森林考

キグリーの「文明は拡大するための道具を備えているから成長する。軍事、宗教、政治の組織が余剰を蓄積し、それを生産的な革新に投資するからである。文明が衰退するときには、新しい方法に余剰分をあてなくなる。余剰を管理している社会集団が既得権益を持って、余剰の使途を非生産的で利己的なものにあてるからである。」との言葉は真理と思うものですが、地球環境保護の観点からは経済発展を永遠に継続できないのもまた真理です。人類としてはサステナブル・デベロプメントというお題目を作って妥協しているのが現実でしょう。

グリーンウッド氏は職場仲間をメンバーとする非公開のラウンドテーブル21(一種の掲示板)に参加して経済、環境、戦争、教育、世相などをテーマに自由な意見の交換を楽しんでおります。以下メンバーの一人、 にしのさんと交わした環境と森、稲作、海に関する討論のグリーンウッド氏側の見方として整理してみました。むろんにしのさんの主張がグリーンウッド氏のそれとはすこし異なっていたためにかくも長い意見の交換となったわけです。グリーンウッド氏の論点を裏返せば にしのさんのご意見として浮かびあがるのではないかと思います。にしのさんのご了解を得てここに公開いたします。


地球環境と経済発展の矛盾について

私は発展途上国の経済成長は善であるが、先進国の際限ない成長は善とは思ってません。地球の限界は厳然としてあるのであり、いずれ破綻します。サステナブルという言葉にもまやかしはあるとひそかに思っているものです。ただエネルギー消費を無限に増やすような発展は善とは思いませんが、キグリーのいう「余剰物の再投資まで諦めて文明を衰退させる」ようなことはすべきでないと考えております。特に環境のためになる再投資は積極的にすすめるべきでしょう。

発展途上国の成長は善という意味はかって化学工学誌1992年5月号の論壇にお手盛りで掲載した私の論文「炭酸ガス排出量削減策のパラドックス」に説明してあります。「炭酸ガス排出量削減策のパラドックス」とは「地球温暖化防止のため、炭酸ガス排出量を抑制する政策を世界的規模で一斉にとれば、発展途上国の経済成長が鈍化し、人口爆発が継続し、結果としてかえって炭酸ガス排出量が増加してしまう」というものです。貧しい状態では女性の地位が低く、出産率が高く、人口爆発が生じるので、速く経済を発展させ、人口増加をとめるほうが正しい選択であるという結論をローマクラブの報告「成長の限界」と同じ手法でシュミレーションして導きました。

都会に住むと徳川時代の生活様式を美化したくなる気持ちはわかりますが、わたしは1600年頃からご先祖が同じ地の根をはって営々として生計をたててきた、古い屋敷と古い家具、田畑、ハードな労働、質素な食事、電話も水道もない生活を知ってます。私の幼少時代は電気だけありましたが、徳川時代はこれすらないランプの生活です。戦中は停電したのでご先祖様がつかった灯油ランプのホヤを磨かされたものです。地域の付き合いもつぶさにみて知ってますが、あのような生活に戻りたいとは思いません。現状以上アメニティーを向上する必要はありませんが、少なくとも現状を維持してゆく決意は必要でしょう。でも上手くやらないとそれもできなくなるのではと危惧してます。

原子力が化石燃料後のエネルギー安全保障にはなりえないことも見えてきました。原子核物理学者の森永晴彦氏は核融合は幻想だといってます。彼はソーラーセルのみが人類を救うという信念をもち、草思社から 「原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ」という本を出しています。NECの技師長の山本重雄氏ソーラーセルの余剰発電能力でソーラーセル製造の素材製造も含む総エネルギーをまかなえる、すなわち自己増殖型ソーラーセルが実現できるとの試算を披露しております。彼の試算では転換効率13.5%のソーラー電源システム全体の製造エネルギーの回収年数は2.7年となっております。まだ製造コストがソーラーセルのエネルギー主役へ踊り出ることを阻害しております。しかし私はキャンベル博士が1998年3月サイエンティフィック・アメリカン誌で予想したように2010年頃と予想される ピークオイルにともない、石油価格が高騰し、ソーラーセル産業の躍進が始まると想像してます。

各種ソーラーエネルギー発電比較で比較したように農業のバイオマス光合成効率は1%、森林のバイオマス光合成効率は0.1%です。ソーラーセルのAM1.5放射照度基準の電気変換効率それが10-20%ですから、化石燃料が枯渇した後のエネルギーの主役は変換効率の低いバイオマス・エネルギーとはなりえないことは明白です。江戸時代のようにバイオマスがエネルギーの主役であった時代に戻るべきでないしもどれないでしょう。バイオ資源はやはり人類の生存のクリティカルな要素、食料目的に振り向けることになるのではと考えております。

キグリーのいう「余剰物の再投資で文明を興隆させる」ためには、技術的に最も可能性の高いソーラーセル技術に余剰物の再投資をすべきでしょう。森永氏の提唱するように幻想の核融合へ振り向ける資源をもっとソーラーセルに振り向けることこそ国家戦略と思うものです。

このような予想に鑑み、個人的にも、今年、万一原子炉が稼動出来ない場合に発生する停電に備え、家庭用風車・太陽電池ハイブリッド発電装置を自宅に隣接する1坪納屋の屋上に設置してみようかと思案してます。日曜大工にしては大掛かりですがあとは機材を発注するだけです。

森とのかかわりのはじまり

私は引退後、地域社会に受け入れてもらうために過去20年間我が町内が近隣の町と共同で取り組んできた広町の森を開発業者から買い上げて、都市公園化するという陳情政治活動に参加することにしました。広町の森は我が家から5分の至近距離にある50haの森です。できることといえばこの森の調査です。過去1年枯木・倒木調査を担当して報告書もまとめました。まるまる2月の個人的時間をこれにささげました。鎌倉市長はこの運動が自分の支持母体と認識してますので、ほぼ実現しそうです。私は石油エネルギーの普及に関係したことから森の光合成による炭素固定と同時に枯れ木の腐朽による炭酸ガスの発生に興味を持ち、まず枯れ木の総量の計測をしました。腐朽速度も測定したいのですが時間がかかります。ことしはむしろ光合成速度の計測をしたいと考え、計画書をこれから作成するところです。東大の博士課程の学生がいろいろと文献調査や測定法についてコメントしてくれます。

前章でも述べましたが、バイオが化石燃料枯渇後のエネルギーの主役になることはないでしょう。それでも友人と山を歩くようになって夢想するようになった産業があります。それはポルトガルで見たものですが、ポプラを山に植林し、地上から数メートルのところで、根と幹を切り取りチップにする機械を開発するのです。針葉樹は幹を切ったら根は枯れて朽ちてしまうため、植林しなければならないが、ポプラでなくとも落葉樹であれば幹を切れば、また芽がでてきますので。この機械は30度くらいの斜面を走行し、その機械上でチップ化するのです。チップはボイラー燃料につかいます。残された幹からは又枝がでますので植林の必要もないし、斜面が崩れるおそれもありません。ミソは省力機械化です。残念ながら日本の林行政下ではこのような産業が生まれてくる可能性はゼロです。戦後復興というお題目で広葉樹を伐採し、針葉樹植林という先輩の敷いた路線をバカの一つ覚えでただただ走ることしか知らない樹木に関しては無知の行政官が国有林も民有林も牛耳っているからではないでしょうか。樹木を知っている技官は予算を握られているため、まるでネコのよう。黙して語らず。東京農工大の研究所所長に意見を伺っても彼自身無力感を感じただけのようでした。それでも大学教授のなかには見識の高い人もいて、 針葉樹林の落葉樹林化を提案されている方もおられます。

森林の炭素固定能力

地球温暖化防止策として森林の炭素固定能力に関心が集まっております。しかし日本の森は輸入材に負けて放置されてますので、伐採がなく光合成で固定化された炭酸ガスが、腐朽により再び炭酸ガスに戻って平衡状態になって炭酸ガス固定には全く役にたっていないと言われています。私は小泉氏の唯一のモットーをもじって「伐採なくして固定化なし」と広言してます。森は生物の多様性のためには放置しておくのが望ましいのでしょうが、地球温暖化防止策としてはむしろ積極的に伐採し、また植林してエネルギー作物として利用したほうが化石燃料も節約できるし、建材に使えばそのまま固定化できることになります。

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広町のケヤキの倒木

私は山梨県のNPO「えがおつなげて」から相談され、間伐材のガス化エンジン開発または薪ガス化自動車開発の設備の設計を引き受けました。生まれてはじめてそのような一 貫システムをスプレッドシート上に構築してその完成の喜びをかみしめたところです。無論、化学平衡計算と化学量論計算に関しては前島さんの非常に数学的なアドバイスをいただきました。ありがとうございます。

私は地球温暖化防止がもし必要であるならば、もし日本が高気圧圏に入って砂漠化したくなければ、少しでもその進行を遅くするために山林の森は放置せず、木は定期的に伐採し、燃料として利用するか建材として炭素を固定したまにすべきと考えるものです。燃料として使用すればその分化石燃料の消費を押さえることができます。建材として長期間炭素を固定しておくのもよいでしょう。そのためには伐採は悪ではなく善です。というわけで只木芳也氏は美的観点ではなくもっと深刻な問題解決のために森林を伐採し、また植林を継続させる産業の維持が大切と主張してもらいたいとおもいます。わたしはしかし古風な山林管理者は全て身を引いてもらって全く新しい人材で日本の山林の有効管理を開始しなければうまく行かないという気がしてます。

森、里山、稲作にかかわる幻想について

西野さんが紹介している安田喜憲氏の「森と文明の物語」に書かれているように西洋どころか東洋も差なく、農業が地球環境を破壊したのは事実です。特に中東からヨーロッパは家畜主体のため、と少雨のため、森林が草原に変わったことも事実です。レバノン杉の悲劇なども有名ですね。このあいだイベリア半島を駆け足で4000km走ってこの感を深くしました。それでも私はノスタルジックに昔に帰れという意見は幻想だと思っています。すでに世界人口はノンリターンポイントを過ぎていて人類が自然が与えてくれる恵みでのみでは生存できないのでは思っているためです。「西洋人がいかに自分達に都合の悪い歴史を無視して都合のよいところを強調してきたか」という意見も一方的です。自分達がそうでなかったとでもいうのでしょうか。排他的偏見は責任転嫁がだれかがためにする扇動のような気がするためです。

日本が稲作文明であるのはその通りですが、これも例外なく農薬漬けです。終戦直後、水田にいたあらゆる水中、空中の虫といわず鳥といわず、全て消えてしまいました、人間の健康に影響がないわけありません。でももうかっての稲作にはもどれないでしょう。無農薬とか有機農業といいますが、程度の問題です。我々の食卓にのるキャベツは完全な形態を保っています。私が子供のころ食べたキャベツは虫の穴だらけでした。いまでは無農薬とはスプレーをかけないといだけで、地中に錠剤を混ぜておき、この薬を吸収したキャベツには虫がつかないだけなのです。というわけで無農薬とか有機農業とはマーケティングツール化しているわけです。なにせ経済的奴隷がやっているのでやむをえないでしょう。精神的貴族はしたがって自分の庭で野菜を栽培し、自然の虫と成果を折半する覚悟が必要となります。

安田喜憲氏の書いた「森と文明の物語」は深い感銘とともに読んだものです。今でもこの本の価値は高いと評価しています。それは氏の専門とする花粉考古学が語る事実が自ずと語っていたことが感銘を与えたからだとおもいます。

安田氏は文明論から対応策にまで踏み込んでおりますが、対策となると多少素人っぽさというか俗説的な面がでてしまっているのではないかと危惧します。安田氏以外の人が扇動しているのか時流に乗ってしまって軽率な意見を披露しているように受け取れます。稲作であろうとなかろうと余剰生産物が文明を発展させるものでしょう。西洋文明に対しすこしひがみっぽいというか、牧畜をこうまで弾劾しているのは事実誤認としか思えません。

日本では最近、里山をなつかしがる風潮があります。わが七里が浜のご町内でも里山を保全するのだとの掛け声で20年間運動をしてきたわけです。我が広町の森はいまは夏など入山できないほどジャングル化してます。

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広町の航空写真

しかし近くの鈴木病院の理事長の鈴木氏がセスナ機をチャーターして撮影した昭和36年の写真を見るとかなり貧相な松林があるだけです。

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1960撮影の七里ガ浜

私はこれは戦中に木って薪にしたためかと勝手に思っていたら、東大の森林植物学研究室院生の堀さんが大日本帝国陸軍測量部が明治時代に作成した5万分の1の地図を調べ、この界隈の山林は松林になっているといいました。それでハタと分かりました。昔、化学肥料のなかった時代、水田の周りの森から落ち葉を集めて堆肥にし、エネルギー源として木を伐採しつづけた結果、森は貧栄養となって、松しか生育できないくらい栄養分を収奪されていたのだと。このことは下の明治21年撮影の竜口寺の着色モノクローム写真をみればわかりますが、裏山が貧相な松林なのにその右の写真のように今では鬱蒼としたスダジイ林となっていることからも分かります。

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明治21年撮影の龍口寺

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現在の龍口寺

皆が懐かしがる里山はこのような本来の姿の貧相な松林ではなく、今の豊かな自然に帰った里山を失しないたくないと言っているにすぎないとおもいます。戦後、50年間でかって広町の主要樹木であった松はもう殆ど枯れてしまって、コナラの二次林とスダジイの陰樹林に戻っております。ではなぜ里山が豊かになったのかといえば化学合成肥料を我々が持つようになったことと、経済のグローバル化により石油などの化石資源と海外の森林資源が安価に日本のマーケットにあふれて、里山の収奪が終わったからとおもってます。

森の復元力は意外に力強いと私はこの1年広町の森をつぶさに歩いて(8.6kmの道がある)実感しました。土地の養分が回復すると松はコナラやスダジイにすでに駆逐され痕跡を止めるばかりでそれも殆ど枯木です。このままあと50年も経つと全山スダジイの森になるという予感がします。化学肥料のおかげで日本の森は平安時代以後、荒れていた森を復元させたというこのような逆説をなぜ誰も指摘しないのでしょうか?たぶん森林喪失を憂えている大衆に受けないからだと思います。森消失はしかし大都市の周辺だけに生じていることで、これは行政が都市公園を整備してゆけば解決する問題です。ヨーロッパはすでにそのようにして立派な公園を整備し終わっております。日本の行政は残念ながらまだ事態を理解していないと思います。

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広町のスダジイの大木

稲作は水さえあればどこでも可能な農業で日本がたまたま水の豊かな場所に立地していたから可能であったのだとおもいます。むしろ水のないところでどうするかが問題でしょう。江戸時代1694年、評価できる農法は元禄7年に開拓された三富(サントメ)新田開発だとおもいます。江戸時代に悪名高い柳沢吉保(よしやす)の領地だったところで関東ローム層の荒地で武蔵野台地の中央部で地下水が深く、灌漑用水もないため、雑木林と畑と木立に囲まれた家屋敷を並行に配置し、これを直角に細長いたんざく形地割に区切り、各区画を5町歩の広さにした。各家が雑木林の落ち葉を堆肥とする畑作をおこなったのです。

この新田はいまでもそのまま残っていて埼玉県川越市の近く、現在の関越自動車道、三芳SAの西側にある入間郡三芳村です。現在でも紅金時という薩摩芋の産地です。これは水田でないところが創意工夫があって私の好きな技術開発例です。柳沢吉保(よしやす)は世評とは別に実に立派な人だと私は思います。

ヨーロッパの森を消失させた牧畜についての誤解

安田氏はヨーロッパの森を消失させたのは牧畜で日本に森が残ったのは稲作と主張してます。安田氏はヨーロッパにおける森の喪失は羊だ!と弾劾します。しかし私は日本に森が残ったのは稲作のためではなく、日本独特の山岳の斜面がきつく、森を伐採することは危険であったに過ぎないとおもってます。先月のイベリア半島4,000キロの旅でつくづくそうおもいました。もし日本が平坦だったらヨーロッパのように森は消えてもっと人口の大きな国になっていたでしょう。わたしは中国はあまり知りませんが、森が残っているとはおもえません。ヨーロッパの牧場の代わりに、水田が延々とあるだけではないですか?中国は稲作中心でしょう。稲作であっても土地が平坦なら森は消えてしまいます。森を守ったのは稲作でないことはこれでもお分かりとおもいます。ここに日本の森が稲作のために残ったという彼の論理に破綻があるととおもうのですが。昨年英国とウェールズを20日間車で走り回りましたが、この確信はかわりません。

日本の森が再生したのも世界中の森林資源を買いあさった結果、日本の林業が死んだため、収奪がなくなったためでしょう。日本に森が残ったのは稲作だとおっしゃるのは全く幻想そのものではないのですか?江戸時代の森はまだグローバルされていなかったので収奪対象となり、痩せ地に生える松しか生えていません。浮世絵に活写されているとおりです。現在の日本に豊かな森が蘇ったのは収奪の対象がグローバル化された結果でしょう。もしグローバル化をやめたら、日本の森は江戸時代より荒廃するでしょうね。

しかし私は牧畜を擁護しているわけではありません。牛など穀物を沢山食べますので独立栄養の植物の生産物を直接人間が食べたほうが良いにきまってます。人口が増えれば穀物不足がいずれ生じるとおもいます。価格が上昇しますので牛肉は自ずから金持ちしか食べられないようになり、自動平衡が生じると思ってます。その時は庶民がこなくなったマクドナルドは倒産して消えてゆくだけです。特に目くじらたてることでもないでしょう。今のうちに上手いビフテキでも食べて良き思い出など作って、文学にでも書き残しておけばそれでいいかとおもってます。

森の再生を不可能にする家畜の存在は管理しない放牧ならその通りです。しかし実態は違うと思います。昨年コツウォルド地方とウェールズ地方を走り回ってそのような点をつぶさに観察しましたが、羊は野放図には放牧されてはいません。ちゃんと柵があります、道路が貫通しているところは路面にレールを並行に設置して羊は外に逃げられないようになってます。土地の所有権が確立しているためもありますが。それだけではありません。コツウォルド地方はなだらかな丘陵地帯ですが、急斜面には羊が入れないようになってます。そして斜面はエロージョン防止のための森がちゃんと守られております。日本と同じ鬱蒼とした森です。ウェールズのなると日本と同じくらいの山岳地帯ですが、したがって森が俄然多くなります。ほとんど日本と同じ景色ですが、それでも平坦な場所はすべて牧場です。下の写真はブレコンビーコンズ国立公園を2日間走り回った時撮影したものです。ルートA4059で再度Fforest Fawrの東側の山越えの牧場内ルートをとったときのものです。遠方左にブレコンビーコンズ山が全貌をあらわにしております。向こうの山と比較的平坦な手前の高原との間にNant-dduの谷があり、この谷底の宿に2泊したのです。Nant-dduの谷の斜面はエロージョン防止のために森を残してまして、写真でも濃緑食の部分がその頂部です。車が牧場内に入れてもらっているので、羊が道路にまで出てきたのではありません。羊は路面上に仕掛けられたレールで牧場外に逃げられないようになってます。

ブレコンビーコンズ国立公園のA4059からブレコンビーコンズ山を望む

このようなわけで安田氏のヨーロッパに森がなくなったのは羊という説はすこし乱暴と思います。やはり日本に森が残ったのは斜面の多さが最大の原因と思います。氏の指摘しているようにヨーロッパに森がなくなったのは建築材と暖房用ですが、森が消えてからはヨーロッパはやむを得ず石を建材に使いましたので、燃料が主たる原因でしょう。羊が森の再生を妨げているのではなく、人間が森の再生を望まないと言ったほうが正しいと思います。石炭・石油時代になって薪の需要が減り、ようやくヨーロッパの森は再生してきたと思います。テームス河や鶴見川がきれいになったと同じ現象です。昔が良かったとおもうのは勝手ですが事実は違うと思います。地中海沿岸に森が再生しないのは氏が指摘しているように、少雨のためで、オリーブしか育たないためと思います。

さてヨーロッパが牧畜にこだわるのは人件費が少なく、国際競争力が維持できるためとみました。稲作は日本のように人件費の高いところでは自殺行為に近いと思いました。日本は人件費で経済学者のリカードのいう比較優位を失なったので稲作に固執することなくもっと柔軟な発想で高人件費でも国際競争力のある農業なり林業を創意工夫で開発しなければいけないと思うわけです。先にご開陳した愚案、機械化ポプラ林によるエネルギー作物産業など興してほしいものです。地球温暖化防止にうってつけです。しかし、日本の農政は既得権益の保護という視点のみでまことに悲しい。およそ関税で保護した産業が生き永らえることはありません。若い世代が逃げ出すからです。安田氏は私の大学の後輩ですが、もっとよく勉強して欲しいと思います。懐古趣味ではなにも生まれません。

安田氏の花粉考古学はその通りだと思います。それからヨーロッパにカエサルのガリア戦記に描かれたような深い森はもう存在しなく、全て、人工林なのはもうまぎれもない事実です。日本の里山ですら二次林なのですから。人間がその気になれば森は100年で復元できます。コッツウォルドの入り口でサー・ウインストン・チャーチルが生まれたことで有名なブレナム宮殿の庭を散策したとき、樹齢300年以上の美しい巨木が沢山あって感嘆しきりでした。ため息の出るほど見事です。このような美しい樹木を日本でみれないのは残念だと思いました。なぜ樹木が美しい形をしているかといえば過植してないからです。ブレナム宮の後に訪問したヒドコックマナーの庭の木もブレナム宮程ではないですが鬱蒼としてとてもよかったです。

ヒドコックマナーの庭の木

ブレナム宮殿は1代目マールボロー公のジョン・チャーチルが18世紀初頭のアン女王の時代、その妻サラがアン女王の親友であったこと、オランダをフランスからの侵略から守る連合軍の指揮官として才能をふるったこと、引き続き、1704年のスペイン継承戦争中、ダニューブ河沿いのブレンハイム村でルイ14世率いるフランス軍を破り、ウィーンをフランスの侵略から守った功績のご褒美としてアン女王から女王のマナーであったウッドストック村をご褒美にもらいかつ宮殿の建設資金までもらって建てたものです。ブレナム宮の名称もこのブレンハイム村に由来しているとか。というわけで私は初代が幼木を植林してもゆうに300年は経過しているわけです。このような樹木は例外ですが一般に100年位でしょう。私は文明が破壊した森の再生は難しくないと思っております。心配しなければならないのは生物の多様性が失われてしまうことだけです。生命圏の多様性が重要なのは万一それが必要となったとき利用できる、遺伝子資源が永久に失われてしまうことです。でも隕石たった2個で恐竜が絶滅したのち我々人類を含む哺乳類がそのニッチから抜け出て地球の覇者となった事実を見るにつけ、人間の存在を超えた視点からみれば、安田氏が指弾する森の消滅など取るにたらないことのようにも思えてくるのです。生命圏の多様性の喪失に言及もせずなぜ彼がただ悲憤慨嘆するのか理解できません。

スペインに出かけるまえに図書館から英国人の書いたスペイン史を借りて読破しました。そのとき、コロンブスが米国発見する前ですがイベリア半島中心部のカスティーリア地方(カステラの故郷)は少雨で土地が痩せていたので王様の許可状をもらって羊を放牧しながら季節に応じて移動している情景がでてきます。安田氏の描写そのものですが、今は羊は一部を除き全く飼われておりませんでした。

どうもヨーロッパは共倒れを防ぐため、スペインはぶどう酒、オリーブ油、オレンジ、コルクに特化しているようです。そいうえば1995年に訪れたイタリアのトスカーナ地方にも羊も牛も居なかった。牧畜は従って英国の主産業となっておたがいに貿易で補完する仕組みが完成しているみたいです。やはり地中海性気候に見合った農業をしているように見受けられます。じつはまだフランスをみてないので今年の6月はコートダジュール中心に視察してやろうと予約まで入れたのですがブッシュの愚行のため断念しました。

コルドバからグラナダに抜けるN432沿いのオリーブ林と古城

ヨーロッパにおける比較優位によりスペインには羊もヤギも居ないのに、日本の殆どジャングルのような森はスペインにもイタリアにも見あたりません。それは羊が原因でなはなく、都市住民でない田舎の人々が森を望まないためとおもいます。森は都市住民向けの憩いの場として公園をつくれば良しとし。田舎の人間は森林からパルプと薪を取るより、やはり金になるぶどう酒やオリーブ油を作って日本にでも高く売りつけたほうが幸せになれるからです。でもこれが出来るのは土地がなだらかに波打っている地形にあるとしつこいようですが言いたいとおもいます。昔は兎も角、森林消滅の原因は羊とただただ主張する安田氏は間違っております。

都市住民以外の人間が森を望まないのは日本でも同じです。2年前、奥秩父の民宿の若い主人に「ここは美しい森があっていいですね」とお世辞をいったら、「森を憎んでいます。呪ってます。ただただ負担なだけ、目の前の山は町役場の役人某の所有地だが、金にはならず貧乏している」と激しく反論されて口をつぐんだことがあります。わたしは長野の出身ですが森よりいわゆるマチにあこがれたものです。森!森!と叫ぶのは都市住民だけの渇望にすぎないと知っていなければならないでしょう。そんなに森がいいのなら田舎に引っ越せばよいとおもうのですが、一部例外を除きそのようなことをしないのは、やはり都市に群れていたいのでしょう。

鹿島神宮の森は感銘を受けました。只木芳也著「森と人間の文化史」から引用された「しかし弱い産業基盤、木材不況、人口流出・・・。日本の環境の中心的存在ともいうべ森林の面倒を見てくれる山村が崩壊の危機を迎えているということはわが国の環境の危機を意味する」も情緒的な意見表明にすぎず、生物学的根拠を欠いているとおもうのです。山村が崩壊すれば国の環境の危機とは思われません。生物の多様性とか、水源の維持のためにはむしろ山村から人が去ったほうが自然のためには良いのではとおもいます。この本の環境とは人が見て心地よい環境という意味でしょう。人間にとってのみ都合のよいわがままな見方だと私はおもいます。心地よい森は都会近くに丹精をこめて100−300年かけてつくりあげれば済む簡単なことだと私は思います。

水問題

穀物不足の前に農業用の水不足が生じるかもしれません。ロンドン大のアンソニー・アラン教授は農作物1単位生産に必要な農業用水をバーチャル・ウォーターと名付けました。製品毎の必要な農業用水は:

米;5,100l/1kg

小麦;3,200l/1kg

トウモロコシ;2,000l/1kg

大豆;3,400l/1kg

鶏肉;4,900l/1kg

豚肉;11,000l/1kg

牛肉;100,000l/1kg

です。

水の必要度からみれば牛肉が最悪で真っ先にこれをあきらめなければならないのは自明。鶏肉は米より水を必要としない。このように水の必要量からみても稲作は人類を救う貴重な文明とはおもえません。植物以外で動物タンパクが必要な場合は昆虫がよいとこの間吉田教授から聞きました。わたしのHPにその要旨をまとめてあります。長野県の伊那谷の人々が伝統的に食べていたザザムシがこれでしょう。わたしも戦後、タニシ、イナゴ、サナギ、ミツバチを食べさせられて辟易しましたが、たんぱく質を補うためにバカ飯を食うよりは健康的でしょう。

乾期にタイ奥地までを旅行しましたが、その時は一面草一本もはえていない赤色の土漠です。水田であると言われても、信じられないくらいです。というわけで、モンスーン地帯の農業にはそう期待されようなものではないのではないでしょうか。ボルネオ島の某商事経営の牧場を視察したことがありますが、熱帯多雨ではまず高温で腐葉土の分解が早すぎて雨季には分子量が小さくなった分解生成物が水に可溶となって全てを海に長し去るので土地がその土壌の鉱物成分により赤色か白色となり、日本のような黒色の腐葉土は全くありません。一応ジャングルですが木の根は深さ30センチ位で、根が互いに絡まって自立しているだけです。牧場にして牛のために木陰を作ろうと思っても木はすぐ倒れてしまうのです。熱帯に牧場を作ったのは完全に失敗であったといってました。多分雨季の水田しか作物を育てられないのが真相のようです。

漁労文化を誇る日本の驕慢

安田氏は稲作/漁労文化を評価しているようですが、稲作は人間がタネを播くし、牧畜も人間が育てますが、漁労は一部養殖を除き、収奪そのものです。リサイクルの推奨者としては自己矛盾ではないでしょうか。我々はまだ縄文時代にいるわけです。南マグロなどもう取れなくなりそうです。クジラもそうでしょう。なかにし礼が小説「兄弟」で活写した北海道の増毛(マシケ)の浜に建ったニシン御殿はいまいずこ。いまや日本はその金で世界の魚資源を枯渇させている張本人です。後日、世界の人々から指弾されぬようにすしなど食べるのをやめなくてはいけないのではと思ってます。実際私はあまり食べません。被害者が少ないのでクジラをのぞき指弾されませんが、我々は西洋の牧畜を批判する権利などないと私はおもっているのです。

かって内田宏さんに連れられてフィリピンの日本向けエビの養殖産業を視察したことがありますが、サトウキビ畑をつぶして海水をポンプで導き、エビを養殖しているのですが、その餌はなんと日本からの輸入だというのです。オホーツク海で多量にとったタラを乾燥してフィリピンに輸出しそこでエビにして輸入しているのです。わたしはこれをみて、牛に穀物を食べさせる欧米式の牧畜よりひどいことを日本はしているのだなとつくづくおもいました。以後わたしはエビはできるだけ食べないことにしてます。

ところでなぜフィリピンでサトウキビ畑をつぶすかというと、砂糖はトウモロコシを原料とする液糖に敗れたためです。これも内田さんにつれられて砂糖工場を視察して気が付いたのですが、砂糖がトウモロコシに敗れたのは砂糖キビが貯蔵の効かない農産物だからです。雨季後一斉に訪れる収穫期に砂糖を絞り、煮詰め、精製する巨大なリファイナリー並の工場が1年間でたった数ヶ月しか稼動しないためです。資本投下効率が悪い。トウモロコシを原料とするなら需要に応じて生産する液糖工場の規模はその十分の一ですみます。

コカコーラもペプシも一斉に液糖原料に切り替えてしまいました。同じ工場をミヤンマーとマレーシアでも視察しました。わたしはこれらを視察して内田さんには申しわけありませんが砂糖工場に追加投資するプロジェクトは失敗すると確信した次第です。

地球温暖化が進行すれば米国、日本も砂漠になり、シベリアとカナダだけが穀倉地帯になると気象学者に聞きました。日本だけが例外と考えているのはどういうわけでしょう。

森と近海漁業の関係はよく分かります。瀬戸内海のカキの養殖と後背地の森、はてまたエリモ岬の森とコンブの関係などテレビでみましたし、実際に襟裳岬を訪問してつぶさに視察しました。

私はヨットの単独航海記を若い頃読み漁って、太平洋の真ん中では魚もシイラ以外いないし、いわゆる潮のにおいがしない。太平洋を横断してアメリカでも日本でも陸に近づくとあの懐かしい潮のにおいがしはじめ、トンボなども飛ぶようになるという記述がわすれられません。これは陸からなにか栄養分が流れ込んで、いるからに違いないと思ったのですが、後に英国人のジェームズ・ラブロック のガイア仮説をテーマとする「ガイアの科学ー地球生命圏」を読んで亜酸化窒素や硫黄の循環に原因があるということを知りました。特にあの潮臭さは海草が腐敗で分解し、二酸化硫黄かなにかそういう化合物になりその臭いだと書いてあったと記憶してます。

オーストラリア南部のマグロ養殖とマグロ御殿の話も読みました。しかしこれもエビの養殖と同じで、別の魚を餌として与えるので、独立栄養の植物を食べさせる牛より効率の悪い食物連鎖だと私は思います。日本人よ目覚めよ。このような食文化から脱却すべきとわたしは言いたいですね。米国人の傲慢さは目につきますが、自分が傲慢であることには気が付きにくいのだろうと思います。

循環社会について

私は循環社会の理念は否定するどころかますます展開すべきと考えるものです。しかし安田氏の提案されるように理想、共生と循環、平等主義だけでは人類の将来は持たないと厳しく見てます。循環社会への回帰が盛んに喧伝されておりますが、地球環境問題は主として化石燃料の大量使用に起因するわけで、熱力学が永久機関は不可能という以上、エネルギー問題が循環で解決できないのは自明です。可能なのは太陽から一方的に送られてくるエネルギーをどう捕まえるかではないかと考えております。ここでバイオがでてまいりますが、地球環境と経済発展でも述べましたようにその転換効率からいってもバイオエネルギーは太陽電池などの技術に将来たちうちできるとはおもえません。

日本の古き良き時代の循環社会も幻想で、先の里山の例でもうしあげたように里山は収奪の対象であったにすぎません。

海老アレルギーもBSEと同じく、食物の連鎖・循環は危険だということですね。私はリサイクルと聞くと本能的に身構えます。前島さんがポリカの原料製造プロセス開発において強く主張されたようにプロセスでもリサイクル系はブリード回路を入れて有害物質の蓄積を防がねばいけませんよね。ボイラードラムからのブリードもその知恵ですし、LPG気化器もブリードしないと1ヶ月で泡を噴いて運転不能になるのです。これは私のトラブルシューティングの懐かしい思い出です。

このように循環社会に潜む危険も承知して推進すべきと考えるものです。

本当の循環社会とは我々の文明を維持し、かつ環境問題を解決すべく永遠に資源を再投資し続ける究極の資源リサイクルであろうと思っております。

日本の林業学および農林行政に関する不満

日本と同じく湿度が高く、雨も多いポルトガルはユーカリの植林をして5年毎に伐採と植林を繰り返してパルプにしております。この林の中を時速100キロのスピードで数時間走りながら、私は頭が下がる思いでした。ひるがえってわが国をみれば、八戸の太平洋岸に立地す石油リファイナリより巨大な製紙工場にピラミッド状に蓄積されたチップの山はカナダの森をごっそりもってきたものです。ポルトガルにできてどうして日本できないのでしょうか。どこかシステム設計が間違っていると思います。

マルチン・ルターの「たとえ明日、世界が滅びようとも 明日、リンゴの木を植えよう」とかプロバンスのモンドール山腹に住み「木を植えた男」を書いたジャン・ジオノの人生は心を打ちますが、それにはまず木を伐採しなければはじまらないのです。わたしもこの話にあやかって山歩きするときにはドングリをポケットにいれてあるき、ハゲ山があったら穴を掘ってそこに埋めようと決心しましたが、いまだにそのチャンスはありません。禿山がみつからないのです。どうして日本の山林管理者はあんな密植をするのでしょうか?

そして間伐もせず、ヒノキ林の幼木は育たず貧相です。私が察す得るに農林研究所の無知な係官がマニュアルを書き、中央集権的に全日本にこれをローラー展開しているだけのように思います。東北大農学部助教授を退官された西口親雄氏が岩波から「ブナの森を楽しむ」という本を出されています。そのあとがきに広葉樹伐採・スギ植事業に疑問をもった。通直な材を得るために不可欠といって、広葉樹林を伐採し、残枝の片付け、植林し、下刈りを5-6年継続して出てくる広葉樹の芽を切り取り、10年目には除伐をし、以後40年間継続間伐をくり返す、林道つくりと維持も含め、兎に角金がかかる。集中豪雨があると山崩れが生じるのはきまってマニュアルを守る篤林家の山林である。スボラ林家の放置林は崩壊しない。というわけで放置林業を提案している稀有な林業学者です。

キムジョインルが米国式トウモロコシ畑を全国展開して飢饉を引き起こしたことと大同小異のような気がしますがいかがでしょうか?なるほど、アスナロを押さえるためにヒノキを密植し、後に間伐するというのが伝統林業のやりかたですか?西野さんにはいろいろ勉強させてもらって感謝してます。でも昔はそれでも良かったのですが、ヒノキの上層木を伐るなどはかなり熟練の士が必要ですね。そのような人がいなくなったらどうするのでしょう。それより、間伐が必要とならない位に疎に植えて、出てくるアスナロを地面上でエンジンソーで間伐してゆくほうが余程、能率的だとおもうのですが。素人考えですかね。多分林床が藪になって入山できなくなるとか問題があるのかともおもいますが。林床の藪を刈る道具は昔はなかったためではないかとも思います。でもいまではエンジン付きの芝刈り機を使えばどういうこともないでしょう。

私はしかし安田氏が忌み嫌う羊かヤギに林床植物を食べさせるのが良いとおもっているのですが。植林直後は幼木を囲いで保護し、すこし大きくなれば羊もヤギも木には関心を失うのでよいのではと思ってます。アスナロの発芽した芽もたちどころに食べてくれるでしょう。前島さんもご存知ですが、八ヶ岳山麓には昔から野生のカモシカが生態系の一部として存在してます。個人的にも山中で出くわしました。威厳を持って目前を悠々と横切るのを目撃する機会を持たせてもらいました。もしこのカモシカの害が話題になるとすればそれは人間がなにか横槍をいれたためではないかとおもいます。英国の美しい森の林床がすっきりして人間の散策に適しているのも、無論その気候の影響が大きいとは思いますが、羊も貢献していると私は見てます。ブッシーパークのゴルフ場で毎週末、村上氏と羊の糞まみれでプレーしたことを懐かしく思い出します。

私はこの羊・ヤギ構想を裏の広町の森の林床に繁茂して人間が足を踏み入れる邪魔をしているササを駆除すべく、それとなく提案してますが、まだ皆さんは理解できないでいるようです。むろん、自然保護ではなく、人間が森で癒されるための都市公園造りが目的のためです。谷戸の水田復元派がいまだに多数派です。私は水田復元は単なる懐古趣味に過ぎず、多大な労働と気の抜けない水管理を必要とすることが分かった途端、挫折すると踏んでます。私は水生動物保護区にすべく、湿原化を提案してます。しかし静かに説得していると賛同者がふえつつあります。

じつはコンサルタント会社の2年間、社内のライブラリーにある樹木に関する本を家に持ち帰って十数冊読破しましたが、内容に非常に不満足でした。日本の林業学者が井の中の蛙で、私が緒外国で森を見て持った疑問に答えをくれる本がなかったためです。安田氏の本が唯一その例外でしたが、それでも氏の限られた見聞から間違った結論をだされているな。惜しいなという思いがしたのです。もしかしたら彼も知っていて、本を売るために日本に流布している非常に偏った常識に媚びたのかもしれませんが。

「森を管理するためには人手が必要ですが、その手がなくなりつつあるのが現状で、民間任せにできない分野かもしれない」という西野さんのご意見に関しては、わたしは官の不能率、無能力を鑑み、政府は民間が新しい林業にとりくめるような環境つくりに止めるべきと考えるものです。

謝辞

にしのさんに刺激されて、議論させてもらい、この30年間もやもやしていた思いがすこし整理されたような気がします。哲学者の鶴見俊輔が「見識は残像のない人にはない」と言っていますが、私の見方が見識かどうかわかりませんが、心の残像を反映させてもらった気持ちです。

本対話の続編の続森林考もあります。

April 14, 2003

Rev. February 7, 2004


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