七飯台場

概説 峠下台場とも。これは古峠から見て峠下ということ。
 峠下の戦いを研究していた七飯町内の長川清悦さん(前七飯町歴史館館長)が周辺の山々を調査して昭和48年に台場跡を発見。長川さんは発見したときの様子を「ちょうど蝶が羽を広げて休んでいるような形であった」と言った。この台場は明治元年11月、雪降る中三日ほどで急造したといわれる。[七飯町「歴史の道探検2003.5.24」資料より]
 山裾をはしる森と峠下をむすぶ街道を扼し、また、森,箱館までとどくすぐれた眺望をもつ。台場は標高349mの山頂部にあり、31mX17mの不等辺多角形をした西洋式城塞で、土塁の高さは現在でも1.5mほどあるという。[『箱館戦争写真集』より]
 大野町にあった大野口台場五稜台場などが湮滅してしまった現在、多稜郭形の小規模台場の存在は貴重。ぜひ保存をして欲しいと思う。
正面が古峠。台場山はもう少し左側だがどこからも見通せない
その他の写真
  1. 標柱
  2. 峠下方向の土塁
  3. スロープ跡の土塁
訪問記[2003/07/14]道案内が無いと台場へは行けないでしょうと言われた。それでも少しでも近くへ行ってみたいと、北電七飯発電所前の道を行けるところまで行ってみた。1.4kmほど行くと両側に農場があって、その先で道は左へ直角に曲がりまもなく通行止めのゲートで遮られた。直角のカーブの所に「七飯林道」の標識が立っている。方向的にはここからほぼ真北(写真正面)に台場はあるはず。帰宅後、地形図を見たら台場は正面の山の左側の山だったようで、ここからは見通せない場所にある。
[2003/07/21]先週、手前まで行って引き返してきたので、クマ対策の助っ人を頼みリトライ。七飯林道の途中から山道へ入り台場登頂に成功。頂上はガスに覆われ視界不良だったが登頂の満足感は十分。土塁の高さは現在でも1.5mほどあると書かれていたがそれはちょっと言い過ぎか。内部はかなり埋まりつつあり深さ1mといったところ。しかし、七稜郭の土塁構造は明瞭に残っているのがすばらしい。わずか三日ほどで造った台場が150年もの時間を超えていま自分の目の前に残っていることに驚きを感じる。『箱館戦争写真集』に「森,箱館までとどくすぐれた眺望をもつ」と書かれているが、今日はガスでまったく確認できなかった。これはちょっと残念。とても心配なのは山道にはバイクで走った轍が目に付き、土塁が壊されることに不安を感じた。七飯町さん、なんとか保護をお願いします。
所在地渡島支庁七飯町字峠下国有林内。峠下の北電七飯発電所前の説明板によればそこから古峠へ向かって2.5kmほど登って行けば辿り着けるらしいが、もしかしたら小沼側から登ればもっと近いのかもしれない(この道は昔のバス道だが車で入って行くのは勧めませんとの話を伺いました)。北電七飯発電所前の道を1.4kmほど行くと両側に農場があって、その先の直角のカーブの所に「七飯林道」の標識が立っている。そこで道は左へ直角に曲がりまもなく通行止めのゲートで遮られる。そこから徒歩で200mほど行くと正面に台場まで1.05kmの標識がある。この山道はちょっと険しいらしいが臨場感を味わえるとのこと。また、ここから右へ林道を1kmほど歩くと左手に台場まで400mの標識がある。ここからは斜面をほぼ一直線に尾根まで上がれる。この尾根を右へ行くと古峠へ至るらしい。尾根を左へ少し進むと台場へ到達する。北電七飯発電所は国道5号線、昆布館向かい側の道を東へ入っていく。
参考書『鹿部町史』、『箱館戦争写真集』