ひんやりとした緑の風を頬に受け、木漏れ日の揺れる糺の森を歩きながら、ついさきほど立ち寄ってきたばかりの小さな家を思い浮かべていました。  
                   京都に暮らしはじめてはや半年。  
                     町中から郊外、東西南北の大路、小路、路地の匂いと風を余すところなく感じ取ろうと、見逃してしまうのを恐れるかのように隈なく行き来しているのですが、鴨川沿いの遊歩道を下鴨・葵橋から出雲路橋、北大路橋をくぐって植物園の手前あたりまで上るコースをとると、きまって高野橋の方へと向かってしまうのです。下鴨本通北大路の交差点を左折して松ヶ崎疎水を越すころになると、ただその家の前を通り過ぎるだけのことなのに、いつの時も何とはなく胸がときめいてくるのを覚えます。  
                   下鴨北園町九十三番地。  
                   下鴨本通りの北園町バス停、その先の北泉通りをほんの少し東に行ったあたりの南側奥まったところ、両側の家に挟まれていまにも見過ごしてしまいそうなほど間口の狭い数寄屋門が見え、鴨居の門灯に小さな文字で「天野」とありました。その門から真っ直ぐに伸び、ひょろっとした松の木の他は左右に背の低い草木の植栽がある野道のような細い路地奥に、慎ましやかな玄関戸が見えています。入ってすぐの廊下をへだてたところに多分、三畳足らずの小さな書斎があって、その隣が六畳の客間と台所兼居間の四畳半に風呂場があるはずで、黒田三郎言うところの〈詩人らしい詩人〉の天野忠は、平屋四間の小さなこの借家で五十数年を暮らし、〈三分の二ほどさめていて、あとの三分の一ほどは無我〉の詩を書き、〈いつから人は老人になるのか いつから私は老人になってしまったのか 思い出そうとしてもわからない〉ままに逝ってしまったのです。  
                    長い長い蛇であった。  
                      あんまり長いので  
                      蛇はうんざりしていた。  
                    寿命がきて蛇の頭が死んでから  
                      だいぶんたって  
                      しっぽはそれを知った。  
                      うなづくように  
                      軽く二三度  
                      しっぽは大地を叩いた。  
                      それから  
                      ゆっくり  
                      死んでいった。  
                        (蛇の話)  
                   そんな詩人に、ギリシャの哲学者エピクロスの〈人はだれでも、たったいま生まれたばかりであるかのようにこの世から去ってゆく〉という至言からとった「順序」という詩があります。  
                    おぎゃあの赤ん坊から始まって  
                      幼年少年と成長し  
                      やがて青年となり中年となり  
                      否応なしに老年がきて  
                      そして墓場で終わる。  
                      これがまあだいたいの順序というものだが  
                      逆に  
                      老年から始まったとしたらどうか  
                      中年青年少年幼年と経過し  
                      赤ん坊のおぎゃあの次が墓の中とくれば  
                      いまよりは少しおだやかに  
                      世事すべてスムースに運ぶのではあるまいか  
                      という説はどこの誰が言ったか忘れた。  
                      (略)  
                      おぎゃあ  
                      おぎゃあ と泣きじゃくりながら  
                      永遠の深い眠りの闇の底に  
                      小さく小さく  
                      豆粒より小さく消えてゆくのは  
                      あけがたの星を見るようで  
                      浄らかで  
                      きもちは清々しく  
                      そしてすこしかなしい……  
                      (略)  
                    
                   老人に生まれ、年を経るごとに若返っていくという映画「ベンジャミン・バトン」の物語のように、人は生を逆になぞりながら、やがては赤ん坊になって母親に抱かれ、ついにはその体内、子宮に帰っていくのではないかと常々思っていた私にとって、こんな詩を読むと、お墓は母胎のような役割を果たすものなのではないかとさえ思えてくるのです。  
                     季節の匂いを嗅ぎ、紡いできた言葉と同じだけの喜びや怒り、悲しみを吐きながら、彷徨い、佇み、跪き、苔生した墓々を訪ね、触れることによってこそ、その墓の主の「ものがたり」が浮かび上がり、ゆっくりと甦ってくるような気がしてくるのです。  
                   それにしても、人の命の誕生と消滅、これほど不可思議な現象はないように思います。  
                     私は偶然にこの世に現れたのであって、決して必然であったとは思っておりません。 
                     『「いき」の構造』や『偶然性の問題』などを著した哲学者九鬼周造が言ったように、存在しないこともあり得たのだと思っています。  
                     
                     〈こんな風に僕は生きているけれど、これから先、幾回夏を迎えるよろこびを味うことが出来るのだろう? 僕が死んでしまったあと、やはり夏がめぐってくるけれどもその時強烈な太陽の光の照らす世界には僕というものはもはや存在しない。誰かが南京はぜの木の下に立って葉を透かして見ている。誰かが入道雲に見とれて佇ちつくしている。そして誰かがひゃあ! といって水を浴びているだろう。しかし、僕はもう地球上の何処にもいない〉と庄野潤三は悄然と思いました。 
                     
                     今、目の前にある私の世界。  
                     私が生まれて存在しなければ繰り広げられることのない世界です。私が死ねば、もちろんこの世界も消滅して了います。しかし、世界全てが消滅するのではなく、私の世界だけが消滅するのです。私の妻や、子供たち、近しい人、他の人たちの世界は依然としてそれぞれの人の目に繰り広げられてあるのです。  
                     私は私の世界にだけ存在するのではありません。私の世界に存在する全ての人の世界の中にも私は確かに存在しているのです。私が死んで私の世界が消滅してしまったとしても、それらの人々の世界の中には、私の世界と同じようにそれらの人々の世界が消滅しない限り、必ずや思い出として私が存在し続けるであろうことを信じています。  
                       
                     信じることの表裏一体。  
                     果てしない命と戯れるこまぎれの安堵。  
                     京の都を吹いて西に向かっていく風は、時の後ろに小さな世界を置き去りにして。  
  
  
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
                    
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