀には水戸
家の副紋の六葉葵が再現されていて、基壇に外堀の石垣が移築されています。ちかくの伝通院では
家康生母於大、千姫等の徳川一族の女性の墓を見ることが出来ます。文京シビックセンター展望台
からは関東一円を見学して、春日局の墓がある麟祥院をすぎ、金沢前田家の御守殿門(東大赤門)は
徳川家斉の溶姫が嫁ぐときに作られました。そして、湯島天神に至り、お蕎麦を食べてみては如何
ですか。
◇開催日 :2001年9月23日(日曜日)
◇集合時間:午後1時集合
◇集合場所:小石川後楽園内集会所涵徳亭:蓬莱の間
◇参加人数:13名
◇希望者懇親会:湯島天神近くの蕎麦屋
小石川後楽園【出発地】【枝垂桜、サルスベリ他】
→西門(外堀普請石垣移築)→北野神社(牛天神)(紅梅/紅梅祭 木槲;モッコク)→伝通院
→礫川公園(ハンカチノキ、ハゼノキ)→文京シビックセンター展望台→本郷弓町(楠)
→麟祥院→湯島天神【湯島の白梅、菊祭り】
→解散
集合写真(2001/9/23)--------------------枝垂れサクラ(後楽園)--------------------彼岸花(後楽園2007)
赤門------------------------春日局の墓(麟祥院)----------------------らーめん天神下大喜(ラーメン650円)
白梅(湯島天神)-----------------------紅梅(牛天神)
第3回江戸歴史散歩交流会→花めぐり1
−−江戸城跡と大名藩邸跡を歩く−−
皇居外苑が平坦なのは、そこが日比谷入江と言われた所の埋立地だからです。江戸中期以降は幕閣 の役屋敷となり老中、若年寄が屋敷を与えられていました。皇居正門から見る伏見櫓は東京を代表 する景色となっています。かつては西の丸大手門と言われ、大御所の居所として作られました。大 手町の由来、大手門は江戸城の正門であり、伊達政宗がお手伝い普請で築いたものです。下馬の札 が有り、友の者が控えていた場所で、下馬評と言う言葉が生まれました。正面に入ると、警備の厳 重さを感じさせる、鉄砲狭間と言われる穴が沢山あります。東京は関東ローム層で石は一つもあり ませんでしたので、石一つにも将軍家に対する忠心を感じることが出来ます。関西出身の大名は、 領国より御影石を運んだほどです。石垣が屈曲しているのは横から攻撃するためであり、隅には櫓 が立ち並んでいました。本丸に至ると広さには驚かされます。ここの御殿が260年間にわたり、 政治の中心だったところです。松の廊下跡、天守台跡を見て、北跳橋から内堀を出ると、総石垣に 当時の土木技術の高さが分かります ◇開催日 :2001年11月25日(日曜日) ◇集合時間:午後12時30分 解散4時30分 ◇集合場所:和田倉噴水公園 パレスホテル側噴水前 ◇参加人数:16名 ◇希望者懇親会:有楽町の居酒屋
コース:みどころ(徒歩3時間半) 和田倉噴水公園【出発地】 →皇居外苑【黒松と芝】→二重橋→巽櫓→大手門→下乗橋跡→番所→百人番所→大番所 →富士見櫓→松の廊下跡→竹林(キッコウチク、キンメイモウソウ )→本丸跡→天守台跡 →二の丸雑木林(白山吹、紫陽花)→二の丸庭園【ショウブ、サツキ 他】 →梅林坂【白梅、紅梅】→平川門→竹橋→桜田門 →有楽町駅解散
於桜田門(2001)-----------------サルスベリ(二の丸庭園)-----------------ヤブラン(本丸)
二の丸庭園-----------------桜田門--------------------二重橋
カリン(大手休憩所西側)--------------ソメイヨシノ(本丸)------------------タチツボスミレ
第4回江戸歴史散歩交流会→花めぐり14
−−ソメイヨシノの故郷と江戸の名残−−
駒込駅周辺は江戸時代、駒込村と言われ200石の近郊農村でした。染井通り辺りは染井村と言わ れ村全体が花園であったそうです。「ソメイヨシノ」は江戸時代に染井村の植木屋さんが改良した ものでここが発祥地です。桜が多い所ですが、西福寺桜並木が綺麗です。近くには名庭園が二つあ ります。旧古河庭園は武蔵野台地の高低を巧みに利用した、大正期の名庭園で洋館、洋式庭園はコ ンドルの設計によるものです。六義園は雄大な大名庭園であり、柳沢吉保公が徳川綱吉公より拝領 し造営をしました。駅前の本郷通りは日光御成道と言われ、将軍が日光東照宮に参拝するために使 われた道です。近くには、江戸名所図会にも掲載されている富士塚が有る富士神社、 吉祥寺など江 戸時代からの寺社が多く残っています。
集合写真(西福寺桜並木)----------------------------枝垂桜(六義園)
◇日時:2002年3月24日(日)午後12時30分集合 ◇所用時間:4時間 ◇集合地: JR山手線 駒込駅北口 ◇参加人数:30名 ◇希望者懇親会:駒込駅近くの蕎麦屋
コース:みどころ(徒歩3時間半) 駒込駅(ツツジ)【出発地】 津藩藤堂家屋敷門→西福寺桜並木(ソメイヨシノ発祥地)→旧古河庭園【バラ園、ツツジ】 →六義園【枝垂桜、イロハカエデ紅葉】→富士神社(榧の木) →駒込駅解散
品川と言えば、品川駅周辺を思い起こしますが、江戸時代の品川宿は高輪の大木戸から海岸に沿い 旧東海道沿いにありました。江戸城から離れているために外様の島津藩、筑後久留米藩、熊本藩な どの屋敷がありました。また、品川は中世以来の湊で、品川漁師町が有り品川浦と言われ漁村でも あり、今でも船宿があります。幕末に作られた台場は台場小学校となっていますが、今は周辺が海 だったことを知ることは出来ません。将軍の御殿があった御殿山、旧東海道を下れば品川神社、本 陣跡の公園、東海禅寺の大山墓地には自然石を利用した沢庵漬の考案者沢庵和尚の墓が有ります。 宿場外れの品川寺には旅人と江戸市民の安全を祈願して建立された江戸六地蔵があります。 ◇日時:2002年7月14日(日) ◇所用時間:4時間 ◇集合地:旧品川宿中程 ◇参加:男性14名 女性10名 ◇希望者懇親会:養老乃瀧 ◇周辺の見どころ訪問地 宿場中程【出発地】 問答河岸跡→品川浦舟だまり→利田神社→鯨塚→御殿山下台場跡→善福寺→品川本陣跡 →品川神社→板垣退助墓塋→目黒川【ソメイヨシノ並木】→東海禅寺→東海禅寺大山墓地 →荏原神社→寄木神社→問屋場跡→長徳寺→品川寺(樹齢300年銀杏)→海雲寺 →京急青物横丁駅解散