鹿部台場ノ嶺(つね)

概説 峠下台場(七飯台場)と同時期に、新政府軍の内浦湾(噴火湾)上陸に備えて築造されたもの。鹿部の山中にあり、鹿部から七重に抜ける敵に備えて衝鉾隊が警備した。昭和4年の駒ヶ岳の噴火による火山灰で埋没してしまった。
 『鹿部町史』の「榎本軍の防備」の項で取り上げられている『楠見日記』という文書(「その他の函館周辺の台場」をご参照下さい)に記述されている他に、「鹿部台場ノ嶺」という別項を設けて解説している。所在地に関しては、昭和9年の鹿部村の「史蹟名勝台帳」では字滝ノ澤(現在の字鹿部335)とあり、昭和51年の道教委の一般分布調査では字鹿部266となっている。これは「台場の位置や規模は噴火のため埋没して確認が容易でない」ためで「台場ノ嶺の存在そのものが、台場のあった嶺(峯)のことで、一点ではなく嶺という線上のことなのである」としている。
 昭和51年の道教委の一般分布調査台帳ではここを「鹿部台場跡」という名称で登録しているが、これとは別に海岸に近いところに「鹿部台場」があったという話も耳にした。
鹿部漁港南側の丘陵の奥に台場ノ嶺はある
その他の写真
  1. 水源地向かい側の山道入口
訪問記[2003/07/07]台場ノ嶺への山道入口まで行ってみた。道と思えば道だが、案内無しに入るのは無謀だろう。ヒグマがいるらしいし。どこからも台場ノ嶺は望めないらしいが、方向的には鹿部漁港の南方向になる。見出し写真正面の丘陵の奥になるはず。しかし、そんなどこからも望めないような所に台場を設置する意味があるのだろうか、疑問。
所在地渡島支庁鹿部町字鹿部266または335。鹿部市街の背面の丘陵の山麓。鹿部町文化財課の説明によると、国道278号線を役場の南東約500m付近から西へ入り鹿部川沿いに東光寺・火葬場を過ぎてしばらく行くと右手に水源地がある。その向かい側の山道を3〜4km登ったところ。しかし、熊がいるので地元の人でも行きにくいらしい。行かれる方はくれぐれもご注意下さい。
参考書『鹿部町史』