当然ですが、旅のハイライトはアンコールワットです。ツアーは午前中にトムからタ・プロムを回り、休息後の午後西日に映えるアンコールワットに行き、夕方プノンバケンに登って夕日を見るというのが定番になっているようです。で、午前中トムに行くため素通りしたワットの西正面に午後改めて停車し、いよいよアンコールワットに入っていきます。
いやいや凄い人の列が参道をひっきりなしにワットに向かい、また戻って来ています。それは神聖な中にあっていかにも俗っぽいのですが、この光景こそ本当平和の姿だなという感慨にとらわれます。ポルポト失脚以降の内戦の収束が1990年、その後日本の明石氏が暫定統治機構の事務総長になり平和維持を進め、その過程では文民警察官が殺された事もありました。そして97年の政変による混乱・内乱が再び勃発するなど不安定な状況が引き続き続いていたのですが、98年のポルポト死去、総選挙を経て何とか安定を取り戻したのが約10年前のことでした。そしてこの今ここでの観光客の人並みこそが、現代カンボジアにおける力の源だと納得する光景です。戦争、内乱の時代は去り、再び過去の王の偉大な業績が、こうして世界中から観光客を呼び、お金を落としていく。そして来た人もその壮大なスケールの遺跡に触れ、満足して帰っていく。平和でなければ実現しない現代の姿です。
行ってみてやはり驚くのはその規模の大きさと、その完璧性です。東西1.5km、南北1.3kmの堀に囲まれた敷地に完璧なまでに中心性を求めた石の寺院。これ程の完璧性を持った寺院というのは他にないような気がします。日本だと四天王寺の左右対称から、法隆寺の非対称にしてしまったように、直ぐにちょっと崩してしまうのですが、この一帯の寺院は、見事に中心性を求め実に正確に方形に作っています。中でもこのアンコールワットの中心性の表現は、見事と言うしかないでしょう。大海原の中にヒマラヤ山脈を配置し、その中心に須弥山を置く。その壮大な構想は、900年近く経った今でも人々を引きつけてやみません。
また造形もなかなかの妙です。塔のシルエットを見るとまさしくヒンドゥーの寺院なのですが、周囲の回廊や、中心へのアプローチの感じはあまりヒンズーっぽくないのです。半分仏教的優しさも感じるような気がしつつ、中央へと向かっていったのでした。確かにここはヒンズーの寺として建てられたのに、アンコール王朝崩壊後は仏教寺院に改修され信仰を集めていたとか。うーん頭が混乱する。その仏教寺院の時に日本人の森本右近太夫が訪ね、祇園精舎といわれていたものを確認したといわれています。そう、アンコールの冒頭に密林の奥に姿を消したと書きましたが、実は決して消えていた訳ではなかったようです。王朝は無くなったが、地元の人々の信仰を集めており、しっかり管理されていたのです。従って、タ・プロムのように密林に覆われていたことは無かったというのが正解なんでしょう。だからここまで保存状態が他と違うのではないでしょうか。人々によって守られていたアンコールワット。それがなかったらタ・プロム状態だったと思います。
また、考えてみれば寺院が改宗されるというのはたまにある話です。イスタンブールのアヤソフィアはミナレットを追加して見事にモスクになってしまったし、逆にコルドバのメスキータはモスクから教会になっているし、ギリシャのパルテノン神殿は、イスラム寺院になったりギリシャ正教になったり忙しい・・・その時々の人々の勢力によって世の中は移りゆき、変わらないと思われている建物も微妙に移っていくものなのですね。