程なく松江市と鹿島町の境界まで辿りついた。
これでやっと半分以上は来ただろうか。
松江市から鹿島町に入ってしばらく行った所に、佐太神社という神社がある。
ここでしばし休憩。佐太神社脇に小さな公園のようなスペースがあり、そこで途中で買っておいた缶ジュース飲みつつ一服。
実は佐太神社に隣接して鹿島町立民俗資料館があり、一度訪れてみようと思っていたのであるが、なんと本日は祝日(子供の日)の翌日ということで休館であった。
天気はいいのだが、どうも行動は裏目に出がちのようである。かくして民俗学的アカデミック路線はやむなく挫折とあいなった。
資料館の駐車場にはなぜかトラックの運ちゃん夫妻らしき二人組が車内で休息をしていたが、それ以外は人の気配は無い。
気を持ち直した所で再び出発。
ここで再び佐陀川沿いを行こうとしたつもりが、これが判断ミスによりまたまた本筋をそれ、ひとけの無い山間部に入ってしまった。
予定では川沿いに平坦な道が続くはずであったが、なぜか松江温泉出発時のようにまたドンドン坂になっていってしまった。
「オイまた山かよ」
今度は無理せず素直に撤退。
引き返して神社まで戻る。疲れていると行動にも無駄が生じ易い。
余談であるがこの辺りで、米の巡回販売だったか米との物々交換だったか、はっきりしないが、ちょっと珍しい車を見かけた。商店の少ないこうした地域ならではの光景とみた。
それから思いがけずウグイスが鳴いているのも聞こえて、ちょっとした清涼感は味わえた。
さて再び気を取り直し出発。
佐太講武貝塚あたりにさしかかる。
この辺まで来ると、今まで北上していた道は、カーブして今度は西へと向かって行く形になる。
この辺では37号と佐陀川は完全に並行して走っているので、あとは恵曇までは真っ直ぐ道なりにいけばいいはずである。カギ括弧のような形にルートを取る。
この辺りから海から吹き込んで来る風なのか、西からの向かい風がかなり強くなってきた。
ところがこの向かい風が強敵であった。
相当キツイのである。相当な抵抗のされようである。
ここでこの日の予期せぬ第三の試練がモテナイ独身エトランゼに急遽課せられることとなった。
先程の悪路での混迷から幾許も経たない内に、次は強風の反逆と、どうも穏やかなモテナイ独身エトランゼの旅は、緊急時足腰鍛錬強化合宿の旅の様相を呈して来てしまった。そのような体育会系的旅は当方の予定していたものとは大部趣を異にしているため、この急な展開にはいささか辟易してくる。
この調子だと到着が遅れて、ひいてはレンタサイクルの返却が間に合わなくなり追加料金を徴収されてしまう。そりゃマズイと焦り始め、貝塚もソコソコに一路恵曇を目指すことにした。
折りからの寝不足による体力消耗に加え、この行く手をはばむ強風、まるで恵曇に行っちゃあいけないんじゃないかと思わせるかのような抵抗である。
まるで荒行でもしているかのようである。
しかしここまで来てしまっては、とりあえずもう引き返すわけにもいかない。
今はとにかくひたすらチャリンコを漕ぐしかない。漕いで漕いで漕ぎまくるしか無い。
この怒濤の恵曇への行軍の中、オレは今一体何をしてるんだろう?、こんなところまで一体何をしに来たんだろう?という疑問もフツフツと湧いてくる。
しかし天気は良い。なぜか天気だけはかなり良い。この風で雲が吹き飛ばされたのか、実に素晴らしい快晴である。
この時点では、相当フラフラ状態で、途中でぶっ倒れるんじゃないか?トリップしちゃうんじゃないか?という不安も湧いて来はじめた。
しかし上を見上げると青空が一面に拡がっている。
この青空を見ていると、もしかしたら恵曇はオレ呼んでいる・・・という感じもしないでも無い。
そう思うと良くわからぬが、混乱したようなハイなような気持ちにもならないでも無い。
疲れてはきたが、ここで自転車を降りて引っ張るのは、この車通りの結構激しい37号線では厳しそうなので、とにかく行く先々の町役場などの施設などに休息スペースを見つけ、進んでは休みまた進みといった風に小刻みに進んでいく。
当初は1〜2時間程度で到着できると思っていたが、もう松江を出てから3時間近くが経過していた。
正直なところ相当バテテいた。
しかしながら、モテナイ独身エトランゼはその後も精神力だけで漕ぎ続けた。
すると次第に回りの看板などになんと「恵曇」の字が見えてきたでは無いか。
「恵曇郵便局」なども見えてきて、間違いなく恵曇周辺まで辿りつけたことが判明してきた。
「恵曇だ・・・助かった・・・」
* * *
どうやら無事に辿りつけたようである。
ついに来た、というより本当命からがら辿りついた、という感じである。
本当にはるばる来たもんだ、恵曇・・・。
恵曇は本当に小さな漁業の街であった。
しばらく自転車であたりを回わった後、最後に僕は一度見てみたかった海まで行くことにした。
恵曇漁港まで出ると向かって左側に、古浦という地域があり、そこに小さな海岸が拡がっている。
浜辺は海水浴場ということもあってかゴミが散乱していたが、海自体はとても綺麗である。
トンビがのんびりと飛び回っている。
昔はとても美しい景観だったろうな・・・そう思わせる。
今の恵曇には俗説(その1参照)を感じさせる気配はもはや無かった。
昔何があったかわからぬが、いずれにせよそれはもう既に彼方の歴史の記憶の奥底に沈んでいる。
今ここにあるのは、山陰の何があるわけでも無い、しかし美しく静かで小さな港街である。
もし仮に悠久の昔、この地に異国の人々が流れ着いたなら、この綺麗な静かな海に感慨を覚えたことであろう・・・、そんなことくらいしか今の僕には思い浮かばないし、それで十分なのかもしれない。
相変わらず海からの風は強い。遠くに船が見える。浜には漁師のオジサンらしき人と下校途中の少年達ふぜいがいるだけで、いたって静かである。
しばらく海を眺めながら哀愁に浸るモテナイ独身エトランゼであった。
リアルゴールドで元気をつけた後、帰途につくことにした。
街は相変わらず静かで、トンビがあちらこちらで見かけられる。
自分の郷里も海の街で、トンビがいたので、ふと郷愁が湧いて来る。
風は相変わらず海から塩の香を運んでくる。
ちょうど37号線と佐陀川が通風孔のようになっているかのようにそれに添って風が吹いているらしい。
考えてみれば帰りは順風になる。
試しにちょっと自転車で漕ぎ出すと、思いのほか快調に進む。まるで行きの怒濤の行進がウソのようである。
疲れていたので余計この帰りの追い風が心地よい。
どうも帰る段階になってようやく歯車が正しく回り始めたようである。
途中「みしまや」というスーパーで乾電池やジュースなどを購入。「みしまや」というのはこの辺りのチェーン店らしく、他の場所でも見かけられた。
有馬小という小学校の前で、狭い歩道で前から来た地元のオジサンとすれ違わなければならなくなった。
しかしオジサンが先に道を開けてくれて、のみならずすれ違い様に挨拶をしてくれる。
こんなどこの馬の骨ともわからぬ旅行者に気さくに接してくれる人がいるなんて、なんてこの鹿島町あたりはいい土地なんだろうと感心する。
更に途上に普段はあまり人がこなさそうな自販機コーナーがあり、そこで僕がジュースを飲んで休んでいると、ちょうどタイミング良く一台の乗用車が厳かに停まり、中から妙齢の人妻風婦人が出て来て、そこでしばらく僕と同じようにジュース休憩をなさっていくのに遭遇した。一人でこんな時間にこんな人気の無い場所に何をなさりに来ていたのだろうか?単なるドライブなのか?買い物途中だったのか?PTAの会合か?
ともあれ、モテナイ独身エトランゼの旅もどうやらだんだん復調してきたらしい。
どうやら通常のペースに戻ってきたようである。
それにしても行きとは全然違う順風満帆なサイクリングである。
まるで天国のように快調である。
雲泥の差というのは、まさにこういうことを言うのであろう。
心なしか景色も輝きを増して目に写って来る。
全く行きの難渋さは一体何だったんだろう?と思う。
もしかしたら行きの難渋さは、帰りのこの爽快感までの長ーい前奏曲だったのだろうか?。
* * *
おかげさまで帰りは1時間も経たない内に松江に戻ってくることができた。
市街地に入る手前で金を下ろす必要があったので、島根銀行というところに立ち寄ってお金を下ろす。
最近は地方銀行でも都市銀の預金が下ろせるので、本当に便利になったもんである。
数年前までは銀行での金確保問題はかなり重要な問題であった。今ではもうほとんど気にしなくて良い。
技術の発達で、モテナイ独身エトランゼの旅はだいぶ助かっている。
松江の市街地に入り殿町という場所の、とあるビルでトイレを借りることにした。
トイレは2Fにあった。このビルの2Fには元は何か店があったらしいが、今はつぶれたか何かで閉鎖されたようになっている。
恐ろしく淋しい。哀愁がこれでもかというくらいに滲み出ている。
1Fにあった書店に立ち寄ると、都内ではちょっと手に入らないような出雲史関連の書籍があり、早速購入。地方の書店を巡ると、こういう思いがけない収穫があるもんである。
今回松江城にはいかなかったが、付近を通るとお堀に水郷船がのんびりと行き交い風情を出している。
松江大橋に差しかかると、なんと午前中見たと言った二人の外人を見かけた(その3参照)。
帰りは爽快ではあったが、食事を摂っていなかったことに気づき、スティックビルというところに喫茶店があったので、そこで食事を取る事にした。
椅子に座ると、今までの疲れがドッと出て来る。
ほっておくと寝てしまいそうである。
女の子が注文を取りに来てくれるが、これがなんと目茶カワイク超タイプ。しかも声もカワイイ。
身体はグッタリしていたがこれで一気に意識だけはハッキリする。
サンドイッチセットを注文。
店内は、他の客がほとんどいない。静かである。
しばらくして3人の女性が入ってきた。母と娘と祖母のように見える。
会話をきいていると近隣に住む人達らしい。映画を見てどうのこうのと言っている。今後の予定のことであろうか。
祖母らしき老婆が3人の主導権を握っているらしい。いろいろと仕切りまくっている。
3人はアイスクリームを注文していたが、このアイスがどうもかなりオイシかったらしく、この老婆がしきりに感激していた。
今までの主導権を放棄し、そこからはアイスの賛美に終始していた。
僕の注文がきた。
僕は飲み物にミルクティーを頼んだつもりだったのだが、なんと間違えてミルク(牛乳)が出てきていた。
例のカワイイ彼女が勘違いしたようである。僕の方がヘタヘタだったのでオーダーの発音が聞き取れなかったのかもしれない。
いずれにしろヘタヘタの僕が、既に注文を訂正させる気力も無かったことと、彼女がオーダーの商品をテーブルにおいた際に、フワーっとした甘やかな彼女の香しい香りが漂ってきたことが、僕の抵抗の全ての気力を喪失させていたことは白状しておく。
彼女の「ごゆっくりどうぞ」の声通りに、身体は従順にごゆっくりになる。モテナイ独身エトランゼはカワイイコの前には、かくも弱く無力になってしまうのであった。
店を出た後しばらく松江市内を自転車でグルグル回り、夕方になってきたのでホテルへ向かうことにした。
まあそれにしても疲れた。とにかく昨日の寝不足がたたっている。
ひとまずレンタサイクルを返さねばならないので、松江温泉に戻ることにした。自転車だと早い。
ホテルは松江駅前付近であるが、帰りはさすがに素直にバスで帰ることにした。
バスでは前後に松江ギャルが座ってくれて、今日の有終の美を飾ってくれる。
ホテルにチェックインする前に駅のモスバーガーで夜食用にハンバーグを購入。この手のファーストフードの店員は若いオネエチャンが多いが、ここはオバチャンであった。これも松江らしいのかもしれない。
ホテルにチェックイン、ちょうど18:00にならんとしていた。519号室。
窓の外は、街の中ということもありビルが多く、あまり良い景色とは言えないが、何気に夕日が綺麗であった。
今考えると、あの時宍道湖に行っとけばかなり良い夕焼けの情景が見られたかもな、とふと思う。
鏡で顔を見ると顔がホンノリ赤い。ちょっと焼けているようである。それほど良い天気であった。
古浦での写真を確認して改めて、綺麗な海だったなと思い出す。
「うたばん」を見て、疲れの為かそのまま寝てしまう。
続く。 |