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ベトナム、ホーチミン
Vietnam,
Ho Chi Minh

 旧大統領官邸(現統一会堂)屋上に展示してあるアメリカ軍が置いていったヘリ

 その国の歴史を振り返るとき、世界の中での位置関係がその国の運命を定めることが多く起こります。というか、位置関係が世界史を作ってきたと言っていいのではないでしょうか。アフリカがヨーロッパから航海で直ぐに行けるような距離にあったからこそ、多くの人々が奴隷として連れて行かれ、更に植民地として搾取される運命に陥りました。また、ポーランドはドイツとロシアという大国の間にあったから、2度の大戦で領土が東西に動くという運命を辿っています。
 
 その点、ベトナムの悲劇は中国(とその後ろに控えていたソ連)に接していたから、と言ってしまいましょう。第二次大戦で日本は列強の植民地支配からアジア民族を解放するとか勝手な理由をつけて各地に侵攻しましたが、その敗戦により日本の支配が終わり、結果各国で独立の気運が一気に高まりました。その時すんなり独立できたのが島国であったインドネシアですし、同じ島国のフィリピンもちょっとアメリカ統治期間を挟みましたが、日本の敗戦から約1年後に独立できました。
 
 ところが中国とその後ろ盾であるソ連に接していた国々を見ると、そう単純には行きませんでした。先ず朝鮮は終戦と共にアメリカ・ソ連の分断占領の憂き目に逢い、朝鮮戦争の戦乱を経て未だに南北に分かれたまま今に至っています。
 そしてベトナムも中国と接していたばかりに、過酷な運命に巻き込まれます。日本の敗戦と同時に独立宣言を行ったのにも関わらず、独立を認めたくなく、手を引かなかったフランスとの戦争(独立戦争=第1次インドシナ戦争)に巻き込まれ、引き続いてフランスが負けた後、このままではお隣の中国に引きずられ共産国になるのではないかというアメリカの不信のもと、フランスに替わって戦争を仕掛けられ(ベトナム戦争=第2次インドシナ戦争)、泥沼の戦争に突入する運命に遭遇しました。そして10年以上の戦争が北側の勝利、南北統一で終結したと思ったら、今度はその後ろ盾と思われていた中国との戦争(中越戦争=第3次インドシナ戦争)に突入するというおまけ(!)までついていました。(ベトナムのカンボジア侵攻も原因ですが)。別に中国を悪く言うつもりではなく、この国が東西冷戦社会の接点に位置してしまったばっかりに、冷戦ではなくホットな戦争にさらされてきたのです。

 そんな過酷な数十年(十数年ではありません)を経て、ベトナムはようやく平和を取り戻し今に至っています。一応共産系が勝利したのに、その共産系の権化とも言える中国との戦争もあり共産国とは一線を画し、ドイモイ政策により多くの資本を呼び国内を活況付けることに成功し、今や日本からも中国のヘッジ国としての生産拠点、そして観光立国として発展を続けています。日本の高度成長期を見ているようなそんな高揚感が今のこの国には溢れています。

 アンコールとのパックでは、ホーチミンに3泊するコースにしたので、ゆったりと都会の喧噪を体験しつつ戦争の爪痕を見る、そんな時間を過ごしました。

ベトナムエアーでのリフレッシュメント。フルーツが旨かった。
統一会堂中庭でイベントやっていました。緑が多くて気持ちのいい場所です。
ホテルから朝6時に出歩いての1枚。ここ苛の街路樹の作りは植民地時代のものでしょうか。朝はバイクも車も少なくて実に静かなものですが、これが日中になると表情一変です。

ベトナム、ホーチミン

アンコール、ホーチミン