“プリズム”
神林長平
(ハヤカワJA)
ひさしぶりに「たまには日本人作家の作品も読んでみようシリーズ」
です。
それぞれの都市の上空に浮かぶ神のごときコンピュータ、
浮遊都市制御体が生活のすべてを管理する世界。
そこに、制御体に認識されない少年がいた。
彼は、制御体はおろか、彼以外の人間にも見えないらしい生物に出会った。
彼らの正体はいったい…?
という話で始まる連作短編集です。
「浮遊都市制御体」というSFっぽいものは出てきますが、
ファンタジーの世界です。
すべて同じ世界を舞台にした話で、「想い」「言葉」が根元的な力を持つ、
という設定になっています。
登場人物は一部重なって出てきますが、あまり意味をなしていない
(話どうしの関連性が薄い) ような…。
そういう感じなので、
それぞれの話が連関して一つの大きな話を構成しているわけでもないし、
かといって、
一つの枠組みの中のさまざまな側面を捉えているとも思えないので、
何か中途半端な感じです。
すでに書いたように「想い」と「言葉」、
それに加えて「色」がこの作品世界の重要な要素なわけですが、
「これらが重要な要素である」というアイデアがそのまま書いてある、
という印象です。
アイデアをそこから膨らませないと話として面白くならないと思うのですが…。
「想い」が重要である、ということならば、
「強く想ったことはきっと伝わる。たとえ、天上からでもね」
の“コムコップ”(岩泉舞) (小説ではなく漫画です)
のほうが格段に印象的だよなぁ、なんてことも思いました。
(6/29)
“占星師アフサンの遠見鏡”
ロバート・J・ソウヤー
(ハヤカワSF)
知性を持った恐竜キンタグリオが中世ヨーロッパ的な文明を作り上げている、
とある世界。
若き見習い占星師のアフサンは、
宮廷占星師の下で学んでいるが、
古くからの教えを重んじ、
自分でもっと詳しく観察することを否定する師匠には不満を持っていた。
そんな彼が、新発明の「遠見鏡」
(読みは「とおみきょう」でいいのかな) を手に巡礼の旅に出たとき、
彼の眼には真の世界の姿が次々と映し出された。
そしてそれだけでなく…。
単純に恐竜版ガリレオを描いたファンタジーかと思いきや、
中盤から SF的展開が待っています。
もっとも、そこに持っていくためなのか、
アフサンがあまりに勘が良すぎです^^;。
あれだけの観察で、あそこまで推論してしまうとは、、、。
人間の知性を基準に考えてしまうせいかもしれませんけど。
“ゴールデン・フリース”
もそうでしたが、まずまずは面白いし、なかなか良くできているとは思うのですが、
何かもう一つ足りない、という感触があります。
うーん、何だろう。
盛り上げ方がいまいちなのかな。
ストーリー的にひねりが足りない、というのもあるかな。
この世界を舞台にした続編も二つ書かれているようですが、
邦訳はまだされていません。
(6/8)
“ハイペリオンの没落 (上・下)”
ダン・シモンズ
(ハヤカワSF)
“ハイペリオン”二部作の、後編(^^;)です。
前編 (前作) は、巡礼のそれぞれのメンバーの語る物語が中心でしたが
(冒頭で、とある人物が要約を語ってくれます^^;)、
こんどは、連邦とアウスター、そして <テクノコア>
の間の戦い、そしてそれと <時間の墓標> やシュライクがどう関係するのか、
という謎解き (種明かし) が中心です。
そう、前作で提示された謎は、この作品で、
解かれるというよりもだんだんと答えが語られていくという感じなのですが、
「なるほど、あれはそういうことだったのか」
とおおよそきちっきちっとはまっていきます。
そして最後に、この「大戦」の決着をつける場面は、短く、単純ではありますが、
壮絶です。
CEOも将軍もかっこいいです。
場面は違いますが、巡礼の面々もそれぞれの役割をかっこよく果たしていきます。
前編・後編ともに、文庫本だと上下巻 (それも結構厚い) という量ですが、
十分に読みごたえがあります。
解説の言葉を借りれば「異様に密度の濃いただのSF」
「史上最大最強のジャンルSFリミックス」です。
(6/1)
“終わりなき平和”
ジョー・ホールドマン
(創元SF)
タイトルが示す通り同じ作者の“終りなき戦い”
と深い関連をもった作品ですが、続編ということではありません。
だからといって、邦訳が片やハヤカワから、
片や創元から出ているってのも不思議なものですが^^;。
「連合国」とゲリラ勢力「ングミ軍」との戦いはえんえんと続いていた。
連合国側には、神経接続により遠隔操作される機械兵士「ソルジャーボーイ」
という強力な兵器があった。
このシステムは単に操縦士 (「機械士」と呼ばれる)
が一つのソルジャーボーイに接続されるのではなく、
10人の小隊員全員が精神的に繋がりあって活動するので、
完璧な連携行動が取れるのだ。
しかし、この神経接続システムには、軍も知らない秘密があった。
そして、木星軌道上で行われている粒子加速機の実験の、
思いもよらぬ結果が予見されたとき、
神経接続システムの秘密を知る科学者が行動を起こす決意をした…。
語り口は“終りなき戦い”と同じ感じなのもあって、
主人公とその恋人の人物像は何となくあちらと重なってしまいます
(狙ってそうなっているのかな)。
人間関係の問題や、サスペンス的な部分も登場しますが、
話の本筋にはさほど影響無し^^;。
で、最後は結構あっさりと片が付いてしまいます。
この結果の世界については、それで本当にいいのかな? どうかな?
というのを読者に考えさせるような意図があるのかな、
と思いました。
(5/19)
“ゼノサイド (上・下)”
オースン・スコット・カード
(ハヤカワSF)
“エンダー”シリーズの三作目、
“死者の代弁者”
の続編です。
前作から30年ほど経っているという設定ですが、
状況的には「直後」と言ってもよいような感じです。
ノヴィーニャの子供たちは大きくなっていますが。
惑星ルジタニアの知的生物、ペケニーノ (ピギー) との対話が成立し、
窩巣女王も復活したが、
スターウェイズ議会の派遣した粛清艦隊は刻々と迫りつつある。
そして、ルジタニア土着の生物以外のすべての生物をばらばらにしてしまう
デスコラーダ・ウィルスは驚異の適応性を示し、
人類の作り出す対抗策との均衡が崩れるのはいつともしれない。
ジェインはせめて粛清艦隊の活動を遅らせよう、と危険を省みず妨害工作を行った。
惑星パスにスターウェイズ議会に仕える「神の声を聞く」父娘がいた。
彼らは、「粛清艦隊が消え失せた」事件を調査することを依頼された。
それは、この父娘の関係、そして、
惑星パスの社会を大きく変える事態へとつながって行くのだった。
半ばを過ぎる辺りまでは、かなり絶望的な状況が続くので、
けっこう暗い話です^^;。
ところが、一筋の光明が見えたかと思うと、
あとは比較的軽いノリで結末まで行ってしまいます。
「そんなの、あり?」という感じです^^;;;。
「これは思い定めたまま為しうるところで定められたことなのだぞ」
ってやつでしょうか。
で、終わってみれば粛清艦隊はまだ止まってません。
というわけで、シリーズ完結編 (と言っても
“エンダーズ・シャドウ”
のほうの続編はまだあるでしょうけれども)
“エンダーの子供たち”へと続きます。
“ゼノサイド”を読むと、続編の原題“Children of Mind”
がなぜ邦題“エンダーの子供たち”になるのかがよく理解できます^^;。
(5/9)
“ファウンデーションと混沌”
グレッグ・ベア
(早川書房)
ベンフォードの
“ファウンデーションの危機”
に続く、“新・銀河帝国興亡史”三部作の第二弾です。
今回は“〜の危機”から数十年、セルダンが裁判に掛けられる前後の物語です。
“ファウンデーションの誕生”
の最後の部分、
そして
“ファウンデーション”
の最初の部分に重なるところです。
心理歴史学者の章に登場した公安委員長、
リンジ・チェンはこんな人物だったのか…。
裁判の件も含めて、セルダンの計画は予定通り進んでいた。
もちろん、裏では某元首相(^^;)も暗躍していた。
ところが、予想外の事態が起った。
強力な精神感応能力者を味方に付けた皇帝顧問官が
「ロボット狩り」を始めたのだ。
時を同じくしてもう一つの事故が起こった。
某元首相の腹心の部下であり、
公安委員長の右腕でもある人間型「ロボット」が、
宇宙船の遭難に伴って正体を知られてしまったのだ。
さらに長年に渡るロボット同士の意見の相違から、
セルダンを阻止しようとする一派も…。
“〜の危機”のベンフォードほどべたにはアシモフを模倣しようとしていない感じで
(でも違和感はない)、
ストーリー的にも読みやすくなっているように思います
(“〜の危機”よりは薄いし^^;)。
ファウンデーション・シリーズを補完する、という意味でも、
精神感応能力者やガイアの起源へ迫ろうとしているあたりがよい感じです。
“〜の危機”で謎のままだった部分に関しても、多少匂わせていたりします。
“〜の勝利”できっちりと謎が解けるであろうことが期待できそうです。
というわけでおおよそ満足の行く内容ではありますが、
プラシックスたちはちょっと可哀想^^;。
(4/28)
“ライズ民間警察機構”
フィリップ・K・ディック
(創元SF)
テレポート装置の発明により、
人類はフォーマルハウト第九惑星へと植民を進めていた。
しかし、奇妙なことがあった。
テレポート装置は一方通行であるというのみならず、
帰ってこようとする人々すらいない、というのだ。
植民星から地球へと送られる情報は、
そこが楽園であることばかりを宣伝している。
そんなはずはない、
と宇宙船を使ってフォーマルハウト第九惑星へ行き秘密を暴こうとする男がいた。
しかし…。
ここまでが前半。後半は虚実混交、幻覚も入り交じった世界。
「ドクター・ブラッド・テキスト」とかおもしろそうな小道具も出てくるし、
真の戦いはどこにあるのかという謎な状況も興味深いのですが、
いかんせん結局は中途半端なままに終わってしまいます。
最初に発表された“テレポートされざる者”に後半が加筆され、
さらにそれを改稿したものなのです。
その改稿が完成する前に作者は亡くなり…
という事情もあるのですが、
もともときれいにまとめるようなことは考えていなかったんだろうなあ、
という気もします。
筋をきちっと整理した上でこういう感じの世界だったらかなり凄そうなのに。
(3/9)
“エンダーズ・シャドウ (上・下)”
オースン・スコット・カード
(ハヤカワSF)
このコーナー200作品目は、
“エンダーのゲーム”
の姉妹編で、同じ「ゲーム」を、
エンダーの部下として活躍したビーンの目から見た物語です。
いちおう、こちらだけでも話としては解るようになってはいますが、
やはり“エンダーのゲーム”を先に読んだほうがよいです。
「続編」の“死者の代弁者”
などとの順番はどちらでもよさそうです。
ロッテルダムの町で四歳なのに「二歳児にしか見えない」
小さな体ながらも観察力と完璧な記憶力と知能で逞しく生きてきた少年ビーン。
やがて見出されバトル・スクールへ送り込まれるが、
その際のテストでも、バトル・スクールでのテストの成績でも、
エンダーよりも優秀な成績を納め、
さらには教官たちが秘密にしていることまで探りだし、推測することができた。
しかし、大人たちが「来るべきバガーとの戦争に備えた指揮官」
として期待しているのはエンダーだった。
エンダーを目の当たりにしたビーンは、その指揮官としての才能の違いに納得し、
彼を補佐する存在として、いざというときの「影」の存在として、
間近に迫った戦いに備えることになる…。
エンダーの前では思うように振る舞えないビーンがちょっと可哀想な気も^^;
(ビーン、そこには得体のしれない結界が張られているせいなんだよ(笑))。
舞台裏ではこんなことが起こっていたとは(当時の)作者もびっくりでしょう。
さすがに、“エンダーのゲーム”
と矛盾を生じさせないためにちょっと不自然になっているかな、
という部分も多少あるとは思います。
「その後アシルはどうした」とか「この線で行くと、そのうち
『覇者』ピーターとビーンが対決したり協力したりということがあるんじゃないか?」
とか「そもそもビーンの運命は?」とか伏線が残っているので、
ひょっとしたらこれの続編も書かれるのかもしれません
(…と思っていたらやはりあるらしい)。
(2/12)
ワンポイント
これを映像化したら「ダンシング・ベイビー」よりも不気味だよな、
きっと^^;。“ベイビー・トーク”という映画もあったか…。
“ハイペリオン (上・下)”
ダン・シモンズ
(ハヤカワSF)
宇宙に進出した人類は銀河の星ぼしに植民していた。
その辺境にある惑星ハイペリオン。
そこには<時間の墓標>と呼ばれる謎の遺跡があり、
シュライクと呼ばれる謎の殺戮者がその周囲に出没している。
今、その<時間の墓標>が開きかけているという。
墓標が開いてしまうと、シュライクは人類版図全てに解き放たれてしまうだろう。
それだけでも大問題であるのに、
同時に、「宇宙の蛮族」アウスターがハイペリオン攻略を始めた。
この事態を打破すべく、
連邦は様々な経歴を持つ 7人の男女を<時間の墓標>へと送り出した…。
その 7人が、旅の道すがらそれぞれの<時間の墓標>
やシュライクに対する因縁を物語って行く、という形の物語です。
それぞれの話はどれも壮絶で (そして、さまざまなSFの要素が詰め込まれています)、
しだいに<時間の墓標>やシュライク、
加えて連邦を取り巻く状況が明されて行くようになっています。
そして、状況がかなり明らかになり、いよいよ御大(?)と対面か、
というところでこの物語は終わります。
そうです、この“ハイペリオン”だけでは何にも解決は見えません^^;。
続く“ハイペリオンの没落”と対をなしているようで、
そちらまで読まねばどうしようもありません。
とはいえ、各人の「物語」がどれも十分に凄いので、
これだけでも読みごたえはあります。
“ハイペリオンの没落”にはさらに続編の
“エンディミオン”、
“エンディミオンの覚醒”があり、
全部で4部作を為しています。
さあ、先は長いぞ…。
(1/7)
“センス・オブ・ワンダー”
難波 弘之
(キングレコード)
21世紀第一弾^^;は、21世紀突入特別企画ということで、
SFではありません。というか本ですらないな…。
音楽です。
でも、もちろん SFに関係あるというのは、
タイトルからして明らかですね。
というわけで、ハヤカワの“SFハンドブック”で
“夏への扉”
の紹介を書いているミュージシャン・難波弘之の、
全曲 SFをコンセプトにしたファーストアルバムです。
収録曲を並べると… (括弧内は小説の作者、★はインストゥルメンタル)
歌詞や曲のできは必ずしも良くはないですし、歌もうまいとは言えない^^;
ので音楽的にはたいしたことのないアルバムかもしれませんが、
SFファンとしてはうれしい限りの内容です。
特に、“地球の緑の丘”(これの歌詞は当然、作中のライスリングの詩 (の一部)
です。「作詞」の欄も「宇宙詩人ライスリング」となってます^^。
原文なので、韻を踏んでいるところがよく判ります)
が歌われているのを聴けるなんて…。
吉田美奈子作詞、山下達郎作曲の“夏への扉”は、
山下達郎も自分のアルバムでカバーしてますから、
聴いたことがある人も多いかもしれません。
1994年にいわゆるQ盤の CD として CD化されているのですが、
これを書いている時点では在庫切れで、
追加プレスの予定は未定らしいので中古で探さないと入手は難しい状態です。
こういう、入手の難しい CD とかこそ、
ネットワークで聴けるようになってほしいものです。