1997年12月13日、筑波サーキットのTOFに丸山浩が帰ってきた。
同年5月のレースでは、ポールtoフィニッシュを飾った彼はディフェンディングチャンピオンだ。
今回も前回同様の筋書きを狙っている。
そこには普段の遊び人とは違う”レーサー丸山浩”の顔が有った。
97年は鈴鹿8hにも参加して、見事に完走を果たしている。
四輪のレースにも参加して意欲的にレース活動をこなしている。
WithMeプロフェッショナルレーシングの監督でもある彼は、同日にZERO2クラスに参戦しているチーム員にも決して恥ずかしい走りは出来ない。
何よりも今回は、愛機CB1000SFの引退レースでもあり、「何としても優勝したい!」と考えていた。
予選はそんな思いが現れて一目で他とは違う走りを披露してくれた。
鈴鹿や大阪からも多くのチーム員が応援に駆けつけて来てくれている。
彼らの応援に応える為にも、必ず優勝したい。
今回、BIG1(CB1000SF)の整備は篠塚メカニックが担当している。
緊張の色は隠せないが、精一杯にメカニックを努めている。
レースでのメカニックは初めての篠塚くんではあるが、彼はこの日の為に徹夜でマシンを整備していた。
決勝レース前に、そんな篠塚君に丸山選手は一言つぶやいた。
「もし、アクセルをあける手が緩んだら、君が徹夜していた事を思い出すよ。」
そう言ってスターテイング・グリッドに着いた。

スタート前の選手紹介の時には、スペシャル・アイテムとしてキャンペーンギャルも用意していた。
(やはりこの男、ギャルパワーが必要なのか?!)
色々なプレツシャーを全てエネルギーに換えて闘志を燃やす丸山浩選手だった。
スタートするとフロントをリフトさながらもホールショットを決めて先行逃げ切りに入った。
しかしマシンの性能差であろうか、2番手ポジションに付けた戸田選手が、どんどん迫ってくる。
丸山選手も負けじと自己ベストを更新して走り続ける。
そして戸田選手が1分1秒を切るタイムをマークした直後に最終コーナーで砂煙が上がった。
2台のマシンが絡んでの転倒だった。
筑波サーキットではタイム短縮に大きな差のでるコーナーだけに、多くのライダーが攻め込んで来る。
危険を察知したオフシャルの判断により、直ぐに赤旗中断になる。
ピットに戻って来た丸山選手は、コンセントレーションを維持し再スタートに備えている。
数分後、2番手の戸田選手と0.7秒のビハインドで再スタートした。
1位、2位のオーダーは変わらずトップ争いをする二人が4周を過ぎたあたりで、再び後続車に転倒。
またもや赤旗中断となってしまう。
この時点でレースを70%以上消化していたので、レースは成立してしまった。
レース後の表彰式もなくシャンペンシャワーもなかった。
前回の様にブッチ切りで優勝したかったが、これもまたレースである。
激しい闘志を燃やしてレースに打ち込んだ丸山浩と愛機CB1000SFの最終レースは終わった。
このレースで愛機CB1000SFの「ゼッケン1」に”優勝”を添える事が出来た。
T.O.F.の大会終了セレモニーでは、確定表彰式が執り行われた。
DOBARクラスの優勝を飾った丸山選手は表彰台の中央にのぼった。
お茶目にポーズをとり捲る丸山選手の横には、頭に”ぬいぐるみ”をかぶった準優勝の戸田選手がいる。
目立つ事に命を懸けた二人に対して、3位入賞の選手は普通の人だった。
アナウンサーも3位の人が表彰台にあがると「やっと、まともな人が現れたのでホッとしています」と言っていた。
表彰式が終わった時にも、丸山選手と戸田選手はお約束通りに転んで表彰台を降りて(落ちて)いた。
「レースを楽しみ、そして誰よりも早く走ってみたい」と云う丸山選手のパフォーマンスだろう。
恐らく他のライダーは「こんなふざけた連中にいつまでも表彰台を独占されてはマズイ!」と思ったに違いない。
(でも、みなさん悪気はないのです。)
丸山選手は走っている時には、やっぱりライダー。でも、普段はやっぱり?!と云う不思議な人なのです。
帰り支度をし始める頃、チーム員の森澤選手から丸山選手の為にシャンパン(MOET)が贈られた。
そして応援に駆けつけてくれた多くのWithMeチーム員と共に優勝を喜び乾杯を交わした。
お祝いのキッスを貰って喜ぶ姿が、普段の姿なのか?!それとも・・・。
1998年も、「歌って踊れるライダー」を目指して丸山浩はサーキットをかけずり回るでしょう。
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