鹿部台場

概説 昭和51年の道教委の一般分布調査台帳では「鹿部台場ノ嶺」を「鹿部台場跡」という名称で登録しているが、これとは別に海岸に近いところに「鹿部台場」があったという話を耳にしたが詳細不明。
 今井信郎『衝鋒隊戦争略記』(『箱館戦争史料集』p81)に「鹿部、熊泊ニハ友野栄之助小隊ヲ率テ戍。」と書かれているが、鹿部町文化財課でも「熊泊」の現在位置は分からないとのことだった。(その後、「熊泊」は現在の南茅部町「大船」だと言うことを教えてくれる方がいた。松浦武四郎の「蝦夷日誌」などにもこの地名が見られるそうだ。[南茅部町のFさんありがとうございます])
鹿部町役場向かい側
訪問記[2002/08/26]「鹿部町役場の向かいあたりの草むらに80mX80mほどの土塁が残る」と聞いていたが、それらしきものは見つからず。
所在地鹿部町鹿部。
参考書『箱館戦争史料集』