kuro963 on the way (7)

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移植後の生活<180日まで>


無事に移植を終え、自宅療養。やるべきことはやった。遺伝子レベルでは骨髄中にはまだ微少な白血病細胞が残っているが、移植後のこの時期ではよくあることらしい。珍道中はまだまだ続く。

日付
メモ
特記事項
11月23日(木) 〜11月26日(日) 久々に外出したら疲れた。が、気分が晴れた。初めて飲んでいる抗生剤クラリスで薬疹も出ず。体調はグー。熱も無い。暇なので PC版のFinalFantasy VIIIをインターネット通販で注文した。お好みの曲をMP3にエンコードしてTeliosにCFに転送した。全部で60MBもあり、シリアルケーブル(しか無いの)でコピーするのに恐ろしく時間がかかった。2〜3日で治ると思っていた腰痛は意外と長引いていたが、ようやく徐々に痛みが引いてきたような気がする。 原因はたぶん運動不足だろう。ベッドの上にいるのが長かったので腹筋、背筋がかなり弱くなってしまっていたみたい。鼻づまりで耳が聞こえにくいのは、左耳については相変わらずだ。右耳は聞こえにくくなることはなくなった。  
11月27日(月) 〜11月28日(火) 慶応の血液内科の先生が外来を持っているので地元の東京歯科大学市川総合病院に初診。車で10分くらいの距離なので便利。緊急事態の時はお世話になることもあるだろう。WBCは6000台、HGB11台、血小板7.7万で問題なし。明後日に慶応に初外来。ヒックマン痕の抜糸もだ。 自宅のパソコンが不調だ。電源を入れてもピーピー泣くばかりでBIOSが立ち上がって来ないのでマザーがいかれたか?
 
11月29日(水) 初 外来、いやぁ、混んでること!血液検査等特に問題なし。今まで通りプログラフ0.5mgX3錠を朝晩。ヒックマンカテーテル痕の抜糸もしてもらった。 帰りに秋葉原で途中下車。ネット通販で購入しようと思ったが納期に2週間もかかるので自分の足で探すことに。大手量販店ではSlot Aタイプのマザーボード売ってないじゃないかっ!どういうことだっ!裏通りに入り込んで某店でやっと見つけた。Win98SEのみ動作保証の山積みマザー。9,650円のAOpenのAK72ってやつだ。AGPX4になるが実際は恩恵なしだ。ところで3dfx社がグラフィックボード事業から撤退するそうではないか。Voodooファンとしては寂しい限りだ。今日は疲れたのでマザー交換は明日にしよう。FF8も届いたが明日までおあずけだ(CDが8枚も入っていておったまげた)。  
11月30日(木) 〜12月5日(火)  
30日朝9時から作業開始。約1時間で交換終わり。無事パソコンが動いた。やっぱりマザーがいかれていたのか。なんでだろ?原因がわからないのでまた壊れるかも?今度壊れたらCPUもSocket Aタイプに交換しなきゃだめかな。もったいないよなあ。IntelもAMDもなんでこういう互換性の無い製品を作るのだ!?ぷんぷん。
髪がうっすら生えてきた。今まではツルツルピカピカだったが光の加減で青く見えるのでほんとに一休さんみたいだ。髭が伸び始めているがなんだか細くてか弱い髭なので伸ばす気にはならない。眉は相変わらず薄い。帽子を深々と被ってマスクをしているといかにも怪しい風体である。
背中や顔にぶつぶつと発疹が出てきた。特に背中が痒い。病院に電話して予約外で外来に駆けつけた。皮膚科も受診。GVHDである可能性も否定できない、との事で明後日の外来までかゆみ止めの内服と軟膏をもらって様子見。風呂に入ったりして患部が暖まると痒いこと痒いこと。かい〜の〜(間寛平風)
 
12月6日(水) 生検はいつも突然やってくる
午前中に内科、皮膚科、耳鼻科を受診しなければならないので8時に家を出た。中央線で置き石があったらしく、登り列車に遅れが出ていた。ギューギュー詰めになって苦しい。こんなに混んでいるのに新聞を読み続けるバカ会社員が斜め後ろにいてうっとおしい。ひじで背中を押されて不自然な姿勢を強いられるのだ。 なんとか病院に着いたのだが採血の検査の結果が出るのが遅く、待ち時間がべらぼうに長い。9時30分には採血を終わって待っていたのだが11時30分近くなっても呼ばれない。後から来た人がどんどん呼ばれるのでだんだんイライラしてくる。看護婦さんに声をかけて先に皮膚科と耳鼻科を受診しに行く。顔を中心に出来た発疹は3日前よりひどくなった。この年にしてニキビ面でもないのだが。痒いのがツライ。前回よりも強い軟膏を出してくれた。耳のつまりはこのところほとんど良くなってきた。副鼻腔炎の耳鼻科受診は隔週となった。午後1時を回ってようやく内科の受診。口の中に何か出来ているらしく、急遽午後から口腔外科受診。口の中の2カ所の組織を取った。その後、胸のレントゲンを撮ってようやく終わり。 午後4時前にみんなで昼食。病院内の「百跳」という和食店で食事。うどんがうまかったが、唇が麻酔でマヒしていて具合が悪い。くちびるを何度かガジッっと噛んでしまうが痛くないのが気持ち悪い。今日はお昼頃に受診が終わって、午後から東京医大に挨拶に行こうと思っていたが、今日はあきらめた。ものすごく疲れた一日であった。
 
12月7日(木) 〜12月12日(火) これでもかとやってくる
6日夜、病院から電話があり、ウイルス感染していたので9日(土)午前に外来に来て欲しいとの事。9日の採血では、6日よりも肝機能等の数値が改善されていた。顔の湿疹は7日をピークに徐々に快方に。ロコイド軟膏も効いてくれたようだ。その代わりに今まで湿疹の出ていなかった腕、太もも、胸や腹部に赤い発疹が現れた。ちょっと今までの発疹とは様子が違いそう。内科受診後、皮膚科も受診。またもや生検をした。左太ももの上側から小指の先の爪の半分くらい。あいかわらず麻酔が痛い。別の日に、という話もあったのだが、やるのなら今やっておくんなさいまし、と先生にお願いした。午後1時30分頃、薬(かゆみ止め:セルテクト30mg錠、レスタミンコーチゾン軟膏)を受け取り終わったので、この足で東京医大へ向かった。タクシーで着いたら病院は閑散としていた。なんと!休診日だった。せっかく来たので18階東病棟に上がりナースステーションへ。顔見知りの看護婦さんたちに移植後のお礼の報告をしてから帰途についた。
12日は午後から眼科外来。なんてついていないんだろう...、なんと予約が入っていないではないか。予約外扱いになってしまい、またもや2時間待ち。待合室の椅子に座っているのが一番疲れる。移植前と涙の量は変わっていないが、角膜に弱い炎症が起きているらしく点眼薬(ビタミンA)を処方してもらった。次回は1/16。明日は内科、皮膚科、口腔外科の3科受診の日だ。効率良く回れるかどうか!?
 
12月13日(水) 自 動再来機にカードを通して、採血をして、内科の受診室にカードを渡して(マルクの予定が入っていた。知らなかったぁ、忘れてたのかなぁ)、皮膚科を受診。皮膚生検の結果は未だ。45分ほど待たされたが11時過ぎには終わり、口腔外科へ。ここまで順調。しかしここで1時間以上待たされた。どうも受診券見落とされていたみたいだ。なんてこった。そんなこんなのうちに院内放送で内科から呼び出しを受けてしまった、二度もだ。あわてて抜糸してもらい、手紙を受け取って内科へ駆けつけた。ここで既に午後1時近く。口の中の出来物は慢性GVHDらしい。終わって内科処置室でマルク。薬を受け取って病院を後にしたのが午後2時半。まあまあかな。  
12月14日(木) 〜12月19日(火) 顔の湿疹はほとんど良くなった。身体の方も赤かった発疹が茶褐色になり色あせて痒みも弱まった。痒みがひどい時には夜中に3度も目が覚めてしまったが、最近はそういうことも無い。茶碗一杯のご飯が普通に食べられるようになった。今までは結構頑張ってお腹に詰め込んでいたものだ。 NN6をインストールしたのだが挙動が不審である。  
12月20日(水) 耳鼻科、皮膚科、内科と順調に回った(たっぷり時間はかかったけど)。しかーし、薬に2時間待たされた。皮膚の湿疹はGVHDのようだが、快方に向かっているので様子見だ。次週は内科のみの受診だ、ほっ。  
12月21日(木) 〜12月26日(火) 久々にビールを飲んでみたがイマイチ。味覚はほとんど戻っていると思うのだが、嗅覚がダメなようでビールを飲んだときの命である喉ごしが悪い。仕方ないのでクリスマスイブにはスパークリングワイン。子供たちにはシャンメリー。左目の乱視の度合いが合わなくなってきたのでメガネを新調した。再び髭も伸ばし始めてみた。
入院中に凝っていたクロスワードパズルの景品に初めて当たった。ブタのプリントが入ったオレンジ色のハンカチだった。はずれ当たりってやつだな。
 
12月27日(水) 外来の受診は順調。だがしかし会計と薬の処方に時間がかかった。が、午後1時半には病院を後にした。天気は良いのだが風が冷たくて寒い寒い。  
12月28日(木) 〜12月31日(日) ク リスマスと正月を自宅で迎えることが出来ればもう他には何もいらないっ、なんて入院中は思い続けていたもんだ。今それが実現できた、のは良いのだがGVHDで身体が痒いのをなんとかしてくれー、なんて贅沢なことを言いだしている自分がいたりもする。いかんいかん、こうやって生きていることができるだけで、ありがたや、ありがたやである。
 
1月1日(月) 〜1月5日(金) 謹賀新年おめでとう。
おせち料理もお雑煮もおいしく食べられた。子供たちにお年玉もあげられたし何も言うことはなし。それにしても、年末から新年にかけておもちゃ屋はウハウハ(死語?)ですね。地元の神社に初詣したが、露天はいつもの半分くらい、参道を埋め尽くしていた参拝客もなく、並ばずにお参りできた。こんなところにも景気の影響が?FF9を会社の同僚に借りた。FF8よりこっちの方がいいぞ。
 
1月6日(土) 北風ピューピュー寒いこと。年明け初めての外来。どれだけ待ったかはここには書くまい。お昼のカレーライスにありつけたのは午後2時半頃。もしかしたら風邪を引いているかも?引き続きプログラフ0.5mgX3錠を朝晩2回。  
1月7日(日) 〜1月12日(金) 皮膚の痒みはほんのわずかづつだが良くなっているみたいな気がする。皮膚がカサカサなので、乾燥しているせいで痒いのかもしれないと思ってザーネクリーム塗ったら痒みが和らいだ。風呂に入って暖まると腕と足が一番痒い。
全く味を感じなくなってしまった時は、この先どうなってしまうんだろうと不安だったが、不思議なものでいつの間にか9割方味覚が戻って来ている。ただーし、辛いものに弱くなってしまって、移植前には普通に食べることができたカレー(ジャワ中辛)やキムチは、口の中がひりひりする。その代わりに(?)、甘いものが好きになってしまい、ちょっとお腹がすいた時には、あんこの入ったたい焼きや、クリームパンなどのような菓子パンが食べたいと思うようになった。シュークリームにも目がなかったりする今日この頃である。
 
1月13日(土) 先週よりも1時間早く病院をあとに出来た。相変わらず寒い。来週は16〜18日の3日連続で眼科、胸のCTとマルクの予定で忙しそう。  
1月14日(日) 〜1月23日(火) 身体の痒みは一進一退をくり返している。昨日痒かったところが今日は痒くなかったり、昨日痒くなかったところが痒くなったりしている。今一番痒いのは首の回りと頭皮で、慢性GVHDのせいというよりも乾燥するせいで痒いような気がしている。風呂上がりにムヒソフト乳液タイプを塗ってしのいでいる。
16日午後はドライアイ眼科受診。2時間以上待たされたが、12月に受診したときと比べて、角膜の傷も涙の量も良くなっている、との事だった。この「良くなっている」という先生の言葉に思わず気をよくする自分であった。思い起こせばこの病気に罹って以来、外来に通うこと数え切れないが「良くなっている」なんて言われたのは初めてのような気がする。目については特に自覚症状も無く、なんとも無いのだが嬉しいもんだ。IFN注射をやっていた頃は、毎日毎日良くなっているんだか、悪くなっているんだか、なんだかなぁ〜だったもんな。
17日午後は肺のCT。病院滞在時間40分は最短記録。しばらく前から指の爪が変だなと思っていたら、どうも抜け替わるみたい。爪の半分から上と下で色が違う。人間の身体って不思議だ。ミクロの決死隊になって探検してみたい。
三連戦最終日の18日午後は採血と難敵マルク。今日のマルクはちと痛かった。病院滞在時間は1時間半。一昨日、昨日、今日とだんだんと寒さが和らいでいる。早く春が来て暖かくならないかなー。
最近いろいろな会社からサプリメントが発売されており、値段もピンからキリまである。怪しげな出版社から発行されている「これでガンが治った」の類の本にあるようなア○リ○スとかプ○ポ○スとかいう高価なものから、一袋あたり数百円程度のビタミン剤まで百花繚乱である。わたしはこの数百円程度のビタミンCとEを摂取している。効いているのか効いていないのかわからないけど、お守り程度のものだと思って納得できる価格であるからだ。くれぐれも健康食品業者の食い物にだけはならないように、と思っている。
寒い寒いと思っていたら20日夕方から雪が降り出した。子供たちは喜び部屋駆け回り、父はホットカーペットの上で丸くなる。
移植後約100日
1月24日(水) 午 前中に口腔外科受診。移植前に比べやはり唾液量が減っている。味覚テストも。甘い、塩辛い、酸っぱい等の個々の味は感じるのだが全体のバランスが悪いというのかなんというか...。オアシスで昼食。メキシカンライスを食べようと思ったが食べきれずに残してしまいそうなのでミックスサンドイッチを食す。 午後いち、心電図と心エコー。今日はさほど寒くない。移植直後は猛烈だった咳とたんは年末からひいた風邪のせいで強まっていたが今日は小康状態。肺や気管支には異常なしなのだが原因はナゾだ。  
1月25日(木) 〜1月26日(金) 風呂上がりにジョンソンベビーローションを塗っているが、朝には皮膚がカサカサ。特に肩から上がひどい。乾燥肌の症状に良い治療法、対処法などご存じでしたらどなたか教えて下さい。  
1月27日(土) 小さくガッツポーズ
先日のマルクの結果、キメラ遺伝子が検出されなかった。身体の中から完全に消え去ったというわけではないが、ここまで来れたか!という感慨でひとしきりである。小さくガッツポーズ。大雪の中苦労して病院まで通った甲斐があるというものだ。今日は嬉しいので久々に熱燗で晩酌だー。お昼に石焼きビビンバを食す。キムチがうまかったので娘の分まで食べたら、その後数分間口の中がピリピリ。辛さに弱くなってしまったぁ。
 
1月28日(日) 〜1月30(火) 退院してからずっと体重は53Kg前後をうろちょろ。食欲はあるがすぐに満腹感。免疫抑制剤プログラフ(3mg/日)が減ればもっと食べられるようになるかな。あと5〜6Kgは増やしたい。先日の外来受診時に先生がプログラフを減らそうか、と一瞬考え込んでいたみたいだが結局現状通りになった。ここらへんは微妙なさじ加減なのだろうな。
送料消費税込み1万5千円を切る値段でCD-RWドライブを購入した。CDからお好みの曲をMP3にエンコードしてCD-Rに焼いた。この他にもなかなか面白い使い方ができそうだ。しかしCD-Rメディアは安くなったもんだ。
 
1月31日(水) 今日は午後いちに肺機能検査。息を吸ったり吐いたり、移植前にもやっているのでコツはつかめている。30分ほどで終了。これで移植後の検査は一通り終わった。  
2月1日(木) 〜2月12日(月) 早いもので今年もあと残すところ11ヶ月となりました。2/3は本HP開設2周年記念日です。おめでとう。ありがとう。朝起きたときに特にひどかった咳と痰はこのところほとんどおさまってきた。あとは首から上、頭と顔の乾燥肌が何とかおさまってくれれば...。このところすっかり日本酒熱燗党になってしまった。ビールやウイスキーは身体が冷えてしまっていかん。
乾燥肌予防の強力なクリームをマツキヨで見つけた。塗った直後はベタベタになるくらいだが、朝起きた時のカサカサボロボロはかなり防げる。普通のクリームでは2〜3時間ともたないのだ。
ようやく700MBのCD-RにMP3にエンコードした曲を詰め込み終わった。おおよそ3分が3MBになるので200曲前後の曲を収録する事が出来る。Beatlesや井上陽水を聞くと懐かしく高校時代のことを思い出す。
 
2月13日(火) ドライアイ眼科受診、特に問題なし。外来受診後、四谷で仕事仲間と久々に痛飲。自分が浦島太郎になってしまっていることを痛感するも、楽しいひとときであった。さらに旧友からメールが届き嬉しかった。かつての悪友グループの中でもIT化は着実に進んでいる。  
2月14日(水) 耳鼻科、内科受診。プログラフが半分に減り、1.5mg/日になった。待ち時間中腹が減り、おにぎり(いくら)を食す。吉野屋の牛丼弁当を買って帰る。  
2月15日(木) 〜2月27日(火) プログラフの量が減ったが今のところ変調はない。ちょっと食欲が増したかも。指の爪は10本中6本が新しいものになった。残りの4本はさきっちょに古い爪がまだ残っていて布などをつかむと引っかかるのがうっとおしい。新しい爪は柔らかくてすぐに欠けてしまう。缶ジュースのプルトップを開けられない今日この頃であーる。
某日、甲斐バンド、チューリップのCDをレンタルしてきた。あ、懐かしい!と思った人は私と同世代です。ローリングストーンズの「メインストリートのならず者」も。今度はT.REXを借りよう。さらに某日、八神純子、柳ジョージ、ビリージョエルも借りてきた。最近暖かく春めいてきてうれしい。ちょっとビールでも飲んでみたくなる。が、まだ寒の戻りがあるだろう。自宅療養中に何か資格でも取ってやろうかと一念発起、申し込んだ通信教育の教材が届いた。数学、国語、社会、理科、時事の一般教養テキストを見て戦意喪失ぎみ。。
アサヒの本生が発泡酒で復活した。スパークリングワインもビールも発泡酒の一種ということらしいので、麦芽使用率の低いビールだけを発泡酒と呼ぶのはおかしいんでないかい?
 
2月28日(水) プログラフ終わり
最近ビールがうまいな、と思い始めていたら、今日の内科外来受診でプログラフの服用がナシになった(関係ないか)。こんなにトントン拍子に来てしまっていいのか?......いいのだっ!だが次の外来は1週間後の3/7だ。口腔外科も受診して次回は3/28、唾液の量は回復傾向。相変わらず全身乾燥肌で、痒い痒い状態である。
 
3月1日(木) 〜3月6日(火) なんだかいつの間にか味覚は戻ったような気がする。やっぱり戻るのに5ヶ月くらいかかるんだな。辛さにはめっきり弱くなってしまったけど。髪の毛は1.5cmくらい生えてきた。が、腰のないふにゃふにゃ毛である。しかも変なクセがあったりしてこの先どうなることやら。いずれにしろある程度伸びてきたら切り揃えねばなるまい。
4月から小学校1年生になる末娘の学習机が届いた。ワタシも机が欲しいです、部屋も。。ABBAとZARDのベストアルバムとMatrixのDVDをレンタルしてきた。ビデオより便利で、DVDなかなかいいぞ。だけどモニタが15インチで迫力不足。
通信教育の勉強をボチボチと進めているが10個覚えても8個忘れてしまう、といった案配。とほほー。
移植後約150日
3月7日(水) 内 科外来。手の甲、足の踝あたりにGVHDの発疹が見られるが、引き続きプログラフ無し。かゆみ止め軟膏を貰った。次回は3/14。4/6はマルク、4月は移植後180日になり肺機能検査、CTなど予定たくさん。今日の診察はいつもより空いていて、受付番号がなんと3番で、12時前には病院を後に出来た。花粉除けのマスクをしている人がたくさんいた。20才台の頃は猛烈な花粉症だったが、ここ4〜5年なんともないのは何故だ?  
3月8日(木) 〜3月13日(火) 手の甲、足の踝あたりのGVHD発疹は消えたり出たりと一進一退。下痢等は無い,このまま持ちこたえられるか?乾燥肌の中心は頭・顔から首・肩に移りつつある...かな?普通の石鹸だと洗い終わった後に肌がピリピリしてしまうため,弱酸性だというボディシャンプーを使っていたが,それもいまいちで,ツバキ油ベースの乾燥肌用ボディシャンプーを購入し使ったら痒みが弱まった。特に頭皮。200ml くらいの容量で800円もするので高価だがこれはいい。
一番乾燥がひどかった頃(2月頃)は,風呂上がりにベビーローションを塗って,さらに薬用クリーム(かなり油分が多いもの)を塗っても,朝起きる頃には顔が粉をふいたようになって,カサカサと肌がはげ落ちていた。で,ぬるま湯で顔を洗って,ベビーローションとクリームを塗っても3〜4時間後にはまたカサカサと。このごろはそこまではいかず,肌がつっぱる感じがするくらいだけにまで改善してきた。
 
3月14日(水) 今日は混んでたなー。9時半に着いて病院を出たのは午後2時。薬の処方があったらもっと遅くなっていただろう。プログラフを中止して2週間,特に問題ナシなので,このまま。次回は3週間後の4/4。
どういうことだかわからない」「連れに聞かないとわからない」「痒いのがそんなに問題なの?」「オレはいったいどうしたらいいの?」血液内科の待合室の椅子に隣りにいた夫婦の,患者とおぼしき夫の言葉である。背中に出来た発疹を見せて欲しい,と言ってきた看護婦さん,薬は何が足りないのですか?と尋ねたアシスタントの女医さん,への返答が前のふたつ。妻とのやり取りが後のふたつ,である。年のころはわたしと同じくらい,30代後半から40代前半と見た。こんな人もいるんだーー。とてもびっくりした。隣にいたワタシの耳はダンボのようになっていました。
 
3月15日(木) 〜3月26日(月) プログラフを飲まなくなってから,だいぶ食欲が増してきた。それに伴い体重も増加し52Kgあたりを前後していたのが54Kgにまで戻った。だけどその+2Kg分はみんなお腹まわりについている。
末娘の幼稚園の卒園式はビデオの大撮影大会と化す。子供達が大きくなったときにこのビデオを再生する装置は残っているだろうか?後生まで残しておくなら銀塩写真が一番確実だと思う。ネガさえちゃんと保存しておけば半永久的。VHS-Cカセットなんて短命だったぞ。
10枚入りCD-Rを498円で買ったついでに、体験版でハマってしまった電車でGO2を買ってしまった。なぜ売っているんだぁ〜。買ってしまったではないか。
某日,またひとつ年を重ねてしまった。でも,良かった良かった。某日,散髪に行った。一年ぶりくらいである。頭の両脇と後ろのところを短く切り揃えた。さっぱりしたし,全体の髪のバランスがとれた。しかし相変わらずポヨポヨの柔らか毛でボリューム感が無い。
 
3月27日(火) 午後いちにマルク。本当は4/6の予定だったが,先回の末血検査で好酸球が多かったとの事で,先生から連絡を貰い検査の予定を早めた。GVHDは皮膚(手)に少し見られるだけで,内臓等には特に不調は感じられないのだが。食べ物も酒もおいしいし。
 
3月28日(水) 今日は口腔外科の受診。9時45分くらいに病院に着き,受付機に受診カードを通したら受付番号が27番。こりゃ待たされそうだ,と覚悟をしながら口腔外科の受付ボックスに受診券を入れ,待合い椅子に腰をおろし,週刊アスキーの巻末の漢字ナンクロをやろうとしたら,名前を呼ばれた。こ,こんなに早く...。口の中のGVHDはほぼ完治,なので口腔外科の受診は今回で終わり。帰途中に用事を済ませたりして12時半には家に帰り着くことができた。
 
3月29日(木) 〜4月3日(火) 有給休暇,病気欠勤を使い果たし,3月19日から休職期間に入っている。会社の方では4月の組織変更に伴い,メンバーの異動などであわただしそうだ。漏れ伝え聞くところによればまだワタシの机も残っているそうである。有り難や〜。  
4月4日(水) ソッコーで家を出,9時10分頃に病院に着いたら,受診受付番号2番をゲット。10時半には診療終わり,会計,薬を受け取って,午後1時には帰宅。先週のマルクの結果は問題ナシ。良い天気だけどまだちょっと風が冷たいかな。
移植後半年がたった。退院直後は恐かった階段の下り,息が切れた階段の上りも問題ナシ。重い物(灯油2缶同時に)も運べるし,食べ物もうまい(辛いのに弱くなってしまったけど)。が,走るのはまだ苦手だ。まあしかし何よりもIFN注射をする必要が無くなり,気分が滅入ることもないのが嬉しい。頭,顔と首の痒いのがコンニャロメだけど,贅沢は言ってられん。
移植後約180日


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