読書録

シリアル番号 547

書名

森と文明の物語 環境考古学は語る

著者

安田喜憲

出版社

筑摩書房

ジャンル

歴史

発行日

1995/5/20第1刷

購入日

1995/07/01

評価

かって読んだ本であるが、ライブラリーリストに登録してなかった。一歩前の会で聞いた吉田昭彦氏のお話に刺激され、書庫をあさったらこの本がでてきたのでここに記録し、拾い読みし記憶を蘇らせた。メソポタミアに始まり、地中海、そしてアルプス以北のヨーロッパそしてアメリカ大陸と人類は森を破壊することで文明を発展させてきた。しかし地球上には残されたフロンティアはもうない。この制約のなかで人類が持続的に生存してゆくためには、森に代表される自然を大切にしてゆかなければならないという論旨であった。

日本はヨーロッパ文明型に移行し現時点では輸入という形で世界の森林資源を荒廃させつつある。皮肉なことに国内の森林は手付かずに残って利用されていない。

東北大出身の安田喜憲氏は日本の学者としては幅が広く感心する。95%は参考になることばかり。特に過去にあったことの記述はその通りだとおもう。ただ表現ロジックがすこし荒っぽいので問題のあるところは飛ばして納得できるところだけ読む。

彼が言わんとするばくととしたことは同感するが、すこし見方がロマンチックで甘いと思う。彼の提案する理想、共生と循環、平等主義では人類の将来は持たないのでは?エネルギーなど循環は永久機関が不可能な以上、現実的ではない。できるのは太陽から一方的に送られてくるエネルギーをどう捕まえるか。太陽電池などもう解決法は用意されているとおもう。太陽電池の発電量で太陽電池のを作る素材産業からすべてが消費するエネルギーがまかなえることも証明されていて自己増殖可能。

日本の古き良き時代の循環も幻想で里山は収奪の対象であったにすぎない。だいたい日本に森がのこったのは稲作でもなんでもなくてただ山が多く斜面がきつくてもつけられなかったに過ぎない。イベリア半島4,000キロの旅でつくづくそう思った。もし日本が平坦だったらヨーロッパのように森は消えてもっと人口の大きな国になっていたであろう。中国には森が残っていない。ヨーロッパの牧場の変わりに、水田が延々とあるだけ?ここに日本の森が稲作のために森がのこったという彼の論理に破綻があるととおも。英国とウェールズを20日間車で走り回りまわったが、この確信はかわらない。

無論牛など穀物を沢山食べるので独立栄養の植物の生産物を直接人間が食べたほうが良いにきまっている。人口が増えれば穀物不足がいずれ生じ当然価格が上昇しますので自ずから牛肉は金持ちしか食べられないようになり、自動平衡が生じると思ってます。その時は庶民がよりつかなくなったマクドナルドは倒産して消えてゆくだけ。特に目くじらたてることでもないだろう。今のうちに上手いビフテキでも食べて良き思い出など作って、文学にでも書き残しておけばそれでいいかとおもっている。穀物不足の前に農業用の水不足が生じるかもしれない。水の必要度からみれば牛肉が最悪で真っ先にこれをあきらめなければならないのは自明。鶏肉は米より水を必要としない。このように水の必要量からみても稲作は人類を救う貴重な文明とはおもえない。植物以外で動物タンパクが必要な場合は昆虫がよいとこの間吉田教授から聞いた。長野県の伊那谷の人々が伝統的に食べていたザザムシがこれ。戦後、タニシ、イナゴ、サナギ、ミツバチを食べさせられて辟易したが、たんぱく質を補うためにバカ飯を食うよりは健康的であろう。

安田喜憲氏は時流に媚びて無意識に論理を捻じ曲げているのではないか。


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