[オーウェル著作Top][入手しやすい本][研究書等][関連書籍等][1984CM][原作映画化][略年譜][関連リンク][その他]

ジョージ・オーウェルかニコライ・コストマーロフか?


ヴィタリー・トレチャコフ

リガでロシア語とラトビア語で刊行されている雑誌「ロドニーク(泉)」が、イギリス人作家G.オーウェルの寓話「動物農場」を掲載した。
素晴らしい風刺家によって1945年に書かれた有名作品を、とうとうソ連読者が読めるようになったのだ。「動物農場」は今日まで、一人のイギリス人の想像力によって生み出された全く独創的な筋書きの作品と見なされてきた。だがオーウェルより少なくとも60年以上前に、ロシアの歴史家ニコライ・コストマーロフ(1817-1885)が短篇「家畜の反乱」の中でこの筋を使っていた。この作品は1917年に一度だけ刊行され、以来どこで言及されることもなく、単に忘れ去られた。

G.オーウェルが寓話を創作する時に、短篇「家畜の反乱」を知っていて、利用したと考えられるだろうか? この問題に現在答えるのは容易ではない。一方で、「家畜の反乱」と「動物農場」第一章の、形式的、内容的類似は多い。その一方で、ロシア語を知らないオーウェルが、そもそも、刊行されてまもなく忘却の彼方に沈んでしまった作品の文章を利用できたというのは、ありそうもないことだ。

だがそれでもオーウェルの寓話と、コストマーロフの短篇との類似は明かだ。二つの作品のあらすじを比較しよう。

「家畜の反乱」

(恐らく1879-1880年に書かれたものだ)

ウクライナのある領地で、家畜の間で革命的な動揺がおきる。この 動物農場の長老、種牛が煽動的な演説で登場する。種牛は、肉体的には弱いが狡猾な、人間による権力の、動物に対する不正について語り、革命を呼びかける。革命思想は全員を捉え、最初の機会に、革命が燃え上がる。種牛と種馬に率いられた動物たちが、私有地を襲って勝利する。花壇を破壊した豚が最初の果実を享受する。だが人間による管理が無いために、家畜は自分たちの糧食を確保することもできない。次第に連中は自分の馬屋牛舎に戻る。革命は自ら衰亡する。

「動物農場」

(1945年に書かれた)

イギリスのある農場で、年老いた雄豚のメージャーが、亡くなる直前に、動物たちに向かって人間という権力の元での生活苦について演説をする。彼は動物に革命を準備するよう呼びかける。この思想は全員をとらえ、そして間もなく農場労働者たちの残酷な仕打ちに対して反乱が燃え上がる。それは亡くなった雄豚の、イデオロギー上の同調者である二匹の豚によって率いられていた。人間の権力は転覆されるが、間もなく正義を讃えるために作られた革命体制は、独裁主義に変質する。さらには、20世紀前半の最も忌まわしい独裁政治の幾つかを思わせるような全体主義状態中での動物の生活が詳細に物語られる。

オーウェルは、コストマーロフが19世紀に書いた「家畜の反乱」のことをどうかして知るに至り、この文章を「英語化し」て、それにこの世紀の30-40x年代の出来事によって示唆された現実性を加えて、話を続けたのではないかという印象を受ける。

「家畜の反乱」の種牛と「動物農場」の雄豚の演説における、構想と言い回しのいくつか驚くべき類似が、概略からだけでも見て取れる。

N.コストマーロフの種牛

「去勢雄牛の兄弟、雌牛の姉妹と妻の皆さん!人間の暴虐に隷属することで与えられている、今の不思議な運命より、もっと良い暮らしが相応しい、尊敬する家畜の皆さん!余りにも長い間、我々家畜の記憶で推し量れないほどの長い間、不幸という桶を飲み続けても、飲み干すことなど不可能です!(...)

(...)去勢雄牛の兄弟、雌牛の姉妹の皆さん!我々は長らく若く、未熟でした!だが今や、新たな時代がやって来ました、別の時期が訪れたのです!我々は今や十分に成熟し、進歩し、より賢くなりました!厭うべき奴隷の立場をかなぐりすて、労働で苦しめられ、飢饉とひどい餌で殺され、鞭打ちと馬車運送の重荷に苦しみ、屠殺場で皆殺しにされ、迫害者によって細切れにされた、我々全ての祖先の為に復讐する時がやってきました。協力して立ち上がろうではありませんか!

我々角をもった家畜だけが人間と戦うわけではありません。人間に対して、我々と共に、馬も、ヤギも、羊も、豚も...人間が隷属させてきたあらゆる家畜が、圧政に対する自由の為に立ち上がるのです。我々はあらゆる内紛を止め、内紛の原因となるあらゆる不一致を無くすべきで、我々全員の共通の敵、圧迫者を常に忘れてはなりません。(...)

G.オーウェルの雄豚メージャー

「...みなさん、我々が生きている意味はなんでしょう? 事実を直視してみましょう。我々の短い命は、屈辱と重労働で終わってしまいます。我々がこの世に生まれ出たその瞬間から、生きるに足りるだけの食事しか与えられず、充分な力を持っている者は、最後までこきつかわれるのです。そして、いつものことですが、誰にも必要でなくなると、恐るべき冷酷さで我々を屠殺場に送りだすのです。(...)

(...)だがなぜ我々はそうした惨めな条件で生き続けるのでしょう? 世界で我々が生み出すほとんどすべてのものが、人間に利用されてしまうためです。さあ、同志、我々の全ての問題の答えはなんでしょう。それは一つの単語です。人間です。人間こそ我々の唯一の、本当の敵なのです。(...)

(...)人間を追い出すことが必要で、そうすれば我々の労働の果実は我々のものになるのです! 既に今夜、我々が豊かになり、独立する、自由の夜明けが始まっています。(...)皆さんに呼びかけたい。同志、革命です!(...)

(...)二本足で歩くものはすべて敵です。四つ足あるいは羽をもった連中はすべて仲間です。(...)

確かに、オーウェルとコストマーロフの文章が逐語的に一致しているわけではなく、「動物農場」の主な出来事は、「家畜の反乱」の出来事が終わったところから展開を始めるのだ。けれどもそれで、通説ではイギリス人S.バトラーの小説「エレホン」(1872)から始まる、現代のアンチ-ユートピアというジャンルの、元祖と今後は目されるべき、ロシアの歴史家の作品を、G.オーウェルが知り得ていたのかどうか、という疑問は消えない。

だが不幸にしてコストマーロフは、一般大衆に対しては、歴史家としてすら事実上全く無名だ。ところが実は、彼は並みならぬ才能の作家であり、世界に通用する歴史家で、当時のロシアでは極めて人気があったのだ。彼の「最も重要な人々の伝記からみるロシア史」は、この国のあらゆる教養有る人々によって読まれていた。歴史にかかわる無数の作品だけでなく、コストマーロフは、ロシア語とウクライナ語で多くの文学作品を生みだした。(彼はロシア人地主がウクライナ人農奴女性に生ませた私生児だった。)

ソ連時代、N.コストマーロフの作品はほとんど刊行されなかった(1922年に、彼の「自伝」がごく僅かな部数刊行され、そのすこし後にイワン雷帝の時代を描いた小説「クデヤル」が再刊された。)。その理由は何だろう? おそらく、革命前の時期にN.コストマーロフに貼り付けられた「ウクライナ民族主義者」というレッテルが功を奏したのだろう。コストマーロフは、ちなみに、政治上の罪でペトロパブロスク要塞に一年収監されたことがあり、彼の「ナショナリズム」は、ウクライナのみならず、ロシアにおける反政府暴動と蜂起に対する歴史家の専門的な関心として表現されていた。

この歴史家の作品は遺産として組織的に継承されてはいない。それで「家畜の反乱」について貧弱な文献の僅かな論文しかなく、コストマーロフについて書いた本が一、二冊の少部数のものしかないことの説明がつくかも知れない。このジャンルで作品を書いている多くの無名作家達の作品を集め、1986年に刊行された「ロシアの文学的ユートピア」選集でも、コストマーロフについては触れられていない。ユートピアとアンチ-ユートピアを扱う、海外で刊行された基本的作品中でも、コストマーロフの名は見あたらない。

コストマーロフにとっても、またオーウェルにとっても、「家畜の反乱」は民族革命の比喩であった。コストマーロフは、そうした革命のありうる結果の一つを分析し、素晴らしい文学的な形式で表現した。組織的かつ知的な土台が欠如しているところでの、革命の崩壊だ。オーウェルは20世紀前半、実際の出来事の状況下で、他の変種、革命的雰囲気の復興を考えた。だがコストマーロフの短篇では、そうした展開も考えられていた。それは、ロシアの歴史家も、イギリスの作家も、「豚」という姿で描き出した行為と直接繋がっている。

二つの作品は、イデオロギー的に、現代の反ユートピア作品同様、社会を完璧にする為に必要だとするプチブル・テロリストの処方箋に対して書かれ、1871-1872年に刊行されたフョードル・ドストエフスキーの有名な小説「悪霊」にまで遡ると、かなりの確信を持って考えられる。コストマーロフの短篇は、政治的に、例えばソ連の文化社会学者アレクサンドル・ミドレルの意見によれば、ロシアの革命政党「人民の意志(ナロードナヤ・ヴォーリヤ)」が1879年に自分たちの計画として宣言した活動方法(まさにこの時期の出来事をコストマーロフが述べている)つまり、権力を人民のもとへ移行するという目的の政治革命、そして革命を準備する方法-テロル、に対する非難と結びついているという。

ソ連の未来学とアンチ・ユートピア文学の専門家エドアルド・アラボグリ(?)は、オーウェルが、自分のアンチ-ユートピアが、社会主義に不利なように使われるのではないかと恐れていたと述べている。不幸にしてそうなった。オーウェルの寓話とコストマーロフの短篇を比較すると、二つの作品の外見上の反革命性よりも、ヒューマニズムの方が際だっている。

コストマーロフの短篇が、ロシアでは1917年二月革命の後に、最初、そして全体的に見れば、最後として刊行された、ということは特筆に値する(この刊行の事実については、モスクワの愛書家イゴール・ザハロフ氏に教示頂いた)。

非常に興味深いのは、無論、コストマーロフもオーウェルも発展させた形で用いた、家畜の反乱 -民族の革命という文学的な比喩の類似だ。これには、ヨーロッパの文化的な伝統のみならず(例えば、スイフトのガリバー旅行記のフウイヌム国渡海記)、二人の作家の心理が、人生上何らかの点で一致していることが役割を果たしたのだろう。

だがあるいは、コストマーロフもオーウェルも、単にお互いがヒューマニストであって、二人とも正義という高邁な理想が、良からぬ本能で動くような連中の汚れた手中に陥ってはならないことを理解していたがゆえに、同じ比喩を使ったのかも知れない。

注の翻訳は省略してあります。

下記ロシア語Webページを翻訳したものです。2004年4月28日

http://orwell.ru/a_life/tretjakov/russian/
モスコフスキエ・ノーヴォスチ(=モスクワ・ニュース)1988年6月26日掲載記事

上記Webのトップページは、http://orwell.ru/a_life/index_ru


WAR IS PEACE
FREEDOM IS SLAVERY
IGNORANCE IS STRENGTH

戦争は平和だ
自由は屈従だ
無知は力だ
ВОЙНА - ЭТО МИР.
СВОБОДА - ЭТО РАБСТВО.
НЕЗНАНИЕ - СИЛА.
Nineteen Eighty-Four

[オーウェル著作Top][入手しやすい本][研究書等][関連書籍等][1984CM][原作映画化][略年譜][関連リンク][その他]