3.時局展望(掲示板投稿等)  (過去−3: 03/ 1/ 102/ 2/27

  ◆過去の時局展望−2 (02/ 4/ 1〜02/12/31)
  ◆過去の時局展望−1 (00/11/ 1〜02/ 3/31)

 ※ なお、ここに掲載後、後日下記 ↓ に移している記事があります。
 (  2.提言 http://www.asahi-net.or.jp/~EW7K-STU/#提言    )

 

・外資とホリエモン −国益は守られるのか− (2005/2/27)

フジテレビとその支配を狙う堀江社長率いるライブドアによるニッポン放送買収の攻
防が佳境に入ってきた。
ニッポン放送が、ライブドアによる支配を避けフジ産経グループに残る事を目的とし
フジテレビに大量の新株予約権を与えることを決めた問題で、ライブドアは24日
夜、予約権発行差し止めの仮処分を東京地裁に申し立てた。
フジテレビとライブドアの戦いは司法の判断に持ち込まれた。
地裁が双方の意見を聞き、早ければ1〜2週間で決定を下す見込みだ。
新株予約権の払い込み期日は3月24日で、それまでに一応の結論が出る。

今回の買収劇の攻防は、ライブドアが時間外取引という違法ではないが横紙破りとも
言える手法を使って、ニッポン放送株を大量買付けした事に端を発する。
堀江氏の唱える「インターネットと既存メディアの融合」のビジョンがどれ程の具体
性と説得力を持ち、横紙破りに対する嫌悪感を押さえ世間一般の人やマスコミ、投資
家を味方に出来るかが、今回の買収劇全体の勝敗を大きく左右する。
それは、司法の判断にも少なからず影響を与えるだろう。

◆堀江氏の手法と主張
堀江氏が連日、テレビ等のメディアに出ずっぱりなのは、もちろんその発信効果によ
る味方作りのためである。
一方で、堀江氏はフジテレビが実施しているニッポン放送株のTOBについて、条件
付きながら応じて矛を収める可能性も述べており、事態は予断を許さない。

筆者の立場は、基本的に今回の堀江氏の行動を支持するものであるが、今後の教訓と
して時間外取引での株式大量買付けや外資による放送の間接支配については、法的規
制を検討し速やかに結論を出すべきだと考える。
中でも外資による放送の間接支配については、欧米各国でも規制されている。
英国ではこの規制が撤廃されているが、これは経済危機挽回策として背に腹は代えら
れないとサッチャーが腹を括ったためであり我が国は参考にすべきではない。
英国はその見返りに、自国資本の空洞化というウインブルドン現象に見舞われてい
る。

◆外資と国益
堀江氏による今回の買収劇は、米大手証券のリーマン・ブラザーズによるライブドア
が発行する総額800億円の新株予約権付社債(CB)引き受けで資金調達したもの
だったが、これは幕末の志士、坂本龍馬が、グラバー商会とその背後の英国の力を
使って幕府を倒した事を連想させる。
龍馬は、最終的には公武合体により内戦と諸外国による植民地化を防ぎ、国益を確保
しようとした。

堀江氏は単なる一企業家であり、たまたま外資の資金を使っただけだろうが、リーマ
ン側に利用されただけに終わらない事を望む。
リーマン側によると、同社の役割はライブドアに対する資金提供で、資金調達を手伝
うことのみを目的としたものであり、外資によるメディア産業参入の後押しやライブ
ドアの大株主になる意図はないとしているが、ライブドア株を他の外資に売却しない
のか等、今後の具体的な行動については言及していない。

また、空売り等を利用して、リーマン側が過大な利益を上げる事は、即ち主に国民、
国内企業によって構成されるライブドア既存株主の利益を吸い上げ米国に持ち帰る事
を意味する。
現在の法的規制には当たらなくとも、これらについては我が国の国民、政治家、マス
コミはリーマン側の一挙手一投足を今後注意深く見守る必要があるだろう。

 

 

・坂本龍馬に見る開国と国益 (2005/1/31)

経済、国際情勢と日本を取り巻く環境もいよいよ混沌としてきた。
ここ数年、映画・ドラマ・出版で一寸した幕末ブームが起きているが、これも大きな
変化を乗り切って新局面を開いたあの時代にヒントを得ようという現れの一つだろ
う。

◆龍馬の志◆
幕末、明治維新は登場人物達の行動もその背景の思想も複雑で、かつ短期間に変転し
ており、なかなか時代の全体像を掴みにくい。
かつて司馬遼太郎氏が、小説「竜馬が行く」で坂本龍馬をヒーローにしてこの時代を
痛快に描いて見せた。
「竜馬が行く」には、かなりの誇張と単純化があったが、誰かを狂言廻しにしてこの
時代を整理するとすればやはり龍馬を選ぶのは適当な見立てだろう。

当時は西洋列強が産業革命を経て、資源と市場を求めアジアへの進出を強めていた。
1840年のアヘン戦争により中国や、1857年のセポイの乱によりインドでイギ
リスによる植民地化が進んでおり、日本へもペリー来航を機に、アメリカ、イギリ
ス、フランス、ロシア等の開国要求が付き付けられていた。

これらへの反応として、開国と攘夷、尊王倒幕と公武合体と国論は分裂し各勢力が入
り乱れ、日本は内戦の危機にあった。

龍馬は、熊本藩出身の思想家、横井小楠等の影響の下、日本を開国し通商と海軍力整
備を含む西洋近代化により国力を充実させ、西洋列強に植民地化される事無くこれに
伍して行く事を目指して奔走した。

薩長同盟とグラバー商会を通した英米の協力により幕府に軍事的圧力を掛け、大政奉
還に持ち込んだ。公武合体策による中央集権の統一国家を作り、これにより内戦によ
る列強の介入を防ごうと考え、志し半ばで凶刃に倒れた。享年33歳。

その後、王制復古の大号令とそれに続く戊辰戦争により、公武合体はならず内戦の勃
発は防げなかったが、官軍の西郷隆盛と旧幕臣の勝海舟の会談により江戸城が無血開
城され内戦は大規模な流血を伴わず収束して行き、明治新政府により維新は成就して
行く。

◆郵政民営化との対比◆
さて現代に戻ると、今日、小泉首相、竹中大臣等により郵政民営化が叫ばれ、法案の
可否が今国会の最大のテーマとされている。
3事業の内、郵便事業には万国郵便条約によりユニバーサルサービスが課せられてい
る。その前提でも民間的手法の導入による各種郵政サービスの効率化は検討すべきで
あろうが、民営化して350兆円もの郵貯、簡保に集まった国民の資産を果して守れ
るのか。

外部から人材を登用するにせよ巨額の資金を前身が役所だった組織が自主運用出来る
とは思えず、破綻 → 国有化 → ハゲタカファンドの餌食となるのを懸念するの
は筆者だけだろうか。

竹中大臣はこれらを新旧勘定に分ける等の措置を取るというが、国民、マスコミおよ
び与野党政治家は、民営化への賛否に関わらず、この辺りを注意深く監視する必要が
あるだろう。

坂本龍馬も、言わば英米の力を利用して日本を開国し改革しようとした。
しかし、植民地化される事を避け、最終的な国益を守ろうとした。

小泉首相や竹中大臣には、経済の自由化やグローバル化についてそれなりの信念や理
想があるのだろうが、ともすればそれは国境の概念の無いものではないのか、郵政民
営化は国民のためになると言う発言は果して具体性と現実性を伴ったものなのか。

開国や自由化は、特に外圧を利用する場合には常に微妙な問題を孕む。
その是非は、最終的な国益が確保されるのかで判断されるべきである。

                                   以上


追伸
この度、坂本龍馬と幕末をテーマに演歌を書きました。
音楽には何の素養もなく言わば勢いで作った曲ですが、非才を省みず、何れは誰かプ
ロの歌手に歌ってもらおうかとも考えています。
拙作により、もし少しでも時代の閉塞を破り真の改革を成す機運がこの国に生まれれ
ば望外の幸せです。

■「演歌 坂本龍馬」

1.土佐の荒海、産湯の代り
  日々に励んだ 剣術修行
  たった四杯の黒船に 揺れるお上にゃ任せて置けぬ
  俺がやらねば 誰がやる
  坂本龍馬 怖さ知らずの脱藩郷士

2.攘夷、佐幕と色々在ろが
  細かい事は 気にするな
  日本を造るそのために 掛けた命は呉れてやる
  お龍おまんにゃ 心配掛ける
  維新成就の 維新成就の大勝負

3.硬い本など 柄ではないが
  国を思えば 苦とならぬ
  海舟、小楠両先生に 受けた教えは龍馬が血肉
  船中八策 表に掲げ
  大義を四海に 大義を四海に布かんのみ

(作詞、作曲 佐藤鴻全 Copyright (C) 2005 Kozen Sato. All Rights Reserved.)

 

 

・「東アジア共同体」の青写真 −中国とアメリカをどう考えるべきか− (2004/12/20)

先月末のビエンチャンでのASEANプラス3首脳会議の合意を切っ掛けとして東ア
ジア共同体が本格的な注目を浴びつつある。
<参照>
■東アジア首脳会議初開催へ 来年クアラルンプールで■
 【ビエンチャン29日共同】東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国は29
日、ビエンチャンで開いた首脳会議で、来年中にクアラルンプールで初めての「東ア
ジア首脳会議」を開催することで合意した。ASEANと日中韓の13カ国を軸とし
た自由貿易地域創設を含む将来の「東アジア共同体」創設に向けた大きな一歩とな
る。
ASEANに日中韓を加えたプラス3首脳会議も同日開かれ、東アジア首脳会議開催
について協議した。
プラス3首脳会議の議長声明案は、域内の関税を原則撤廃する東アジア自由貿易地域
創設について「可能性を調査する専門家グループの設置を歓迎する」として、前向き
な検討を表明。東アジア共同体創設を長期的目標として確認した。
日本は東アジア首脳会議の共同議長国となることを提案している。開催時期や会議の
在り方など詳細は、来年初めにフィリピンで行われるASEAN非公式外相会議など
を通じ調整する。(2004年11月29日(月) 共同通信)
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/kokusai/20041129/20041129a3340.html

米国からは、早くも東アジアサミット開催が決まった翌日に、「米国外しではない
か」(米国務省のリース政策企画局長)と不快感が表明された。
これらの動きを念頭に、以下に「東アジア共同体」について我が国の取るべきスタン
スと戦略について考察してみたい。

◆ ◆ 取り巻く情況 ◆◆
「東アジア共同体」を取り巻く情況を整理すると、概ね以下のようになる。

(1) EU、NAFTA等の先進
自由貿易協定(FTA)が世界的に拡大している。
FTAは、2国間や特定域内での物品の関税その他の制限的通商規則やサービス貿易
の障壁等の撤廃、進んでは人的交流や通関や知的所有権の手続き、投資環境の整備等
の幅広い分野を内容とするものである。
既に欧米では、特定域内自由化のEUやNAFTA等が推進され、国際的大競争時代
に備える態勢となっている。
日本は2国間FTAでも中国に大きく遅れを取っているが、今後の自由貿易体制の徹
底により大きな利益が見込まれ、自ら積極的に推進していくべき情況にある。

一方で、人的交流の活発化に伴う移民問題、経済統合、通貨統合に伴い各国の経済政
策の自由度が制約される等のマイナス面も指摘されている。

(2) そもそも「東アジア共同体」が必要なのかという疑問と米国の懸念
経済的な枠組みについては、米州やオセアニアを包括したAPEC(アジア太平洋経
済協力会議)という枠組みが既にあり、新たに「東アジア共同体」を作ろうという動
きに対し、米国側に前述した「米国外しではないか」との懸念がある。

「東アジア共同体」という言葉は、90年にマレーシアのマハティール首相(当時)
が提唱した経済圏構想が出発点とされる。この構想は米国の強い反対で発展しなかっ
た。
また、97年のアジア金融危機のさなか、影響を受けた諸国の復興を助けることを意
図して、日本が提唱したアジア通貨基金構想もIMF(実際には米国)の反対で潰え
た。
米国は代りにAPECを強化することで、東アジアへの関与強化の装置としたという
経緯がある。
なお、安全保障についても、ロシアや北朝鮮を含めたARF(ASEAN地域フォー
ラム)という枠組みがある。

(3) 「東アジア共同体」の範囲
前項と関連して、東アジア共同体といっても、地図上の明確な範囲があるわけではな
く、EUのような文化的、言語的、宗教的、人種的同一性の低いこの地域の特性から
その範囲は思い描く者により大きく異なる。
概ね、ASEAN加盟国(タイ、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガ
ポール、ブルネイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジアの10カ国)に日
本、韓国、中国を加えた「ASEAN+3」が「東アジア共同体」のコア部分として
語られるが、台湾や香港を加えた「10+3+2」やインドを加えた「10+3+
1」といったアイデアもある。

また、これらに豪州を加えようという動きとそれに真っ向から反対するマレーシアの
マハティール前首相を筆頭とした「豪州人はアジア人になりえない」の意見や、国際
政治学者フランシス・フクヤマ氏のように、「東アジア共同体」のかわりに北朝鮮核
問題への対処を論じる六カ国協議から北朝鮮を除いての五カ国の協議をアジアの地域
安全保障の恒常的な制度にすべきとの提案もある。

(4) 「東アジア共同体」の内容
その内容として、単に自由貿易協定(FTA)を結んで自由貿易圏にするという経済
的なものだけでなく、前項フクヤマ氏の提案とも部分的に重なるが、安全保障も考え
た政治的な枠組みを目指すべきだという見方もある。

(5) 中国の影響力の強まりへのASEAN諸国の警戒
報道によれば、初の東アジア首脳会議についてマレーシアで来年開く方向でまとまり
かけたが、ビエンチャンで行われたASEAN外相会議で妥協点を見い出せず、中国
の影響力の強まりを警戒するインドネシアやベトナムなどが「時期尚早」と反対し、
暗礁に乗り上げていた。
その結果、開催時期や会議の在り方など詳細は、来年2月か3月にフィリピンで行わ
れるASEAN非公式外相会議などを通じ調整するとして先送りになった。
また、当然ながら日本、米国にも中国がアジア地域での経済的、政治的な影響力をさ
らに強めることに対し警戒感がある。

◆◆ 我が国の取るべきスタンスと戦略 ◆◆
これらを踏まえ、筆者の考える「東アジア共同体」への我が国の取るべき基本的なス
タンスと戦略を以下に列記してみたい。

◆域内の関税を原則撤廃する東アジア自由貿易地域創設等については、我が国の利益
に適い積極的に推進すべきである。
農業については、食糧安保を確保しつつ原則解放すべきである。
また、どこまで有効なものとなるかは別として、地域紛争の緩和、テロ対策、核兵器
配備の縮小、その他突発的事態の防止のためにも、信頼醸成と安全保障の枠組作りに
も取り組むべきである。

◆外国人労働力の受け入れや移民は、単純労働者は避け、高度な知識・技能保有者に
限定すべきである。
単純労働者の受け入れは、ドイツのトルコ移民の例が端的に示すように、国内労働人
口減少の中でも社会的な摩擦を避けられず、たとえ企業コストの削減になっても、社
会的コストは増大する。

◆EUのような経済的、政治的に1つの国のようになるのを目指すべきではない。
当面は、所得格差、政治体制が違い過ぎ元々不可能な事であるが、遠い将来的な画と
しても、EUの壮大な実験の成否を見極めてから考えるべき問題である。

◆中国の影響力増大の道具とさせる事無く、牽制の道具とすべきである。
中国封じ込めと言っては言葉が過ぎるが、中国囲い込みを図るべきである。
そのためには、台湾や香港、インド等加盟国は多いほど良く、決定事項は全会一致方
式を取るのが望ましい。
また、米国の代理人として豪州を正式加盟させるか、もしくはより直接的に米国を顧
問格として関与させて、「米国はずし」の懸念に対処しつつ中国を牽制させるべきで
ある。
米国は、石油の出る中東では非理性的とも言える恣意的行動様式が目立つが、東アジ
アでは正気であり、少なくとも安全保障面では今後も比較的現実的な対応を取ると予
想される。

◆通貨統合は不要だが、何らかの形での「アジア通貨基金」は必要である。
前述したように、97年のアジア金融危機のさなか、影響を受けた諸国の復興を助け
ることを意図して、日本が提唱したアジア通貨基金構想はIMF(実際には米国)の
反対で潰えた。
しかし、ヘッジファンドの冒険主義とアジア金融危機の再来、中国のバブル崩壊等を
防ぐ意味でも、通貨バスケット・ペッグ制を使う等の何らかの通貨安定策は必要であ
り、ドルの機軸通貨からの退位を何よりも恐れる米国の懸念を説得と調整により解消
させつつ、粘り強くこの実現を図るべきである。

◆共同体の共通理念、共通価値は、自由と民主主義にアジア的寛容が加味されたもの
とすべきである。
東アジアは、EU等と違い、文化的、言語的、宗教的、人種的同一性が低く、共同体
形成のための求心力が低い。
ここに、何らかの共通理念、共通価値を見出すとすれば、世界史的流れとしての「自
由と民主主義」を掲げるのが適当である。
これにより、長期的に中国等の民主化を促し、安全保障上の脅威を削減するべきであ
る。
また、それだけでは他の地域との差別化を図れず、ノッペラボウのようになってしま
う。この地域に特徴的な共通項としては、比較的温暖で多雨な気候や仏教、儒教によ
り醸成されたアジア的寛容、調和と言う事になろう。

◆◆ 西洋思想と東洋思想 ◆◆
アジア的調和に言及したので、ここで西洋思想と東洋思想について述べて見たい。
両者にはそれぞれの特徴と、これに由来するメリットとデメリットがある。
難しく細分化された思想研究は他に譲るとして、筆者の考える概略を示すと以下のよ
うになる。

まず、西洋思想は、ギリシャ哲学、キリスト教、ヘーゲル、マルクスのように、演繹
性、または実証性、弁証法的理論展開、直線史観等を特徴とする。
これらは、社会を動的に改革し科学を発展させる一方、植民地主義、ナチズムの様な
自己中心的なものも生み出す。

それに対し、東洋思想は、仏教の八正道、儒教の仁義礼智信の様に、事象を多面的に
捉えた上でこれらを並列し、包括的に把握する所や循環的史観に特徴がある。
これらは、社会の調和安定を指向する一方、停滞、腐敗を生み出す。

なお、日本の思想的特徴は、赤き清き心、穢れと祓い、恨みと鎮め、神州不滅、平和
主義、集団主義のように単一価値観、単線的思考にある。
これらは、短期間の富国強兵や戦後復興等をもたらす一方、戦前の拡張主義の破綻、
バブル崩壊と今日の停滞等を生み出している。

筆者は、アジア的調和を共通価値とすべきと考えるが、それを思想の見取り図の中に
位置付けてメリットとデメリットを踏まえて置く事で、初めて地に足が着き現実的な
政策に演繹出来るツールとなると考える。

◆◆ 今後の展望 ◆◆
話を元に戻して、そもそも「東アジア共同体」のような地域共同体は、域内の共存共
栄を図ると共に、理念としては戦前のブロック経済のような閉じられたものでなく、
世界の貿易の自由化促進のために開かれたもので無ければならない。

実際にEUやNAFTAが今後どう展開して行くかは予断を許さないが、そういった
理念、大義を掲げて「東アジア共同体」を進展させて行くことは、 EUやNAFT
A陣営との交渉材料ともなり得る。

また、我が国が域内で中国を牽制してASEAN諸国等を味方に付けるには、「大東
亜共栄圏」での功罪、即ち欧米の植民地からのアジア解放、日本自らによる植民地支
配と敗北、その後戻ってきた旧宗主国とのアジア諸国の独立戦争と勝利等について、
単なる表面的な反省に止めず、近代世界史の大きな鳥瞰図の中に位置付け総括された
歴史観を持ち表明するべきだろう。
筆者は、それが日本が東アジアのリーダーシップを握るために必須と考える。

前述したように、APEC やASEAN地域フォーラムが現存する中で、「東アジ
ア共同体」不要論がある。
しかし、もう日本政府と中国を含めた各国はその実現のために走り始めている。
もし本当に不要なら、「共同体」と呼ぶかどうかは別として、単に緩く弱いものとし
て作っておけば良いだけの事である。
問題なのは、日本国民が無関心でいて、限定された関心と狭窄した視野しか持たない
官僚及び族議員とそれに乗っているだけの現政府に任せて置く間に、中国等各国の思
うままにデザインされた「東アジア共同体」が作り上げられてしまう事である。

筆者はその懸念の下に、乏しい知識と能力を搾って拙案を示した。
たとえ1つ1つは当たり前で掘り下げの浅いものでも、集めて並べて見なければ戦略
にはなり得ない。
まだ、ビエンチャンの首脳会議から日が経っておらず、それを受けての「東アジア共
同体」についての我が国のスタンスと戦略についての全体的な画を示した言説は現れ
ていない。

筆者の見るところ現在の日本でその見識を持つ政治家、言論人は数少ないが、各方面
から今後積極的な発言が必要である。
戦略とシナリオなしに今後の世界に臨む程、我が国にとって危険な事はないだろう。

 

 

・理念なき「三位一体改革」の愚 −世界の笑い物とならぬために− (2004/11/29)

政府・与党は26日、国・地方税財政の三位一体改革で、2006年度までの改革工
程を示す「全体像」を最終決定した。
補助金見直し額は約2・8兆円。このうち国から地方への税源移譲金額は、04年度
分を含めても固まったのは約2・4兆円にとどまり、小泉首相が当初目標として掲げ
た3兆円に達しなかった。

さて、改革の内容を見てみると、玉虫色という事に加えて何か捉え所の無い鵺のよう
なものに仕上がった感がある。
これは、(1) 中央の権限を手放すまいとする各省庁と族議員、(2) 財政赤字の負担を
地方に押しつけたい財務省と首相、(3) 地方交付税の配分で主導権を確保したい総務
省、(4) 純粋に自由に出来る財源を欲しい比較的富裕な自治体、(5) 補助金削減に怯
える逼迫した自治体、各者各様の思惑と疑心の中で妥協が探られた結果だからに他な
らない。

◆義務教育の在り方◆
焦点だった義務教育費国庫負担金は、地方6団体の改革案の金額に見合う8500億
円を減額、05年度分は暫定措置としてその半額を減額することで決着した。
なお、義務教育制度は国の責任を堅持し、費用負担は地方案を生かす方策を検討、義
務教育の在り方は05年秋までに中央教育審議会で結論を出す事になった。

典型的な先送りの玉虫色決着だが、義務教育費の負担責任が地方に移る流れである事
だけは間違いない。
残念な事だが、これにより将来逼迫した自治体が本来教育に振り向けるべきような費
用を、背に腹は代えられないとばかり他の事に使い、全体として都市と地方の学力格
差が更に開いて行く事は避けられないだろう。

義務教育費国庫負担金制度は、公立小中学校の教職員の給与の半額を国が負担する制
度であり明治から続くものだが、1950年のシャウプ勧告により一旦廃止された
後、地方財政の悪化で53年に復活したものである。

教育での地方の自由な工夫を広げるために、国庫負担制度をなくす事が正しい方向だ
と言う議論があるが、それは「国は金は出すが、基本的な最低限の事以外では口を出
さない」ような仕組みを確立して別途措置するべき問題である。
義務教育の基礎的な費用は、やはりそれぞれの財政に格差が生じる地方が負担する事
には馴染まない。

因みに、欧米先進国では、義務教育の教職員の給与について殆どの国が100%国庫
負担(ただし連邦国家では州予算)であり、50%程度の負担としている国はむしろ
例外である。

◆国のかたち◆
また、社会保障については、国民健康保険は地方への権限移譲を前提に都道府県負担
を導入するとされた。
これも、仕組みとしてかなり劣悪なものである。
それにより、高齢者が多く医療費負担がかさむ地方は、社会保険料が高額になり、若
者にとって更に魅力のない土地となって経済的に疲弊して行く悪魔のサイクルに陥
り、自立からは永遠に見放されるだろう。

これらの「三位一体改革」の玉虫色かつ数字合わせによる倒錯した様相は、言うまで
も無く改革の根本的理念を欠いているのが原因である。

元より、19世紀の夜警国家ではないのだから、国防と外交以外は全て地方や個人の
責任でやらせるという切り分けは他国と経済的に伍して行くためにも成り立たない。
国防、外交等に加えて、義務教育、基礎的社会保障のようなナショナルミニマム、い
わゆる背骨に当たる部分は国家として保障し、それ以外の全ての部分、例えば基幹的
でない公共事業のようなものこそ地方や個人の自由裁量に任せる大胆な切り分けが必
要とされる。

社会生活で自己責任に帰する範囲と国家が最低限補償する範囲を明確に示すことが、
国民に一定の安心を提供すると共にある種の覚悟を促し、「ナショナルミニマムを
伴った自立社会」として我が国を調和ある発展に導くだろう。
それは、国家と地方の関係においても同じである。

各国の国民性、歴史、経済情況によってその在りようは異なるが、これらの事を適切
にシステム化して上手く社会に組み込む事は、メガコンペティションの経済で勝ち抜
くための必須条件となる。

しかるに今回の「三位一体改革」はその逆を行き、中央と地方の関係は混乱し、「こ
の国のかたち」は、背骨を欠いて掴み所のない姿になって行くだろう。

明治維新は、近代国家成立の過程として封建体制から中央集権への移行を基に成され
た。
現在は逆に、大きな流れとして、大胆な財源移譲により行き過ぎた中央集権から地方
分権への移行を行い、地方の意欲と工夫と主体性を引き出すべき時なのは間違いな
い。

「三位一体改革」はもう走り出しつつあるが、誤った目的地と不正確な地図しか持た
ない山登りは、やがて道に迷い遭難して終わる。

速やかかつ適切な軌道修正がなされる僥倖を祈りたい。

 

 

・陛下に拒まれた石原氏の国家観 (2004/11/15)

報道によれば、東京・元赤坂の赤坂御苑で先月28日に開催された秋の園遊会で、
天皇陛下が招待者との会話の中で、学校現場での日の丸掲揚と「君が代」斉唱につ
いて「強制になるということでないことが望ましいですね」と発言された。
棋士で東京都教育委員会委員の米長邦雄氏が「日本中の学校に国旗を揚げ、国歌を
斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたことに対し、陛下が答えた。

国旗国歌問題に関して陛下が発言するのは異例である。
穏やかな口調の中にも、陛下の苛立ちが伝わってくる感がある。

◆自発的であるべき愛国心◆
学校現場での国旗掲揚や国歌斉唱の本質は、言うまでもなく公的な場での愛国心の
表現である。
そもそも、愛国心は強制されるべきものではなく、国民の心情の自然な発露でなけ
ればならない。

市民革命を経てきた欧米諸国や独立戦争を勝ち取った旧植民地諸国では、愛国心や
国家観が国民の血肉となっており、強制するという発想がなく、その必要も無い。
日本が近代化を果たし「国家」となった明治維新は少数の士族階級により成された
ものであり、戦後の民主主義もアメリカに与えられたものである。

こうした歴史的経緯を考えれば、自発的な愛国心の成熟が簡単には成されないのは
事実であるが、卒業式などで「君が代」斉唱時に起立しない教諭を処分する等、強
制してでも愛国心を育もうとする石原都知事の発想は、本末転倒であり、そもそも
無理である。
上から強制しての愛国心育成の例は確かにあるが、その結果出来あがった愛国心は
北朝鮮に見られるような別の種類の物になるだろう。

◆式典と教育◆
一方で卒業式等の式典は、一定の形式を保つ必要があり、それが成されなければ体
を成さなくなる。
「君が代」斉唱時に起立しない事等が、一部教職員の信条に基づくものに止まら
ず、付和雷同的に生徒に伝染して行き、多数の生徒が着席したままであれば、卒業
式等は式典としての生命を失う。

日本人の、周りに影響されやすく、然したる考えも無くその場の雰囲気だけで行動
する傾向は、特に集団生活をする多感な学齢期には顕著であり、そのような事によ
り式典が妨げられかねない事がこの問題の本質である。

これを防ぐために、例えば最初から立ったままで「君が代」斉唱の過程に進むよう
式典の式次第を工夫する事は出来まいか。
そして、確たる信条に基づき「君が代」斉唱を拒否したい教職員と生徒は、明確な
意志表示として着席をし、一方で粛々と式次第を進ませるなら式典としての生命は
保たれる。
なお、音楽教育における「君が代」斉唱等では、式典のような公的な場での愛国心
の表現の強制ではなく、教えなければ伝わらないという教育の本質から言って強制
があっても良い。

いずれにしても、陛下の今回の発言を待つまでもなく、東京都教育委員会の進める
式典での「君が代」斉唱の実質的な強制には、かなりの行き過ぎがある。

石原氏には、有力な保守政治家として、真の愛国心を育むべく今一度問題を整理し
て教育行政に対処される事を望みたい。

 

 

■ Return to righteousness, the United States. (Oct. 17. 2004)

Now I stand on the site of the world trade center.
And I remember the surprise attack in blue sky of the early autumn morning.
The twin skyscrapers were crashed down by the terrorists.
A big hole of the ruins is like an ancient Roman coliseum.
The reconstruction of a taller building being planned there.

The American soldiers are now stationed in the desert ground.
The mass-destruction weapons of the reason for the outbreak of war did not
exist after all, and the outbreak of war was too forcible.
However, there must have been righteousness in the banner of liberation of
Iraq.
But, it is also soiled for oil rights and the ambition of Middle East rule.
This gives terrorists an excuse and terrorism's danger against the mainland
is also increasing as a result.

White grave posts form a line on Arlington hill, increasing even today.

Let's abandon oil rights, achieve reconstruction of Iraq early in
cooperation with foreign countries and return to the homeland.
The United States - Let's correct a mistake and return to ideas of founding
a country, freedom and democracy.

Since soldiers believed the righteousness of their fatherland and died.

K.S


I appreciate you to send this message to your friends.

■アメリカよ、大義に帰れ

私は今、ワールドトレードセンター跡地に立つ。
そして、あの初秋の朝の晴天の奇襲を思い出す。
摩天の双塔は、テロリストによって倒された。
廃墟の巨溝は、古代ローマの剣闘場を思わせる。
そこでは、更なる高楼の再建が計画されている。

アメリカの兵士は、今砂漠の地に進駐している。
開戦理由の大量破壊兵器は結局存在ぜず、開戦は強引に過ぎた。
だが、イラクの解放の旗には大義があったはずだ。
しかし、それも石油利権や中東支配の野心のために汚されている。
そのために、結果的にテロの危険は却って高まった。

アーリントンに並ぶ白石の墓標は、今日も増えて行く。
石油利権を放棄し、他国と協力しイラクの再建を果して早く帰ろう。
アメリカよ、誤りは正し、自由と民主主義の立国の志に立ち返ろう。

兵士達は、祖国の大義を信じて死んだのだから。

K.S

 

 

A poem: "In Arlington cemetery"

The slightly elevated hill on the opposite riverside of the great man's
memorial.
White grave posts tidily stand in a line.
The politics of the homeland, please go the rule of right.
Since military men hope to die in righteousness from ancient times.

September 11, 2004
By K.S

 

 

・憲法改正の論点整理 −集団的自衛権と国家像− (2004/7/19)

参院選が終わった。
民主が伸び、自民の凋落が明らかになったが、公明に支えられて表面上の議席数では
それ程負け込まず当面政局になる事は避けられた。
参院選では年金問題が主な争点だったが、次期衆院選では憲法改正が俎上に上がると
見られている。
特に今後年金問題等で民主の責め方が甘く、小泉政権が死に体ながらこのまま延命を
続け、衆院解散が任期切れの3年後に近付けば近付く程この傾向は強まるだろう。

いずれにしても、国際情勢等が風雲急を告げ、憲法改正容認の国民世論が過半を占め
る今、政局如何に関わらずその論点を整理して置く事が必要であるのは言うまでもな
い。

◆結論が見えてきた諸論点
少し前までは、国際貢献として国連の集団安全保障活動に参加するに当って武力行使
を含めるか否かが最大の争点であったが、6月に出た民主党の憲法改正素案で武力行
使については「最大限抑制的」という条件付きながらこの肯定が明示された以上、自
民党も同じ土俵に立つ事を迫られる。
また、前の参院選での共産党、社民党の大敗を見ても、国民世論もやがてこれらの容
認へと収斂して行くだろう。

その他「環境権」等の諸人権、地方分権等を強化する方向性は、程度は別として概ね
各党も一致して賛成する事項である。
また、国民の権利と義務の問題もこれらを条文上精緻に書き込み組み上げる作業は重
要な事であり国民、マスコミが監視して行くべき事であるが、要はバランスの問題で
あり、筆者は言われている程実質的な争点にはならないと観る。

それでは残された大きな争点は何かと言うと、筆者は集団的自衛権の問題と国家観、
国家像を前文でどう描くかであると考える。

◆残された論点(1) 集団的自衛権
集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自
国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止する権利を言う。

現憲法第9条に「・・・国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2.前項の目的を達する
ため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めな
い。」とある。
内閣法制局及び歴代自民党内閣は、この条文を基に日本は集団的自衛権を有している
が、その行使は出来ないとして来た。

しかし、元々国連憲章で、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武
力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措
置を取るまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」 
(国連憲章第51条)と明確に規定されている通り、集団的自衛権は国連の錦の御旗
の下、国連軍、多国籍軍が編成される等の間の緊急避難的なものであり、現憲法下で
も法的にも行使は認められており、国益の面でも認められて然るべきと筆者は考え
る。

さて、この集団的自衛権の行使を憲法改正の際にどう扱うかが争点になる。
当然の権利であり敢えて明記すべき事もないというものから、行使出来ない旨を書き
込むべきというものまで、立場により幅広い意見がある。

筆者は、前述の様に行使が認められて然るべきと言う立場から、現憲法下で解釈が分
かれる以上、行使できる旨を明記すべきと考える。

だがその上で、現状を見るに、現小泉政権が極端なアメリカ追従であるのは論外とし
ても、筆者は、この集団的自衛権の行使の明記が、現にイラクで起きている事に上乗
せして今後も「アメリカの(侵略)戦争」に無制限に付き合わされる「自動参戦装
置」となりかね無い事を懸念する。

本来、我が国が集団的自衛権の行使が緊急性と国際正義及び国益に適うと判断する事
態が生じたら、主体的に行使すればよいし、その逆なら行使しなければよいだけなの
だが、国防をアメリカに大きく依存している現状を考えれば、今後の政権もアメリカ
からの圧力に耐えられるか心許ない。

そこで、筆者は「国際社会の同意が得られる場合に限り」その行使を妨げない旨を書
き加えた上、当面のテクニカルな対応として、第1段階の憲法改正としては、日本が
自主防衛の充実等により相応の国際的発言力を得るまでは集団的自衛権の行使につい
て敢えて「我が国の安全に対し喫緊の影響を与える場合に限り」等の制限を付け、第
2段階として、その制限を削除する「2段階改憲論」を提唱したい。

なお、国連の錦の御旗の下に行われる「集団安全保障活動」とそれが発動されるまで
の繋ぎである「集団的自衛権行使」は、国際社会においてもより明確に区別されるべ
きである。

◆残された論点(2) 国家観
もう一つの論点となるのは、順序が前後したが国家観を憲法前文にどう書き込むかに
なる。
所謂「国がら」については、中曽根元首相等主に自民党側からは、憲法の前文には、
「どこの国にも当てはまるものでない日本の国がら、伝統を織り込む必要がある」と
なるが、一方の先述の民主党の素案では、「地球市民的」的要素を大きく謳うべしと
されている。
筆者はこれらについても、両方の要素が必要であり、落とし所を探るべき課題である
と思う。

それ以前の観点として、筆者は、憲法前文には、先ず国家観として国家とは何かとい
う普遍的な原則、「主権国家と国民の関係、具体的には国家は国民及び社会を保護育
成する基盤、公器であり尊重されるべきと共にその目的範囲を逸脱し国民を圧迫した
り、他国に脅威を与えるべきものではない事」等の基本的な事項を書き込む必要があ
ると考えている。

市民革命を経た欧米や宗主国に対し解放戦争で自ら独立を勝ち取った旧植民地の国々
は、国家とは何かと言うのが国民の血肉になっていて、敢えて言葉にして語らなくて
も庶民であっても体で理解しているように思う。
前の参院選での投票呼び掛けのCMの中でサッカー選手の中山ゴンがスタジアムのサ
ポーターに叫ぶ「日本に関心を持てるのは、スポーツだけですか」ではないが、日本
は幸か不幸か、市民革命も独立戦争も経ていないので、国民が国家とは何かをよく分
かっていないと思える。
     
国家観は言わば国家の背骨であり、筆者はこれを欠いている事が日本がこの10年余
り昏迷し漂流を続けており、諸問題を解決できない根本原因であると捉えている。

◆残された論点(3) 国家像
次に、筆者は今後国の向かうべき方向性を定めるために、具体的な国家像、国のかた
ちを憲法前文の中に書き込むべきだと考える。

現在日本は、冷戦終結後の国際環境の中、従来の相互依存型社会から、アメリカ型弱
肉強食的自由競争社会の流入の中に投げ込まれ、2つの価値観の間で翻弄されどこに
進むか方向性を失っている。
筆者は、この一見相矛盾する2つの価値観を「ナショナルミニマムを伴う自立社会」
等として構造的に整理統合し、国民に一定レベルの安心を与えると同時にある種の覚
悟を促し、今後の繁栄の基礎となるものに組み上げるべきと考える。

また、この演繹として、国際社会に対しては、例えば「世界の発展と調和の同時実
現」を目指す事を理念として掲げ、今後激動が予想される国際社会を方向付け、必要
に応じて国際紛争の解決を仲介する縁とすべきと考える。

各国の憲法では、例えばイタリア憲法には前文自体がない等、一般に前文は短いのだ
が、筆者は、憲法は現実世界を規定する機能的なものであるべきとの考えから、数行
から10行程度増えたとしても、これらの事を前文の中にキッチリと書き込むべきと
の立場を取る。
そして、もし時流に合わなくなれば、適宜改正可能なように、硬性憲法である事は維
持しながらも、その条件を緩める事が必要と考える。

以上、憲法改正について筆者なりの論点整理をしたが、各党あるいは各勢力には来年
半ばの憲法調査会の最終報告を必ずしも待つことなく、素案を出しぶつけ合い論点を
洗い出す事が望まれる。

 

 

・ジェンキンス効果、年金、組織票 −鬩ぎ合う参院選情勢− (2004/7/10)

参院選の各党各候補者の訴えが、正式には全て終わった。
いよいよ明日11日(日)、投開票を迎える。

マスコミ報道では概ね野党有利との観測が流れたが、当然ながら与党も
様々な手段で猛烈な巻返しに出ており、投票箱を開けてみなければ結果
は予想し難い。

◆ジェンキンス効果
拉致被害者の曽我さんが参院選投票日直前の9日(金)にジャカルタで夫
でアメリカ人元脱走兵のジェンキンス氏と2人の娘との再会を果した。

時期が時期だけに、政権与党のパフォーマンス狙いではないか、有権者は
それに騙されるほど愚かではない等と新聞雑誌では批判的論調が多かっ
た。
しかし、活字メディアと違い再会実現の画を流すTVでは、概ね政権与党に
好意的な扱いが多いようだ。
週刊誌月刊誌の発売タイミングや映像の影響力を考えれば、今回のジェン
キンス効果は与党に有利に働くと観るのが妥当ではないかと思われる。

日朝平壌宣言、小泉再訪朝自体に、北朝鮮が「死亡」「不明」とした拉致被
害者10人、拉致された疑いのある200人とも400人とも言われる特定失
踪者問題が解決に遠い事を持って評価しない見方がある一方、一部拉致
被害者帰国を持って一定の成果ありという見方があるように、評価が分か
れる。
 
ジェンキンス効果は、少なくとも一時的にはこれらの評価にも影響するだろ
う。

◆年金
年金問題では、与党からも具体案が出た後、既に出ている野党案とぶつけ
る形で抜本改革について協議し合おうという野党と、話し合いの場を設けて
から再度の抜本改革を協議するとした与党のスレ違いを有権者がどう見る
か。
マスコミ各社の報道では野党有利と出たが、前述のジェンキンス効果で、参
院選最大の焦点から外れつつあると見られる。

◆組織票
組織票は本来固定的要素であるが、中には情勢によって中央の指令一つ
で素早く投票行動を変える柔軟な思考と統制の整った体制を持つ組織もあ
り、今や国政の帰趨を左右する最大の変動要素となった。

◆天気
涼しく、雨が降る事なく過ごしやすい方が投票率が上がるが、天気が良すぎ
ても行楽に出かける人が増え投票率が下がる。

気象庁が7日発表した8−12日の週間天気予報によると、参院選投票日に
当たる11日の天気は、仙台、東京、大阪、広島などで「晴れ時々曇り、降水
確率20%」と予想されている。

最近は、この予想自体が投票率を左右するとも言われているが、少なくとも
実際の天気には人為的操作は入りようが無く、特に日中の晴雨の変化は
鎌倉時代の元寇時の神風同様、八百万の神の領域に属する。

◆政治番組
天気は八百万の神のものであるが、政治討論番組は優れて人間の領域の
ものである。
日曜朝は特に政治討論番組が続く。
筆者は少々マニア気味で、ビデオにとって早回し機能も使い全部チェックし
ているが、そうで無くとも多少とも流し観をしている有権者は多い。

特に政治家の失言やキャスターの斬り込みの仕方が、これまで選挙や政局
を結果的に左右した例は少なくない。

中でもテレビ朝日のサンデープロジェクトの田原総一郎氏の影響力は、かつ
て内閣を一つ飛ばしたと言われる程大きいものがある。
当然、投票当日に特定政党や候補者の得票に影響を与える直接的な表現
は控えるだろうが、日本の有権者はマスコミの作る論調、空気に影響されや
すく、投票行動に結び付く可能性も捨て切れない。

田原氏の舌鋒が、どの方向に斬り込み図らずも選挙結果を左右するのかし
ないのか、番組に対する真摯な対応の余り、結果として特定政党や候補者
に対して有利にしたり不利にしたりするものになるのかならないのか、ブラウ
ン管を通し田原氏の口元に注視したい。

 

 

・年金問題が参院選の最大の争点 (2004/6/27: 『週刊金曜日』 2004年7月9日号掲載

参院選が始まった。

イラク情勢は、主権移譲を挟み鬩ぎ合っており不透明である。
この事もあり、日本国民はイラク問題、自衛隊の多国籍軍化についての判断基準を現
時点で持ち難く、日本に直結する大きな事件事故が起きない限り、これらは今回の参
院選の争点にはならない。

参院選の争点は、各社の世論調査も示すように年金問題である。

年金問題の現状こそは、官僚の天下りシステムと前例踏襲主義と保身体質に、問題先
送りの歴代政権がおんぶしてきた事の象徴である。

年金制度はこのままではいずれ破綻する。首相も認めるように抜本改革が必要であ
る。
政治問題に疎く、ともすれば権力やマスコミ報道に流され易いお人良しの日本の国民
も、さすがに自身の生活や将来保障に直結するこの年金問題については、現状をリア
ルに直視し始めている。

年金問題は、国民生活全般についてのナショナルミニマム(国が提供する保障)の領
域と国民の自助努力による自己責任に属する領域に関して、どこに線を引くのかを問
う象徴的な課題である。
即ち、今後の「この国のかたち」を定める最重要政策となる。

与野党各党もこの年金問題を最大の争点にして参院選を戦う事になる。
たとえ争点から外したいと考える政党や候補者がいたとしても、避けられない。

年金問題に対して、より誠実に具体的な処方箋を示し、有権者に訴え得た政党や候補
者が参院選を制する事になるだろう。

参院選を通じ、各党各候補者、そしてなにより国民自身の判断と責任が問われる。

 

 

・小沢民主党の展望 −分裂の危険性と体制整備の必要− (2004/5/16)

◆就任受諾◆
年金問題での騒動の末、小沢一郎氏が民主党の新代表に就く事が決まった。
元来小沢氏は、自らの構想実現のためナンバー2的立場からの実質的な影響力行使
を好むタイプであり、当初は就任を固辞するかと思われたが、7月の参院選へ向け
ての党内の強い要請を受け受諾を決意したようだ。

小沢氏は、当然参院選で負け戦をするつもりは無い。
代表を受ける以上、年金問題を手始めに恐らく戦国武将のノリで国会内外で勝つた
めのあらゆる戦略、戦術を使い切る事を考えているだろう。

信長や謙信、政宗のような戦国武将の行動パターンは、敵の外堀を埋めて行くよう
な地道な手を打つ事を基本とする一方、一転閃きにより軍配一つで戦術を切り替え、
あるいは敵を欺くに先ず味方を欺き少数側近にだけ作戦を知らせ鬼面人を驚かす奇
襲を掛けたり、敵を籠絡分断して一方と結んだりする所にある。

◆警戒する若手◆
戦国武将への筆者の勝手な連想はともかく、早くも党内外から小沢氏の手法につい
ては強引、独断的、壊し屋と言った懸念が上がっている。

小沢氏の過去の発言では、「一旦リーダーとして選んだ以上、その期間は全権委任
をしなければリーダーシップを発揮しようが無いではないか」という主旨のものが
あったかと思う。
小沢氏の手法、思考パターンは、善くも悪くも従来の民主党の「丁寧な議論の積み
重ねによるプロセス重視」の意志決定文化とは異なる事は確かだ。

また、民主党若手の中には、小沢氏に対し生理的とも言える拒否反応を持つ者もい
る。
筆者は一年余り前、あるパーティーの立ち話のくだけたやり取りの中でだが、枝野
幸男政調会長から「小沢と組むぐらいなら小泉と組む」という言葉を直接聞いた。

当時は旧自由党との合併前で、枝野氏に限らず民主党内に小泉構造改革への淡い期
待が未だ残っていた時期であり、年金改革始め旧自由党の政策が大きく組み込まれ
た現時点とは異なるとはいえ、議員も人の子である以上感情面では小沢氏への拒否
反応は未だ消えていないと考えるのが自然だろう。

◆対決へ向けて◆
トップダウンと構成員の同意を常に得る「民主的手法」、更に民主的手法の中でも
多数決により左右を決める手法と全員一致の手法は本来矛盾対立する。

小沢氏がトップダウン方式をダイレクトに押し通した場合、やはり摩擦は避けられ
ないだろう。
一方、民主党の大学のゼミとも揶揄される従来の優雅で上品な合意形成プロセスで、
小泉首相率いる自公連立与党相手に実際の戦が出来るかと言えば無理がある。

党内意思決定システム、代表及び執行部権限、執行部を牽制解任する機能等の定め
は、当然ながら公党である民主党の中にもあるが、小沢新体制にとっては特に書か
れていない部分の運用手続整備が必要だろう。
また場合によっては、例えば重要事項は事前に全議員多数決や執行部一任の一札を
取る等々の木目細かい対応が必要な場面もあるかもしれない。

加えて、これを書いている5月16日時点では未だ新体制人事は決まっていないが、
「急先鋒」の枝野氏を野に放たず、執行部や少なくとも「ネクストキャビネット」
の閣僚として残し、発言機会と意志決定の共同責任を与える必要があろう。
また枝野氏も要請されれば党のためこれに応じるべきであり、断る合理的な理由は
見出し難い。

ともあれ小沢氏は、日本のトータルなビジョンを提示してきた数少ない政治家であ
る。
激動する内外情勢と山積する諸課題解決に向け、国民を巻き込んでの現小泉政権と
の真っ向勝負を期待したい。

 

 

How do U.S. people want to carry out Iraq? (2004/5/9)

The ground of Iraq is burning.
After the end of large-scale battles were declared one year ago, many people
of Iraq have be dead by suicidal-explosion terrorism, its involvement, and
bullets of U.S. soldiers.
In addition, the number of the coffins of the U.S. and alliance country's
soldiers  are carried by transport planes and return to their mother
countries, also increase  every month, and may reach to 1000 someday.

It was said from the Bush Administration that the purposes of this war were
exclusions of the mass-destruction weapons and the dictator for preventing
terrorism like 9.11, democratization of Iraq, democratization of the whole
Middle East by the domino effect, etc.

As other war purposes that were hidden, it was talked at mainly overseas
that there are the revenge to an insult which the presidential father
received, the business stimulus by the munitions boom and the Iraq revival,
the oil rights of Iraq, the base reinforcement of Israel in the Middle
East, the prevention of shift to Euro from Dollar for oil settlement of
accounts, Bush's presidential reelection of by putting the United States on
a state of war, an attempt of the great Middle East bloc ruled by the United
States, etc.

The causes of that the terrorism expected to be Islamic extremists' doing in
Iraq and every corner of the earth has spread are the force which began war
without obtaining the consent in the world, a doubt which Bush and Blair
exaggerated intentionally the danger of mass-destruction weapons which is
not yet discovered, and that all of the world people think that arbitrary
elements, such as oil rights are  the true purposes of war than
democratization of Iraq etc. and these give excuse for terrorists.

Democratization is a historical big flow.
It will not necessarily be good, that a lot of blood does not only flow with
autocracy organization.
Permanent subordination means mental death.
Moreover, in a poor far east country, many people are hungry for autocracy,
are  executed, and die without satisfactory medical treatment to sickness
and wound.
Many of Iraq people are evaluating that autocracy of the Hussein
Administration was finished itself by this war.

War already broke out.
We refrain from asking about the problem of outbreak-of-war process here.
However, if true purposes of the war are only establishment of a puppet
government, acquisition of oil, etc., is the blood shed on both sides
rewarded sure enough?
Moreover, can the chain of retaliation be cut off?

The United States, the United States people,
What do you want to do in fact in Iraq?
How do want to change the Middle East?
Frankly speaking, what do you want to obtain with shedding much blood?

First of all, I want you to reflect on yourself, arrange your true wishes
and show Them.
I want you to talk to yourself profoundly, and please don't swallow only
comments by the political power and media.
And I want you to move the United States on according to your consciences
from now.
We foreign country people want to believe that you are the people who desire
not only the national interest of your country but also simultaneous
realization of development and harmony of the world with us.
The world is not strongly made, so that a huge elephant which riots
capriciously can be coped with, and human lives are not so light as
bloodshed without righteousness is allowed.

 

 

・イラク日本人人質と国民世論の行方 −自己責任論について− (2004/4/24)

◆首相の苛立ち◆
「これだけの目に遭って、多くの政府の人たちが自分たちの救出に寝食を忘れて努
力してくれているのに、なおかつそういうこと言うんですかねえ。やはり自覚とい
うものを持っていただきたい」
小泉首相は16日、記者団に解放直後のNGO活動家やジャーナリスト等のイラク
日本人人質3人について「イラクに残り活動を続けたいという人もいるようだが」
と問われ、苛立ちと怒気を含んでこう答えた。

また、同日、公明党の冬柴鉄三幹事長は「大変なお金を税金から出している。請求
できるものは請求することで、責任を知ってもらう」と強調した。

◆日本人人質と風船おじさん◆
かつて、太平洋横断を目指し、風船に乗って大空に消え去った「風船おじさん」と
いうのがいた。
自分のロマンを求めて危険を冒したおじさんは、家族意外誰にも同情されず、海上
保安庁の航空機の出動等もあり人騒がせだと非難された。
風船おじさんはともかく、どんな危険な事をやってもいいとなったら社会は成り立
たない。
やはり自己責任というものはある。

今回のイラク日本人人質も然りである。リスク管理が甘く、かなり無謀だった。
例えば、バクダッドに向かうにしても、戦闘地域のファルージャをもっと大きく迂
回するルートは取れなかったのだろうか。

だが一方で、パウエル米国務長官の「誰もリスクを引き受けようとしなかったら、
社会は進歩しない。日本人は彼等を誇りに思うべきだ」という人質に対する発言を
待つまでもなく、彼等の無謀さだけを強調し非難するのはバランスを欠く。
また、その是非は別にして「占領軍に荷担する日本政府」とは別の立場の日本人が
いる事をイスラム社会他、世界に知らしめる事は、それ自体大きな意味での日本人
全体のリスクヘッジとなり長期的な国益にも適うだろう。

要は、彼等のボランティア活動や取材活動の価値が、リスクと釣り合うかどうかが
問われる。

◆自己責任論◆
小泉首相以下、日本人の多くは、今回の件で彼等の自己責任を強調し非難した。
これは、理屈で言えば、彼等のボランティア活動や取材活動の価値をゼロでは無い
にしても、リスクと較べてかなり低く見積もったという事になる。
あるいはそれ以前に、アメリカのイラク統治や作戦の妨害として、厄介者として捉
えたようだ。

彼等の救出費用は、国民の税金による。
民意が彼等の行動を最終的に否とするなら、民主主義国家の一国民としてはそれに
従わざるを得ない。
そうである以上、彼等は国民に詫びるべきだし、事実既にそうした。一部だが、今
回の救出費用も支払うようだ。
ソクラテスが助命の嘆願を断りアテネの法に殉じたように身を処す、それが民主主
義国家の原則ではある。

◆国民世論の行方◆
しかし、国民の考えは変えられる。
はずではあるが、現状を客観的に見ればあまり期待は出来ない。
一部の学者やジャーナリスト達が、「自己責任論」によるバッシングに対する抗議
のアピールを上げている。
その行動は必要なものであるが、バッシングはある程度緩和されるかもしれないが
国民世論に大きな変化は無いだろう。

マスコミの趨勢は、当初より官邸と呼吸を合わせバッシングをしており、一度持ち
上げた者を落として叩く事はあっても、叩いた者を元に戻すパターンは面子もあり
稀だからだ。
そして、他国に較べて、自立した判断基準を欠いておりマスコミの作る世論に影響
を受け易く、それに合わせる事を持って初めて安心感を得る国民性からいってもそ
うだろう。
また、この国では、知識人も複眼的な視点を十分に持ち合わせていない。

おそらく、当初のバッシングに対する国民の若干の気まずさを伴いながらこのまま
議論は尻すぼみになり、日本人の記憶から消えて行くのだろう。

元人質の皆さん、日本人はあなた方を必要としないようだ。
日本には、あなた方の行動を受け入れる度量は少なくとも今は無い。 
あなた方は生まれる国を間違えた。次回は別の国に生まれて来て下さい。

これらは恐らくは言い過ぎだが、多様な考えの存在を許す成熟した国家国民になる
には、市民革命を経ないで近代化した日本にとって、なお長い曲折と持続的な啓蒙
が必要とされよう。

 

 

From: K.Sato To: global-net@yahoogroups.jp Sent: Sunday, March 21, 2004 8:00 AMSubject: [global-net]

油まみれ、嘘まみれの戦争から1年

鬩ぎ合うイラク情勢。
世界で頻発するテロ。

家康は、慶長19年(1614)、梵鐘の銘文「国家安康・君臣豊楽」
に「この文に呪詛の言葉あり」と言い掛かりをつけ、大阪夏の
陣・冬の陣を引き起こし豊臣を滅亡させた。

イラク戦争は油まみれ、嘘まみれの戦争だったが、歴史を振り
返ればこんな例はいくらでもある。

家康は、曲がりなりにもその後3百年の平安と繁栄の世を築い
た。
何が正義かは、歴史的なイベントに措いては、切っ掛けや動機
に関わらず、そのもたらすトータルな結果次第で後付けで決ま
る性質を持つ。

アメリカは、イラク、中東を民主化し、世界を安定させられるのか。
大量破壊兵器の「保有疑惑国」に対する国連に拘束されない先
制攻撃は、今後理論化、ルール化出来るのか。
また石油ドル決済体制維持と中東の石油支配で、アメリカ経済
は復活し、自らに徳政令を発し米国債をチャラにする事を踏み止
まるのか。

イラクは、ヘーゲルの言う歴史の戦いの鬩ぎ場なのか。

 

 

・年金改革と国のかたち (2004/3/14: 『日経ビジネス』 2004/5/3号掲載

年金改革が、主要な政治テーマとなってきた。
この問題は、一応昨年末の与党間合意では、負担の切り上げと給付の切り下げで決
着している。
しかし誰が見ても問題先送りで単に足して2で割ったものであり、破綻までの時間
稼ぎに過ぎない。

年金は、先ず生活保護との関係を整理した上で、国民の生命安全を守る最低限の保
障と、ある程度の豊かな老後の保障の2つの機能に分けて考えるべきである。

そして前者の部分は、一定年齢になれば国民等しく受給できる基礎年金として、保
険料徴収コストを省くためにも消費税等を財源に全額税方式にするのが合理的だろ
う。
その給付レベルは、消費税率等とセットで国民投票を導入して決定するのが望まし
い。
一方、後者は、自助努力の領域に属するものとして、支払った保険料に応じて受給
が決まる積み立て方式もしくは民営に移行させるのが適当である。

更に言えば、国民生活全体について、ナショナルミニマムとして必ず保障される範
囲と、市場経済の原則に従うべき範囲に分け、その基準を明確化すべきである。
これを背骨とした介護・医療を加えた社会保障全般、高速道路、郵政、地方分権等
を含む諸課題の大胆な改革により、国民は一定レベルの安心を得ると同時に自己責
任によるある種の覚悟を持つ事になる。

筆者は、この方法が社会の発展と調和を同時に実現させ、我が国の今後の繁栄の土
台となると考える。

小泉首相が使い出して3年になる「構造改革」と言う言葉は、実際の成果の乏しさ
もさる事ながら、国民、選良、識者の議論に晒されたが群盲象を評すの例え通り全
体像不明のまま賞味期限を迎えようとしている。

景気回復は実感が乏しく、国民の将来不安は消えない。
その原因は、改革のための背骨が無い事である。
背骨が無いから、問題点の切り分けが出来ず、足して2で割る結論しか出て来ない。

今、必要なのは、諸改革を貫く向かうべき国のかたちをシンプルかつ明確に示す事
に他ならない。

 

 

・「構造的思考力」の欠落が日本をダメにする (2004/1/26) 

◆日本の現状
バブル崩壊後、我が国は低迷から抜け出せず、失われた10年と言われて久しい。
小泉首相が使い出してから聞かぬ日の無い「構造改革」と言う言葉は、国民、選良、
識者の議論に晒されて3年になろうとするのに、群盲象を評すの例え通り、未だに
それが何を指すのかについてすら、明確な共通認識がない。

自衛隊のイラク派兵はなし崩しに決まり、国民多数は先日まで派兵反対であったは
ずが、何時の間にか現状を追認している。
景気は燻り続け、国民の将来不安は消えず、向かうべき国の形が見えない。
この国は、方向性なく漂流している。

冷戦崩壊後の国際情勢、経済環境の激変がこの漂流の切っ掛けであるが、いつまで
もこの状況に対応できない責任は、当然ながら政治家、識者、マスコミを筆頭にし
た国民自身に帰する。

10年間も昏迷が続くのは、異常な事態である。
筆者は、この間の政治の流れ、それに付随した国民意識の動きをさながら長編ドラ
マのように観察して来て、何か日本人には根本的に欠落しているものがあるとの思
いに至るようになった。

日本人は、物事を餅の様に一体的、一面的、膠着的に捉えてしまい、対象を多面的
に捉え各要素に分解し、それらの性質と得失を踏まえた上で結論を組み上げて行く
と言うある種当たり前の思考パターンが欠落しているのではないか。
この当たり前の思考パターンに大仰なネーミングをすれば、言わば「構造的思考力」
と言う事になろうか。
そして日本人は、思考に構造と理論を持たないから、情緒とその時々の周囲の雰囲
気だけが判断の基準となり、社会全体に関わる大きな問題については、何時までも
主体的に方向性のある生産的な結論を出せない。

◆ 年金問題と国の形
これを、現在の政治テーマに当てはめてみる。
例えば、年金問題については、昨年末の与党間合意で、負担の切り上げと給付の切
り下げで決着したが、見ての通り単に足して2で割るものに過ぎない。

年金は、先ず生活保護との関係を整理した上で、国民の生命安全を守る最低限の保
障と、ある程度の豊かな老後の保障の2つの機能に分けて考えるべきである。

そして前者の部分は、一定年齢になれば国民等しく受給できるものとして、保険料
徴収コストを省くためにも消費税等を財源にする税方式が合理的だろう。
その給付レベルは、消費税率等とセットで国民投票を導入して決定するのが望まし
い。
一方、後者は、自助努力の領域に属するものとして、支払った保険料に応じて受給
が決まる積み立て方式もしくは民営に移行させるのが適当である。

更に言えば、国民生活全体をナショナルミニマムとして必ず保障される領域と、市
場経済の原則に従う領域に一旦分離し、各分野でその範囲を明確化した上で、両者
を適宜組み合わせるべきである。
それは、介護・医療を含む社会保障全般、高速道路改革、郵政改革、地方分権等に
ついても、同様である。

このコンセプトによる諸問題の整理により、国民は一定レベルの安心を得ると同時
に自己責任によるある種の覚悟を持つ事になる。
それは、大きな方向として社会の発展と調和を同時に実現する事に繋がり、我が国
の今後の繁栄の土台となるだろう。

◆イラク派兵と外交・軍事
また、例えば自衛隊のイラク派兵問題では、安全保障、その他の国益、国際的な大
義の3側面に分けて捉えるべきである。
先ず、考えるべきなのは自国の安全保障である。
イラク派兵をしない事により日米同盟の絆を希薄化する事は、北朝鮮等への牽制を
弱め日本の安全保障にマイナスに働く一方、イラク戦争に連なる占領統治に荷担す
る事もまた、国内テロまたは海外での邦人テロ可能性が高まる点ではマイナスに働
く。

次に、その他の国益の面では、自衛隊派兵が実際にイラクが安定し復興する事に資
すれば、石油の大部分を中東に依存する日本にプラスに働くが、逆に失敗し中東諸
国の恨みを買うリスクも大きい。

更に、国際的な大義の面で開戦動機の正統性に大きな疑問のあるイラク戦争は、今
後中東が民主化し安定する切っ掛けとなれば結果オーライで是とされ、中東発の世
界へのテロの蔓延を引き起こせば否とされる性質を持つ。
なお、開戦の正統性はどうあれ、復興支援自体がイラクにとって必要である事は、
論を待たない。

結局、今後イラク・中東情勢がどう転ぶかによって、イラク派兵が吉と出るか凶と
出るかが決まるが、現時点で観測すれば、アメリカが今後もイラク復興で利権の独
占や傀儡政権樹立の模索等の恣意的行動を取るなら、今後中東が民主化し安定する
可能性は低く、国際協調に大きく舵を切るならその逆だと言えるだろう。

日本としては、占領行政の枠内でなく、国際協調の枠内で自衛隊派兵を含む復興支
援を行う事により、イラク開戦の共同責任からは距離を取るべきである。
同時に、アメリカを孤立させない役割を担う事により、日米同盟を悪化させない事
が、ベストシナリオである。

成就するか否かを問わず、日本は国連の新安保理決議を通す事等に向け、本腰を入
れて関係各国を仲介する努力をすべきだろう。
政府は、中東、ドイツ、フランス等に特使を派遣する等、一応の対応はして見せた
が、アメリカ従属が前提である事が明らかであり、国際政治上、歴史上のアリバイ
作りにすらなっていない。

小泉首相は、既にアメリカと心中する腹を決めた。
吉と出るか凶と出るか、己の政治生命と日本の運命をそれ一本に掛けた。
そして、国益と大義という言葉を全く定義しないままに、ぐちゃぐちゃに使い、自
衛隊派兵の理由説明としている。

だが結論がどうであれ、本来、特に外交・軍事においては、問題を要素に分解しメ
リットとリスクの大きさを計算し、それらを組み上げベストシナリオ及び優先順位
を付けた複数の代替シナリオを決定して置く事が不可欠である。
それは、その後の事態の変化に対する対応可能性にも繋がる。

◆神道と日本人
日本人の「構造的思考力」の欠落は、古代からの根深いものであると思える。
教義が無いと言われる日本神道の根本教義をあえて探すとすれば、「明き清き心」
という言葉になろうか。
この言葉は、内部に構造を持たなく、単一価値観、単線的思考、集団主義等につな
がる。
これらは、国民の一心不乱の努力により短期間の戦後復興をもたらす等では、プラ
スに作用した反面、戦前の拡張主義と破綻、バブル発生と崩壊に続く今日の停滞等
を生み出している。

一方、例えば西洋はどうかと言うと、統合的に物事を観られる者は他の社会と同様
やはり限られるが、キリスト教的思考、特にプロテスタントは物事を善悪のように
2つに峻別する傾向があり、社会内の対立が激しく行なわれる結果、短期間で結論
が得られるという特徴がある。
これにより、主に社会全体が動的に「構造的思考力」を分有していると言える。

また、初期儒教にも構造的な思考が見られる。
例えば、論語に「学んで思はざれば罔く、思ふて学ばざれば殆し」という言葉があ
る。
これは、学習する事と思考する事それぞれに内在するメリットとリスクを読み取っ
て、それを踏まえ常に意識し組み合わせ、バランス良く学問に精進せよという程の
意味であるが、物事の本質を複眼で見抜いた孔子のこの言葉の鋭さは2千数百年を
経てなお出色のものである。
日本において、明治維新とそれに続く富国強兵、殖産興業が成功した背景には、志
士達とその後継者達に、朱子、陽明の別と対立はあれ、儒学の素養という共通土台
があった事は否定の仕様が無い。

◆ 日本の行方
日本人は、このまま「構造的思考力」を欠いたままでは、今後も押し寄せる内外の
諸問題に対し何ら有効な解決策を見出せず、刹那的な世の中の空気に主体性無く従
うのみで、低迷から抜け出す事は不可能である。
また、状況によって極端から極端に走る危険を常に内在し続ける。

構造的に思考する事は、特別難しい事ではない。
しかし、現状を観るに、この簡単な事を日本人の多数が成し得るかと問われれば、
筆者は悲観的感覚に襲われる。
だが、要は単に、物事を先入観と保身に囚われず虚心に観察する勇気、お上に依存
した意識を捨てて物事に主体的に取り組む責任感を持つべきであるに過ぎない。

明治維新による社会変革は、限られた志士達の力により成し遂げられた。
大衆社会となった今日の日本の変革には、国民の意識革命、何らかの形の「市民革
命」が不可欠である。
それが、外交・軍事での大事件、経済のクラッシュ等の災いを切っ掛けにする事無
く、もしその前に為されるのであるなら、この国と国民にとって僥倖だろう。

 

 

□■ 民主党参院埼玉補選の敗因と対策 ■□ (2003/10/27)

参院埼玉補選は、連立与党が民主党を破った。。
直接的には、投票率が異常に低かった事が主な原因であるが、以下に筆者なりによ
り細かく分析を試みた。
合わせて、今後民主党が取るべき対策を筆者なりに示した。

■原因
◆ 「玉虫色の自民党」と「先送りも目立つ民主党」との間で議論が噛み合わず、
  「マ ニフェスト選挙」としての盛り上がりが起きなかった事。
◆ 両党とも個別の政策項目は一応提示されているが、それを統合した大きな対立軸
  が見えてこない事。
◆ 民主党の方が緊縮財政のイメージが強く、景気回復期待感を抱きにくい事。
◆ 当日朝のテレビ政治討論番組等で、菅氏が「親米なれど反ブッシュ」を強調し過
  ぎる等が影響し保守層の取り込みに失敗した事。
  菅氏の主張の是非は別として、この層に次期米大統領選でブッシュ氏が再選した
  場合、菅民主党で安定した日米関係を築けるかの不安を起こさせた事。


■対策
◆ 比較的対立点の明確な「高速道路無料化」VS「道路公団民営化」を戦術の中心
  に据える事。
◆ 上記を切り口にして、民主党の政策を体系付けて語る事。
◆ 体系付けの理論的支柱として、「インフラ、社会保障等の基盤整備には国家が出
  動し、その他は大胆に自由に任せる社会」VS「民営化出来るものは、無条件に
  民営化する社会」を大きな対立軸に据える事。
◆ 景気対策については、特に地方向けには、敢えて言えば「清潔な亀井静香」を演
  じる位大胆に民主党なりの具体的な政策を示し、不安感を起こさせない事。
◆ ブッシュ大統領との対立姿勢を強調せず、「米国の恣意性と強引さを掣肘しつつ
  国連の枠内に押し戻す」等の外交原則を一貫して示す事。

 

 

・自民VS民主 総選挙の争点は何か (2003/10/19)

来月9日の投票日を控え、自民党と民主党の対決ムードが高まって来た。
小泉自民党が、「ソフトで爽やかな鷹」安倍晋三を幹事長に据え選挙の看板とする
一方、民主党は、小沢自由党と合併し二枚看板を全面に押し出している。

だが、本来争点となるべき政策面では、今後のマスコミの報道ぶりにも左右される
が、「抵抗勢力」と官僚に配慮して玉虫色の表現にした自民党の政権公約と、それ
よりましとは言え、先送りも目立つ民主党のマニフェスト同士では、議論が噛み合
わないまま投票日を迎える可能性が高い。

そこで、それぞれが目指す(であろう)大きな観点からの日本の進路を比較する事
を、選挙の争点、有権者の立場からの投票のための主たる判断基準に据えるべきで
あると筆者は考える。

先ずその比較の前に、日本が取るべき進路の範囲を限定する作業が必要であるが、
そもそも本質的には日本に選択の余地は殆どない。

◆ビジョン、社会の将来像◆
第一点として、ビジョン、将来の社会の姿をどう描くかについては、国際競争に堪
え得る産業や企業、個人を生み出すように規制を原則撤廃し、地方分権を進め自由
度を上げた自立社会にする必要がある。
それと同時並行してナショナルミニマムとしての社会保障、治安、防衛、社会イン
フラの整備、技術立国としての戦略的投資を国家の責任として強固かつ効率よく進
める必要がある。

これにより、発展と調和の同時実現を追求すべく、自己責任に任せる領域を大胆に
広げると共に、最後の砦の部分は国家が維持し安心を提供するメリハリのある社会、
言い換えれば、言わば「逆T字型社会」に構造的に組み替える事が必須であり、日
本にそれ以外の選択肢は無い。
「大きな政府VS小さな政府論」と言うのがあるが、大きな方向性としては小さな
政府を目指すべきだが、2極対立で社会を斬るという論点は大雑把過ぎ、少なくと
も今後の日本の進路を論ずるには時代遅れである。

◆対米戦略◆
第二点として、外交上の基本戦略について、今後日本は無条件でアメリカに付き従
う「属国」として生きるのか、距離を置くのかの問題がある。
これについては、先ず唯一の超大国となったアメリカと唯一の地球規模の安全保障
問題の調整機構である国連との関係を整理する必要がある。

アメリカは、国連を最後は無視してイラク戦争を始める等、その強引さと恣意性を
伴った「新帝国主義」ぶりを他国から危険視されている。
一方の国連は、イラク戦争開戦の過程等でその無力さを露呈した。

少々乱暴な例えを使えば、アメリカは武力を背景に実権を握った幕府であり、国連
は権威を象徴する朝廷である。
占有、分有に拘わらず、権威と権力が両立しないと長期的には世の中は治まらない
のは、東西の歴史に観察される所である。

日本は、国際秩序と国益を守るために、親米路線を基軸とする一方、錦の御旗とし
て国連中心主義を掲げ国連を盛り立てつつ、「もの言う親米路線」を取るべきであ
る。
言い換えれば、国連とアメリカの公武合体を図るべく、国際社会での役割を担うべ
きである。
そのための発言力を持つために、自国の防衛は自国で責任を持つと伴に、国連のオ
ペレーション全般に参加出来る態勢に、憲法、国家体制、戦力、設備を整備するべ
きなのは論を待たない。

◆自民党の目指す方向◆
しかるに、自民党の目指す社会の姿はどんな物であろうか。
勿論、小泉首相と抵抗勢力では180度違うだろうが、それでは民主党との比較論
が成り立たないので、先ず小泉首相の描くものを推察すれば、漠然とした「アメリ
カ型の弱肉強食型市場経済」であろうか。

日本社会が自由度を増すべきなのは論を待たないが、アメリカン・ドリームを成り
立たせる移民国家という前提条件を持った本家でも貧富の格差の拡大により社会の
分断を招いているこのモデルを推し進めれば、現実的に考えれば日本の社会は持た
ないだろう。

そこに抗っているのが抵抗勢力と官僚となるのだが、強いて言えば自民党全体とし
ては、結果として彼等の主張と「アメリカ型の弱肉強食型市場経済」と言う正反対
のものを足して2で割った背骨の無い軟体動物のような社会像を提示していると言
える。

また、対米関係では、「属国」という言葉が適当かは別として、小泉政権は北朝鮮
問題関連等での「国益重視」のため、今後日本は無条件でアメリカに付き従う腹を
決めた様だ。
その是非を別にすれば、シンプルで判り易くはある。

◆民主党の目指す方向◆
一方の民主党の目指す社会の姿も鮮明とは言えない。
今までの軟弱なイメージを払拭するために、「強いニッポン」をキャッチフレーズ
にしたようだが、先日の自民党総裁選のある候補者が唱えた「心身ともに美しい日
本」と同様、単一要素によって出来ており内部に構造を持たない言葉のため、現実
に対して働きかける機能を有しない文字通りの単なるキャッチフレーズに終わるだ
ろう。

菅代表はまた、「最小不幸社会」を唱えているが、「強者に対しては政治は支援も
制約もせず、不幸を作り出さない事を政治の中心に据えるべきだ。」の解説を聞け
ばそれなりに理解できるが、有権者には届き難い。
また、どうしても弱者保護のニュアンスが含まれる上に、前述の「強いニッポン」
との関係は不明である。
むしろヨーロッパからの借り物の言葉にせよ「第三の道」と表現する等して、目指
す社会像を早急に明確にすべきであろう。

また、対米関係では、国連中心主議を掲げる一方、「もの言う親米路線」にも言及
しているが、国連とアメリカの関係を明示していなく、事に当たった場合、両者の
間で右往左往する印象がある。
事実上の選挙戦が始まってしまった以上、菅代表は強引にでも主導権を発揮して、
両者の関係に関し民主党としてのスタンスをクリアに定義して簡潔に述べる必要が
あろう。

◆まとめ◆
前述したように、本質的には大きな観点からの日本の取るべき進路はほぼ決まって
おり、その中で両党がどうそれに近いものを打ち出してくるかが本来争点となるべ
きである。

また、郵政問題、高速道路問題、社会保障、行財政改革、経済政策、産業政策、規
制撤廃、地方分権、イラク問題、北朝鮮問題、防衛、外交一般等も、この大きな観
点からの日本の取るべき方向性に基づけば自ずと答えは限定される。

投票日までもう日にちが限られるが、両党は、パフォーマンスだけに頼るのではな
く、一方細かい個別論だけに入り込むのでもなく、大きな方向性とそれに基づき整
合性を持った形で具体的政策を国民に問い掛けるべきだろう。

 

 

・「無抵抗勢力」と小泉首相、野合の展望 (2003/9/15)

◆総裁選と総選挙◆
20日に開票を迎える自民党総裁選で、小泉首相の優勢が伝えられる。
青木参院幹事長、橋本派の村岡会長代理、堀内総務会長等の実力者が小泉支持を鮮
明にした事が大きい。
元々、小泉首相が政策転換をすれば支持するといっていた青木氏等は、首相が政策
転換をしないと明言したにも拘わらず、首相の推薦人になった。

この事に対して、小泉陣営からポストで釣られたり、事件がらみで脅されたり、所
謂「毒饅頭」を食らった結果だとの党内外からの非難もあるが、各社の報道によれ
ば議員票と議員等が取りまとめる地方票の何れでも、小泉首相の優位は動かない模
様だ。

この趨勢のまま首相が総裁選に勝った場合、10月上旬に衆院を解散し、11月上
旬に総選挙が行われると見られる。
果してその場合に、首相の郵政民営化や道路公団民営化等の所謂「構造改革路線」
と元来これに反対する青木氏の間で、どのような政策調整が行われるのだろうか。

これを占えば、事の善し悪しは別にして、恐らく青木氏の容認の下、総選挙の選挙
公約や、竹中平蔵金融・経財相を経財相に留任させる等の内閣改造人事で、「構造
改革路線」、改革イメージを維持したまま総選挙を打つと思われる。

◆参院選◆
一見、「無抵抗勢力」と化した青木氏が首相に屈服した形に見えるが、参院を押さ
え法案の成立をコントロール出来るポジションにいる青木氏には「抵抗勢力」側か
らの非難が集中する事は無く、一応の面子を保つだろう。

その後、これを乗りきり自公保連立政権を維持出来れば、首相は青木氏と押し引き
を繰り返し「改革」の結論を先送りさせ、来年7月の参院選に臨むのではないか。

問題は、参院選後、首相が郵政民営化や道路公団民営化等で何れは結論を出す事を
迫られる事だが、首相が改革実行の名を取り、骨抜きにした上で青木氏が実を取る
落とし所に落ち着くと思われる。

◆「構造改革」とは◆
そもそも、「小泉構造改革」は、全国郵便網維持を放棄する郵政民営化や、高速道
路の永久有料化で当面の収支改善を目指す近視眼的な道路公団民営化、小規模不完
全な地方財政「三位一体」改革や構造改革特区、財源問題を避けている社会保障改
革、逆に役人が焼け太りした特殊法人の独立行政法人化、官僚と族議員任せでシェ
ア見直しの無い単年度主義緊縮財政、新規産業の登場に繋がっていないデフレ下の
不良債権処理加速策、戦略性希薄で生ぬるい重点化先端技術分野の研究開発への取
り組み等、方向違いや羊頭狗肉が多く改革の名に値しない。

この中には、僅かながら有効なものも見られ無い訳ではないが、概ね改悪、良くて
無意味なものが殆どである。
乱暴に言えば、むしろ、これらを全部裏返せば初めて構造改革になるとさえ言える。

改革とは、ただ破壊する事ではない。
ましてや、現状維持勢力と妥協し、足して2で割る結論を得る事でもない。
改革とは、「変えるべきを大胆に変革し、変らざるものを残す事」である。
また、「壊すべきを壊し、護るべきを護り、必要なものを新たに創造する事」であ
る。
例えば、郵便事業においては、一定重量以上の郵便物について参入を自由化すると
共に、それ以下は公的郵便が独占し全国郵便網の維持と競争原理による効率化の両
立を図る事等である。

これらの具体策を「一定のナショナルミニマムを伴った自立社会の建設」のような
大構えの社会の形・ビジョンの下に手順を整理し組み合わせて行う事が、真の構造
改革、競争原理と調和原理を「構造的に」組み合せる「改革」に繋がるだろう。
かつ、激動する国際環境の中、これらの実行は喫緊の事である。

◆日本は何処へ◆
青木氏等「無抵抗勢力」と小泉首相の野合を、自民党員と同党国会議員は、結局認
めてしまう事になるのか。
また、続く総選挙でも、国民はこうした小泉政権の存続を許すのか。

主体性と思考力とモラルの背骨を失い、皮相なその時々の空気に流されるかに見え
る今日の日本国民と政治家、マスコミ、言論人等が、小泉政権容認の結論を下すの
は想像に難くない。

しかし、それは国家と歴史と何より国民自身に対して大きな損失をもたらす事にな
るだろう。

 

 

・「無抵抗勢力」と小泉首相、野合の展望 (短縮版: 2003/9/15: 竹村健一『これだけメール』 2003/9/19 VOL.241掲載

20日に開票を迎える自民党総裁選で、小泉首相の優勢が伝えられる。
青木参院幹事長、橋本派の村岡会長代理、堀内総務会長等の実力者が小泉支持を鮮
明にした事が大きい。

この事に対して、ポスト等、小泉陣営からの所謂「毒饅頭」を食らった結果だとの
非難もあるが、報道によれば首相の優位は動かない模様だ。

首相が総裁選に勝った場合、果して郵政民営化や道路公団民営化等の所謂「構造改
革路線」を取る首相と元来これに反対する青木氏の間で、どのような政策調整が行
われるのだろうか。

恐らく青木氏の容認の下、総選挙の選挙公約や、竹中平蔵金融・経財相を経財相に
留任させる等の内閣改造人事で、「構造改革路線」を維持したまま総選挙を打つと
思われる。

問題は、これを乗りきり自公保連立政権を維持しても、少なくとも来年の参院選後、
首相が郵政民営化や道路公団民営化等で何れは結論を出す事を迫られる事だが、首
相が改革実行の名を取り、骨抜きにした上で青木氏が実を取る所に落ち着くだろう。

そもそも、「小泉構造改革」は、全国郵便網を放棄する郵政民営化や、高速道路の
永久有料化で当面の収支改善を目指す近視眼的な道路公団民営化、小規模不完全な
地方財政「三位一体」改革や構造改革特区、財源問題を避けている社会保障改革、
逆に役人が焼け太りした特殊法人改革、官僚と族議員任せでシェア見直しの無い単
年度主義緊縮財政、新規産業に繋がっていないデフレ下の不良債権処理加速、戦略
性希薄の重点化先端技術への取り組み等、方向違いや羊頭狗肉が多く改革の名に値
しない。

乱暴に言えば、むしろ、これらを全部裏返せば初めて構造改革になるとさえ言える。

青木氏等「無抵抗勢力」と小泉首相の野合を、自民党員と同党国会議員は、結局認
めてしまう事になるのか。
また、続く総選挙でも、国民はこうした小泉政権の存続を許すのか。
それは国家と歴史と何より国民自身に対して大きな損失をもたらす事になるだろう。

 

 

・方向違いの石原発言 −外交不首尾の真の責任− (2003/9/13: 『噂の真相』 2003年11月号掲載

「あったり前の話だ」と、石原東京都知事が、田中均外務審議官の自宅に発火物が
仕掛けられたことについて言い放った。
翌11日の街頭演説でも「爆弾を仕掛けることは悪いに決まっている」としながら
も、「だけど、彼がそういう目にあう当然のいきさつがあるんじゃないですか」と
前日の発言を撤回も訂正もしないとした。

テロを肯定すると受け取られる発言が、都知事と言う公人の口から発せられた事は
言語道断である。
速やかに訂正撤回すべきであろう。

確かに、謝罪はおろか「拉致」という言葉も記述されない一方、植民地時代につい
ての日本側の謝罪の方は明確に謳われた平壌宣言に象徴される様に、対北朝鮮政策
が国益感覚希薄な屈辱外交であるのは事実である。

これらについて、田中審議官を中心とした外務省が主導した側面は否定できない。
だが、それを許した政治の側にこそ第一義的な責任があるのではないか。

また、対米外交においても、米国を批判もする主体性と戦略性を伴った親米路線こ
そが現在日本の取る外交基本政策であるべきだが、それとは程遠いほぼ無条件に米
国の主張に付き従う属国、属米路線を取っている。

10月中旬に来日するブッシュ米大統領は、米軍のイラク駐留長期化などによる財
政悪化を背景に「国連加盟国は幅広い役割を負う責任がある」として、日本に対し
一説では1兆円以上と言われる復興資金を要請する見込みである。

これについても、無条件で米国のイラク攻撃を支持した日本は、恐らくまたしても
ほぼ無条件で応じてしまう事になるだろう。
それに伴い、新たな国債発行を財源とした補正予算を組まざるを得ない情勢だ。

今回の石原知事の「テロ容認」発言は、論外である。
しかし、それと同時に、一外務官僚や外務省に名指しで非難を集中させた事も方向
違いでズレている。
批判は本来、官僚のシナリオに乗って逆にコントロールされる事に甘んじたり、モ
ラル欠如の属国外交を金科玉条とする思考停止の政治の側に向けられなければなら
ない。
そして最大の批判は、国政の最高責任者、小泉純一郎その人に向けられるべきだ。
石原知事の批判がダイレクトに首相に向かわない事に、子息が入閣している事や自
民党総裁選後の連携の思惑が例え僅かでも働いているとするなら、今回の発言は動
機の面でも純粋性を欠くだろう。

 

 

□■ 小泉再選で、次期選挙は本当に勝てるのか ■□ (2003/9/7)

自民党国会議員他 各位
                             2003年9月吉日
                                 佐藤鴻全

前略
近付く自民党総裁選において、報道される限りでは、国会議員票は小泉首相有利と
されております。
しかし、各先生方も、地元選挙区の無党派票、地元の自民党員、派閥の方針、支援
団体の意向の間で、大なり小なり迷う事もあろうかとお察しいたします。

さて、一部からは、にせ構造改革とも揶揄されるようになった小泉自民党では、秋
と噂される衆院選あるいは来夏の参院選も、小沢一郎氏が加わり「本家構造改革」
を謳って攻めに転じる新生民主党に敗れ去るのは、埼玉知事選を見ればかなりの確
度を持って予想されるところだと思われます。

今のこうした状況においては、

@高速道路無料化、道州制導入、全国ミサイル防衛等で新生民主の政策を先取りし
 実際に着手して対立軸を相対化する事。

Aそれと共に、内容を厳選した上で公共投資で積極財政を打ち、景気回復を数字と
 国民の生活実感で実現する事。 

Bその上で、来夏、衆参同日選挙を打つ事。

このために、小泉首相以外の何れかの候補を次期総理総裁に選出する事が、自民党
が取るべきベターな戦略であると思われますが、如何でしょうか。

どうか、正確な情勢把握に基く冷静な判断のもと、正しい選択をして頂く事をご期
待申し上げます。

草々


(筆者は、どちらかと言えばむしろ野党支持の方ですが、主張を見ると「抵抗勢力」
 であるはずの青木参院幹事長と小泉首相との「野合」政権では、次期衆参選挙に
 おいても野党との真面な政策論争を期待出来ない事への危機感も込めて、この拙
 文を書き送りました。)

 

 

・新生民主党の戦略は万全か (2003/8/23: 『論座』 2003年10月号掲載

民主‐自由合併により、9月に新生民主党が旗揚げする。
斬り込み隊長菅、豪腕小沢氏の合体は、政権交代の受け皿誕生を感じさせる。

だが、役者、政策が揃いつつあるが、総選挙での当面の仮想敵小泉首相を打倒でき
るかには疑問が残る。

何かが不足している。
「掴み」が足りないのだ。

小泉首相は、マニフェストに、道路公団民営化、郵政事業民営化、地方財政「三位
一体」改革等を掲げる方針だ。
総合的なビジョンや、具体的中身がなく看板だけとも揶揄されるが、シンプルかつ
大胆な掴みになっており、そのイメージ戦略は成功している。

小泉首相は、政局の天才である。
加えて、歌舞伎とオペラ鑑賞で鍛え上げた外連味は、永田町で比肩する者はいない。
もし総裁選で小泉首相が勝てば、抵抗勢力を血祭りに上げた返す刀で解散総選挙を
打ち、これにマスコミが乗り更に勢い付くだろう。

民主党の中で成功しているのは、小泉首相の道路公団民営化に対して掲げた高速道
路の無料化である。
このように、正面からぶつけ、発想の大胆さ、インパクトの大きさで上回れば、小
泉首相の妖刀を封じガップリ四つに組める。

だが、これが噛み合わないと、菅、小沢氏の白刃も虚しく空を切るだろう。

郵政改革問題には、労組の反発を恐れ触れようとしないが、例えば逆を張って「全
国郵便網の維持」を正面から打ち出すべきだ。
そうでないと、インパクトの強さで負けてしまう。
これには、一定重量以上の信書の参入自由化の決断をし、自由化の促進を同時に謳
う必要がある。

もう一つの「三位一体」改革では、内容では勝ちイメージでは負けている。
この言葉を考えた官僚は、そのコピーライトの才を誉められてよい。

本来、政治の要諦は理念と政策にあるべきだが、残念ながら現実の世の中はそう出
来ていない。
イメージを制した者が、マスコミを制し、国民を制し、天下を制す。

秋の戦いに向け、筆者には新生民主党にとって今一度の戦略固めは必須であると映
る。

 

 

・「新生民主党」の戦略は万全か (2003/8/19)

菅、小沢氏の決断による民主‐自由合併により、9月に新生民主党が旗揚げする。
菅氏の斬り込み隊長キャラクターと小沢氏の豪腕キャラの合体は、とりあえず政権
交代の受け皿が出来た事を感じさせた。

一方、ここに来て9月の自民党総裁選での小泉再選は疑問符も付き始めたが、仮に
野中氏や亀井氏、あるいは他の者が総裁になった場合には解散総選挙は来年半ばの
衆院任期一杯まで延びるはずである。
その意味で、新生民主党が小泉現首相を仮想敵と見なしているのは、正しい選択と
言える。

だが、こうしてキャラクターが揃い、マニフェスト作成進行中で政策も揃いつつあ
るが、果して総選挙で小泉首相を打倒して政権を取れるのかと考えると大きな疑問
が残る。

何か不足しているものがある。
「掴み(キャッチ)」が足りないのだ。

一方の小泉首相は、マニフェストに、道路公団民営化、郵政事業民営化、地方財政
「三位一体」改革等を掲げる方針と伝えられる。
中身は、いずれも今後一年程かけて具体化して行くとの事から、看板だけとも揶揄
されるが、中身がなくともシンプルかつ大胆な掴みになっており、そのイメージ戦
略は成功していると言える。

小泉首相は、政局の天才である。
加えて、歌舞伎とオペラ鑑賞で30年間鍛え上げた外連味は、永田町で比肩する者
はいない。
人心を掴み、風を起こす術は尋常ではない。
もし総裁選で小泉首相が勝てば、抵抗勢力を血祭りに上げたその返す刀で解散総選
挙を打つのは既定路線である。
また、これにマスコミが乗って更に勢い付かせるのは、ほぼ予想できる事である。

これに対抗するためには、目玉とする政策を小泉首相のものと「正対」させる他は
ない。

新生民主党の中で成功しているのは、小泉首相の道路公団民営化に対して掲げた高
速道路の無料化である。
一時、財源問題で腰砕けになると思われたが、道路財源に斬り込んでマニフェスト
化される見込みである。

このように、正面からぶつけ、発想の大胆さ、イメージのインパクトの大きさで上
回れば、小泉首相の飛び道具を封じガップリ四つに組み得意の寝技に持ち込める。

だが、これが噛み合わないと、小泉一刀流の妖刀の前に豪腕と斬りこみ隊長の白刃
は空しく空を切るだろう。

郵政改革問題では、労組の反発を恐れこれに触れようとしないが、例えば逆を張っ
て「全国郵便網の維持」を正面から打ち出すべきだ。
そうでないと、インパクトの強さで負けてしまう。
あるいは、同時に郵便事業自由化の促進を打ち出し、テレビで田原総一郎氏等にそ
の矛盾を衝かれた時に菅氏がその詳しいカラクリを解説して見せる等の仕掛けがあ
ってもよい。
この場合は、支援労組側に一定重量以上の信書の参入自由化容認等の決断がいる。

もう一つの地方財政「三位一体」改革だが、3年間で4兆円の国庫補助負担金を削
減のみしか決めていない小泉首相側の案よりも、新生民主党の地方への一括財源分
与を伴う地方分権の方が質、量共に勝っている。
しかし、イメージでは負けている。
「三位一体」の言葉を考えた官僚は、そのコピーライトの才を誉められてよい。
これについても、効果的な掴みを考えるべきだろう。

本来、政治の要諦は理念と政策にあるべきだが、残念ながら現実の世の中はそう出
来ていない。
意を尽くし、理を尽くした言葉も国民には届かない。
イメージを制した者が、マスコミを制し、国民を制し、天下を制す。
戦いは勝たねばならない。そして勝った者が正義となる。

秋の戦いに向け、筆者には新生民主党にとって今一度の戦略固めは必須であると映
る。

 

 

・構造改革の中身を問え (2003/8/9)

「構造改革」を掲げた小泉政権成立から2年余り経った。

何を指すのか不明確なこの言葉に国中が振り回されて来た感があるが、自民党総裁
選や総選挙に向けての動きが活発になり、論点を整理する好機ではある。

以下、小泉首相がマニフェストに盛り込むと思われる項目について検討してみた。

■郵政民営化
郵便事業は、一般に欧米では郵便物を重量で分け一定以下を公的郵便が独占する一
方、その他は民間参入を自由化し、試行錯誤をしながら全国郵便網の維持と競争原
理による効率化の両立を図っている。

首相は民営化を声高に叫ぶだけだが、本来こうしたナショナルミニマムの考慮が必
要な分野か等が組織の形態よりも先に示されるべきである。

■道路公団民営化
首相肝煎りの推進委員会案では、民営化後、不採算でも必要な路線は政府と自治体
等が建設するというが、これでは採算の合う路線は有料で不採算路線は無料という
利用者から見ると倒錯した現象が起き木に竹を継いだ感は否めない。

現在、マニフェストに盛るか腰が定まらないが、民主党等が考える「高速道路の無
料化」の方に「インフラは無料で提供する方が経済、生活に資する」という一定の
ビジョンが感じられる。

■道州制移行
小泉政権の三位一体改革は、20兆円の国庫補助負担金のうち削減するのは4兆円
だけで移管する税目も未定で、地方分権より財務省の緊縮財政の一環と見るべきで
ある。
こうした羊頭狗肉から改めなければ、「財源移譲なき道州制」となりかねない。

この他に行財政一般、産業、社会保障等が有るが、全般的に小泉構造改革の特徴は
単なる組織いじりや帳尻合わせが自己目的化している所にある。
改革には、前提として社会の全体像をどう描くかのビジョンが無ければならない。

以上、小泉批判に終始した感があるが、野党や総裁選候補からも明確なものが発信
されているとは言えない。
互いに「真の構造改革」を掲げ、その内容を競い合う激しい論戦が不可欠である。

 

 

・野党は自民分裂を仕掛けろ −小泉延命を許す与野党の怠惰− (2003/4/20)

野党は自民分裂を仕掛けろ −小泉延命を許す与野党の怠惰−

早、旧聞に属するが、エープリルフールで小泉首相が「抵抗勢力と別れて政界再編
に取り組もうと思うんだ」と記者団にジョークを飛ばした事を受け、民主党の菅代
表は「そう言う事なら小泉さんと組んでも良いな」と発言した。

ここに、エープリルフールの戯れ言と笑って済ませられない菅氏以下、民主党の脇
の甘さがある。
菅氏は、こう発言すべきだった。
「小泉さんが抵抗勢力と別れるのは自由だが、無能な政治家と組むつもりは無い」

今日、日本は経済、株価、雇用状況はズタズタで、本心から小泉構造改革の成功に
よる日本再生を信じている国民は最早いない。

また、イラク戦争で見せた対米盲従路線は、今後も自らの意見を持たない国として
国際社会で軽蔑されるのみならず、イラク復興で多額の資金拠出が求められども、
それに伴う利益は得られず「便利な財布」としてしか扱われない可能性が非常に高
い。

こうした中でも小泉内閣が40%以上の支持率を得て存続しているのは、国民全体
が日本は本来どうすべきかという方向性を見出せない一種の国家的病理現象である。
これは、定見なくその時々で善玉を演じて、視聴率、販売部数を確保する事が自己
目的化した日本の主流マスコミの責任に帰する所が大きい。

だが、当然ながらより大きな責任は、具体的なビジョンと政策を現実的な政権構想
と共に提示できない政治の側に在る。

現在の政治状況は、小泉首相の経済失政を受け、自民党内に9月の総裁選で小泉首
相を引きずり降ろそうという非主流派の動きが一部である一方、小泉政権の看板を
掲げさせたまま内実は今まで以上に抵抗勢力の言う事を聞く完全な操り人形にしよ
うという主流派の動きの2つがある。

一方、野党側は、菅氏主導で民主党に反小泉に舵を切ってから経済、安全保障分野
での現実的な政策提言も幾つか出てきたが、前述のような脇の甘さがある。
また、自由党との選挙区調整、合同は遅々として進まない。
機会あって筆者があるパーティーで2月頃たまたま立ち話をした民主党幹部の中に
は、未だに「究極の選択、小沢一郎と組むぐらいなら小泉純一郎と組む」と明言す
る人もいた。

今後の政局としては、野党の内閣不信任案に与党内から同調者が出ない限り、また
は余程の突発的事態が起きない限り、少なくとも9月の総裁選までは日本は破綻し
た政策を抱えて崩壊に向かいつつ、小泉政権が延命する事になる。

また、その後いかなる後継首相が出ても、多少の積極財政に転換する他は既得権益
と党内派閥力学に縛られ、為す術なく行きつく所まで日本をジリ貧に導く事はほぼ
予定調和の類である。
森政権当時、政策を丸投げされ実質的な首相だった亀井静香氏が、公共投資の中身
見直し、積極財政、道路特定財源の使途組替え、消費税の福祉目的税化等を手掛け
ながら全てが中途半端に終わり、その結果、自自公連立当時に較べ平均株価を大き
く下げた事からもそれは証明済みである。

このままでは自民党政権が当分続いた後、その終焉の日が日本の崩壊の日となるだ
ろう。

この状況は、一日も早く断ち切られ無ければならない。
民主、自由等の野党は、少しでも可能性があれば自民分裂を仕掛けるべきだ。
与党の非主流派に探りを入れるとともに、内閣不信任案については時機を計り彼等
と共通項のある政策項目のアナウンスとセットで出すべきであろう。

◆高速道路の全国無料化
◆一括財源移譲を伴う地方分権、道州制の導入
◆政策減税と経済効果の高いものに絞った補正予算
◆対米盲従外交の否定と対弾道ミサイル防衛等の整備充実
等々。

選挙戦での共闘はもちろん有り得ないが、今後予想される経済情勢の一層の悪化、
外交の手詰まりと共に、石原慎太郎東京都知事の国政復帰含み等で、自民非主流派
が不信任案に乗ってくる可能性は皆無ではない。

自民党の非主流派側にとっては、政界再編に賭けるのか、派閥間のしがらみの中で
日本再生への展望無き保身の道を選ぶのか踏絵を踏まされる事になろう。

日本崩壊の足音を聞きながら、時を無為に過ごし小泉政権延命を許すのは、国家国
民に対する与野党の責任放棄以外の何物でもない。

 

 

□■ Is the independent attack to Iraq justice? ■□ (Feb/13/2003)

 ― 拙文「イラク単独攻撃は正義なのか」を英訳しブッシュ大統領はじめ、
    海外の主要政治家、政党、マスコミ、平和団体等に発信中です。 ―

Is the independent attack to Iraq justice?

First of all, what is justice? I thinks that there are two kinds of
justice. One is the justice which maintains the existing order, and the
other is the justice which knocks down the existing order and builds new
order. In the usual case, the former is called justice. On the other hand,
when changing a time sharply, the latter could be as justice. And finally
it is judged by history. However, in any case, it must be what brings
prosperity and harmony in total to human beings.

Now, American President Bush is going to push on to the Iraq attack now.
Unless President Hussein exiles, even when the new resolution in the UN
Security Council cannot be passed, it is said that the vigor will not be
stopped. A possibility that Hussein still possesses mass-destruction
weapons is high. However, when independent or in a small number of allies
such as Britain attacking, does it deserve the name of justice, without
passing through the new U.N. resolution based on the sufficient
opportunity of an inspection and sufficient real evidence?

If it compares and says to a Western film, It means that a sheriff without
a badge release fire to a outlaw's house and shoot him to death with only
circumstantial evidences because he may hide GATORINGU guns. In this case,
can the peace of a town be maintained sure enough?
A risk of an outlaw shooting a GATORINGU gun and slaughtering many
residents indeed, will be removed, and it will be peaceful for a while in
a town.

However, if a GATORINGU gun is not found after all and a question remains
whether he hid the machine gun in truly, those who sympathize with the
persons, the sons, or persons of his same province will think, "He was
killed under the false charge and the house was also burned by them". And
 it will be "nature of humanity" in a sense that they wait for the
opportunity of revenge to a sheriff and its friend over a long period of
time. And the strife with which an eye fights follows an eye, the peace
of a town is confused, imagining is not difficult for prosperity and
harmony having been lost for a long time.

This brings about the result completely different from the case where the
legitimate badge is given to the sheriff, based on the opportunity of
sufficient investigation and real evidence. The act of a sheriff without
a badge could not be too called justice. Indeed, it is clear that the UN

Security Council is also a power game related with the profits of oil etc.
between the major nations involving the not only United States but also
others.However, if the look of an on-shore ethnic minority or people in
the world is poured out at all, it has fixed restrictions that each
country do an action only by unreserved national interest pursuit. Too,
the new U.N. resolution is required for the Iraq attack.

The difficult and technical U.N. resolution into which an interpretation
is divided also among the specialists approved last year is made into a
basis, and the figure of the United States which pushes on to the Iraq
attack hastily will never collect respects of people in the world, even
if it can make the government of each country which wants to ride on the
winning horse obey.

Big responsibility follows on big power. And righteousness is
indispensable there.

I wish eagerly that the United States takes the right action which
collects respects in the world as a symbol of freedom and democracy.

(Feb. 2003. Kozen Sato. Japan)

 

 

・イラク攻撃にNOと言える日本に (2003/2/1: 『朝日新聞』 2003/2/7掲載

先月27日の「イラクの協力姿勢は不十分」との大量破壊兵器に関する国連査察団
の過去2カ月の活動についての安保理報告を受け、アメリカのイラク攻撃への姿勢
がいよいよ強まった。

そもそも、ブッシュ政権がイラク攻撃を執拗に模索する理由としては、イラクに親
米政権を樹立する事による中東の石油支配等の恣意的要素がある事は否定出来ない
だろう。

様々な報道によれば、近い内にアメリカが単独でもイラク攻撃を行う事は既定の事
実のようになって来たが、実際に攻撃が行われた場合に日本がこれに対しどういう
態度で臨むかを示す事を現小泉政権は頑なに避けている。

だが、恐らく攻撃が行われた場合、即座に支持表明をし戦闘が長引いた場合には後
方支援等曖昧な形で何らかの軍事協力をしようとし、戦闘が短期間で終わりそうな
場合は終結前から多額の復興支援を申し出る事等は、1年半前のアフガン攻撃時の
無条件の従米外交を思い起こせば想像に難くない。
言わばNOと言えない、言わない日本であった。

一方で、大量破壊兵器を保有する可能性の有るイラクが世界秩序への脅威である事
も事実である。
この脅威を摘み取るためにイラク攻撃が行われるとするなら、いかなる場合にもこ
れに反対するという態度もまた、国際社会の一員としては未熟であり責任を分担し
ているとは言えないだろう。

イラク攻撃が行われる場合、これを支持し何らかの協力を行う条件としては次の事
が必須である。

@イラクの大量破壊兵器保有の確固たる証拠、および経済制裁等によってもイラク
 が大量破壊兵器廃棄に応じない事。
A武力攻撃容認の安保理決議もしくは総会決議、および周辺諸国がイラク攻撃を切
 望している事。
Bイラク攻撃が、地域秩序、世界秩序の安定化に寄与すると日本が独自の状況判断
 で確信出来る事。

武力行使を含め、世界秩序を左右する意志決定には責任が伴う。
イラク攻撃を支持し協力するにしても、逆に反対するにしても主体性のある判断と
それに伴う一種の覚悟が不可欠である。
状況に流され「自動参戦」する事だけは、絶対に避けなければならない。

 

http://www.asahi-net.or.jp/~EW7K-STU/