一人日本西遊記


その10 3日め(各停修行の旅の巻 益田〜博多)

 一人旅という言葉から連想される数字として「1」を誰しもが思い浮かべるであろう。1と言えば、独身、シングル等々・・・。
「いや、オレは5だ」あるいは「オレは178だ」などと別の数字を思い浮かべる人は、そう多くは無いと思われる。
 それ程「1」は一人旅を象徴する数字である。

 これからは九州は小倉まで各停の旅である。
 これから乗る電車なぞ、まさに一人旅にふさわしい「1」という数字に彩られた、これぞ一人旅という電車である。
 「ワンマンカー」、「1両編成」、そして「単線(山陰線)」。
 これで「モテナイ独身エトランゼ(1体)」(僕のこと)と合わせて、「1」づくしの一人旅的お膳立てはバッチリ揃ったことになる。

 通常の場合、日本海側の益田から九州の小倉までは、また小郡まで戻って新幹線に乗るなどの経路をとったほうが速く九州にたどりつける。しかしモテナイ独身エトランゼの一人旅としては、どうしても山陰の海沿いを回って哀愁に浸りながら行きたい。そんな訳で、ここからはあえて山陰線を各停で海沿いに行くのである。

 早速ジュースなどを購入後乗車。
 写真にあるような黄色いワンマンカーであった。
 混雑を心配したのであるが、これが幸いに空いていた。ガラガラであった。
 ゴールデンウイーク真っ最中に、これだけ本数も無い電車で、しかも1両編成で空いているということは、よほどこの辺に用事のある人は少ないということがいえる。
 実際電車は1〜2時間に1本というかなり閑散としたダイヤである。
 想像するに、乗車途上もし途中の無人駅などで便意を催してしまったら大変なことになる。
 腹が下り気味の人は、山陰の一人旅は良く考えてから決めた方が良い。

 既に車両には、フィリピンだか中国だかのギャルのグループが乗っていて、僕には解読不能の嬌声をあげている。
 この近隣の夜の店の女達であろうか?

 11:26電車は哀愁の街益田を立ち、しばらく海岸沿いを走る。
 この辺は海が意外に奇麗である。
 人もあまりいないし、観光地ずれしていない場所が沢山ある。
 遠くには何の島かわからぬが島影も見える。
 地形が結構奇勝の地らしく、山が海までせまっていたり、リアス式海岸みたいなのも多く、
 これらも人を寄せ付けない理由なのかもしれない。意外に豪快な景色もある。

 しばらくはトンネルと、鄙びた集落がポツポツ点在するような景色が続く。

 須佐というところを通過。
 一説によれば、ここは日本神話の中ではスターともいえる須佐之男命(スサノオノミコト)の郷里だとのこと。
 須佐之男命といえば出雲を連想するが、この須佐からわざわざ出雲へ上京?していったのであろうか?
 須佐は本当に山が海までせまっているところで、はっきり言えばかなりの僻地であるが、須佐之男命が渡来人だったという説もあり、そんなことを考えると、より広く住みやすい地を求めて出雲平野に行ったなどとも考えられる。まあ、この件に関してはまた別途思いを巡らすことにする。

 この辺では結構とんびを見かけ、最近とんびを見ていないモテナイ旅人は、とんびに言い知れぬ旅情を感じるのであった。

    *   *   *

 さて、東萩までは、いかにも一人旅らしく哀愁に浸れ、大変良い雰囲気で来たが、そこから急に人がドヤドヤ乗ってきて一気に雰囲気が壊れだした。
 何せ1両なので都市部の通勤電車あたりなら、どうってことのない人数でも、ここではたちまち混雑の様相を呈してしまう。
 この辺からどうやら「満喫」から「修行」に旅のメニューが変更を余儀なくされてしまったようである。
 せっかくの静かな一人旅に暗雲が立ちこめてしまう。モテナイ独身エトランゼのささやかな幸福は非常に脆く壊れ易い。詩的表現をするとガラス細工のように壊れ易い。なにもここで詩的にならなくてもいいか。
 ここまで一人旅的お膳立てが揃っていれば、実に充実した一人旅を満喫できるかと思っていたが、実際は神様の方でそういうスケジュールをご用意されてなかったのか、どうも全てがこちらの思惑通りというわけにはいかぬようになってきた。

 部活帰りの高校生風の若者が大挙して乗ってくる。
 若者は床に缶ジュースの空き缶を転がしたり談笑したり好き放題である。
 まあ、彼らにとっては通学途中いつもしている日常の行動なのであろう。
 こちらに危害を加えるということは無いのだが、何か行動や振る舞いが粗雑で、当人達は意識していないだろうが、周囲の気を引こう引こうという感じの気がジワリジワリと伝わってくる。
 これはこの年頃では仕方ないことかもしれない。僕にも自分の身に覚えがよーくある。
 この気を引こう引こうという無意識的行動が、周りにとっては実にうっとおしい。特に一人旅の独身者には尚更うっとおしい。
 それは、時に大声で談笑することであったり、仲間や異性とじゃれ合うことであったり、粗雑な身の振る舞いであったりする。それを公衆の面前で行うことに意義があるのである。
 彼らは強烈に誰かに見て欲しがり、意識して欲しがっているのだ。誰かの愛が強烈に欲しい年頃なのである。
 尤も彼らにしてみれば、この電車は自分達の庭のようなもので、考えようによっては、むしろ僕のようなモテナイ独身エトランゼこそ他所者であり、勝手にやってきて勝手に不快になっている妙な輩といえるかもしれない。
 いずれにせよ異種コンタクトは難しいもんであり、人間間の「問題」というのは、当たり前だが人が集まってくると発生するもんだなと、改めて痛感する。

 そうこうしているうちに2時間弱の行程を終え電車は長門市に到着。ここで一旦終点になり、次の乗り継ぎの電車に乗ることになる。

 若者の気に気をとられ、ちょっとイライラしたせいか、とんでもないミスをここでしでかしそうになる。
 乗り換えは、実は降りたホームの向かい側に停車中の電車に乗れば良かったのであるが、ホームの表示等をイライラして読みちがえて、乗り換えは別のホーム発の電車だと勘違いしてしまった。
 わざわざ階段を登って別のホームに行ってしまい、そそくさとその間違い電車に乗ってしまう。
 客が一人しか居らず、ここもなぜかガラガラであった。やったねザマミロと思いつつも、ちょっと変だなという気もした。

 しばらく座っていると車内アナウンスで「次は終点、仙崎です」というのが聞えた。
 「ナヌ?終点?」、これは明らかにオカシイと思い、反射的に電車を飛び出る。
 よくよく調べたら、次に乗るべき電車が先程降りたままのホームの電車で良かったことがようやくわかる。

 今回のこの旅行で僕は生意気にもテーマを掲げたわけであるが(その1参照)、そのテーマとして「往年の日本の文学者のゆかりの地を訪れる」というのがあった。
 今間違えて乗ろうとしてしまった電車は仙崎線というが、実はこの線に乗ってしまっていても、「往年の日本の文学者のゆかりの地を訪れる」というテーマからは、はずれることは無かったということが、後に判明する。
 要するに、この仙崎線に乗ってしまっていても、あながち間違いでも無かったことが後になってわかった。
 いや、むしろ乗っていくべきだったかもしれない、ということが後になってわかった。
 若者にイライラしたことで導かれた道も結構「有り」だったのかもしれない、ということが後になってわかった。

 仙崎という地は、実は一人の往年の詩人の出身地でもあった。
 それは「金子みすず」という。
 これについては展開上、後の「柳川編」で詳しく述べよう(展開上などと言っているが、本当は今書くのが面倒臭いからという説もアリ)。

 長門市では待ち時間に30分程あった。
 しばらく時間があるので、駅前でもぶらついてみようと思い立つ。
 長距離の乗車券は、確か途中下車ができるはずだと思い、駅員に切符を見せ確認すると、大丈夫とのこと。
 ラッキーも少しはあるじゃねえかと思いつつ駅を出て、とりあえず駅舎の自動販売機でジュースを買っていると、ふとイヤな予感がよぎった。
 「先程のロスタイムのうちに停車中の次の電車が、既に満席になってはいないだろうか・・・?」
 次の小串までは1時間程だが、腰痛が出始めてきており立ちっぱなしはちとキビシそうである。
 男性たるもの「たちっぱなし」するくらい元気でありたいが、年をとるとどうも萎えてきてしまう。
 1回出したら、しばらく休まないときつい。2回すぐ続けては結構きつい。・・・ン?、話が違う?な。

 「いかんな、こりゃ」。僕はせっかく出た改札を、慌ててすぐまた入り直した。
 足早に電車に乗り込むが、もう後の祭で案の定ほぼ満席になっていた。遅かった・・・。
 そして優先席だけが空いていた。
 いつもなら優先席には滅多に座らないが、腰痛問題を考慮し仕方なくそこに座ることにした。
 優先席自体はなぜか余裕があった。
 東京にもあるような通勤電車にある横に長い席である。一人旅にふさわしいボックス席では無い。
 ボックスでは無い、しかも優先席など緊張の通勤列車ならまだしも、哀愁の一人旅には全くそぐわない環境である。
 モテナイ独身エトランゼは多少不貞腐れ気味になる。

 喫煙場所があったので荷物は座席に置いたままにして、とりあえず一服し心を落ち着けることにする。荷物はちょうど喫煙場所から見えるような位置にあり、その点は大丈夫である。

 僕と同年代の青年をあまり見かけることが無いな、などと思っていた矢先、発車直前に僕と同年代のグループらしき青年がドヤドヤ乗りこんできた。鉄道マニアか何かのようだが、いわゆるオタクっぽく、男性のみで女っ気は全く無く、自分を棚にあげてしまうが、いかにも女性にモテなそうな人達だ。
 これで色気も何も無くなり、先行きが一層案じられることとなった。
 しかも困ったことに、座席の対面のドアの所には最初人がいなかったので、そのドアを通じ景色を見ようと目論んでいたら、そのオタク系の青年がそこに立ってしまったので視界が遮られ、これも断念。景色の見られない各停の旅は結構厳しいものがある。前方の視界に美しい女性でもいれば別だが、よりによってムサクルシイ青年の群れがズラっと並ぶ。
 今までがバッチリいきすぎたのか?。座れただけでもマシだが、これじゃ旅って感じしねえな・・・。
 どうも荻あたりから妨害魔神の攻勢が激化したかのようである。モテナイ独身エトランゼは、そ〜と〜(相当)不貞腐れ気味になる。

 電車は長門市を出発。
 「長門」という言葉から僕はつい旧日本海軍の戦艦長門を連想してしまう。小学生の頃この類いのプラモデルが大好きで、誰にどんな経緯で買ってもらったかは忘れてしまったが、確か最初に買ってもらって作った戦艦のプラモデルが「長門」であった。本当は「大和」が欲しかったが、値段が高かったので少年心にも遠慮して、グレードも値段も低い「長門」を買ってもらった、というような朧げな記憶がある。
 余談であった。

 途中「特牛」なる、吉野家を思い浮かべたくなるような妙な名の駅がある。これは「こっとい」と読む。
 こっといでオバサン(1)が僕の対面に空いた席ができたので、そこに座った。
 こんな殺風景な状況だとオバサン(1)でも女性の頭数が増えてくれただけで、その人が女神のように思える。

 当初ずっと海沿いを走っていくのかと思われたが、長門市以降は意外に内陸地を線路が走っていて、海が見えていない区間も多かった。

 僕の隣にもオバサンが座っていたが、僕とは多少間隔をとって座っていた。
 このオバサンは爆睡していた。
 そして僕側に傾斜していた。しかしながら僕とは距離があるので、僕にはもたれ掛ってくるということはなかった。
 そのオバサンの傾斜度はいまや45度ほどにもならんとしていた。そしてその角度でずっとその状態を保ち続けていた。
 皆さんもやってみたらわかるが、覚醒している状態で、自分の上半身を左右どちらか45度にキープし続けるというのは決して容易では無く、むしろ想像以上に困難な作業であることがわかる。
 こんなオバチャンのどこにそんな技術とパワーが秘められているのか、何とも恐るべしオバチャンパワー、と痛感する。

 宇賀本郷なる駅で、またまた今時の若者が大挙して乗って来て、あろうことか僕の前に群れ集い視界を塞ぎ、また一気に周辺の気が乱れたようになる。こちらとしては哀愁に浸りたかったが、ムサクルシイ男性の体臭に浸ることになる。
 優先席というのはドアの付近にあるので人の乗り降り等で結構うっとおしい。
 山陰の静かな電車で哀愁の一人旅だと思っていい気になっていたが、意外に風情が壊され都会と同じようなストレスを感じてしまった。
 これじゃこの電車乗った意味あんましねえな・・・と落胆モードも顕著になる。
 奇麗な女性が乗って来て僕の脇にすっと寄り添ってでもくれれば今までの不快感も全部清算されたと思われるが、まず若い女性がほとんど乗らないのと、乗っても僕の付近の男ウジャウジャオーラを敬遠してか、こっちへは寄ってこない。「悪循環」という単語がふと浮かぶ。

 今日はどうやら意外なところで我慢・忍耐の修行一人旅になってしまったようである。
 「お座敷列車」などというのがあったが、今日の電車はさしずめ「お修行列車」のようになってしまった(1両だから「列車」では無いか・・・。ま、いいか)。
 全く「問題」というのは、人が集まってくると発生するもんだなと、再び痛感する。

 そうこうしている内にようやく小串に到着ので、今度は間違えぬよう次の電車に乗り継ぐ。
 ここでは乗客も入れ代わり、電車も空いていて窓側がとれたので、本当に一安心。
 かと思いきや、網棚に荷物を乗せ座った途端、乗せた荷物が落下、僕の頭を直撃!
 まだまだ運気は上昇に転じてはいないようである。

 そうこうしている内に不貞腐れ気味のモテナイ独身エトランゼを乗せた電車は、ようやく下関に到着。
 下関近辺まで来ると、もう山陰的雰囲気が消え失せ、非日本海的というか、表日本的というか、東京近郊みたいな普段感じ慣れたような街の気が感じられるようになる。
 次の電車は編成も長く、幸いガラガラであった。

 15:54、いつのまにか小倉に到着。
 人生初の九州上陸はボルテージも高まりもっと劇的に演出されていくべきものと考えていたが、入れた途端にドピュっと放出みたいな(何の話じゃ?)感じで、予想外にあっけなく到着。本当にアレッ?もう着いたの?という感じであった。

 とはいえ、さすがに電車を降りると、ずっと遠くまでやって来たんだという感が強くなる。
 どこか大陸が近いんだな、という雰囲気もする。実際大陸の方が、東京よりもずっと近いのである。
 小倉では「ひかり」がすぐある。16:14、結構な混みだったが、通路側ではあるが女性の隣席に座れたので、今度こそホッと一安心。

続く。

●上記レポートを読む場合の推奨BGM
                  キリンジ:「汗染みは淡いブルース」(「ペーパードライヴァーズミュージック」収録) 


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