一人日本西遊記


その12 4日め(ほのぼの水郷下りの巻 柳川1)

 4日目、僕にとり九州初の朝を迎えることとなった。
 九州初の朝ともなれば、大勢の美女に囲まれ、耳元で美女の艶めかしい吐息のような囁きで起こされる・・・。
 ・・・などということは当然全くあり得るはずもない。
 いつもと変わらず一人モソモソと起き出し、仕方なく自分で艶めかしい吐息を出してみる。馬鹿らしくなる。

 そんなこたーどーでもいいことだが、今日も早速出発の準備を終了させ、ホテルをチェックアウトすることにした。
 このホテルはチェックアウトが普通より遅く11時までで良いのでノンビリ行くことにした。
 
 それにしても昨日はどうも今一つ、あらゆることがチグハグなチグハグデイであった。
 今日も大変良い天気だが、おかげさまで今回の旅行中は天気だけは、ずっと良い状態でいけそうである。
 今日はすんなり事が運ぶことを祈る。
 そういえばホテルのフロントには結構奇麗なお姉さんが何人かいて、イイ感じであった。
 今日は調子が良さそうな予感も俄然出てきた。
 調子の善し悪しを奇麗なお姉さん度数で図る、いつまでたっても成長の無いモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)であった。

 最寄りの薬院駅に向かい、そこから西鉄の特急に乗車し柳川まで行く。
 薬院は始発駅西鉄福岡の次の駅であるが、休日のためなのかわからぬが思ったほど人はいない。
 近くに専門学校があったが、そのためか何なのかわからぬが、結構若者はちらほら見かけた。

 特急は休日ということもあって、混雑を覚悟していたが、ボックス席はさすがに一杯だったが幸いなことに横並びの優先席では無い普通席には座れたので一先ず安心。
 昨日のように目の前に男性が群れ集うということも無く、ちょうどピッタリ満席という感じである。
 乗客もどことなく穏やかな雰囲気で、今日は本当に調子が良さそうな予感も出てきた。

 ところで日本国は本日子供の日である。
 子供の日というからには子供のいないモテナイ独身エトランゼも何か子供にあやかるようなことをしたい。
 今日行く柳川は往年の詩人北原白秋が子供時代を過ごした地でもある。それなら白秋にあやかり子供時代への郷愁に浸りつつ往年の詩人の生涯に思いを馳せたい。
 尚郷愁のオマケに美女との出会いがあれば一層良い・・・などといつまでたっても格調高からぬ望みに想いを馳せるモテナイ独身エトランゼであった。

 薬院からしばらくは、東京近郊とあまり変わらぬような都市的住宅地の風景が続くが、次第にだんだんのどかな景色に変わってきた。
 僕にとっては、京都から近鉄で奈良・飛鳥方面に向かう電車の車窓の情景を彷彿とさせた、なかなか親しみのある情景であった。

 久留米から地元のOL風の2人連れの若い女性が、待ってましたという感じの調子の善し悪しを奇麗なお姉さん度数で図る、いつまでたっても成長の無い僕の隣にようやく座ってくれた。
 今日はチグハグじゃないみたいである。昨日のノリとは明らかに違う。ここまでイイ感じできている。
 お二人の会話を聞いていると、当たり前と言えば当たり前だが、久留米弁というのかどうかわからぬが、方言を出しまくっている。
 僕のすぐ隣の女性はわりかし清楚で奇麗な感じの女性だったが、出まくり方言がモテナイ独身エトランゼには大変新鮮に映った。藤原紀香でも穴の空いたパンティ履くじゃんというのと同じように思えた。ちと違うか。

 40分程で柳川に到着。
 観光客が沢山いるが、そんなに混み合っているという程では無い。
 駅前は本当に普通の地方都市の様相を呈している。

 今日の最大の目的地、北原白秋の生家がある沖端(おきのはた)までは駅からは結構距離がある。
 ここはもちろん柳川名物水郷下りで、沖端まで行くことにする。
 ちょうど駅の観光案内所で乗船券を販売していたので、そこで購入する。1500円。指定席券がなく、その場で混んでいなければ乗れるそうである。

 実際の乗船場までは、駅から7〜8分程歩くことになる。
 駅から程なく行ったところに最初の乗船場があったが、そこはどうやら自分が買った切符の業者のものとは違う場所だったようである。
 船もいろんな業者さんがあるようで、それによって乗船場も違うようなので、これから行こうと思う方は間違えないように。乗船場で直接切符を買える所もあるようである。

 その最初の乗船場の袂の橋の上に、日除け帽をかぶった美人若妻風の女性がアンニュイな感じで佇んでいたが、程なくその女性が僕の先を歩きだした。
 どうやら僕と同じ乗船場を目指しているようなので、オッ、ラッキーと思いお尻を追うような形でついて行く。今日はチグハグじゃないみたいである。

 僕が乗船した乗船場は、松月乗船場というところであった。
 実に風情のある場所である。
 船は観光客が到着順に定員になり次第出発するというようになっている。
 僕が乗船場に着いた時は、ちょうど船の供給が途切れたところで、しばし帰船待ちになっていた。
 終電到着時にタクシー乗車がラッシュなり、待ちタクシーが無くなってしまったかのようである。僕は列の初めのほうだったが、後ろにどんどん人が並んできた。普段はこれ程の待ちは無いらしい。

 20分程してようやく1船戻ってきたので、これでようやく乗船できる。

 先頭から順番に詰めて向かい合うような格好で乗船していく。船内は土足禁止であった。
 念のため当時の僕の回りの座席配置を下記に乗せておくが、簡単に説明しておく。
 僕の直前に乗船したのは家族連れと思われる1家で、中年の夫婦とその二人息子と思われる兄弟であった。息子とはいっても、もう高校生か大学生あるいはそれ以上の年かもしれない青年である。
 この1家は下図ではAを付番した。

 僕の直後も家族連れのようである。
 まず美人若妻とその子供、それと若妻の実父母と思われる老年夫婦であった。(ここでも若妻の旦那がいない)。
 この1家は下図ではBを付番した。

   〜 〜 〜                            〜 〜 〜 
     <  >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
   <   ・・・客・・・ B母+B孫B父A弟A父客 >
 < 船頭さん@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ >    前
   <   ・・・・客・・@@B妻A兄A母>
     <  >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
                      〜 〜 〜

 僕の隣のB妻が、またかわいい人で、津和野でSLに乗ったときもそうだったが、今回は美人若妻が隣席するシナリオが僕用に、組んで下さってあったようである。
 今回の3つのテーマ(その1参照)を全て破棄し、新たに「美人若妻と臨席の旅」に変更しようかと思うくらいである。
 神様か誰かは存じませんが、お心づかいありがとうございますデス、と心の中で合掌する。

 感の良い方はお分かりかと思うが、このB妻は先程最初の乗船場の橋の上にいた、と述べた女性である。
 最初B妻は僕に遠慮したのか意識したのか何なのかわからぬが、B母の隣に位置したがB母が、僕の隣に座ればいいじゃん、と言ってくれたので、B妻も「それはそうね」と言いながら、僕の隣に位置してくれる。B母偉い!。今日はどうやら諸々は順調のようである。

 僕の向かいのB父は、小柄で華奢で、シャイだが、すごく周りに気を使ってくれるような、やさしそうな人の良さそうな男性であった。待ち時間中もB妻にかわってB孫をずっとあやしていたし、前席の僕に対して、乗船後いち早く「どうぞ自分の方へ足を伸ばして下さい」と薦めてくれたりした。ちなみに僕は汗臭い足をあからさまにB父に差し出すのも気が引け、実際はあまり思いっきりも伸ばせずじまいであったが。

 ま、そんなような乗客20名弱を乗せた我が船はやっと乗船場を出発。

 船頭さんが早速いろいろとガイドを始めてくれる。
 大体セリフは決まっているらしく語り口調も滑らかで、それがどこか独特の調子を帯びている。
 他の船とすれ違う時に他の船頭さんの語りも聞こえたりしたが、もちろん船頭さんによって調子はマチマチで、まだ若く不慣れで単純な説明調もあれば、年季が入って完全に講談調の船頭さんもいた。

 我が船の船頭さんは、おそらくこの世界ではベテランと思われる方で、語り口調も落ち着いて淡々とした中に年季の感じられるものがあった。
 大爆笑とまではいかないが、たまーに軽くギャグなども入れている。
 後半では歌まで出てきた。

 そういえばこの船頭さんも僕と同じ感想を述べていた。
 それは、最近若妻と子供連れの観光客が多いとのこと。
 「この連休、女房子供は外へ出て、旦那は疲れて家でゴロゴロ・・・(五・七・五・七・七)」などと言っていた。
 やはり確かに、それ程女性若妻子供連れ風の姿は結構良く見掛けたのである。

 船がすれ違うと船頭さん同志必ず挨拶をかわしていた。
 たまに世間話までするような親しい船頭さんが出てくるが、おそらく同じ業社の方なのであろう。

 乗船客は大抵、斜め前方を向くような体勢がほとんどで僕もそうしていたが、たまーに、船頭さんの方を向くと、隣の美人B妻の顔がすぐ目の前にあったりして、これはこれでドキっとしたりして、エエ気分で無いことは無い。乗船料の元は取れたゾと思う。水郷下りに意外な収穫有り。

 船は風情のある水郷を、ノンビリと良い感じで進んでいく。
 途中テニスや野球で名を馳せた柳川高校などもある。
 柳川のカラスと呼ばれている、カササギがいる。
 柳川と言えば、ドジョウだと思っていたが、船頭さんの話によると、現在柳川にドジョウはほとんどいないそうである。
 それから、この連休中は結局こちらの西日本はずっと晴れていて、それが結構めずらしい現象だったそうである。
 今日はどうやら諸々は順調との想いが確信に変わってきた。

 途中に水上売店というのがあり、飲み物や食料を船上から調達できるようになっている。
 他の船では結構買い捲っている客の姿が見られたが、我が船の方は、大人しいのか、誰も買わない。
 それから途中川べりから記念写真を撮ってくれているところがあって、その写真購入の受け付け簿が回ってきたのであるが、誰も買っていなかった。
 他の船だとたまに呑んで盛り上がってるようなところもあるが、この船は誰も呑んでいない。

 この船の乗客の人はどうやら大人しい人が集まったようである。
 悪く言うと、この船盛り下がってると言えなくも無い。
 ま、良くいえば船頭さんのお話を静かに聞いている良い子ちゃんが集まった、ということかもしれない。
 B父さんなぞ、この船の乗客を象徴するまさに大人しくいい人の典型的な性格の方である。
 もちろんモテナイ独身エトランゼもその中の一人であるので、「オレって良い子?確かに文学青年の一人旅だもんな、静かに知的であってほしいわけだよな、何かにつけ。類は友を呼ぶってとこか。」などと一人納得している。船頭さんも自分のペースで語りを聞いてもらった方が良かろうとも思う。

  のんびりした川下りも1時間程で下船場に到着した。
 大人しかった我が船の乗客達は、やはり大人しくそれぞれの方向へ、それぞれの世界へ皆散っていった。

  下船場付近は近くの水天宮の祭りで賑わっていた。
 今回また祭りにブチ当たってしまったが、こちらの祭りは、本当に下町の縁日という感じで、人は大勢いるが、ホノボノした風情があって良い。
 子供の日だからか何なのか子供が大勢見掛けられるが、それも良い雰囲気に一役買っているのかのようである。
 こちらの祭りはモテナイ独身エトランゼの一人旅にはバッチリ向いていそうである。

 昼も過ぎたので昼食を取ろうかと思ったが付近の名物といわれる鰻屋は、どこも混んでるようであった。
 いっそのこと屋台のお好み焼きで済ますかとの考えも浮かんできたが、結局今日の夜の宿泊ホテルでの夕食のことも考え食事は省略。

続く。

●上記レポートを読む場合の推奨BGM
                  キリンジ:「耳をうずめて」(「47’45”」収録) 


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