水郷下りの後は北原白秋の生家に向かうことにした。
生家は水天宮から歩いてすぐの、割とメインストリート的な道ぞいにある。
一時は人手に渡ってしまったという悲しい前歴もある白壁の古い民家である。
生家に隣接して記念館がある。生家の方にも展示物が多い。白秋に関する資料は豊富なようである。
やはり連休中ということもあり人はかなり入っていた。
記念館でビデオ上映があったので観覧。小さなスペースにパイプイスで10個程の席がある。
満員では無くむしろガラガラであったが、なぜか僕のすぐ隣に少女が座った。
少女とはいっても中学か高校生くらいに見える少女で、顔はあどけないが体がなぜかやけに発達していて、ぶっちゃけて言ってしまえばムチムチナイスバディで、しかも割と露出の多い格好をしていたので、モテナイ独身エトランゼオジサンは、「ええと、これで又入場料のモトは幾らかとれたようですな」とほくそえむ。
格調高き文学よりも、やはりどうしてもエロティシズム方面に引き戻されてしまうモテナイ独身エトランゼであった。
記念館で白秋に関する概説の冊子と、トランプのデザインが良い味を出している白秋の代表詩集「思ひ出」の初版復刻本というのを資料として購入する。
一回りしモトもとれたと思われたところで、記念館を後にすることにした。
白秋の生家付近には他に「御花(おはな)」等の名所もあるようであるが、今回は人が沢山溢れていそうなので一切省略。
ここからは早速モテナイ独身エトランゼ一人旅的旅パターンを踏襲し、裏通りにドンドンと突き進むことにした。
案の定観光客の気配はない。賑わっているのは、メインストリートだけであった。
観光客のいない何の変哲も無い通常の街並みを歩く、これこそがモテナイ独身エトランゼ一人旅的醍醐味でもある。
なぜなのか、と問われると途端に返答に窮してしまうが強いて言えば面白いから、としか今のところ言いようが無い。金もかからないから、てな理由も無いことは無い。モテナイ独身エトランゼの旅は、得てして貧乏臭くなりがちとの指摘も否めない事も無い。
しばらく行ったところに白秋詩碑苑という小さな公園があり、そこでしばし休憩することにした。
入ってすぐの所に、紫も色鮮やかな藤の咲きほこる藤棚があった。
しかしそこから何か只ならぬ気配が漂っている。
藤棚をよーく見ると緑色の有機生命体があちこちから、ゆらゆらと揺れ動きながら大量にぶら下がっている光景が視界に入ってきた。
なんと毛虫であった。
「実もたわわに」などと「たわわ」とは何か好ましい表現に用いたりするが、実に「たわわ」という表現がピッタリの充実した熟れきった実のなり具合であった、いや失礼、ぶら下がり具合であった。うっかりしていると彼らから不意の落下攻撃を受けそうである。
これは毛虫嫌いの方にとっては想像を絶するおぞましき魔界の様とも見えなくも無い。藤棚の華麗な美の影に隠された緑色の薄気味悪い魔物の乱舞は、そういう方にとっては戦慄の地獄絵図となる。
事実僕のしばらく後に若夫婦が入ってきたが、若妻が毛虫を見た途端思わず発した、ヒョーッという霊長類らしからぬ奇っ怪な悲鳴が公園内に響き渡っていた。
毛虫諸君におかれては一刻も早期に美しき成虫への変態を敢行されることを所望いたす次第である。
ところで藤棚の戦慄の情景の中、昨日も柿本神社で出てきた、クマバチがここでも1匹元気よく羽音を立て飛び回っているのに遭遇した。群れはなさない孤独な虫なのかわからぬが、ふと、集団をなす虫よりもモテナイ独身エトランゼ的旅においては「有り」の虫かもなとも思えた。
藤棚以外の場所は、打って変わって実にのどかではある。オバチャングループが御座を敷いて、何か宴会らしきものを催していた。
オバチャン達は藤棚の恐怖を十分認識していらっしゃるようで、藤棚からは最も離れた場所に位置している。
僕も一応安全の為、毛虫とクマバチのいる藤棚の中心部は避け端の方へと避難する。
* * *
さて、旅行の最中確かに印象に残ってはいた、この詩碑苑と益田の柿本神社で遭遇したクマバチであるが、当初それ程重要なものとは考えていなかった。
しかしこのクマバチと、旅行におけるその他の幾つかのキーワードが、旅行後に一つの連携を見せたことで、ハッと啓示を受けたように感じた一件があり、それについてお話しすることにしよう。やっとであるが。
では最初にそのキーワードとはどういうもんなのか?、それをご紹介すると以下のようになる。
1.詩人(北原白秋・中原中也)
2.仙崎(3日目に間違えて行きそうになった)
3.ハチ(クマバチ-柿本神社・白秋詩碑苑)
4.神(柿本神社)
旅行後、偶々見ていたNHKのBS2の「おーいニッポン」という番組で、山口県を特集していた。
ちょうど僕にとっては旅行で来訪した後のタイムリーな県だったのでしばらく見ていたら、中也などと共に山口県出身のある詩人についての話をしていた。
それが山口県仙崎出身の往年の女流詩人「金子みすず」だったのである。
金子みすずは大正末期に童謡詩人として活躍したが、26歳という若さで自らの命を絶った。近年童謡詩人矢崎節夫氏の尽力で散逸した作品が再発掘され、再び注目を浴びるようになったそうである。
そしてこの番組中に紹介された彼女の作品が「はちと神さま」(内容は省略。興味のある人は「金子みすず童謡集『わたしと小鳥とすずと』」を読んでみてね。童謡だけどなかなか深い詩であります。)という一編の詩であった。
この詩を一目見た瞬間、僕の頭の中では主として3日目に遭遇した上記の4つのキーワードが、まるでパズルが完成するようにバシバシと組合わさり、一つの形を完成させたのであった。
それよりも何よりもモテナイにわか文学青年であれば、上記4つのキーワードを見たら、即座に「金子みすず!」と、口をついて出るくらいになっていなければいけなかった。不覚であった。
この多少不思議な感もある一連の流れは「金子みすず」についての今後何らかのアプローチをせよ、との天のお告げという風に解釈して、何がいけないか?いやいけなくない。
こう考えると3日目仙崎に行きかけた一件に関しては、そのまま行っておくべきだった流れだったのかもしれないと、今は思うのである。
* * *
白秋詩碑苑での休憩の後、また付近の散歩を続行することにした。
時折人を見かけるのだが地元の人らしく、相変わらず観光客は僕以外はいないようである。
それにしてもこの裏通りにある民家の佇まいなどは、僕の郷里(焼津市)のそれと大変良く似ている。この懐かしくも感じる街並みを眺めていると郷里の街並みが容易にイメージできる。
これは一つには柳川も焼津も漁業を営む街という共通点があり、それが同じような雰囲気を醸し出す要因になっているようである。
そうこうするうちに沖端川という川の川べりまで来た。
小さな木造の船がたくさん横付けされている。
「似てますな、焼津に・・・」
どういうわけだか、あちこちに焼津っぽい雰囲気がちりばめられている。
僕の郷里焼津の街並みと同じ波長を感じさせる、白秋の幼少時代を育んだ、この柳川の風情。
今まで北原白秋は僕にとって身近な文学者というわけでは無かった。
だが今回柳川を訪れて、その距離がぐっと近くなったような気がした。
この日記念館で年譜等を偶々見ていてわかったことなのであるが白秋は1942年11月2日に没し、今でも柳川では毎年11月2日には白秋の命日にちなんで祭りがあるそうだ。
白秋の没した日から、ちょうどピッタリ20年後の、1962年11月2日、お恥ずかしながらモテナイ独身エトランゼは焼津市に誕生。
つまり白秋の命日は僕の誕生日と同じなのである。
他にもいろいろと共通した符牒があったが、何よりも僕をして親しみを感じさせてくれた点は、白秋が終生抱いていたその望郷の念、サウダージ(郷愁)であった。
白秋は「思ひ出」等の作品にそのサウダージを印した。
片やモテナイ独身エトランゼにとっても郷愁は自分を動かす力になったり、自分の感性の基本になっているような気がする。
今回益田と柳川という郷里・子供時代を感じさせてくれた街との出会いがあった。それから北原白秋と金子みすずという詩人、どちらも童謡詩人でもある。
そして今日、子供の日。
こうした一連の流れが何か僕をどこかへ導こうとしているのだろうか?今ははっきりとわからないが、いずれ答えを探したい。
そんな今回は、普段コンビニのソバばかり食っているようなモテナイ独身エトランゼにとっては、やや大それた文学青年的気分にもさせてくれた、ちょっぴりセンチメンタルジャーニー(感傷旅行)なのであった。
* * *
再びにわか文学青年モードになれたところで、そろそろ時間も良い子のお帰り時間になったので、お帰りモードに切替することにした。
帰りも又船で戻るというのも何だし、バスで戻ろうと思いバス停まで行って時刻を見るが、ちょうど良いのが無い。
ここはやはりモテナイ独身エトランゼ的に最もふさわしい「徒歩」で戻るという方法の採用を決定。
天気もよく、慣れた展開ではあるので別に苦にもならない。
とりあえずは西鉄の柳川駅方向に向かっていけば良いので、角があれば曲がり女性がいればそこを目指すといった感じでブラブラと実に適当に歩いていく。
途中、水郷下りでも見たイイ感じの川べりの散歩道に出たので、せっかくだからそこも歩いていく。
水郷に目を向けると、まだまだ今の時間でも船で行き交う観光客が多く見かけられた。
沖端近辺は漁村的な風情があったが駅に近づくと、また少し雰囲気が変わり、農村的な風情になってくる。
以前行った奈良の薬師寺あたりの雰囲気を彷彿とさせる。
夕方近くなり次第に日が傾いてきて、辺りに夕暮れの切ない風情も出てきた。
ウォークマンのBGMが、やけに心に染みてくる。
今回の旅もいよいよ終わりに近づいてきたんだな・・・
不思議なもので、一人旅の終わりには、小さい頃土曜日などに遊んだ後、夕飯前に友人と別れて自転車で帰宅する時に感じていた、なんかせつないようなホッとするような甘酸っぱいような言い知れぬ想いを感ずるものだ。
というよりは、逆にこの想いが沸いてくると、クライマックスを終え旅もいよいよ終わりに近づいたんだなという気になる。
結局僕にとって旅とは、小さい頃友人と良く自転車で遊びに出かけたいた「小旅行」の延長なのかもしれないな、とも思う。
* * *
1時間程歩いたであろうか。
ようやく西鉄柳川駅近辺まで来た。
駅前の広場に出る手前の道で、前方に年齢は多少いってそうだが(30〜40代)、ショートカットの美しい婦人が物憂げに佇んでいた。
なかなかエエ女でげすな、などと眺めていたら、なんと向こうも僕を見つめ始めた。
そして、なんと!ツカツカとこちらに向かって歩いてくるではないか。
「な、な、な、なんだ、なんだ、こんな所で、運命の出会いか!」
すると婦人は「あのー、柳川幼稚園というのがあって、この近辺で、それは何となれば、どうのこうの・・・」と説明しはじめた。
どうやら柳川幼稚園なる場所までの道を尋ねたかっただけのようである。
僕は地元の人間では無い為、その旨を話し、申し訳ないがご希望に添えない旨を告げた。
婦人は、聞いて済まなかったという感じで去っていった。
僕は期待に添えない非力を大変悔やんだ。
「ああ・・・、白秋などより柳川幼稚園についてもっと勉強していれば、ここで新しい出会いがあったかもしれんのになあ・・・」
格調高き文学も、モテナイ独身エトランゼのモテタイパワーの前にはどうも影を潜めてしまいがちある。
本日は佐賀に宿泊予定である。
ここ柳川から佐賀へは鉄道を利用するよりバスの方が短時間で着くことができるので、駅前のバス停でバスを待つことにした。
バスまで多少時間があったので、一旦すぐ近くのファミリーマートへ行き飲料水等を購入しておくことにした。
精算を済ませレジから去り際の僕に、店員のお姉ちゃんが「ありがとうございました。またお越しくださいませー」と言ってくれる。
「オレにまた来いってか・・・」
彼女はマニュアル通り、当たり前のセリフを言っただけであろうが、はるばる九州までやってきているモテナイ独身エトランゼ兼旅人にとって、コンビニで何気なく聞いた「またお越しください」というフレーズには、何かやけに重大な言葉の重みを感じてしまうのであった。
* * *
バスが来たので乗車し一路佐賀を目指す。佐賀までは40分程である。
全体的に空いているが、意外に若い女性が結構乗っていて、最後まで今日は調子良かったようである、まる、とメモする。
下車用のブザーが古いのか何かわからぬが、音を鳴らす度に何かゴトンという鈍く重い響きが加わっていて、それが結構大きい音なのでビックリする。
途中の景色が、柳川とは違う側面で又郷里の焼津市を彷彿させる。
今日は子供の日にふさわしく、いたるところで故郷を見出せ、子供時代の哀愁に浸れることとなった。
バスの終点は佐賀駅の佐賀バスセンターなのだが、ホテルが途中の「水ヶ江大通り」という停留所のすぐ近くにあるのでそこで下車し、程なくホテルに到着。
今日のホテルは今までのようなビジネスホテルでは無く観光ホテルである。
落ち着いた結構立派な良いホテルであった。別館などもあるようである。
早速チェックインし335号室という部屋に入ると、なんとツインであった。
受付の方から大きめの部屋と言われていたがツインのことであった。いわゆるツインのシングルユースというやつである。料金はシングルと同料金でツインの部屋をシングル料金で借りることができる制度である。
ホテル側も少しでも客を取りたいということからくる配慮なのであろう。
ツインは当然のことながら広く、気分もリラックスできるしベッドが二つあるからか、ちょっとリッチになったような気分にもなれ大変良い。
早速シャワーを浴び、その後しばらく開放感にまかせ素っ裸のままヒャッホーなどと叫びつつ、二つのベッドを行ったり来たりゴロゴロウロウロしていると突然部屋に備えつけてある電話のベルが鳴った。
アレ、オレ何かマズイことしちゃったかな?と恐る恐る受話器を取ると「お食事の用意ができました」。
すごすごとパンツを履きつつ食事に向かう用意をするモテナイ独身エトランゼであった。
館内は落ち着いた雰囲気があって実に良い。
僕の部屋の前室には老夫婦が宿泊しているようであるが、それ以外は静かで概して館内はひっそりしているようである。混んでるのか空いてるのか良くわからない。
6:00より食事とのことであったが連絡も早かったせいか、ちょっと早めに食事開始できた。
料理は一番グレードの低い安いのを頼んでおいたが、それでも結構本格的である。
モテナイ独身エトランゼには十分な量だったので量的には安いので正解だった。
久々に生ビールなんぞも注文し、ささやかに旅行の打ち上げ気分を演出する。全部平らげてかなり腹一杯になった。
僕のあとに数組の観光客が入ってきたが、やはりあまり混んでそうでは無いようである。
部屋に戻って窓の外を眺めるともう大分日も暮れていて程良い哀愁を醸し出している。今までのホテルの窓外の景色に比べても、まずまずの情景が展開されている。
昨日まではシングルの狭い部屋だったが、最終泊日にこんなゆったり大きな部屋で締めくくれて大正解、いつもなら空しく使用されず終いのもう一つのベッドも今日はゆったり余裕の象徴である。
今日の部屋はかなりゆったり寛げてリラックスできるので、やっぱ旅はこうじゃなくちゃなどと悦に入る。
ベッドでゴロゴロ寝そべってテレビを見ていると、「山荘うめづ」という不振気味の旅館を中尾彬がバックアップし再興させようという企画の番組をやっていて、それにちょっと感動。ここにきて感動ポイントも加算される。
諸々は順調に行き本日はアリガトございましたと合掌。
続く。 |