6.昔,夢見た「近未来」を歩く……多摩ニュータウン編

・覚えていてくれたのね…

 とある休日の夕方,発信者090から着信(我が家はナンバーディスプレイ使用中)。こんな時間に宅配便?と思ったら,Hプロデューサーから。……いやぁ,御無沙汰してました……と挨拶もそこそこに,すぐ出演依頼。とりあえずロケ日を先に決め,ロケ先候補地をいくつか提示し,後は細かいことは,担当ディレクターと……と言うことで,ほとんど即決。このところ,番組もいろんな人が出るようになり,ローテーションから外れたかと思っていたら,覚えていてくれたのね……。
 これまで,いろんな番組からの問い合わせを受けていて感じた,ボクの率直な印象としては,元々,マスメディアと自然系は相性が悪い。狙った通りの映像を手に入れるのが大変で,放映日が決まっている場合,かなりきついはず。珍しい動物やペットなどを扱う番組は別として,そこいらのイキモノを相手にする場合,手間がかかる割にはインパクトが無い。それに,NHKの科学関係や学校教育関係の番組のスタッフでもない限り,放送メディアの人達の自然関係に関する予備知識は,あまり期待できない。だから,「こう言うのを撮れば面白いストーリーになるかな」と言う目星をつけるのが難しい。その結果,自然関係は日の目を見なかったり,ありきたりな話で済まされたりする場合が多いように思う。それを面白いストーリーにまとめ,良い意味でのインパクトを与えるのが,「自然観察する散歩師」の役目でもあったのだが……。

 まぁ,思い出してくれただけでも有難い。自然観察ネタについては,こちらであれこれ用意すれば良いわけだし,例によって,ボク自身の好みとしては,イキモノを観察して紹介するだけでは面白くないので,街に住むイキモノとそこに暮らす人々のつながりとか,自然観察からその土地の自然史を読み解いて,街の歴史や,見落とされがちな街の素顔を浮き彫りにしてゆくようなストーリーを組み立てたい。
 今回,担当ディレクターはOさん(烏山で御一緒したOさんとは別人物)。初顔合わせ。まぁ,番組の事情は分かっていることだし,気楽に準備を進める。

 今回,選んだ行き先は,多摩ニュータウン。おおよそ,有名な自然観察フィールドを含まないエリアである。後日気が付いたことだが,有名フィールドを中心にストーリーを組み立てるのと,そうでない場所で「意外性」を追求するのを,交互にやっている……次回は定番フィールドを含むコースにするか?(笑)

 10月某日,多摩センター集合で,撮影。

・悪天候?

 どうも運が悪い。
 今回を含め,ロケ6回中,バッチリ晴れたのは,2回だけ。しかも,そのうち1回は,我孫子で猛暑と強風のロケ。今回も,多摩センターに着く直前に少し雨。まぁ,台風の翌々日なのだから,我慢(後日知ったことだが,撮影スタッフは,この撮影の前の日に,台風直後の渡良瀬遊水地でロケしていたのだそうだ。2日連続の歩き撮影,おつかれさまでした。)。
 撮影開始30分前に,Oさん,Hさんと軽く打ち合わせ。元々,「出たとこ勝負」の多いお散歩ロケ。Oディレクター,結構アバウトな印象。
 実はボクは1週間前に,現地をいくらか歩いている。自然観察会のセオリーに従い,ストーリーを組むのに必要なネタを,要所要所だけ押さえておくのだ。どんなに凄腕のナチュラリストでも,初めて見る土地でその自然解説能力をじゅうぶんに発揮することは出来ない。ストーリーの中核となるポイントをチェックし,あとは当日の出たとこ勝負で観察エピソードを肉付けして,ストーリーを組み立ててゆくのが,自然解説の定石である。ストーリーが無いようで有るのが,自然解説。見つけたものの羅列なら,図鑑を見るのと変わらない。さて,多摩ニュータウンには,どんな自然史的ストーリーが待っているのか。おとといの台風の影響が心配だが……。

・風景を読む

 今回,内々に持っているテーマは,「近未来の風景」。多摩ニュータウンは1963年に計画決定された,計画人口38万人(その後下方修正して30万人)の,巨大プロジェクト。多摩丘陵の風景は一変し,1970年代に入ると入居も始まり,1974年には鉄道駅も開業した……つまり,2004年は,多摩センター駅が開業してから,ちょうど30年の節目に当たる。30年もすれば,街も成熟し,風景も落ち着いてくる。今回,永山近辺もコースに入れたが,この辺りがニュータウンで最も古い街区。30年前の「近未来都市」の今の姿を見るための寄り道。また,永山からひとつ尾根を越えると東京都と神奈川県の境界を越えて川崎市に入り,こちらには開発計画から外れた地域が広がっている。
 30年前に夢見た「近未来」のその後は,どうなっているのか。さまざまな風景が,この地域には凝縮されている。

・見つからないなりに…

 天気が悪く,虫も飛ばない,鳥も鳴かない。
 自然観察的には,苦しい展開だ。
 それでも気にせず,丹念に観察ネタを拾う。
 多摩中央公園には,カイツブリやカルガモがいる。花壇にはヤマトシジミが飛び,花壇の脇の「雑草」として,ヤマトシジミの幼虫の餌となる,カタバミが生えている。さまざまな街路樹も植えられている。……丘を削り,赤土だらけの緩斜面となったニュータウンの造成から30年。昔,里山の風景があったことは想像もつかないが,ここには,新たな形の,人と自然の関係が定着している。
 樹木は植樹が多いので,本来,この土地に無かったものが多い。クスノキはもちろん,ちょうど花を落としているキンモクセイも,間違いなく植樹。キンモクセイは中国原産で,雌雄異株だが,日本には雄の木しか入っていない。つまり,自然に種をこぼして増えることが無いから,間違いなく人の手で植えたものなのだ。

・街も人も高齢化

 永山駅の近く,諏訪の街区に寄り道。
 この付近は,ニュータウンでもいちばん入居の早かった地域。この街に初めて移り住んだ人たちは,きっと,晴れがましく感じたことだろう。
 それから30年。街には子供の姿は少なく,街区内のショッピングセンターのテナントにも空きが多い。立ち寄ったお肉屋さんは,老夫婦がコロッケや焼き鳥なども売る,小さなお店。この土地に長いのかと思ったら,数年前に空きテナントに入ったのだとか。30年もすれば,お店も,住民も,代替わりする。肉屋さんが売るお惣菜も,子供のおやつ需要ではなく,高齢者向けのお惣菜需要,と言う印象。多摩センターや南大沢などには,大きなお店が進出する影で,設計当初からあった,街区ごとのショッピングセンターは,集客力を落としているようだ。
 ……コロッケとメンチカツは,美味しかった……。

・変わる風景,変わらない風景

 さて,永山から南下し,坂を上り詰めると,ゴミ処理施設があり,ここが尾根筋になっていて,その裏はもう神奈川県。尾根筋には「旧鎌倉往還」,つまり,鎌倉時代に整備された古道がある。尾根の向こうは丘陵地帯の雑木林。そんな,ニュータウンと雑木林の境い目ぎりぎりの所に,鎌倉往還が通っている。ここから「瓜生黒川往還」へ入り,黒川の里山へと下る。
 雑木林の風景は懐かしい……と思えない状況。確かに,林はあるが,木の下はアズマネザサが2m以上の高さまで茂っている。本来,雑木林は人が手入れをして利用しながら,その風景を保っていたもの。薪炭や腐葉土を使わなくなり,雑木林と人との関係が切れてしまった今,笹ぼうぼうの荒れ放題なのだ。それでも,この土地に本来あった植生は分かる。
 途中,「はるひ野」の開発中の風景を横目で眺める。12月に新駅が出来て街が開かれる。ニュータウン計画地域外の開発だ。実はこの場所,学生時代に,毎年,ホタルの観察に訪れていた。月の無い夜には同行者の顔もわからなくなるほどの暗い谷戸に,ゲンジボタル,ヘイケボタルが舞っていた。水田にはミズカマキリやタイコウチも棲んでいた。今,目の前に見えるものと言えば,すっかり埋め尽くされた谷に,赤土が広がるだけ。
 はるひ野と反対方向に丘を下りる。こちらはまだ,里山の風景が残っている。柿がちょうど熟す時期。この辺りの柿は,小さめで丸い実をつける,禅寺丸と言う品種が多い。ローカルな特産品。東京生まれの人でも,禅寺丸を知っている人は多くない。

・変貌を続ける街

 黒川を過ぎた辺りで,少し暗くなってきた。天気が悪いので,暗くなるのが早い。急いで若葉台まで進む。若葉台も,駅前に大きな開発が進行中。30年前にこの駅が出来てから10数年ほどの間は,1日に数百人しか乗降客がいなかったのだが,今ではすっかり立派な駅になっている。ここでラストコメント。自分で選んでおきながら,総括しにくい内容だなー。無難な話にしておく。
 このエリア,40年前には,どこも同じような風景だったはず。それが,ニュータウン計画で一変し,既に「成熟」を通り越して「老化」しつつある街もあれば,「街の顔」として発展する場所もある。さらに,ニュータウン開発の後追いをするように,新しく街を作りつつあったり,その一方では,里山の風景も残っていて,これはこれで,ハイキング客も多くなったり,この自然環境を守ろうと言う団体もあったり,さまざまな展開を見せている。
 さまざまな風景を見て来たが,そのどれもが,丘陵地帯の雑木林からスタートした場所であり,30年前,40年前に夢見た「近未来」の,今の姿なのである。どの選択肢が良くて,どれが良くなかった,と言う評価は出来ない。それぞれの風景が描いた自然史……。

・…で,オンエア

 実は,オンエア予定日が決まってから,新潟県中越地震のために,1週間ずれた。
 見損なった人がいたかも……。

 見た印象としては,「無難」。……「ありきたり」とも言う。
 もう少しひねったネタを出しても良かったかな。
 ディレクターのOさんは,撮影中はなんとなくアバウトな印象を与えているが,帳尻はきちんと合う,と言う感じのまとめ方。ストーリーとしては,さーっと流して見てしまいそうな雰囲気。もう少し,引っ掛かりと言うか棘みたいなもんがあっても,いいかも。まぁ,どの程度マニアックなネタを引っ張り出すか,と言う問題もあるが……(科学番組ではないのだし)。

 次回はもうちょっと,ひねったものを紹介しよう……。


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 7.春を探して……見沼田んぼ編

・ぼちぼち冬眠から覚めますか…

 2005年2月末。
 Hプロデューサーから電話。「ぼちぼち,どうです?」……ええ,ボクもサラリーマンの端くれだから,年度末に多忙でも,土日はちゃんと休ませてもらっているので,ロケ日と行き先さえ決まれば話が早い。前回のロケ時に,大雑把に,次はいつ頃でどの辺にしようか,と言った構想は話しているので,場所はほぼ即決。但し,カノックスのスタッフが誰も行ったことの無い場所なので,こちらでモデルコースと要所要所の注目スポットを紹介することに。
 ロケ日は3/12(土)か3/13(日)。既にオンエア予定日も決まっていると言うことで,これ以上遅く出来ない。ロケ日はほとんどアウトドアでになるので,雨降りがいちばん困る。12日が第一候補で,雨天時は翌日,と言う設定。

 行き先として提案したのは,「見沼田んぼ」。埼玉県南部に住んでいる人なら良く知っている地名だと思うが,この場所を好んで訪れるのは,物好き,もとい,自然好きの人ぐらいかも知れない。なにしろ,水辺と田畑と草むらばかりの,だだっ広い風景が広がるばかりの場所で,交通アクセスもあまり良くない。ひとつ,注目すべき点は,こんな広大な緑が,さいたまの中心,浦和の市街地から5kmぐらいしか離れていない場所にあること。今回は,この「見沼田んぼ」で「春」を探しつつ,この土地の自然史や,水と緑と人とのかかわりの歴史を眺めてゆこうと言う企画。
 いちど「見沼田んぼ」エリアに入ると,立ち寄って一息入れることの出来そうなお店など,1軒も無い。毎度お約束の,お店や施設の訪問とか,おやつorお昼に立ち寄る場所の紹介など,どうするか……まぁいいや,その辺は担当ディレクターにお任せしてしまおう。

 今回,担当ディレクターはまた変わって,Tさん。もちろん,初顔合わせ。これでディレクター4人目。ロケハンは別々。打ち合わせはメールで済ます。当日に初対面と言うのも,なかなか……でも,前回もそうだったっけ。
 こちらからの提案にTディレクターが手を入れる形で,ロケスケジュール決定。スタートは東浦和駅で,ゴールは埼玉スタジアム(サッカー場で「ゴール」と言うウケを狙ったわけではないが…)。12日はJ1の試合があるので,サッカー場周辺の混雑がちょっと心配だったが,12日は天気が悪いと言う予報が出ていて,3日前には「ロケ日は13日にしましょう」との連絡。ありがたい。実は12日に地元の観察会の講師を手伝う予定もあったので,それをキャンセルしないで済むことになった。

 ともあれ,日曜日の朝,9時を少し回った頃には,東浦和へ。

・さっそく,いろいろ見つける

 東浦和の改札を出たところで,いかにもテレビマンふうのサングラスの男性に声をかけられる。Tディレクターだ。少し遅れて,Hプロデューサー登場。挨拶もそこそこに,軽く打ち合わせ。既に「散歩師」の入らない風景ショットを撮影中で,それを終えたスタッフが集まったところで,全員揃った。毎度毎度感心するが,ニュースやドキュメンタリーの人と違って,とにかく撮影部隊が重厚だ。毎回7,8人になる。日曜早朝の15分番組(しかも関東ローカル)にこんなに手間暇掛けているのはすごい。最近はタレントさんが歩く回も多いしなぁ……。
 駅の近くのお煎餅屋さん。店は新しいけれど,江戸時代の創業で,元々は浦和の旧中山道沿いにお店があったのだとか。その,古い店舗が,見沼田んぼの中ほどにある「浦和くらしの博物館民家園」に移築中で,21日から公開されると言うチラシが置いてあった。ここで「おみやげ」の撮影。後で民家園にも寄る予定なので,チラシを貰っておく。
 このお煎餅屋さんの裏に,すぐに「見沼代用水」の西縁が流れている。
 流れの脇に,ヒメオドリコソウの群落とオオイヌノフグリの群落。すっかりお花畑だ。ふと顔を上げると,見沼代用水の上をカワセミが飛んだ! ちょっと上流で土手にとまったので,追ってみる。撮影には,ちょっと遠いかな。双眼鏡では見えているんだけど。

 先が長いので,あまり深追いしないことにする。
 なにしろ,まだ駅から300mぐらいしか離れていない。

・見沼の人と自然の歴史とは?

 さて,今日の大きな見どころの1つ,見沼通船堀へ向かう。
 見沼通船堀とは,見沼代用水と芝川の間を船が行き来するために作られた水路。ただ,見沼代用水と芝川の水面の高さには差があるので,そのままでは通れず,途中に水門をつけて,水面の高さを調節する施設がある。パナマ運河にも使われている閘門式運河だ。

 見沼一帯は,寛永年間に用水池として,芝川を堰き止めて,一度水没している。しかしその100年後に,新田開拓のために再び干上げ,文字通り,見沼の「田んぼ」となった。そのとき,田んぼに使う用水を得るために,利根川から延々と60kmもの用水路を引き,芝川の水が使えなくなった代わりに,これを利用するようになったので,見沼の用水路は「代用水」と呼ばれる。見沼代用水は,芝川よりやや高い場所を流れ,この辺りでは芝川の氾濫原を避けるように東西に分流し,それぞれ「東縁」「西縁」となっている。この2本の用水路と芝川を結んでいたのが,通船堀と言うわけ。
 通船堀の交通を仕切っていた差配の家,鈴木家の裏に資料展示があり,そこを見学。鈴木家の母屋はまだ現役で人が住んで生活している。しかも,この屋敷林のシラカシの木が,素晴らしい。「記念物」ではないと言う点は惹かれるものがある。
 鈴木家の南側,土手の上を通るように県道があるが,これが寛永年間に芝川を堰き止めていた土手の跡。江戸時代のものだから,当然,人力で作られた構築物なのだが,規模の大きさにも,それが現在も残っていると言う点でも,感心させられる(この辺の話はオンエアされていない)。

・冬に逆戻り

 さて,ここから先は,ひたすら,だだっ広い「見沼田んぼ」を歩く。さえぎるものが無いから,高台でなくても見晴らしがいい。浦和,大宮の高層建築が見えたり,埼玉スタジアムの屋根が見えたり。クリーンセンターの建物が異様に目立つ。あの近くに民家園もあるのだが,クリーンセンターは風景に合わないなぁ……。
 見沼田んぼが都心に近いのに開発されないのは,理由がある。昭和に入ってから,台風で芝川が洪水を起こした経験を受け,このエリアは遊水地としての機能を持たせるために,建築がかなり厳しく制限されているのだ。遊水機能を損なう建物を作ったら,その代替分の池などを作って,遊水機能を落とさないようにしなくてはいけない。この後訪れた民家園でも,民家を移築する替わりに,池や窪地を用意したり,建物の地下に貯水槽を作ったりしなくてはならず,まばらにしか民家を置くことが出来ないのだとか……。

 だだっ広くて見晴らしが良いと言うことは,風をさえぎるものが無いわけで,だんだん寒くなってきた。スタート時は薄日が射していたのに,朝より寒くなった?……と思ったら,雪がちらついてくるし……あのー,今日のテーマは「春」なんですがー。

 それでも,早咲きのヒガンザクラが咲き始めている。サクラを愛でる様子をちょこっと撮影。オンエアの頃には,ソメイヨシノの開花宣言が聞かれるはずだ。

 「見沼田んぼ」は,実はそんなに田んぼが多くはない。特に武蔵野線のガード近辺は,アシ原が多い。寒空でも,ヒバリが鳴いている。地上は枯れ草のほうが多い。ハラビロカマキリの卵を見たり,サンシュユの花を見たりしながら,少しずつ,「早い春」を紡いでゆく。

 川口自然公園。ここは見沼代用水の脇に作られた公園で,芝生広場はありきたりの風景だが,水生植物園など,水を生かした場所もある。コサギとカワセミを観察。ここで,お昼。近所に食堂はおろか,通船堀からここまで,自販機すらないと言う道のりだったので,ロケ車でお弁当を調達してきてもらって,スタッフみんなでお弁当。こういうのもいいかも。ピクニックみたいで……って,実際,今回は本当にピクニックなんだけど。

 「見沼自然の家」近くで,子どもたちが水路でなにやら,掬っている。見せてもらうと,モツゴ,ヨコエビ,マシジミなど。マシジミを見るのは久し振りだ。お店で売っているシジミは,汽水域にいるヤマトシジミがほとんどで,淡水産のマシジミには,滅多にお目にかかれない。水はそんなに綺麗ではないが,生き物は豊富にいるようだ。もっと探せば,サカマキガイとかヒメノモアラガイなんかも見つかったかも知れないが,先を急ぐ。

・茅葺き屋根に囲まれて

 次は,浦和くらしの博物館民家園。ここの学芸員さんにインタビュー。よく喋る人で,相槌を打つ間もない。何とか話をお煎餅屋さんのほうに振って,さっきのチラシを取り出す。チラシを持っていなかったら,話を切り出しにくかったかも。これで,ストーリーが繋がってきた。
 民家園から眺める見沼田んぼの風景はのどかだ。目の前には茅葺き屋根。そして広い空。そう。見沼田んぼは,空の広さを感じる場所でもあったのだ。

 しかし,すぐ後ろにクリーンセンターの巨大な建物があるのには,参ったな……

・生活に使ってこそ…

 さらに北上する。
 国昌寺の「開かずの門」を見学。門の脇から自由に出入りできるんだけど…。この門を含め,龍神伝説があったり,水難,治水に関係する伝承や造形物が多い。やはり,水と共に暮らし,水の恩恵を貰いつつ,水に苦しめられてきた土地なのだろう。国昌寺は,見沼田んぼよりも一段高い,斜面林の上にあるので,見晴らしも良い。大宮ソニックシティも良く見えているし,遠くには秩父の山もうっすらと見える。
 それにしても,国昌寺を撮影している間,誰にも人に会わなかったのは……。

 ここから斜面林沿いに,民間のトラストによる保存樹林を歩く。
 確かによく整備された林だ。ちょっと竹が増えているけど…。
 しかし,何か物足りない。生き物も少ない。林に隣接している,昔からの民家や畑のほうが,魅力的だし,いろいろと生き物も見つかる。

 何が違うんだろう?

 それは,多分,「生活」があるか無いかの違い。
 かつては雑木林は,生活の場そのものであり,そこに住む人々は,日々の生活の糧を得ながら,林を手入れしていた……って,前回の多摩センターのときにも言ったような……。今歩いている雑木林は,「保存樹林」であり,保存維持のために手を入れ,あるいは環境学習の場として利用したりする場所になっている。生活の匂いが無いのだ。生活に役立てるためではなく,自然体験や環境保全運動に役立てるための利用法は,やはり,雑木林の本来の姿とは少し違うものを感じる。
 とにかく,あまり胸ときめかない林になってしまっている。
 街に住む人にとっては,こういう形のほうが使いやすい人も多いだろうし,子供を遊ばせるにも,安全が担保されたほうが良いだろうし,人によって評価の分かれるところだと思うが,私には,「せっかくの自然環境が,整備しすぎてちょっと勿体無い」と言う印象。雑木林は,手入れを怠っても,手入れをし過ぎても,良くないのだ。

 お次は,見沼自然公園。池を中心に作られた,典型的な緑地公園。ここは利用者が多い。さっきの雑木林の静けさは何だったのか?
 ロケハンのときはカモの数も多かったが,かなり減っている。それでも200羽ぐらいいるかな。もう,カモの北帰行が始まっているのだ。ざっと水鳥の観察をして,おしまい。公園の中に入ってしまうと,あまり「見沼」らしさが無い。
 この辺りで,日差しが甦るが,もう,オレンジ色になりつつある。
 先を急がねば。

・タイムスリップ

 小さなお稲荷さんを過ぎると,いきなり東北道の喧騒。それを陸橋で超えると,埼玉スタジアム2002が目の前。江戸時代〜昭和期の,のどかな風景から,いきなり,現代と言うか,近未来に近い風景に飛び込む。
 埼玉スタジアムは,Jリーグの試合の無い日。でも,結構人がいる……。
 スタジアムを背景に,ラストコメント。なんだか収拾がつかないことをだらだらと…。なんか,まとめにくかった。コンセプトは明確なはずなのに。
 まぁ,必要であろうと思われる言葉は出した(と思う)ので,後は苦労して編集してもらうことにして…(無責任だなぁ……)

・キャンディーズ?!

 さて,予定通りオンエア。月末なので,30分早い。4:45ですかー。外はまだ暗い時間だ……こんな時間に起きてTV見る人,いるんだろうか?

 さすがに自分の担当分は,出来る限りリアルタイムで見るようにしているが(もちろん,ビデオにも録画しているけど),眠い眠い……と,いきなりキャンディーズの「春一番」!……ちょっと,ベタなBGMで,目がさめた。

 編集後の映像は,確かに春っぽい。雪も写っていなかったし。
 しかし,コメントがいまいちだなぁ……。

 私としては,自然史の部分をもう少し大切にして,見沼の,水と人との関わり合いの歴史と,現在の自然のようすを重ね合わせるようなストーリーを期待していたけど,それじゃ10分半(正味オンエア時間)に収まらないか…。
 10分半という制約は,結構きついなー。丁寧に紹介したら,余裕で30分番組が作れる内容だし。

 積み残し多数,やむを得ず,と言うところか。

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 8.「散歩の王道」にも意外な側面……両国,深川編

・「意外性」の企画?

 話は2005年3月に遡る。
 「春」がテーマなのに雪もちらつく,寒い寒いロケとなった見沼田んぼ。お弁当を食べながら,既に「次回」の企画について,ちょこちょこと話をしていた。この番組に「自然観察ネタ」を提供しているのは,今のところボクだけなので,生き物ネタやら「旬」の自然を楽しむ散歩道などのアイデアを出していた。
 特にルールを決めているわけではないが,なんとなく,「定番」の自然観察スポットを含む企画と,「意外性」のある自然観察を紹介する企画を,交互にやっている経緯もある。Hプロデューサー曰く,番組で「東京」を名乗っておきながら,最近,都内をあまり歩いていないし……と言う話もあり,行き先は都心がいいかな?と言う方向に。……しかも,次回は夏場になる予定。そこで,ふと出したアイデアが,「もし,8月頃のオンエアなら,「戦後60年」も視野に入れて,下町の「被災樹木」を紹介してみたらどうだろうか,と言う企画。このアイデアも含め,いくつかの候補地を上げておいたが,「被災樹木」と言うものの存在自体,あまり知られていないだけに,スタッフの興味を引くことになった。で,実際のロケの相談を始めたのが,6月末。やはり,「被災樹木」で行きましょう,と言うことで,テーマは決定。例によって,電話でロケ日の相談と行き先だけ決めて,基本的なコース,ストーリー,どうしても立ち寄りたいスポットなどをまとめて,メールで送っておく。ロケ予定日はか7/10(日)。スケジュールの都合で,早めに撮って,早めに編集したいと言うことで,オンエア日は8/14(日)。終戦記念日の前日だ。梅雨時なので,多少の雨なら歩いてしまおう,と言うことで,準備を進める。

 ところで,「被災樹木」とは?

 東京の下町は,関東大震災,東京大空襲と,2度にわたって焼け野原になった場所。もちろん,そこに生えていた木々も,例外無く焼かれてしまったのだが,それが「被災樹木」。被災樹木には,焼けて立ち枯れてしまったものも少なくないが,その中に,再び芽吹いて甦り,現在も生き続けている樹が,いくつか残っている。それを訪ね歩いて,戦争体験と戦後復興の歴史を,「自然観察する目」で確かめてみようと言うのが,今回の企画だ。

 テーマは重い。重いけれど,暗いものにはしたくはない。戦災から立ち直り,甦った樹木たちの緑に,街の戦後復興の姿を重ね合わせ,より前向きな,未来に目を向けたストーリーに纏め上げてゆきたい。

 スタートは両国。日曜日の朝9時。梅雨明け前だが日差しもある。暑い1日になりそうだ。

・ストーリーは,ここから始まる

 国技館前で撮影クルーに合流。担当ディレクターは前回と同じ,Tさん。
「暑くなりそうでですねー。」
「でも,私は我孫子ロケのときは気温35度を経験しましたから……」
……ほんと,我孫子のことを思えば,まだ楽なほう。

 既に両国駅周辺の風景を撮り終えていて,ここから「散歩師」入りの風景を撮り始める。
 行き先は,まず,横網町公園。ここには震災,戦災による死者を祀る慰霊堂と,災害資料を集めた「復興記念館」がある。慰霊堂に手を合わせ,復興記念館で震災と戦災の知識を手に入れ,「被災樹木めぐり」のスタートを切る。
 実はこの横網町公園にも被災樹木がある。東側の入り口のそばに,少し焼け焦げの残るサクラの古木。ソメイヨシノは比較的成長が早いので,戦後に植えられた樹と,大きさで区別することが出来ない。この樹が「被災樹木」だと言うことは,言われなければ分からないだろう。


・途中の道でも,自然観察

 次の「被災樹木」の所に行く途中も,自然観察を続ける。それは,「現在の下町の自然」を見る作業。「被災樹木」で60年前にタイムトリップしたり,現在の自然を眺めたりしながら,下町の生き物たちの「戦後60年」を浮き彫りにしてゆこうと言う目論見もある。
 アヴェリアの花の咲く植え込みには,ハナバチの仲間や,イチモンジセセリ。蜜を求める虫たちにとっては,ちょっとした「都会のオアシス」だ。最近の街路樹にはマテバシイやクスノキが多いが,クスノキを良く観察すると,アオスジアゲハの卵。アオスジアゲハの成虫も,クスノキの周辺を良く飛んでいる。8月末になれば,マテバシイにはムラサキツバメの幼虫も見られるはずだ。街に新たに植樹された木々を追うように,それを食べて育つ虫たちの,都会への進出が進んでいる。


・被災経験と向き合う

 次の被災樹木は,江島杉山神社のイチョウ。このイチョウは,関東大震災(1923年)と東京大空襲の2回,丸焼けになり,それでもなお復活したと言う,すごい樹だ。ここで1945年3月の東京大空襲を経験された方にインタビュー。被災の経験と,被災樹木の姿が重なる。話を聞いて,初めて知ったのだが,ここの被災樹木は,戦後数年間は,まったく芽も出ず,枯死したものと思われていたが,7年後ぐらいに,新たに芽が出て,少しずつ甦ってきたのだそうだ。驚くべき生命力だ。
 このイチョウ,いちど枯れた幹の中から,新たに幹が成長して来たような姿をしている。樹齢の割に,幹は細い。

 江島杉山神社から東に1km少々離れた場所に,榎稲荷がある。街角の小さな祠と言ったほうが良いような,こじんまりとした佇まい。この祠の裏手に,枯死したエノキが残っている。これも被災樹木。

・人々を救った緑

 下町随一の緑と言えば,清澄庭園。ここは岩崎弥太郎の庭園が東京市に寄贈され,昭和7年(1932年)に市民に開放された場所。月に1回,野鳥の会の定例探鳥会も開催されている,緑のスポットでもある。庭園は,池を中心に,周囲を照葉樹で囲まれた,回遊式庭園になっている。
 ここで自然観察。トンボが数種類。チョウも数種類。ギンヤンマのような,大物のトンボもいた。池には子育て中のカイツブリの家族の姿も。

 清澄庭園は,東京大空襲のとき,ここに避難した市民を火災から守った。その数,約4万人。江東区には,ここより広い避難場所もあったが,それらは樹木の少ない広場で,そこに避難した人々を,火災の熱風が容赦なく襲いかかった。清澄庭園は,森と水があったことで,人々を救うことが出来た。

 清澄庭園はまた,「緑の戦後復興」の最前線でもあった。戦後,下町にはシジュウカラが住めない,と言うのが,野鳥観察者の間では半ば常識になっていた。これは,下町にシジュウカラが営巣できるような大きな樹が無いことと,餌となる虫が十分に手に入るだけの森が無いことが理由だったのだが,1980年代に入って,清澄庭園から,下町へのシジュウカラの分布拡大が始まった。今ではコゲラも住み着いている。下町にキツツキが住むなんて,戦後の焼け野原を見ていた人たちに,想像が出来ただろうか?

・鎮守の森の被災樹木

 いつも参拝客で賑わう,深川不動堂と富岡八幡宮。今日は,いつもと違った気持ちで,参道に立った。
 神社仏閣の敷地内には,大きな樹が多く,被災後にも生き残ったものが多い。信仰の場は,人々の戦後復興の心の支えでもあったと同時に,緑の戦後復興の最前線でもあったのだ。不自然に枝の曲がった樹木や,一見,普通の樹に見えているのに,裏に回って見ると,中身が黒焦げだったり,さまざまな形の被災樹木が残っている。
 被災樹木にはイチョウが多い。イチョウが火災に強いことや,神社などに良く植えられていたためでもあると思われるが,被災樹木として現在も下町で生きている樹木の,半分はイチョウだ。

 特別に,富岡八幡の本殿裏のイチョウも見せていただく。さすがに御神木。大きなイチョウが2本,本殿を見守るように立っている。しかし,その根元近くには,60年前の焦げ跡を今もなお残している。

・被災樹木の現状

 あと10年か20年もすれば,戦災体験者もほとんどいなくなってしまうだろう。しかし,被災樹木は,これからも生き続ける。戦争の「生き証人」として。しかし,被災樹木を巡る状況はお寒いものだ。一部の大きな樹は「保存樹木」となっているものの,それらも含め,「被災樹木」であることを示す札や看板の類は,一切,設置されていなかった。自分で調べたり,誰かから聞いて教えてもらわない限り,「被災樹木」がどこにあるのかも分からない。いや,「被災樹木」と言うものの存在自体,ほとんど知られていないのではなかろうか?
 そういう意味でも,TVで被災樹木を案内することが出来たのは,非常にラッキーなことだったのかも知れない。もし,この番組がきっかけで,被災樹木について知る人が増え,その保存に向けて,少しでも役に立ってくれたら……。

 テーマが重いだけに,ラストコメントは難しい。言葉1つ1つを出来るだけ丁寧に選んで,3分ほど喋り,編集に委ねる。台本無しの語りなので,語り手のパーソナリティや感性までもが問われるような思いだった。


・新記録?

 午後5時を少し回ったところで,撮影終了。なんと,この日のロケで回したテープは8本。1本30分だから,約4時間。番組史上最長のテープ消費量だそうで……。ロケ時間が8時間だから,その半分ぐらい,撮影していた計算だ。スタッフが気合い入れて撮影している証拠かもしれない。

・静かに,力強く

 撮影からオンエアまでに1ヶ月開いたが,予定通り,8/14にオンエア。テーマがテーマなだけに,仕上がりも気になるし,見た人の反応も気になる。
 言葉ひとつひとつに,伝えたい思いを含めるように,丁寧に,言葉を選んで喋ったつもりだが,上手く伝わっただろうか。
 BGMも落ち着いた選曲。なかなか考え抜いた選曲のような感じだ。私だったら,PPMあたりを1曲,入れていたかも知れない。

 正味10分半の番組に,丸一日ロケして,オンエア時間の20倍以上の撮影時間を費やしている。10分半の後ろにあるものを,感じ取ってもらえたら,と思う。文句無し,力作だったと思う。

 ボク自身にとっても,勉強になるものの多かった1本となった。

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 9.今回は正攻法「冬の自然観察の散歩道」……石神井・大泉編

・今度は「定番」で

 12月。どこでも忙しい時期である。もちろん,TV業界も例外ではないはず。
 そんな時期に,Hプロデューサーから連絡。
「撮影は20日前後でやりたいんですが……」
「あ,この時期,平日に休みにくいので,土日か23日で,調整つきますか?」
……などと,軽くやり取りがあって,23〜25の連休中にロケをすることに。
 行き先は,前回のロケの際に話しを出していた,練馬区大泉界隈。前回,思い切ったテーマで歩いたので,今回は「定番」のスポットを使い,正攻法で行ってみる。
 練馬区の西のほうには,まだ,結構農地も残っていて,緑の多い風景がある。近くには石神井公園と言う,鳥を見る人には定番の自然観察スポットもある。意外と知られていないスポットとしては,大泉学園駅のすぐ近くに,牧野富太郎の記念庭園があり,ここなら植物ネタには事欠かないだろう。
 冬に植物ネタ?……心配御無用。冬には冬の自然観察がある。

 担当ディレクターはTさんとのこと。メールで,ストーリー原案も含め,たっぷり情報を入れておく。

・「クリスマス」を敵に回す

 ストーリー案を作るとき,Hプロデューサーの一言が,なんとなく気になっていた。
 「オンエアが年明けですから,季節柄,クリスマスは写せない」
 ……最終的に決まったロケ日は,12月24日。クリスマスイブ!!

 こんな日に,クリスマスの飾り付けを写さず,クリスマスソングの音を拾わないように撮影しなくてはいけないのだ。

 ボクの場合,繁華街を歩く機会は少ないから,最初からHプロデューサーには,ボクを使えば「クリスマス」を避けやすい,と言う目論見もあったのかも知れない。
 いずれにしても,散歩ルートを決める段階から,クリスマス関係のものが入らないように注意しなくてはいけない。


 制作過程に関して,少々ネタバラシをしよう。
 こちらから提案したストーリー原案を公開する。

 スタートは石神井公園駅→緑の多い住宅街を通って,石神井公園へ→石神井公園内の,石神井池,三宝寺池周辺でしっかりと自然観察→時間に余裕があれば,練馬区郷土資料室で情報を漁るところを撮影(ロケハンの情報収集には必須!)→富士街道へ抜け,富士街道北側に点在する農家を眺め,屋敷林を見せてもらう&練馬大根の話を聞く→牧野記念庭園で,昭和初期の大泉の風景を追体験&植物観察→大泉学園駅北側の蕎麦屋で昼食(ここには練馬大根を使ったメニューがある)→北野神社で名木を見る(特にムクロジの木が秀逸)→都区内に唯一のこる牧場を訪問。

 これを元に,Tディレクターが設定したルートは……
 石神井公園駅→石神井公園(三宝寺池は寄らない)→郷土資料室→富士街道北側の風景→牧野記念庭園→西武線を渡って→東映大泉撮影所を外から眺める→蕎麦屋で練馬大根を使った蕎麦を食べる→(余裕があれば北野神社)→練馬大根を栽培している農家へ。

 原案では,「昭和の前半の練馬の風景を繋いで歩き,この土地の自然史と人の歴史,街の発展の歴史を重ね合わせる」と言うテーマを置いている。ディレクター案では,内容をもう少し絞り込んでいることがお分かりいただけると思う。東映撮影所が出てくるのは,業界的なこだわりか?
 個人的には,あまり「練馬大根」にこだわり過ぎないようにしたい気持ちもあるのだが(…だって,あまりにもベタなネタなので……),その辺は,ロケ当日,どんな映像が撮れるかによっても,違ってくるので,まぁ,出たとこ勝負,と言うことで。

 基本的にこの番組では,「散歩師」はフリートークで,何も原稿は持っていない。事前に決まっているのは,おおよそのストーリーと,散歩コース。それと,訪問先に撮影許可やインタビューのアポを取っているぐらいで,あとはその場の出会いが勝負だ。あらかじめストーリーを作り過ぎても面白くないし,かと言って,下調べが足りなければ,深く掘り下げたストーリーが作れない。予備知識と「出会いの感動」のバランスが,大切なのだ。また,フリートークは,散歩師のキャラクターや知識量の見える部分でもあるので,自然科学を誰にでも分かる言葉で丁寧に喋るように,注意している。これは,番組に肩書きとして出していない「プロ」の部分のこだわり。

・「クリスマス」と戦う日?

 12月24日。石神井公園駅は,「本当にクリスマスをきっちり避けて撮影するんですよね!!」と念を押したくなるような,賑わいを見せていた。朝9時過ぎには無事にスタッフと合流。実は,「今日のお土産」は,「散歩師」抜きで,先に撮影済み。冬は日暮れが早いので,ロケも忙しい。
 まず,駅から出てくるシーンから,「散歩師」入りの撮影が始まる。
 駅前でのオープニングコメント。ふと気が付くと,商店街に流れているクリスマスソング!スピーカーから離れ,マイクが歌を拾わない場所で,コメント撮り。バックは石神井公園の駅前広場だが,カメラのフレームのすぐ外には,サンタの衣装を着たカーネル・サンダースさんが立っていた……。
 「それでは,公園までの歩きを撮影します!」…って,商店街に向かおうとするTディレクター。商店街は難しいんじゃないの?と言うことで,商店街を1本外して,住宅地の中の道を行く。……前途多難かも……。

・寒い寒いロケ

 駅前と商店街を避ければ,緑の多い静かな住宅地。小さい敷地ながら,大きな木のある神社もあって,なかなかの雰囲気。
 その住宅街で,さっそく小鳥を発見。シジュウカラ,メジロ,ウグイス,ヒヨドリ,ムクドリなど,次々と出てくる。木の多い住宅地は,小さな鳥にとっては,森か疎林に近い環境として使えるのだろう。小鳥は動きが激しいので,撮影は苦戦。それでも,何種か収める辺りは,プロの技。ウグイスの声も,しっかり録ってもらった。

 それにしても寒い。石神井池はほぼ全面が結氷している。うっかり「とても12月とは思えない寒さですねー!」とカメラに向かって喋りそうになる。ボート屋さんが池の氷をモーターボートで割っている。ちょっとうるさいし,水鳥も逃げてしまっている。しばらく池の南岸を歩いて,植物を語る。オンエアされた植物ネタは「コナラの枯れ葉がなかなか落葉しないで残ること」「ケヤキの実と,実の飛ばし方の不思議」「イイギリの実」ぐらい。実際には,ムラサキシキブの実,カラスウリの実,キカラスウリの実,アキニレの実,ムクノキの実(試食付き),ハンノキの実とつぼみ……等々,たくさんのエピソードを撮影して,その中から選ばれている。自然史的には,このエリアを俯瞰するストーリーが面白いのだが,未オンエアなので,紹介しよう。
 石神井公園は,元々あった植生を利用している。そのため,水際ぎりぎりにハンノキ,そのすぐ後ろにアキニレ,さらにムクノキやエノキがあり,もう一段高くなった場所にケヤキ,コナラ……と言う具合に,水辺からの距離による環境の違いで,木の種類が段階的に変わってゆく様子が見えている。こうした植生は,公園で人工的な植樹と元からあった木を見分けるポイントにもなる。石神井の場合,池の南岸にはこの土地の「原風景」に近いものが残っていることを意味する。

 お隣の三宝寺池は,さらに自然度の高い場所なのだが,天然記念物に指定されている区域もあり,撮影許可が下りなかったらしい。三宝寺池の脇には,かつては,ここの湧き水を利用してプールが作られていたのだとか。水の豊かさを語る歴史であり,この場所が,かつては,東京の手軽な日帰りレジャースポットだったことを物語る話だ。

 話は少々脱線するが,石神井だけでなく,豊島園,井の頭公園,調布にあった京王遊園地や京王百花苑,二子玉川園,多摩川園,等々力渓谷など,都心のターミナルから郊外電車で20分ぐらい行った場所には,昭和の初め頃には,数多くのレジャースポットが点在していた。街の歴史を語るなら,そんなことも思い起こしてみると,より興味深く歩けるのではないだろうか。

・「幻」になりつつある練馬大根

 石神井公園からすぐ近くの,郷土資料室へ。ここは,練馬大根関係の資料が充実している。
 練馬大根は,言うまでもなく,この土地の名産品だった。特に東京が拡大しつつあった明治から昭和初期にかけて,大根の生産量は飛躍的に伸びていった。その後,さまざまな理由により,練馬大根の作付けは減少し,今では練馬区が農家に栽培委託をしている状態だ。栽培委託して生産している練馬大根の数は8000本。そのほとんどが,10月から12月に収穫される。練馬大根は辛味種と言って,大根おろしにすると辛味が強い。また,肉質もしっかりしているので,おもに沢庵漬け用途として使われ,煮物に利用されることも多かった。現在では甘味種の青首大根が,圧倒的なシェアを誇っているが,漬物や煮物の需要が減ったことも,練馬大根が衰退する1つの理由となっている。このほか,練馬の都市化が進んだこと,昭和初期に猛威を振るったモザイクウイルスによる病害,さらには,練馬大根は青首大根のような寸胴な形ではなく,やや下膨れで,しかも長いので,収穫作業が大変だったり,葉が広がりやすく,より多くの耕地面積を要求することなど,練馬大根に不利な条件はたくさんあった。

 富士街道の北側には,まだ農家が残っている。立派な屋敷林もある。でも,練馬大根は無い。大根があっても,青首大根。蔬菜を中心とした,都市近郊農業だ。また,区民農園として畑の一部を開放している農家や,野菜作り教室などを実施している農家も多い。都市部の農家は,地域住民との繋がりも大切にしなくてはいけない。
 ここで無人売店に商品を入れている農家の人に話を聞いているが,これはたまたま出会った人で,アポ無しなのに,快く答えてくれた。コインロッカー式の,お金を入れると鍵が開くタイプの販売機なのが,どことなく都会的。田舎なら,空き缶にコインを投げ込むだけの無人売店でも済むのに…。

・昭和の風景,ふたたび

 大泉学園駅前の高層マンションがすぐ近くに見えるような場所に,牧野記念庭園がある。ここは,日本の植物分類学のパイオニアである牧野富太郎博士が,関東大震災の後に転居してきた場所。662坪と言う,個人宅としてはかなり広い敷地に,300種を超える植物が植えられている。花のたくさん咲く春先などに来たら,もっと華やかなのだろうけれど,残念ながら,今は冬枯れの時期。たわわに実をつけたセンダンの木に迎えられる。この土地では珍しいヘラノキには,「牧野博士の木」と言う愛称まで付けられて,練馬の名木に指定されていた。ニッケイの葉を揉んで,シナモンの香りを楽しんだり,マメ科の大木,サイカチの大きな豆鞘で遊んだりしていると,ここが駅から徒歩5分と言う立地であることを忘れさせてくれる。こんな時期にも,花を付ける植物が植えられていたり,フユノハナワラビが胞子体を伸ばしていたり,冬でもしっかり見どころがあり,まるで植物園のようだ。

 西武線の北側に出る。踏切を渡るシーンは通行人も車も多く,何回か撮り直し。「クリスマス」が写りやすいポイントだ(笑)。線路の北側のランドマークは,東映大泉撮影所。ここも昭和初期からの施設。映画の撮影所は広い土地がいる。だから,郊外の,まとまった面積を確保しやすい場所が選ばれる。東宝は砧,日活は調布,松竹は蒲田→鎌倉と言う具合に,撮影所が出来た当初は,周囲に民家やお店などが何も無いような場所だったわけだ。……つまり,映画撮影所の存在は,その場所が大都市郊外の田舎だったことを物語る,と言える。

 その撮影所の近くに,「練馬大根辛みせいろ」の看板を出す蕎麦屋さん「松月庵」。ここで昼食。練馬大根を大胆にゴロンとカットして,おろし金と共に出してくる。蕎麦にも大根の葉が練りこんである。練馬大根を再び,街のシンボルとして「名物」にしてゆこうと言う流れの1つなので,このメニュー自体に歴史があるものではないが,新たな歴史作りへの意気込みが感じられる一品だ。練馬大根の辛みが,薬味として秀逸。残念なことに,このメニューは練馬大根の収穫時期にしか提供できないのだとか。

・ついに辿り着いた場所は…

 この松月庵で,しっかり,練馬大根を1本頂戴してしまった。……で,松月庵の御主人が使っている練馬大根の入手元を訪ねる旅路へ……ここから先はディレクターのチョイスなので,ボクはあえてロケハンしていない。その農家は,大泉学園の駅からそれほど遠くない場所にあった。駅前から続く住宅街が途切れた空間。そこには,広い空と広い畑が待っていた。農園の主,内堀さんに話を聞きながら,大根を見せてもらう。ここでは数種類の大根を栽培していて,練馬大根は1000本ぐらい作っているそうだ。もちろん,大根以外にも,さまざまな野菜が作られていたり,区民に畑の一部を貸し出して,栽培指導もしている。
 烏山で大蔵大根を見せてもらったときも,都市部での農業の形について,あれこれと考えさせられたが,この,「地場作物」と「地域とのつながり」と言う展開の,今後にも注目したい。

 畑で大根抱えてラストコメント撮り。大根を持って語るのは,大蔵大根を持って烏山を歩いたとき以来(笑)。この勢いで,来年は亀戸大根も見に行くか?「東京特産大根めぐり」なんて言う企画でもあれば,この3種の大根は避けて通れないはずだ。

・「クリスマス」はどうなった?

 予定通り,1月半ばのオンエア。
 やはり気になる,「クリスマス」(笑)。
 ……実に上手く避けている。これが年末の撮影だったと気づく人は,まず,いないだろう。それに,BGMもクリスマスに関係ない曲を使っているので,その演出効果もある。「サボテンの花」が使われていたのは,「冬」からの連想?雪の日の歌なのに,意外と,冬晴れの風景に合っていた。参考までに,個人的には,石神井公園を歩いているときは,Simon & GarfunkelのOld Friendを頭の中に描いていたのだが,どうだろうか?

 例によって,撮影した映像のうち,オンエアされるのは数%。今回は,前回よりはまとめやすかったのではなかろうか?

 自然解説をしているときも,自然解説者から聞いたこと全てを記憶して帰る人は,まず居ない。話を聞いた人の心のどこかに引っかかる,インパクトのある話を1つ2つ憶えて帰ってもらえれば,上出来なのだ。TVで喋る場合は,とりあえずの聞き手はディレクター。あれやこれやと語り,その中から,聞き手であるディレクターの心に引っかかったエピソードを素直にオンエアに使ってしまえば,それに似た体験が出来ると思う。この場合,ディレクターの感性に合う人がどのぐらい居るか,と言う問題はあるかも知れないが,そんなに大きく外すことはないだろう。たとえテレビカメラの前で喋っていても,人を相手に喋っているときと,自然解説に差は無いのだ。そして,学術的なバックグラウンドを背負って喋っていると言う事情も,肩書きを出していなくても,なんとなく出てきてしまうものなのだろう。そんなことを感じた旨の感想も,オンエア後に頂いた。

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 10.この街は,意外と奥が深いぞ……取手編

・1年間の御無沙汰でした…

 2006年12月某日,ボクは渋谷区某所で講演をしていた。その帰りの電車内で,携帯電話に着信(もちろんマナーモード)……発信者も確認せず,無視。数分後,新宿で下車して確認したら,Hプロデューサーからの着信だった。
 改札を出たところで,こちらから電話をかけ直し。次回の「散歩師」の撮影日程は,新宿西口の地下道を歩きながら,決まっていった。

 例によって,ロケ先候補地を3ヶ所ほど選び,周辺情報と共に,ディレクターのTさんに,長文メールにして送る。その数日後,折り返し,Hプロデューサーから,行き先の最終決定の連絡。後はTさんと別々にロケハンを行いつつ,メールを何往復か交わして,こちらの準備は完了。Tさんと組むのも4回目なので,手馴れたものだ。
 行き先は取手。今回は本業の都合で,ちょっと遠出がきつかったので,自宅から1時間以内の場所ばかり提案しておいたのだが,その候補の中でも,最も自宅に近い場所に決定した。このところ,本業の研究者としての仕事が忙しく,ロケハンに出にくかったので,ちょっとだけ近場で楽をさせてもらった。ロケ予定日は1月6日。土曜日だ。雨天予備日が翌日の日曜日。
 結局,じっくりロケハンが出来たのは正月休みに入ってからだった。

・意外性の街?

 取手と言うと,どんな印象があるだろう?
 茨城の入口,首都圏の端っこ,利根川沿いのベッドタウン……あまり強烈な印象を与えるものは多くないように思う。しかしここは,水戸街道の宿場町としての歴史を持っていたり,利根川の水運で栄えた町でもある。文化,歴史スポットもそれなりに多い。自然観察スポットについては,地元では知られた場所はあるが,そんなに有名な場所は無い。しかし,意外な場所に意外なモノがあるのだ。

 実は十数年前に,3年半ほど,取手に住んでたことがある。言うなれば,昔のテリトリー。土地勘は十分にあるのだった。


 今回も,ストーリー原案を公開してみる。こちらから提案した原案はこんなコース。

 取手駅西口→関東鉄道を眺める→東口に回って,長禅寺下の旧市街(この中の駄菓子屋さんに立ち寄る)→長禅寺で見学&自然観察→新六(奈良漬の老舗)で見学&「今日のおみやげ」確保→取手宿本陣→八坂神社→利根川河川敷→小堀の渡し→小堀の集落→古利根沼

 ……で,Tディレクターから返ってきたお散歩コースは……このまんま。
 原案では訪問先とストーリーしか提案していない。どこでインタビューを入れるか,どこに時間を割くか,と言ったところはディレクター側で調整されている。もちろん,取材申し込みなどの調整も含めて……。だから,原案に全く手を入れていないわけではないので,念のため。
 実際には現場の状況や撮影の進行状況で,当日に変更もあることが多い。訪問先の都合などで,撮影順序が入れ替わる場合もある(オンエアでは通常,気づかないと思うが,日の当たり方などを丹念に見ると,分かることもある。今回も,都合による撮影順序入れ替えが2箇所ほどある。それがどの部分なのか,あえて公開しないので,番組を録画してある熱心な番組ファンは,丹念にチェックしてみては?)。

 今回,ディレクターからの提案を私がボツにしたエピソードが1つある。
 それについては「ボツネタ集」で。

・出鼻をくじかれる

 年明け早々から,天気予報の週間予報ばかり気になる。最初,日曜日の午前中が雨?との予報だったが,ロケ日が近づくにつれ,天気の崩れも早まってきた。金曜の午後にディレクターより連絡を受け,1日延期を決定。編集の都合もあるので,この週末より遅くすることは出来ないと言う。
 6日は予報通り昼前から雨。雨が降ると困るロケ先がいくつかあったので,とりあえず,延期して正解だった。……がしかし,その後,低気圧が爆発的に発達し,7日は,天気は回復しても台風並みの強風になる場所もあると言う予報に……でも,もう延期は出来ない。

 快晴,強風の取手駅西口でスタッフと落ち合い,撮影開始。やや前途多難な予感。
 今回は取手市の方も同行してくださるとのこと。文化財の撮影があるからだろうか。

・こだわって時間を食う

 今回紹介するスポットは全て,駅の東側。……なのに西口からスタートをする。西口のほうがオープニングコメントを撮るのに良い場所がある,と言う理由もあったが,本当は,ボクが関東鉄道を1カット要求したため。
 関東鉄道は,おそらく都心から一番近い,ディーゼルカーに乗れる鉄道。非電化でありながら,取手から水海道までは複線で,1時間に4本と言う,ローカル私鉄とは言えないようなダイヤが組まれている。
 茨城の鉄道は,石岡市柿岡にある地磁気観測所に影響しないように,交流電化もしくは非電化となっている。常磐線は取手の少し先,つくばエクスプレスは守谷の少し先で,直流から交流に電源切り替えをしている。そして関東鉄道は,車両にコストのかかる交流電車を走らせることが出来ず,非電化のまま残っている。鉄道マニアの間では知られた話だが,このディーゼルカーを撮りたくて,わざわざ西口からスタートしている。関東鉄道をバックに歩くシーンも撮ったが,平日ダイヤと休日ダイヤを読み間違え。12分ほどタイムロス。「非電化複線」と言う鉄路も珍しいので,電源の話も含めて解説しておいたが,これはオンエアされていない。
 結局,関東鉄道のために30分近く使ってしまった。

 当初予定していた駄菓子屋さんは,日曜定休のため,パス。撮影日をずらすと,こういう影響もある。

・「さざえ堂」の構造をを見せるには?

 すぐに長禅寺に到着。ほとんど駅前と言っていいような立地に,広くて静かで緑の濃いお寺がある。ここは,取手が宿場町として栄えた時代より前,10世紀に平将門が創建と伝えられる,古いお寺。参道の石段に寄進者の名が刻まれているが,「京橋区」「日本橋区」などの古い地名が刻まれている(なお,「区」は旧字体で書かれている)。東京が23区になる前の時代のものだ。東京方面からも信仰を集めていたことが読み取れる。
 ここの注目スポットは三世堂。240年ほど前の建造とされ,「さざえ堂」様式の建築物としては現存する最古のもの。「さざえ堂」とは,建物の輪郭に沿って螺旋状に2系統の階段を配置し,登り階段と下り階段が別々になっている,回遊式の建物である。参拝者は一方通行でお堂の上まで辿り着き,出口へと降りてゆく。ここには将門の守り本尊として伝えられる十一面観音のほか,坂東(33か所),秩父(34か所),西国(33か所)の札所めぐりの観音様を集めた,百観音に詣でることが出来る。お堂の1階部分に十一面観音と坂東の観音像,2階に秩父,3階に西国と言う配置。一巡りで100の札所めぐりの御利益があるわけだ。これら観音像は,まぁ,今ふうに言えば,ミニサイズのレプリカと言ったところ。それぞれの観音像に,寄進者の名前と住所があるが,「取手宿」「青柳」「小堀」など,地元の地名が多い。取手宿が,こうしたものが作れるだけの経済力のある町だったことも,想像される。
 なお,この三世堂の御開帳は毎年4月18日のみ。今回は特別に中に入れてもらったが,十一面観音像を拝むのは,御開帳の日までおあずけ。

 この螺旋構造をどうやって表現するのか?中は暗いし,階段は人1人がやっと通れる狭さ。今回の撮影,演出で一番苦労した場所だと思う。

 建物の意匠についてさらりと触れているが,禅宗のお寺なので,質実剛健で,密教のような彩色した装飾は見られない。その辺の詳しいことを喋ってしまうと,建築史を語る「散歩師」志村直愛さんとネタが重なるので,いい加減に喋っておく(おいおい……)。

 長禅寺の庭で,桜の木についたウメノキゴケとノキシノブについて,ひとしきり解説。ウメノキゴケは地衣類と言う,真菌と藻類の共生によって作られた生き物で,大気汚染に弱いことから,環境指標としても注目されている。東京都心の桜並木では,まず,お目にかかれない生き物なのだ。木の幹に生えているノキシノブも,夏に「吊り忍」として,風鈴と一緒に売られている,あのシダなのだが,これも,それなりに湿度があって環境が安定していることを語ってくれる。

 古いお寺の木々は,そこにある建物と同じくらい,その土地の歴史や環境を語ってくれる。

・茨城で奈良漬

 長禅寺のすぐ近くに,立派な蔵が並ぶ,表通りの旧水戸街道に回れば,そこは奈良漬の新六本店の入口。ここで社長にインタビュー(せっかく沢山喋ってもらったのに,残念ながらオンエアされず)。

 なぜ,取手で奈良漬なのか?

 茨城は酒どころでもあり,地場野菜もいろいろとある。それを利用して奈良漬を作り始めたのが,ここの奈良漬屋としての始まりで,明治元年からこの地で奈良漬を売っていると言う。みりんを混ぜた甘口の酒粕に漬けた,地場野菜の奈良漬を試食。茨城らしく,味の濃い奈良漬だ。すかさずお茶を出してくれた。なるほど,お茶請けにもよろしい。これが,「今日のおみやげ」。
 蔵の中も見学して話をうかがったが,オンエアされていない。天井が高くて柱の間隔の長い,素晴らしく立派な作りの蔵だった。

・宿場町の中心で春を見つける

 次は取手宿本陣。新六本店から徒歩2,3分。今日は歩く距離が短い。
 ここも公開日が限られているが,1月の土日は公開日となっているので,他の見学者に混じって見学。水戸街道の宿場町で,しかも利根川の渡しの目の前。川が増水すれば長期滞在する可能性もあるわけで,そのためか,大名のための立派な作りの建物がある。殿様の泊まる部屋だけ,少し床が高い。床下と天井裏に護衛の家臣が詰めるためのスペースがあると言う。殿様のSPも楽じゃない。本陣と全然関係ないが,夜行の高速バスで,交代の運転士は,運転席のすぐ後ろ,客室の下の狭い空間に造られた仮眠室で寝るのだそうだが,ふと,そんなことを想像したりしてみた……。
 本陣の殿様の部屋には,脱出用の隠し扉もあるらしい。
 本陣の庭は至ってのどか。江戸時代に植えたものではないだろうけれど,ロウバイが満開。ミツマタも少しだけ開花。今年は暖冬で春が来るのが早い。ロウバイの木は,まだ昨年の葉が残ったまま,花を咲かせている。こりゃ,春が早いのではなく,冬が無いと言うべきなのかも知れない。

 でも,この辺りから,ますます風が強くなる。今日はとにかく寒い。

・八坂神社はパス

 この次は八坂神社を見てから利根川の河川敷に出る予定だったのだが,この日,取手市では成人式があった。八坂さんのすぐ近くにある市民会館が,その会場。さすがに成人式の晴れ着を着た人が写り込むのはオンエア時期から考えても,ちょっとまずいので,八坂神社の撮影は見送り,遅れていた撮影時間を稼ぐ。大急ぎで昼食。

 なぜ,時間の遅れが気になるのか?
 それは,絶対に遅刻できないものが待っているから。

・広いぞ寒いぞ,坂東太郎

 次はいよいよ利根川へ。「坂東太郎」の別名が似合う,広大な河川敷。ここから海まで85kmあるが,水面の標高は5mも無い。他の河川とはスケールが違う。広いと言うことは,風をさえぎるものが全く無いわけで,思い切り風に吹かれる。風速15mぐらいはありそうだ。この辺りからマイクが風を拾いまくる。いろいろと工夫をしてみるものの,なかなか上手く行かず,ダウンジャケットの襟を立ててガードしたり,あえて風下を向いて撮影したり(でも,見たい風景が風上寄りだったりして…),オンエアを録画した方がいらしたら,服装や風向きを観察してみると,苦労している様子がちらりと見えるので,チェックしてみては?(笑)
 この先の行程を心配しつつ,自然観察。風が強いと鳥も飛ばない。ツグミとかハクセキレイぐらいしか見当たらない。そんなときは,植物観察。多年生の草の冬越しの姿……「ロゼット」を何点か紹介(オンエアは1つだけ)。南向きの斜面では,春の花も咲いている(オンエアはホトケノザのみ)。ホトケノザの花を笛にして遊んでみたり,少しだけ早い春を楽しんでみる。利根川の河川敷には,この時期,菜っ葉の緑が目立つ。野生化したセイヨウカラシナの葉だ。葉をちぎって揉むと,空気に触れ,少しずつ,からしの香りが出てくる。花を咲かせた株もある。今年は本当に春が早い。

 常磐線の鉄橋のトラスに,チョウゲンボウがじっと待機中。チョウゲンボウはハトぐらいの大きさの,小さなハヤブサ。ビルや橋などの人工物に縄張りを張ったり,営巣したりする例もある。常磐線鉄橋のチョウゲンボウ夫婦は,地元のバードウォッチャーの間では,ちょっと知られた存在。NHKの取材も受けたことのある鳥だ。

 広い河川敷を歩き,川辺に出ると,強風のため,川面には無数の波が……。
 その中を,ゆっくりと時間通りに,小さな船がやってきた。こんな天気でも定時運航している「小堀の渡し」。すばらしい。さすが,生活路線だ。

 取手市は,利根川の向こうにも市域がある。これは,明治時代に利根川を改修して流れを直線にしたときに,小堀の集落が川の向こうになってしまったため。今は連絡バスもあるが,渡し舟より遠回りなので,渡しも残っている。この船は市営で,かつては無料で,居住者向け,観光利用禁止だったが,今は片道100円で,自由に利用できる。定員12人+自転車,バイク数台がやっと乗る,小さな船だが,住民の大切な足でもある。強風に煽られ,水しぶきを浴びながら,小堀までの短い船旅。
 なお,「小堀」は「おおほり」と読む。ややこしい。


 渡し舟のチケット。船には取手市のマーク。そして取手市長の領収印。
 船の前のほうの小さな箱が客室。


・利根川の原風景に出会う

 川を渡っても茨城県。ちょっと不思議な感覚。そして,川を渡ると,時間が遡ったような風景が広がる。狭い道沿いに肩を寄せ合うように家の並ぶ集落。裏手には小さな畑。車もあまり通らない。まるで30年ぐらい前にタイムスリップした気分。

 生垣に絡んでいるカラスウリの実を観察。どれも鳥に穴をあけられ,中身がかなり食われている。中に残っていた種を,ちょっと紹介。不思議な形をした種で,「やっこさん」「打ち出の小槌」「カマキリの顔」「昆布巻き」など,いろいろな物に見立てられている形(→参考)。防風のための屋敷林を持つ家も多く,集落内は風も弱まり,ちょっと一息。コハコベ,ノゲシ,オオイヌノフグリなど,春の花もちらほら。小鳥たちも,集落内ではのんびり活動していて,ヒヨドリ,ムクドリ,ハクセキレイ,メジロ,シジュウカラ,アオジ,コゲラ,スズメ,ウグイスなど,間近にやってくる。

 集落を抜けると,ちょっと珍しいポイントがある。それは,地続きで県境を越え,千葉県に入れる場所。千葉県は海と利根川,江戸川に囲まれた県。県境のほとんどは水の上にある。ところが,県境が決まってから河川改修工事が行われた場所では,県境の一部が陸地にある。茨城県取手市小堀から千葉県我孫子市中峠に,地べたを歩いて移動できる場所があるのだ。

 そして,千葉と茨城の県境は,古利根沼の中央を通っている。これは,この沼がかつての利根川の本流だった頃の名残に他ならない。
 古利根沼は我孫子市側に出っ張るように弧を描いている。我孫子市側のほうが見通しが良く,小高い斜面林も残っていて,自然が豊かだ。「取手」を紹介すると言っておきながら,古利根沼の紹介は,大部分,我孫子側からの撮影となっている。実際,我孫子のほうが環境行政に力を入れているので,自然環境の保存状態も良い。


 沼の東側のビューポイント。
 ロケハンの日に撮ったので,水面は鏡のように静か。
 本当はこういう風景が撮りたかった……



 風が弱ければ,沼を見渡すポイントで,のんびり野鳥観察が出来るが,今日はそれどころではない。遠くの,風の回り込みにくい場所に,辛うじてオオバンとコガモが退避しているのが見えたぐらい。天気には勝てない。水辺を少し歩き,オオカマキリの卵の話でお茶を濁したり,水辺環境を代表する樹木,ハンノキを見たり。例年なら2月に花をつけるハンノキが,今年はもう,開花直前と言う状態。春が早そうな気配。段丘の上に整備中の「自然観察の森」に登り,取手市街や筑波山を遠望しつつ,ラストコメント撮り。眼下に広がる古利根沼は,往年の利根川の流れそのものの風景だ。そう思いながら,現在の利根川と見比べてみる。風景がタイムスリップする。この風景には,取手と利根川の自然史が,ぎゅっと凝縮している。
 コメントを適当に喋ったところで,日没。タイムアップ。この日の日没は16時45分。冬は日没が早いので,撮影時間が限られてしまう。

・オンエアが見られない……

 撮影が終わって数日後,宮崎で高病原性鳥インフルエンザが発生。商売柄,どうしても多忙になる。しかも,2例目3例目が発生し,バタバタと仕事に明け暮れる日々。撮影日の前に鳥インフルエンザが出なかったことは,不幸中の幸いだったのかも知れない。結局,オンエア日も放送エリア外に出張中で,オンエアの確認をしたのは,出張から帰ってきてから。

 単純計算すると,オンエアでは,ロケで撮影した物の95%は切り落とされる計算になる(正味10分半に対して,その20倍ぐらい撮影している)ので,オンエアでは,自分の喋った内容に誤りが無いのかを確認しつつ,制作スタッフの編集の成果もチェックしている。
 Tディレクターにとっても,取手は初めての街だったので,比較的オーソドックスなネタで手堅くまとめた印象。「さざえ堂」にはこだわった様子だが,新六のインタビューや蔵の中の様子は,ごっそりカット(社長さん,ごめんなさい。でも,「おみやげ」はしっかり紹介されましたから……)。天気の都合で,自然観察ネタは不作だったので,まぁ,こんなものだろう。それより,街の成り立ちや歴史の見えるものが多かったので,その辺りから取手を魅力的に見せることには成功していると思う。
 大きなインパクトのあるネタは無いが,今まで知らなかった発見がいろいろ織り込まれた佳作,と言ったところだろうか。安心して見ていられる1本だと思う。


……以下,出演依頼があれば増える予定。


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