一人日本西遊記


その14 5日め(近くまで来たのでちょっと挨拶の巻 佐賀〜太宰府)

 今日で今回の旅行も最終日となった。
 まさにグランドファイナル。
 しかしながらモテナイ独身エトランゼの一人旅は「どこがグランドなんだよ」てなくらい、グランド的要素のかけらも無く、フィナーレのフィの字も無い。
 結局相も変わらずモソモソと一人8時過ぎに起床し、頼んでおいた朝食を取りにトボトボと一人食堂へと向かうのであった。

 今回の他のホテル同様、このホテルも家族連れが多い。ゴールデンウイークの旅行の形態としては、家族旅行というのが最もスタンダードなものらしい。
 やはり世の中では「家族」というのがいろんな営みの基本型なんだなと、モテナイ独身エトランゼはシミジミと感ずるのであった。

 僕の朝食は和食指定で焼き魚を中心としたスタンダードなメニュー。
 これでも十分満腹になるぞと思っていたら、なんと洋食のベーコンエッグまで登場してきた。
 サービスなのかどうなのかわからぬが、ベーコンエッグは結構好きなので確かに非常に有難かった。しかし減量を考えている僕にとって全体量は若干多めという気もしないでも無い。
 概して宿泊施設の食事は育ち盛りの若者などにとっては大変魅惑的である。御飯は食べ放題だし品目も多いからである。
 「ひょっとしたら、オレ、育ち盛りの若者に見えたのかな?」などと、何かにつけ楽観的解釈をドンドン付加していくモテナイ独身エトランゼであった。

 ところで僕の座席の隣に、僕と時を同じくして初老の夫婦が座った。
 夫は随分スラっとした紳士で、ちょっと強持て風な感じもするが、若い頃はブイブイ言わせていたように見える男性である。
 婦人はちょっと小太りの、陽気なスナックのママという感じで、こちらも若い頃はブイブイ言わせたような感じである。ブイブイ同士がくっついたブイブイカップルである。
 ブイブイカップルだから、さぞかし会話もブイブイチックな話題でガツンガツンと盛り上がるのだろうと思わせる。
 ところがこの二人、なぜか座ってから一言も会話が無いのである。シーーーンとしている。お互い視線を合わせずシーーーンとしている
 ある種不気味な感じである。
 他のテーブルでは、ごく自然な感じで家族間に会話がかわされているのであるが、ここはシーーーンとしている。
 何か冷戦状態であるかのような緊張感すら感じさせる凄みのある静けさである。
 嵐の前の静けさ、などという言い回しも浮かんで来る。
 何か良からぬ解決困難な大問題についての討議の最中わずかな時間だけ便所休憩をはさんでいる、などといったような趣きも無いでも無い。
 僕も横で食事をしていると「オレ、ここにいちゃいけないんじゃないか?」という罪悪感にさいなまれてきそうである。
 あまりの静けさに、その静けさ自体がまるでブラックホールのように思えてくる。
 うっかりしていると吸い込まれていきそうである。
 婦人など人種としては最もうるさく喋りそうなタイプに見えるのであるが、シーーーンとしている。
 それが一層不安感を助長する。
 何かあったのだろうか?。

 程無くして、この二人にはトーストが支給されたので、どうやら洋食指定のようだ。
 トーストが来てようやく婦人が何かモゴモゴと喋りだし、やっとのことで二人の間に何か会話がなされた。
 僕もなぜか、ようやく一安心する。
 あのシーーーンとした、朝鮮の南北対立のような張り詰めた緊張感はなんだったのだろう?
 それとも夫婦とは長年いると、自然にこうなってしまうのだろうか?
 モテナイ独身エトランゼには実に奇異な光景であった。

   *   *   *

 食事を終え、部屋へ戻って出立の準備をすることにした。
 今日は東京への移動日となるが、先々電車が混みそうな不安が無いことも無い。
 10時前にチェックアウト。
 なぜかここもやっぱりフロントが居ず、呼びかけてようやく奥から出てくる。時間も遅いということもあるが、非常に良く遭遇するケースである。のどかといえばのどかなのだろうか。
 何はともあれ、まずは佐賀駅まで向かうことにした。

 このホテルは佐賀駅からは、ちょっと距離があり、当初バスで駅に向かうことにしたのであるが、到着時刻数分前だと思って安心してバス停に行くと、こともあろうにバス停が見えたと思った途端、いきなり「佐賀バスセンター行き」(つまり佐賀駅行き)のバスが素通りしていってしまった。
 「なんだ、なんだ?」と、田舎のバスは定刻より早く来てしまうというケースかと想いつつ、追っかけたがすぐ見失ってしまった。
 後でわかったのであるが、この辺は幾つかのバス会社が走っていて、そのバスはたまたま、僕の待っていた停留所には止まらない路線のバスだったようである。
 その辺のバス事情がわからぬモテナイ独身エトランゼは、そのバスの走った道を追ってその路線の先にある別停留所まで辿りついた。
 確かにさっきのバス停とは雰囲気が違っていて、全然別会社のものだとわかる。
 こちらのバスの時刻を見ると、駅行きのバスは今さっき行ったばかりのヤツで、この後は当分無い。

 なんだ、ちぇ!、追ってきて損した!。うーん、どうしましょ。
 ここからまたさっきのバス停まで戻るというのもちょっと億劫である。
 結局徳川家康では無いが、人生の如き重い荷物を背負いながら佐賀駅まで歩く、という修行的選択を自らに課す事にした。
 駅までは1〜2km程度はある。
 タクシーが結構いたので乗ってしまいたい誘惑に負けそうになったが、最終日はせっかくだから自分らしく「徒歩」という手段を貫徹いたす!、と他で見せればいいものを変なところで意地を見せる。

 佐賀市内も山口や松江などの他県庁所在地と同じくらいの静けさである。
 しばらくいくと「呉服街」という、僕にとってはイイ感じの目抜き通りらしき商店街等があり、それらをテクテクと抜けていく。静かな地方都市の繁華街の典型的様相を呈している。

 30分くらい歩いただろうか、駅にようやく辿り着いた。
 駅のはずれの方には、ついおととい少年の乗っ取り事件で話題になった高速バスが出発したという佐賀バスセンターがある。
 センターというからには近代的なロータリーに近代的な設備を想像しがちだが、何のことはない、屋根のあるバス停が幾列か集まっているというだけのものであった。
 事件とは裏腹に何かひっそりとした雰囲気だった。
 
 佐賀から博多までは特急で40分、鈍行で1時間20分くらいで、思ったほどはかからない。
 このまま佐賀に止まってギリギリに佐賀を出発するか、それとも先に博多まで行ってしまい、そこからまた考えるか、二者の選択に迷う。巨乳と巨乳じゃないのとどっちがいいか?というのと同じくらい迷ったが、結局大事をとって巨乳に、いや失礼、えー先に博多まで向かうという案を選択することにした。

 ちょうど良い時間で博多方面への特急があったようであるが、切符売り場の状況を見るとどうも混んでいそうだった。それで結局特急は避け鈍行で行くことにした。これは結構正解であった。
 料金は博多まで1080円。
 既にホームに停車中だったので乗車する。赤と白のツートンの電車である。
 観光客は皆特急に行ってくれて、鈍行はかなり空いていた。
 鈍行は時間もかかるし途中乗り換えが必要だったが、それを差し引いてもノンビリユッタリ行けたこっちが正解であった。
 特急は混んでいるとは言っても、佐賀駅ホーム全体的にはノンビリ・ヒッソリしていた。

 やがて電車は出発、途中有名な吉野ヶ里遺跡付近も通る。
 学生の観光者らしき若者が、ポツポツと乗ってくる。若い女の子もおり、モテナイ独身エトランゼ的には上々な情景となってきた。
 吉野ヶ里遺跡は一度尋ねて見たいとは思っていたのであるが今回時間が中途半端だったこともあり、別の機会にゆっくり見ることにした。

 それにしても、その吉野ヶ里沿線が、また僕の郷里の焼津の雰囲気に酷似している。
 ちょうど北側に走る山の向きと、南側から当たる太陽の光線の具合、と山の南側に広がる田園地帯の雰囲気がちょうど良い感じに似ている。

   *   *   *
 昼頃博多に到着した。
 今日は最終的に博多発14:49のひかりに乗れば良いので、現時点で大体2時間以上の空き時間がある。
 はるばる九州までやって来ているモテナイ独身エトランゼの一人旅としては、もう一盛り上がり欲しいところである。

 行動開始する為、例によって荷物をコインロッカーに預けることにしようと思ったが、あろうことかJR駅構内のコインロッカーが、どこも満杯であった。予想外の事態にどういうわけよ?と狼狽える。
 佐賀に引き続き、博多でもまたまた荷物抱えてエッチラは厳しいですな、と暗雲が立ち込めかかるが、ここでふと、おととい博多駅付近の地下道がえらく閑散としていたことを思い出した。
 「まてよ?。地下ならロッカーの空きは無いか?いや無くは無い。」と変な反語体で呟きつつ、その直感に従い地下街のコインロッカーを当たってみると案の定、ロッカーはガラガラで、余裕のヨッチャン(チト古い言い方ね)で空きを見つけることができた。
 これで一先ず荷物問題は落着。

 さて後に残ったのは、これからの行く先の選定問題という重要課題であった。
 その当初、地下鉄に乗ってしまえば何とかなるだろうと思い、まずとにかく地下鉄に乗りこんでみた。
 車内の路線案内を見ると、唐人町などという駅があるので、そこら辺まで行ってみようと思い、しばらくそのまま電車に乗っていた。
 ところが、地下鉄の天神の駅で対面に座っていたカワイイ子が降り、それにつられるように僕も下車(ん?、どーした?唐人町は?)。
 てなわけで、どういうわけか(カワイイ子につられたんでしょ)、地下鉄から今度はノリにまかせて西鉄福岡駅方面に向かう展開になった。

 ここで僕にふと「どうせ西鉄に来たなら、太宰府はどうか?」という案が浮かんでくる。
 太宰府までは、各停で行くと多少時間がかかあるが、ちょうど良い特急があれば、行ってお参りくらいはして帰ってこれるかもしれない。

 そういえば、太宰府天満宮の菅原道真は、文学者という範疇ではあまりイメージされていないが、学問の神、そして、文芸の神として、民衆から慕われているではないか。
 これは今回の僕の掲げたテーマ3(その1参照)に、ほぼ合致する。
 何しろ文芸の「神」なのである。今回のテーマ、そして旅の締めくくりには申し分の無い御方である。
 まさに大物、まさに特別大物ゲスト呼んでおります、この方です、ドゾー!みたいな。
 実際時間的には太宰府に行ってまたすぐ帰ってこなければいけないことになりそうだが、大物ゲストに挨拶くらいはしておかねばいけないであろう。
 ということで、ここで太宰府方面行き方針を内定することにした。

 さっきの地下鉄のカワイコは、きっと天神様のお使いにちげえねえずら、となぜか変な土着信仰系農民風に先程の下車シーンを回顧する。
 そして、最後に来てまた再びテーマに添った旅が出来るなんて、なんて僕って行いの良い子チャン、などと訳のわからぬことを口走りつつ西鉄の駅に向かった。 

 あとは電車の便などとの御相談となったが、西鉄の駅まで行き特急の時間を見ると、なんとあと数分で発車する、ちょうどグッドなタイミングの電車がある。
 これは行きなされ、是非太宰府に向かいなされ、との天神様のお告げであろうと解釈し、迷わず乗車することにした。

 太宰府へは西鉄二日市まで行き、そこから太宰府線に乗り換えろ、とあるのでその通りにする。
 西鉄福岡から二日市までは特急なら20分程度である。

 西鉄二日市からは太宰府線というのに乗り換える。
 ここからなぜかギャルが結構あちこちで見受けられるようになったので、「天満宮にお参りしにやって来る、さだまさしファンの純朴な女性達なのであろうか・・・(さだまさしに「飛梅」という太宰府がらみの曲あり)」などと思っていたが、どうやら単に沿線の女子大の学生だったようである。
 太宰府線に乗り換えて、発車前の電車に座って待っている僕の対面に、キロロの玉城千春に酷似した女子大生らしき子が一人で座っていたが、しばらくすると連れ合いと思われるもう一人の女の子が乗って来た。
 が、彼女はキロロの隣には座らず吊革につかまったままで、僕にお尻を向けるような感じで立っている。
 電車は空いていてガラガラであった。座ればいいのにと思う。
 電車は出発し、次の駅でキロロが降りると、今度は吊革の彼女がようやく座った。そして程なく今度は吊革女の連れと思われる女の子がその駅から乗ってきて、その女の子は座席に座った。これで連れ合い同志仲良く座ったことになる。
 しかしこれだと、なぜキロロの隣に吊革女は座らなかったのか・・・、という謎が残ってしまった。それを考えると今でも眠れなくなってくる。
 というのはもちろん冗談であるが。それにしても後からきた子が、結構カワイイので印象に残ってしまったのである。

 それから、対面ではないが、同じ車両に、地下鉄からずっと僕と同じ電車で来ている、ちょっとポッチャリめの女の子がいた。
 もちろん僕に対するストーカーなどでは無いことは言うまでも無い。できればそうであってほしいくらいであるが、たまたま僕と同じルートで来ているようだ。やはりこの近郊の女子大の子らしい。

 ともあれ、このように太宰府線では回りにギャルが結構いて「ギャル密度」が他電車に比べ高かった。
 この科学的事実(?)により、調子の善し悪しを奇麗なお姉さん度数で図る、いつまでたっても成長の無いモテナイ独身エトランゼにとっての太宰府は、結構、いや、かなりイメージがアップしてしまっていたのである。ま、たまたまだったかもしれぬが。

 程なく太宰府駅に到着した。
 観光客が沢山いるが、そんなに混雑しているという感じでは無い。
 アベックあり、家族連れ有り、様々であるが、何かの合格祈願にでも来ているようにも見える。
 
 何はともあれ太宰府天満宮に行くことにした。
 個人的興味からいくと「太宰府政庁跡」にもかなり心惹かれるものがあったが、天満宮から少し距離もあるので、今日は短時間で見られそうな天満宮のみに絞ることにした。

 駅から天満宮までは、ちょっとした門前町があって商店が建ち並んでおり、中でも名物「梅が枝餅」の店があちこち点在し目を引く。
 100m程も歩くと天満宮の鳥居に着いた。

 本殿は参拝客で賑わっていた。
 僕は順番を待って参拝するのも面倒くさかったので、他の参拝客に機会を譲ってやるなどと勝手に偉そうに決め込み今回の正式参拝をパスしてしまった。
 遠巻きに本殿に向かって「すいません、ちょっと立ち寄ったもんで。今度またゆっくり伺いますんで、一つヨロシク」などと、部長の家に年始参りに来たサラリーマンさながら心の中でつぶやきつつ、心の中で軽く会釈をするのみに留める。
 「大物ゲスト」などと崇めたてまつった割に、扱いが簡単すぎやしねえか?と突っ込まれそうである。

 しばらく境内を一回りするが、沿道の植物が美しかった。
 今日は天気も良く実にのどかな感じである。
 ここも柳川と同じように、人は多いがどこかノンビリとした雰囲気がある。
 参拝客のほとんどは合格祈願の方達であろうか、見ているうちに僕もなぜか浪人生だった昔をふと思い出す。

 境内脇に「宝物館」なるものがあったので、入場してみることにした。
 中でビデオを上映していたので観覧。

 ところで、天満宮に鎮座する菅原道真は、この地に流刑されてきたということであるが、昔は学校の授業などでそういった話を聞き、太宰府というところはシベリアのようなさぞかし厳しい気候の住みにくい土地みたいなイメージがついてしまっていた。
 しかし実際来てみると、全くそんなイメージは無い。微塵も無い。ここも他の土地と変わらぬ日本の一般的な風景があり、少なくとも今現在の僕には、とてものどかで良い場所のように感ずる。
 菅原道真については、この太宰府には「流刑」というより、今で言う「左遷」で来た、という方が適当なのかもしれない。
 只ここは土地柄等は良かったのかもしれないが、やはり地理上外敵の進入等で、情勢がきっと厳しいものがあり、この地での就業はかなりの試練となったのであろう。
 今はのどかな太宰府であるが、昔は大陸からの進入防御の為相当体力を使ったりして、大変だったようである。
 確かに海の向こうがすぐ朝鮮半島だと思うと大陸の方がずっと近く感じるし、僕がやって来た東京なんて、ここからは遥か遠い場所のように思える。
 このようなのどかな地に、突然異国の異形の集団が大挙して現れたりしたら、さぞかしびっくりし、パニックになるだろうと思う。
 当時のその辺の外交環境はどんなだったか、ちょっと興味が湧いてきた。

 歴史に興味沸きついでに帰りがけに、受付の販売所で「筑紫風土記」なる書を購入。
 ここの受付けのお姉ちゃんが清楚で大変感じが良く、これでまた私的太宰府イメージアップに多大なる貢献をする。

続く。

●上記レポートを読む場合の推奨BGM
                  キリンジ:「グッデイ・グッバイ」(マキシシングル) 


その13
その15
爆笑レポートindex