きまぐれ日誌 960310



今の住まいの近所に「plan-B」というスポットがある。ここに越してきてから5年。その前をバスや車で何度も往復したのにも関わらず、これまで足を踏み入れたことがなかった。

勤務先のビルにある三省堂書店で「ぴあマップ ホール」なるムックを購入し、ベティーズの公演場所を探していた時、ここが目にとまった。歩いて10分程度のところで、1日借り切って3万円。これはお得なスポットだなあということで、プロデューサーなどとも一度行こうなどという。

金曜の夜に電話をいれる。年配の方が電話に答えて下さり、土曜の1300に見学することにした。

土曜、ノンベと待ち合わせてplan-Bへ。その日の公演に向けたセッティングが進行している。要するに、「救急車で運ばれる人が出ない」限りは、火を焚こうが水を使おうが自由。そして、一日の貸切とは24時間の貸切ということを意味することの説明を受けた。また、控室が公演場所と同程度の広さなのであるが、そこでは料理、飲み物持ち込みで表現をする側と表現を受容する側とのコミュニケーションが可能な「場」なのであった。また、公演日程などをサイバー梁山泊に掲載させてほしい旨申し上げたところ、快諾される。

それにしても、この場には「気」を感じた。生半可な気持ちでここでやってはいけない気がした。24時間、白紙で自分たちの表現をする。その力量が問われる。ライブハウスの場合、相当程度了解された演奏者、主宰者、聴衆のありかたのプロトコルのようなものが成立していて、その文脈のなかで演奏をする人はそれなりの役割を果たす。そういうものである。しかしながら、この空間は違う。そして、「気」が問われていることを感じたのであった。

新宿Key Studioでのベティーズの練習。「問題少年」と「夢を見ない夜」は、そろそろ人前でもやってみようか・・・という程度のところまでいく。またKYON氏の「メリー・ゴーランド」もほぼやれる状態となり、これでスパルタクス・ブントの演目もできたわけである。さらには、カラオケで歌えるようになってしまったが、ジャックスの往年の らしからぬ名曲「時計をとめて」もやれるところまで行った。

ライブハウスでベティーズも場数を踏まなければいけない。ということで、4月中旬あたりのギグを目指そうということになった。詳細は月曜に主宰元と詰めることになった。「ホリデイ音楽祭」あたりになりそう。あとはデモテープを作ろう、まこうということにもなった。

フランス留学中の義弟のMACの日本語対応のためJapanese Language Kitをソフマップで購入してから帰宅。

再度、plan-Bへ。この日の公演を見て、あの場がどのように使われるかを勉強するのが主旨だったのだ。この日はモーリン・フィランという人の「独舞『暗みより-改訂版」が 演目であった。はずかしながら、中川にとっては見るべくして見るはじめての舞踏表現だった。苦しみをくぐり抜けた後、自らのよって来るところ・・・それは土であり、そして、舞台の中央には本物の地味の良さそうな土が敷かれていた・・・を発見し、そして土を慈しむようにあびる。このような流れであった。「これは般若心経に書いてあるところの、四苦八苦を超えて空に至ることを描いているのだ」と直観的にそう感じた。そして、終了後、救われたような気持ちになったのである。また、フィランさんの身体のひとつひとつの動きのニュアンスを見ながら、自らがいかに身体に対して傲慢であったかを思い知った。

その後、控室にて催された打ち上げに参加させていただく。そこでわかったことは、金曜に電話に対応してくださり、土曜の昼に親切にこの場の解説をしてくださったのが、田中泯さんだったということだった。その後は飲みつつ、語りつつ、でパラダイム社の杉浦裕樹さんやジャーナリストの木幡和枝さんやダンサーの堀川久子さんなどと話し込み、帰宅したのは午前3時であった。「目に見えない何か大きな力に動かされて・・・」というのはベティーズの第1回公然ギグにおけるノンベの最初のMCであったが、まさにそれを感じるできごとだった。

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